僕達は何を守りたかったのだろう。
当時人気のあった刑事ドラマに憧れて刑事になってもいいかと思った。
幸いコネもあり、刑事になりたいと言えばそれなりに取り計らってももらえ、大学から警察学校へ、警察学校から警視庁へと配属されるまでに苦労はしなかった。
生まれた時からそれなりの人生。
極々ありふれたどこにでもいる学生時代を過ごし、刑事になったといっても飛びぬけて優秀でもなければ一流大学を出たわけでもない僕は、極々ありふれた刑事人生を過ごして終わるはずだった。
そこそこに出世して、そこそこの家庭を築き、そこそこ幸せな生活を送って、そこそこの人生を終える。
大半の人間が送っている人生を自分なりに生きることが、自分の出来る範囲だと思っていたし、その思いは今でも変わらないが、一流大学を出ていても、強力なコネクションを持たない人間は警視総監にはなれないと言われている昨今、実直で誠実な人柄と自らの才幹のみで局長にまでなり、いずれは総監になるかもしれないとまで言われる夜神総一郎氏に出会って、自分の人生観は大きく変わった。
彼のような刑事になりたいと、思うようになったのだった。
努力によって出世し、幸せな家庭を築き、忙しいながらも充実した生活を送って過ごす。
彼のように生きることが出来たなら、自分は真実幸せを感じることが出来るのではないのかと。
自分が今まで経験したことの無い生きがいを、見つけることが出来るのではないのかと。
夜神局長は人望もあり、才能もあり、堅実であり公正であり、多少融通の利かないところはあったものの、尊敬に値した。
この人と共に働けることは楽しかったし、幸せだった。
「こんにちは、松田さん。夜神月です」
初めて局長宅へ招かれた際に出会った局長の息子は利発で、教養に溢れ、あどけなく整った可愛らしい顔に笑顔を浮かべて歓迎してくれたのだった。
なんてよく出来た子で、局長にふさわしいお子さんなんだろうと思ったことを今でもはっきりと覚えている。
絵に描いたような幸せそのものに見える家庭は何一つとして歪みもなく、仲の良い夫婦と、優秀な息子と、可愛い娘4人で生活していたのだった。
夜神月。
「よく出来た優秀な局長の息子」としての認識しかなかった子供は、警察に助言を与えて事件解決に導く程に成長し、常に成績は全国でトップ、いずれは父のように警察に入って世の中を良くすることが夢なのだそうだと、局長は目尻を下げて嬉しそうに語った。
尊敬する局長の息子は、同じく尊敬に値する程優秀だったのだった。
キラ事件を担当することになり、夜神月がキラ候補として上がったことに怒りと同時にあれほど優秀な月君なら、と第三者でしかない僕ですら思ってしまったことを、局長が思わないはずがなく、Lと共に捜査するようになってから局長の顔から笑顔が消えた。
優秀すぎる夜神月。
けれど、世の中を良くしようと警察に入ることを望む彼に限ってそんなはずはない、と誰よりも局長が月君を信じていたし、自身も彼と話すうちに局長が信じる息子がキラであるはずがない、と思うようにもなった。
人あたりがよく、頭がよく、正義感に溢れ、キラを悪だと斬り捨てる彼が、キラだなどと思えるはずもなかったのだ。
僕は夜神月を信じていた。
正直な所、キラが本当に悪であるのかなんてわからない。
悪人のみを裁くキラは、被害者にとっては警察等より遥かに頼りになる神のごとき存在であったし、誰しもが心の中に救いようの無い悪人は死ねばいいのに、という思いを多かれ少なかれ持っているはずだと思うからだ。
自分が刑事でなければ、おそらくキラを支持していた。
夜神局長がキラ事件を担当していなければ、おそらくキラを容認していた。
刑事は公人であって私人ではない。
内心はどうあれ、刑事である以上キラは追わねばならなかったし、局長が追うというのならば従おうと思っていた。
そう、僕にとって夜神局長は、「刑事」を体現した姿だったのだった。
彼に従っていれば自分も立派な刑事でいられる気がした。
いつかは、本当に立派な刑事になれるのではないかと思えた。
彼こそが刑事であり、彼について仕事をすることは自分も刑事であることを自覚する為の儀式となり、充実した幸せを実感することが出来たのだった。
