二十二時を過ぎて『SEVENS HEVEN』にやってきたクラウドは、憔悴しきった顔をして指定席へと座り込んだ。
  今日も漏れなく満席であったが、毎日来店する事がわかっている為、カウンター奥の端の席はリザーブされている。ありがたいと思いながら顔を両手で覆ってカウンターに肘をつき、大きなため息を漏らした。
「…今朝人身事故で電車が止まってたみたいだな」
  最初の一杯がミネラルウォーターなのは、初めにクラウドがやって来た時からの暗黙の了解となっている。グラスに注いだそれを倒されないよう少し離れた位置に置き、レオンが声をかければクラウドはちらりと視線だけを向けてくる。
「ああ…」
  それは大々的に一面トップのニュースとして扱われていた。
  死んだのは、クラウドが勤める会社の社長と重役二名だったのだ。
「…今日一日仕事にならなくて大変だった…色々情報が錯綜して仕事が遅れて残業だし」
「神羅カンパニーといえば世界有数の大企業だから、マスコミも大騒ぎだな」
「そうなんだ。俺なんかペーペーだから関係ないと思ってたけど仕事に影響するし…まぁ息子が後継ぐみたいで反応早かったからすぐに落ち着くと思うけどな…」
「大変だったな。…今日はクリームチーズの西京味噌漬けと、ハツと青葱のパスタ柚子コショウ風味がおすすめになってるが。軽いものの方がいいか?」
「あー…昼から何も食ってないから腹は減ってるんだが、あんまり食欲ないな…」
  置かれたグラスを手にとって、ミネラルウォーターを飲み干す。
「胡麻鯛茶漬けがある」
「何それ超和食。いいな…じゃぁチーズとそれで。地ビール何かいいのある?」
「バナナの香りがするちょっと変わったやつが入ってる。合うんじゃないかな」
「じゃ、それで」
「かしこまりました」
  二杯目のミネラルウォーターをさりげなく置いて、レオンが接客に回っていたティファにオーダーを伝えれば、心配そうなティファの視線が向けられる。
「大丈夫なの?クラウド。疲れてそうだけど」
「ああ、何とか。俺は仕事こなすだけだし」
「そう…サラダおまけしてあげるね。ゆっくりしていって」
「ありがとうティファ」
  ビールとチーズに手を伸ばせば、少し落ち着いた。ビールは確かにバナナの香りがしたが、苦味があってすっきりしていて飲みやすい。チーズがいい肴になった。
  電車が止まった影響で、タクシーで途中駅まで行って折返し運転をしている電車に乗り換え、会社に着いたのは昼前だった。
  そのまま会議が入って長引き、終わった頃には昼食を食べる機会を逸していた。朝食っといて良かったと心底思いはしたものの、今日一日の会社の様子はただ事ではなかった。
  何しろ会社のトップが三人も死んだのだ。明らかに自殺ではない。警察はやって来る、マスコミは世界中から押しかける、入り口裏口通用口全てに記者が張り付き、出入りする人間全てにマイクを向ける。
  緘口令が敷かれたものの、口さがない噂と言うものは勝手に一人歩きして、夜のニュース時にはあれこれと根も葉もないことがさも事実であるかのように報道された。トップの交代劇も突然すぎ、引継ぎも満足にできてはいない混乱に乗じたマスコミの行動に、上層部は苛立っているという話だった。
  殺気だった社内の雰囲気は末端にも伝わる。
  何となく浮き足立ち、誰もが仕事に集中できない一日を過ごした。
  口さがない噂の中でも、最も上層部が警戒する噂が一つ。
  出世頭だった神羅の英雄の失踪だ。
  昨日まで全く普段通りに仕事をしていたという話だが、今日無断欠勤をした。連絡がつかず、自宅に行けばもぬけの殻で、誰も彼の姿を見た者がいなかった。
  警察も彼を捜していると言う。
  社内の怨恨か、権力闘争かと書き立てられマスコミの格好の餌食だった。
  電車に三人揃って飛び込むということ自体が異常だが、三人同時に突き飛ばすなんて事が可能なのか。
  何しろ全てが突然すぎて、下っ端の自分には何が何だかわからないのだった。
  鯛茶漬けとサラダが出てきた。目線を上げれば、カウンター内でレオンが静かな表情で立っていた。
