雨に、撃たれる。

 己の過去を清算する作業は、廃墟の中から一粒の宝石を探す行為にも似て、終わりの見えない徒労とそれでも僅かながらも前進の成果を垣間見て感じる喜びとが混在し、表現しがたい感情に心は揺れ動く。
 僅か一年前まで、己の闇の具現化とも言うべき忌まわしき存在の所在の影すら掴めぬ放浪の旅をしていたが、キーブレードを所有する少年が世界に現れるのと時期を同じくして己の闇もまた姿を現した。
 オリンポスコロシアムで相間見えた己の闇は不遜な色を宿した瞳で己を見下ろし、片翼を広げて「捜していた」と言い放つ。
 いつどこにでも現れることが出来る癖に、傲慢な表情はかつて己が見知っていたモノと全く変わることもなく、己の脆弱さを嘲笑するかのように眼前に立ち、長い銀髪と長い剣を揺らして笑う男に怒りを覚える。
「…セフィロス」
 この男を倒さなければ、自分は前へと進めない。
 闇に閉ざされた己の心を解放したかった。
 何にも心を囚われることのない、明るい世界で生きたかった。
 眼前に立つ己の過去を全て知る男を殺して、自分は光の世界で生きるのだ。
 そうすれば自分はきっと、変わることが出来るのだ。
 この男がいるから自分は闇に囚われたまま戻れないのだと。
 全ての元凶は、この男にあるのだと。
 思い込むことで自分を保って生きてきた。
 それ以外の生き方など知らない。
 知ろうとも思わなかったし、興味もない。
 
 セフィロスが死ねば、自分は解放されるのだ。

 (…本当に?)

 

 