局長が刑事を辞めると言った時も。
Lが死んだ時も。
月君が二代目Lとなった時も。
「キラ」が世界に蔓延し、「神」とすら呼ばれるようになった時も。
迷いなど無かった。
局長がキラを追う限り。
自分もキラを追うのだと。
局長を信じていた。
局長の息子である、夜神月を信じていた。
次長に昇進した夜神総一郎氏はますます多忙になったが、昇進に伴いキラ事件に力を割く権限を得ることが出来たと喜ぶ次長を見るのは嬉しかったし、キラ容疑が晴れてLとして活動することになった月君と、家族と過ごす時間を取れるようになった次長は本当に幸せそうだった。
理想の家庭が復活した瞬間だった。
夜神家は僕の理想であり、局長は僕の理想の上司であった。
キラにさえ関わらなければ、ずっと幸せでいられたのに。
息子が真実、キラではないと安心して笑いながら逝った次長はきっと、幸せだっただろうと思う。
死神の目で。
息子を見て安心するその皮肉。
キラさえいなければ。
次長は死ぬことはなかったのだ。
「キラを捕まえればキラは悪、キラが世界を支配すればキラは正義」と月君は言った。
キラが悪かどうかなんて、わからない。
キラが正義かどうかなんて、わからない。
世界はキラを求めている。
神の存在を、求めている。
けれどキラさえいなければ、次長は死ぬことはなかったのだ。
キラさえいなければ。
夜神月が次長の生前も死後も、変わることなくキラを追い続けていることを知っていた。
自身がキラ容疑をかけられている最中でさえ、キラは別にいるのだと、キラを捕まえるのだと行動していたことを知っていた。
キラ容疑者として、Lとして。
彼のスタンスは常に変わることなく、僕達と同じ「キラを追う仲間」であった。
睡眠を削ってSPKやメロ達と情報の探りあいをしていることを知っていた。
優秀で尊敬できる、次長の自慢の息子であることを、知っていた。
僕は彼の何を見ていたというのだろう。
「そうだ、僕がキラだ」
何故こんな告白を、聞かなければならないのだろう。
息子はキラではないと信じて逝った次長すら、欺いたというのだろうか。
死神の目すら、欺いたというのだろうか。
6年に及ぶ僕達の捜査を、嘲笑いながら側近くで見ていたというのだろうか。
あの幸せな、僕の理想の家庭は、全て偽りだったというのだろうか。
激務の合間を縫って家に帰り、心から癒されて笑う次長を。
危険な仕事に晒された夫と、夫を助ける為に同じ道を歩んだ息子を見つめる母の温もりを。
父と兄を信じて帰りを待つ妹の優しさを。
お前は踏み躙りながら生きてきたというのか。
「父さん?ああ夜神総一郎か?」
何故君の口から、次長を父とも思わない発言を聞かなければならないのか。
キラが悪かどうかなんてわからない。
キラが正義かどうかなんて、わからない。
でも。
お前は。
お前は!!
…キラさえいなければ、次長が死ぬことはなかったのだ。
お前さえ、いなければ。
……でも。
次長は息子がキラではなかったと、安心して逝った。
最後の最後に、息子は優秀で頼りになって、誰よりも自慢の息子だと信じて逝った。
キラではないのだと。
自分が信じていたとおりの立派な息子であるのだと。
それが月君なりの親孝行であったかなんて、知らない。
知りたいとも思わないし、もう聞きたくても聞けないけれど。
次長は幸せのまま死んだ。
ならば、もういい。
僕達は、夜神月の何を見てきたというのだろう。
全てが偽りだったとは思いたくなかった。
キラとして生きてきた6年間、僕達と過ごしてきた全てが偽りと嘲笑に彩られていたのだとは思いたくなかった。
竜崎との友情も。
ミサとの愛情も。
何もかも計算どおりの演技だったのだとしたら、あまりにも…哀れだ。
誰にも心を開けずに。
誰にもキラだと悟らせずに。
家族さえ欺いて。
次長すら騙しとおして。
君は何を守りたかったの。
君はそこまで全てを偽って、本当に幸せだったの。
僕達は君の何をも知ることは出来なかった。
夜神月はもういない。
キラは、いない。
たくさんのものを失って、僕達は何を守りたかったのだろう。
僕の道しるべとなって教えてくれる人は、もういない。
END