十九時半ぴったりに『SEVENS HEVEN』に着き、扉をくぐろうとしたが、狭い通路から出てくる黒いスーツに身を包んだ男女に阻まれ、脇に避ける。男女は軽く会釈をし、無言で階段を上がって立ち去って行ったが、食事や酒を楽しむ為に訪れたという様子には見えなかった。
  怪訝に思うが、すでに姿は見えない。
  店に入れば珍しくティファがカウンター内におり、レオンはいなかった。
「いらっしゃい、クラウド」
「ああ、…レオンは?」
「いるわよ。うっかり調味料切らしちゃって、買いに行ってくれてるの。もう戻ってくると思う」
「そうなのか」
「なーに、不満?私よりレオンのお出迎えがいいの?」
  からかい混じりに笑顔で責められ、クラウドは頭を振る。 
「…いや、そんなことは」
  ない、と言いながら指定席に腰を下ろす。残念な気分になったのは事実だが、そんなことを言えるはずもない。
  ミネラルウォーターは出てこなかったが、指摘するほどのことでもないので今日のオススメメニューをオーダーし、適当にドリンクを頼む。
  店の前ですれ違った男女について尋ねれば、ティファはああ、と言いながら首を傾げた。
「セフィロスが来なかったか、と聞かれたの。セフィロスって軍や警察に出向して反乱軍鎮圧とかしちゃう英雄でしょ?すごい存在感ある人だし一度見たら忘れないよね」
「…来たことあるのか?」
「うん、一度だけ。お友達と一緒に。視察の帰りだとか言ってたような」
「いつ?」
「うーん…二ヶ月くらい前かな?もうちょっとかな?レオンが入ってくる前であることは確かだけど。何で?」
「いや…。友達って?」
「ザックスさん」
「え、ザックス!?」
  思いもよらぬ名前が飛び出し、クラウドは驚いた。
  英雄セフィロスとバーに連れ立って飲みに来る程親しい間柄だったとは知らなかった。
「知ってるの?」
「…先輩だ」
「あ、そうなんだ?店入ってすぐの廊下にお花あるでしょ。あのお花ねー、ザックスさんの彼女が花屋してるからって紹介してくれたんだよ」
「…へぇ」
  ザックス、彼女の仕事の営業活動もしているのか。まめな男だなと思う。
「いつも素敵なお花を定期的に届けてくれて活けていってくれるから助かるんだー。エアリスって言うんだけどね、素敵な人だよ」
「らしいな。会った事ないけどザックスが自慢してる」
「ザックスさん、面白い人らしいね。…あ、レオン帰って来た」
  裏口から入ってきたレオンは礼を言うティファに買ってきた品物を渡し、いつもの場所に腰を下ろしてドリンクを飲むクラウドに笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ」
「…ああ、うん」
  何となく気恥ずかしい感じがして、クラウドがはにかんだ。
  厨房へと入ったティファと入れ違いにカウンターに立ち、新たにやってきた客へと向かう。
  何とはなしにその姿を見つめながら、ポケットに突っ込んでいた小型のUSBメモリを取り出し、目の前に翳す。科学の進歩は目覚しい。たかが数センチ、親指の第一関節までの大きさしかないような記憶媒体で、一昔前の最新型ハードディスクドライブに匹敵する記憶容量を持っているのだ。
  一杯目のドリンクを飲み干し、レオンへと視線を向ければこちらへと歩いてきていた。
「これ、頼まれてたもの」
「…ああ、ありがとう。仕事が速いな」
「これくらいは何でもない」
  差し出された掌に、USBメモリを落とす。優しげな微笑みを向けられた瞬間、満たされた。
「何か飲むか?」
「え?…あ、ああ、そうだなえーと…熱いコーヒー」
「かしこまりました。…どうした?」
「いや、…なんか急に目が覚めたみたいな」
「?変な奴だな」
  レオンは小さく首を傾げ、窺うような視線を向けた。何でもないと返し、ティファが持ってきてくれた本日オススメのロールキャベツと手作りパンに手をつけた。日替わりで提供されるメニューはどれも家庭的で温かい。熱々のロールキャベツを口に運びながら、今日の仕事は終わったと何故か奇妙な達成感に満たされていた。
  いつものようにレオンと会話し、ティファと会話をする。
  一時間と少しばかりを店で過ごし、満席で盛況になってきた頃席を立つ。
  「ありがとうございました」のレオンの声と、「また来てね」のティファの声。
  いつも通りのものだった。
  家路の途中、はて自分は何をレオンに頼まれていたのだろうかと首を傾げた。
  覚えているのは、子供が何かを達成した時に大人が向けるような、レオンの優しく慈愛に満ちた笑顔と「ありがとう」の一言だけだ。
  …何だっけ。何をした?