  ちょうどビールを飲み終わった所だったのでグラスを渡し、気遣わしげな視線で見下ろす男に笑ってみせる。
「あったかいお茶ある?日本茶」
「かしこまりました」
「あるのか!」
「お客様のニーズにお応えするのが務めですので」
「プロだな」
「お褒めに預かり光栄です」
  目を伏せ、レオンも静かに笑う。
  二十三時を回れば、客足は減ってくる。
  空き出した店内を見渡して、レオンを見れば随分と余裕があるようだった。
  ティファの姿は厨房の中にあったが、この時間なら片付けでも始めているのかもしれない。
  そろそろラストオーダーだ。
「…レオン」
「どうした?」
「…あー、と…」
  明日は休日だった。
  一日家でごろごろするのも良さそうだと思ったが、会社のことがあるので落ち着かない気がした。
  出かけたかったが、一人で出かけるにも味気ない。
「今日のことでバイク買おうと思うんだけど」
「ああ、いいんじゃないか。公共機関は天災人災に弱いからな」
「そうなんだ。…で、その」
「ん?」
  言え。
  一言言え。頑張れ俺。
  熱い湯呑みを握り締め、一つ深呼吸をした。
  次の言葉を待っているレオンと真っ直ぐ視線を合わせ、言葉を探す。あった、これだ。
「そ…相談に乗ってくれないか!」
  よし、これなら違和感ない!
  良く思いついた俺!
「相談…」
  レオンが首を傾げた。あまり芳しくない表情だった。明確に拒否される前に畳み掛ける。
「何か外せない用事とかあるなら別にいいんだけど。…時間とかも合わせるし場所も」
「うーん」
「……」
  悩んでいる。
  プライベートでまで顔を会わせたくないということか?内心クラウドは落ち込んだ。
  一組、カップルが席を立ち、「ごちそうさま」とレオンに向かって声をかけた。「ありがとうございます」と顔を向け、会計の為にレジへと向かう。
  熱かった茶は少し温くなっていたが一口啜り、ふやけかけた茶漬けを一気に啜る。出汁を吸い込んだ米は柔らかくて弾力がなく、口の中でパサパサした。
  やっぱり茶漬けは熱いうちに食わないと駄目だなと思い知ったが、胃の中に納まってしまえば温かくて満たされた。
  店を出て行くカップルの後姿に一礼して戻ってきたレオンが、空になった茶碗を片付けながらクラウドを見下ろした。 
「クラウド、メールアドレスを教えてくれないか」
「…へ?」
「無理でも可能でも明日午前中までに連絡する。出かけるとしたら午後からになるが、いいか?」
「あ、…ああ、もちろん!」
  連絡先を聞いてくれるとは予想もしなかったクラウドは、急いでポケットから携帯を取り出した。
「直で送った方が早くないか」
  赤外線通信を暗に求めたが、レオンは首を振った。
「今持ってない。仕事の邪魔になるから」
「あー…そうか、そうだよな…わかった」
  着替えや荷物を置いておくためのスタッフルームにあると言われて納得した。
  手帳を取り出し、一枚破る。
  普段携帯でスケジュール管理はしているが、紙の手帳も持ち歩いている。絶対に忘れてはいけないスケジュールは手帳と携帯の二重管理で完璧だった。仕事の会議予定などはそれに加えて職場のパソコンモニターに付箋に書いて貼り付けてある。下っ端にスケジュールの管理ミスは許されないのだ。
  紙にメールアドレスを書き込んで、間違いがないか何度も見直す。ついでに携帯番号も記入した。
  いつでも連絡してきてね!という意味合いを込めていたが、果たして電話は来るのだろうか。
  メモを受け取るレオンを見つめれば、気づいた蒼の瞳が申し訳なさそうに苦笑した。
「ソラの予定を確認しておかないとならないからな」
「……」
  何でソラ。
  弟の予定が最優先と言われて複雑な気持ちになったが、二人っきりの家族ならば仕方がないのかもしれない。しかもソラはまだ子供だから、尚更だった。
  続けて何組かが店を出て、気づけば客はもうクラウドしか残っていなかった。
  湯呑み一つをテーブルに残し、レオンは片付けに入っている。