「…クラウドが居眠りなんて珍しい、ね?」
「ここまで無防備なのはおかしいだろう。…死んでるんじゃないのか?」
「もう、レオンったらそんなこと言わないで。きっと深く長い夢、見てるんだと思う」
「…夢ね。俺は向こうで作業をするが、エアリスはまだここにいるのか?」
「…ん、どうしようかな。ゆっくり寝かせてあげたい、よね」
 緩やかに浮上する意識の中、ひやりと冷たい手の平が額に触れる。
 女の細い指先は優しさに満ちて心地よく、クラウドは覚醒しきらぬ意識をまどろませたまま大人しく触れられるに任せていれば、やがて手の平から緩やかな癒しの力が流れ込む。
「やっとこの街に帰って来たのに、クラウドはずっと一人でいるの、何でだろうね。…セフィロスと決着をつけるのは、いつなのかな」
「…さぁな。その男にはその男なりの事情があるんだろう…俺達が干渉すべきことじゃないんじゃないか?助けを求められるならともかく」
「クラウドはそんなに器用な人、じゃないよ。…レオンと同じ」
「…何で俺?」
「レオンもいつも眉間に皺寄せて、一人で考え込んでる、でしょ?」
「……」
「ホラ、またそうやって考え込む」
「…これはアンタのせい」
 笑う声は涼やかに、明るく穏やかな気配に包まれた女は、母親のように大きな包容力を持っていた。
 傍にいれば安らいだ。
 宛てもなく流離う自分を心から気遣ってくれたのはこの女だけだったし、旅に出ると言った時には心から悲しみ、そして送り出してくれたのだった。
 自分の闇を知る女。
 それでもなお、何も聞かずにいてくれて、誰にも話さずにいてくれたようだった。
 街を再興しようと共に行動している、レオンにさえも。
 …エアリスには、感謝している。
 離れて行く優しい指先が、名残惜しかった。
「出来たデータを、シドの所に持って行くね。私がいても邪魔になりそう、だし、クラウドもゆっくり寝かせてあげたいから」
「…椅子に座ったまま熟睡できるとは、羨ましい限りだ」
「首、痛くならないといいけど、ね」
「…腰が痛くなりそうだけどな、むしろ」
「経験者は語る?」
「…悪かったな」
「レオンも仕事、頑張りすぎだよ?ちゃんとベッドで眠ってね」
「善処する」
「うん。じゃぁ私はお先に失礼するね。クラウド起こしちゃダメだよ、レオン?」
「…それも、善処する」
「うん、じゃ、またね」
 扉が閉められると同時に、クラウドは瞳を開けた。
 エアリスが消えた扉を見つめ、コンピュータルームへと続く通路へと視線を投げれば気づいたレオンが呆れたように溜息をついた。
「…起きていたのなら、善処の必要はなかったな」
「途中までは眠ってた。確実に。…夢を見ていた」
「へぇ」
「聞きたい?」
「…聞いて欲しいのか?」
「いや全然。言ってみただけ」
「……」
 これ見よがしに溜息を落とし、クラウドに興味を失くしたレオンはコンピュータルームへと足を向けた。カツカツと高い靴音が遠のいて行くのを座ったまま聞き流し、クラウドは再び瞳を閉じる。
 賢者アンセムが残した研究施設は街の再建委員会のメンバーが訪れる以外、ほとんど他者はやって来ない為、クラウドは気軽にここを利用していた。安易に人が多い場所は落ち着かず、ここは自分の時間を過ごすには最適と言えた。
 アンセムならばセフィロスの居場所や情報を知っているかもしれず、最近明らかになったこの施設が隠し持つデータには興味があった。
 ただ、街の再建に力を尽くす彼らより己を優先してまで情報を得たいかと言えば、そうでもない。早く己の闇から解放されたいと願っていたし、その為にもう長い年月、色々な世界を彷徨い歩いて来たのだったが、己の故郷でもあるこのホロウバスティオンの復興は望む所であり、かつての美しい姿を取り戻そうと活動するメンバーの邪魔をするのは気が引けた。
 彼らが施設にやって来れば、自分は遠慮する。
 自身に抱える問題がなければ復興に協力したいと思ってはいたが、今は自分のことだけで精一杯で他のことに気を回す余裕などない。その思いが自らの積極性を欠いていることも自覚していたが、解放されたい思いと協力したい気持ちと、今更、という自嘲とがせめぎあって二の足を踏んだ。
 この街が闇に染まり、逃げ出してから九年、久しぶりに足を踏み入れた時には「おかえり」という言葉と共にエアリス達は暖かく迎えてくれた。それから一年経って街は随分変わったが、自分はただ傍観していただけで、街の為になんら貢献をしていない。
 必死に街を駆けずり回り、復興の為に寝食を削って働くレオン達の姿を見てなお、協力もしない自身の都合を優先しようという考えは持ち得なかった。
 煮え切らない自身の内面に苛立ちを感じるが、こんな自分でも何も言わずに受け入れる彼らの寛容はありがたいとも思うが理解しがたい。
 同郷の人間だから?
 …否、おそらく彼らはどんな人間であろうと受け入れる。
 そしておそらく、出て行くのも自由だ。
 生温い無関心と寛容とは、よく似ているとクラウドは思う。
 彼らが自分に向ける感情がどちらなのか、知りたいとは思わなかった。
 エアリスはともかく、レオンは前者であろうと思ったが、確認する気にはなれない。
 今の一定の距離を保ったまま、必要な情報だけもらえればそれで十分であったし、それ以上を望みようもないのだった。
「……」
 いつの間にかまた眠っていたらしい。
 ひやりと冷たい手の平が額に触れた。
 エアリスかと思ったが、彼女は部屋を出て行ったはずで、では素手で優しく触れるこの手の持ち主は誰なのかわからずクラウドは戸惑った。
 目を開けるべきか、迷う。
 だが逡巡しているうちに手はあっさりと離され、扉へ向かう靴音が耳に入った。
 起こさないようにという配慮の為かほとんど感じない程度の音だったが、聞き覚えのあるそれにクラウドは思わず目を開けその後姿を凝視する。
 扉の向こうへ消える寸前の後姿は見間違えようはずもなく。
 さっきまで触れられていた額へと手を伸ばす。
「…レオン?」
 呆然と呟いた言葉は閉まる扉の音にかき消され、誰の耳にも届かず消えた。


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