  レオンに褒めてもらう為に、レオンの期待に沿う為に、何かをしなければと思っていたことは覚えているが、実際何をしたのかは記憶になかった。
  霞みがかった記憶の奥には、何も見えない。
  「ありがとう」の言葉が脳裏を巡る。
  レオンが喜んでくれたのなら、まぁいいか。
  深く考える気になれず、真っ直ぐ家に帰るのだった。

  液晶サイズ十一インチ程の薄く小型のノートパソコンを開き、クラウドから受け取ったUSBメモリを刺す。SSDとメモリを換装済の改造パソコンは動きが滑らかで読み込みも早い。
  データを本体に写し、USBメモリの中身は全て消去した。
「どぉ?データ使えそう?」
  レオンの首に手を回し、後ろから圧し掛かるようにして少年が液晶画面を覗き込む。
  神羅独自のソフトウェアで作成されたデータは、本来ならば外部パソコンからは開けないはずであったが、クラウドはちゃんとデータを一般流通ソフトウェアでも開ける様式に変換してくれていた。
  あいつ意外に使えるなと感心しながらも、スパイウェアのチェックは怠らない。
  情報が世界を動かす時代に、スパイウェアは有効な手段だった。
  ネットワークには接続していないので外部に漏れる心配はなかったが、一度感染すると面倒だった。
  危険がないことを確認し、データを開く。
  その中身は全世界、数百万人に及ぶ神羅カンパニー及び関連会社の社員名簿だった。
「…うげ、これ全部調べるの?」
「まさか。そんなことしてたら何ヶ月かかるかわからない。ソートして選り分けて、さらに絞り込む」
「うん、意味わかんないけど任せた」
「…勉強しておいて損はないぞ?」
「時間は腐るほどあるからそのうち気が向いたらなー」
「……」
  すでに文字の羅列に飽きたらしいソラが、レオンから離れて窓際の椅子へと移動した。空を見上げるのが好きらしく、暇があれば月を見ている。
「ソラはあとどれくらいで成年するんだ?」
  マウスを取り付け、カチカチとクリックを繰り返しながらレオンが問えば、ソラは遠い目をして考え込んだ。
「んーと…百年で大人になるから、あと二十年くらいかな?」
「…五年で一歳か。ずいぶんゆっくりなんだな」
「もーさ、何回ハイスクール行ってると思う?飽きたよー同じ勉強ばっかり飽きたよー!早く大人になりたい!レオンと肩並べて歩くんだ。大人になったらあとは何百年もそのままだし」
「大人のお前は想像できないな」
「絶対イケメンになるからな!楽しみにしてろよ」
「そうか、楽しみだな」
  液晶画面から目を離すことなく小さく笑うレオンに、ソラは頬を膨らませて拗ねた。
「心がこもってないなー。レオンは死ぬまで歳取らないからずっとイケメンで安心だね。…まぁ普通に生きてたら死なないと思うけど」
「……」
「俺はどれくらい生きるんだろ。歳はゆっくり取ってくんだけど、老衰で死んだって話聞いたことないし。皆殺されちゃったし」
「…ソラ」
「あーもーマジでムカつく。ムカつくよゼアノート。裏切り者!」
  クッションを殴りつけ、八つ当たりするソラにため息を漏らす。
「…だからこうやって、捜してる」
「うん。レオンがいてくれて良かった。俺一人じゃなぁ。…リク元気にしてるかな。別れて捜そうって言ったきり会ってない」
「ゼアノートに近づけば、友達にも会えるだろう」
「うん、そうだな…そうだよな」
  抱え込んだクッションに顔を埋めて、ソラがため息をついた。例えレオンより遥かに長い時間を生きていようとも、この外見と精神年齢は子供のものだ。時折子供とは言い難い表情を見せることもあるが、純正の吸血鬼は成長する生き物であり、ソラは成長途中なのだった。
  少年のため息は似合わない。
  明るく笑っている方が、「らしい」と思う。
  目が合い、心配そうな顔をするレオンに向かってソラは明るく笑ってみせた。
「レオンがいるから大丈夫だよ。俺、一人じゃないもんな」
「ソラ」
「そんな心配そうな顔すんなって!俺としてはレオンの方が心配なんだからな」
「…またその話か」
「ちゃんと食事はして下さい!」
「わかった、わかった」
「ホントかなー」