  ティファは厨房に篭りっきりだったが、明日の朝食としてサンドイッチを作ってくれ、表に出てきてクラウドに捨てれば済む紙箱に入れて渡してくれた。
「いつも悪いな」
「ついでだしね。私の分も作ってるし。…レオンにはいらないって断られたんだけどね!」
「え、そうなのか?」
  冗談めかして笑う女オーナーに、レオンは困ったような視線を向けた。
「…申し訳ない。俺もソラも普通の食事はあまり食べられなくて」
「偏食とか?アレルギーとか?」
「ああ。水分やアルコールは問題ないんだが」
「大変なんだな」
「…まぁ、慣れればどうということはない」
  テーブルを片付け、カウンターの上を片付ける。
  ティファは本日の売上の集計を始めており、明らかにクラウドは邪魔だった。
  この後掃除をして店を閉めるのだろうが、毎日何時までかかっているのか聞いた事がないので知らない。少なくとも、クラウドがいつまでも居座っていては店を閉められないだろうことは想像に難くなく、邪険にはされていないが早く帰った方が良さそうだという気にはなった。
「じゃぁそろそろ帰る」
「ありがとうございました」
「おやすみクラウド。また週明けに」
「ああ、おやすみティファ。…レオンも」
「おやすみ、クラウド」
  一度手伝おうかと言った事があったが、二人に揃って断られてから大人しく帰ることにしている。
  深夜の店で、男女二人っきりで後片付け。
  言葉だけを取ればそれはそれは怪しい響きを持っていたが、疑う気にもならない。ティファの性格は知っているつもりだし、レオンは「オーナー」に対してしっかり線引きをしているように見えた。
  男女としてより、経営者と従業員としての立場をわきまえた関係としか思えない。
  長い目で見ればどうなるのかはわからない。何もないかもしれないし、何かあるかもしれないが、それは考えても仕方がなかった。どちらかというと、そうなる前にレオンと親しくなっておきたかった。
  …どういう意味で?とは、考えない。
  俺にそういう趣味はないはずだ。ないはずなのに、何故か惹かれる。
  おそらくあの瞳が悪いのだ。
  目が合うと、心臓が跳ねる。
  何故だろう、わからない。初めて見た時からずっとそうだ。
  一目惚れというやつかと思ってみるが、それは違う気がした。そもそも男に興味がないのに一目惚れなどあろうはずがない。
  興味があって、近づきたい。
  今はただ、それだけだった。
 
 
 
 
 
  漆黒の闇に閉ざされた部屋の窓枠に腰を下ろし、月を見上げているのは少年だった。満月とは程遠い三日月は時折雲に隠され弱々しい光を地上へと送っている。都会の夜は地上の方が明るく、星も月の明かりも酷く寂しい。駅周辺の喧騒からは離れていたが、それでも汚れた空気はたかが徒歩十五分圏内では浄化されようはずもないのだった。
「明日…っていうか今日午後出かけるの?レオン」
「…ソラの予定は?」
「特にないよ。寝てると思う」
「そうか」
  仕事から戻ってきた「兄」は、服を着替える為に自室へと消えたが、しばらくして戻ってきた時には手に赤ワインのボトルとグラスを持っていた。
「えー…それ飲むの?」
「…お前も飲むか?」
「飲まないよ!レオンはおかしい」
「何故」
「マゾだよね」
「俺が?」
「他に誰がいるんだよ。何我慢してるの?」
「…別に我慢なんてしてないさ」
「う・そ・だ」
「……」
  ソファに腰掛け、ローテーブルに置いたグラスにボトルの中身を注ぎ入れる。風味を味わいたいわけではなく、ただ喉を潤す為だけの用途で開けたそれはグラスの三分の二程を満たし、真紅の液体が深みを増して朧げな月明かりを遮った。
  一口含むが、まだ若い。一日置けば飲み頃になりそうだった。
  不満そうな表情を隠しもしない少年を見つめ、小首を傾げてどうしたと問うてやるが、「心配してるんだよ」の一言でまた黙り込んで見つめてくる。
「…ソラ、何を心配することがあるんだ?」
「レオンはクラウドを狙ってるの?」
「は?…まさか」
「んーじゃ、ティファ?」
「何でそうなるんだ?」
「仲良さそうだから!」
  レオンが咽た。思わず口に含んだワインを噴き出す所だった。
「…目的が違うだろう?」
「そうだけど。レオンならよりどりみどりなのに、選り好みしすぎなんだよな」
「…そんなことはない」
「あるって。あ、言っとくけど俺レオンが一番だからな」
「友達はどうした」
「リクとカイリは別!っていうかリクとカイリは家族みたいなもんだし。それ以外だとレオンが一番」
「…なるほど」
「だからレオンが心配なの!」
「…心配されるような覚えはないんだがな」
「無理してる」
「してない」
  ソラがこれみよがしにため息をついた。
「レオンはさー…俺に嘘つけると思ってんのかなー。わかるんだからな」
「……」
  ワインを飲み干し、グラスをテーブルに置く。まだ足りないが、これ以上飲んでも仕方ない。
  ソファに凭れかかったレオンが目を閉じた。身体が怠く重かったが、理由は理解していた。
  クラウドにバイクの相談に乗って欲しいと言われたが気が進まない。ゆっくり寝ていたいのだが、あれは一応オーナーの大事な幼馴染であり邪険には扱えない。
  率直に向けられる感情の何たるかも知っていたが、あれはおそらく夢を見ているのだ。「完璧なバーテンダー」という人格者面したレオンの仮面に、騙されているに過ぎない。
  プライベートを知らないまま過ごしていた方が幸せなこともある。
「あーもー!クラウドと会うのはいいけど、倒れたりするなよレオン」
「…行くの面倒だな」
「駄目だよ。だってあいつ神羅だろ」
  吐き捨てたソラの声は冷めきっており、およそ子供らしくなかった。閉じていた瞼を上げてソラを見る。
  絡んだ先の視線が強く、引きずり込まれる感覚にレオンは眩暈を覚えた。
  ソラが口元に笑みを刷き、優しげに笑う。
「…レオン、おいで」
「…っ、」
  手を差し伸べられ、その強制力に逆らえずソファから立ち上がる。
  窓際へ歩み寄り、両腕を伸ばして首に絡みつくソラをレオンは振り払えない。
「カイリを見つける為だから。レオンにも協力してもらわないと」
「ああ、わかってる…」
「しょうがないなぁ。俺ホント、レオンに甘いよなぁ」
「……」
  ソラの瞳が紅い。
  レオンの後頭部に手を回し、頭を抱え込むように抱きしめる。
「ちゃんとクラウドの相手してきてくれよな」
「…わかった」
「じゃぁどうぞ」
  首筋を晒し、レオンの唇を押し付けた。
  躊躇していたが、「空腹で倒れたら笑えないだろ」と促せば諦めたようだった。
  ため息のような密やかな息を吐き、瞬きした瞬間レオンの瞳が真紅に染まる。開いた唇から覗く尖頭歯が伸びて牙になり、柔らかな少年の首筋に、牙を立てた。
「っ…」
  痛みはない。
  己の血の臭いには反応しないが、他人の血は生きる為の糧だった。
  好みの人間に近づいて、にっこり微笑んでやればいい。それだけで相手は魅了されて篭絡される。ほんの少し血を頂くくらいなら相手は軽い貧血だけで済み、忘れろと言葉をかければ強制的に記憶の中からその瞬間の出来事が削除される。
  簡単なことだ。
  レオンの好みが極端すぎるのかとも思うが、おそらく吸血自体を好んでいない。
  吸血鬼なのに。生きなきゃならないのに限界まで我慢して、仕方なく街に繰り出し血を頂くギリギリの生き方をしている。状況によってはソラがこうやって、血を与えてやらねばならないことも一度や二度ではなかった。
  俺、レオンのご主人様なんだけどなぁ。
  仲間にと強く望んだのはソラだったが、レオンは受け入れた。今更嫌だは通じない。
  血を吸う側であるにも関わらず、吸われる立場になっている。これは吸血鬼としては屈辱的なことなのだ。
  本当に、ソラにとってレオンは特別なんだということをもっと自覚してもらいたい。
「…クラウドに暗示かけて、内偵させたらどうかなぁ…」
「……」
  無理をきたさない範囲ならば、それも可能だろう。
  幼い子供をあやすように頭を撫でられるのを眉を顰めて受け流しながら、レオンは段取りを考えるのだった。


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