  レオンは自分のことに関して無頓着だった。倒れられては困るのだ。
  再び画面に視線を落としていたレオンが、顎に手をやり呟いた。
「…しばらくクラウドからもらうことにした」
  安心した。
「ああ、いいんじゃない。招待されたんだろ?」
  頷くレオンに親指を立てて見せ、よくやった!と褒めてやる。
「寝込み襲っちゃえば夢で片付くし楽でいいよ」
「…情報収集も兼ねてだがな」
「さっすが!」
  指を鳴らして感心する少年に苦笑を投げ、作業に集中する為視線を落とす。
  買い物から戻った『SEVENS HEAVEN』の裏口で、ティファとクラウドの会話を聞いていた。
  ゼアノートとセフィロスは接触している。
  レオンの前にバーテンダーとして働いていた男が「ゼアノート」らしき男であることは確認済みだった。ティファに前任者の記憶はなく、その前に働いていた一般の男が継続して働いていたと思い込んでいた為だ。常連客にそれとなく聞いてはみたが、控えめで目立つ行動を全くしていなかった男を覚えている者は少なく、銀髪の若い男だったという情報しか得られなかった。セフィロス個人を狙っていたのか、神羅の幹部なら誰でも良かったのかは不明だが、目的を持って行動していたことは明らかであり、目的を達成したから姿を消したのだということもまた自明であった。
  「英雄」と持て囃されるセフィロスの個人データは記入されていなかった。入社時登録されるはずの履歴書は、空白だ。
  現住所や連絡先も全て空白。対外的に出回っていて隠す必要もないだろう顔写真すらも、空白だった。
  姿を消す際に消去して行ったのか、元から登録されていなかったのかはわからないが、ニュースサイトや動画サイトなどを確認すればいくらでも容姿の確認ができるはずのそれは、検索してみたがネットワーク上には見つからなかった。削除されている。
  手を回すにしても周到過ぎた。個人がやれる範疇を逸脱しており、強大な権力を行使しなければ不可能にも思える行動に、神羅が動いたのだろうと想像がついた。
  神羅が「セフィロス」の隠蔽に乗り出している。
  余程知られてはまずい情報を握られたか、セフィロス自身が機密であったか。
  警察は機能していないようだった。
  神羅で起こった一連の出来事について、当初はともかく現在介入している様子がない。マスコミは完全に沈黙し、フリーのライターが独自に動いてはいるようだったが、近いうちに消されるか握り潰されるのがオチだろう。
  ゼアノートがセフィロスに何を吹き込んだのか、そして何を得たのか。
  早急に調べなければならない。本来の目的はゼアノートだったが、目的を達成して姿を消したのであれば、簡単には見つかるまい。であればセフィロスに直接聞くのが一番だったが、行方がわからない。
  セフィロスの個人情報が欲しかった。
「…ソラ、これ」
  神羅に関係する直近の関係者の名簿を確認し、レオンの指が止まった。少年を呼べば、つまらなさそうに観ていた録画番組を止めて歩み寄る。
「何?何かあった?」
「…アンセム博士」
「え。…それって」
「……」
  十年前、死んだはずの男だった。
「レオン、顔真っ青だよ。…大丈夫?」
「…ああ、大丈夫だ…」
  ここでその名前を見ることになろうとは、思ってもみなかった。
  テーブルに肘をつき、力の入らなくなった身体を支える為に額に手を置く。
 
  十年前、街一つを殺した男だった。

  アンセム博士が神羅に関係しているのなら、ゼアノートが神羅の人間に近づいた理由が一つ明らかになる。
  ゼアノートはアンセム博士の弟子だった。
  当時ゼアノートが何者か知る者は誰もいなかった。博士は知っていたのか不明だが、知らなかったとしたら不幸であり、知っていたとしたら悪質だ。
  「実験」の名の下行われた非道は虐殺だった。
  命からがら逃げ出した僅かな人間以外に生存者はいないはずだが、ゼアノートが生きているのだから、アンセム博士が生きていたとしてもありえない話ではない。
  前社長の関係者として名を連ねる男が、息子に代替わりしてからも繋がりがあるのかは不明だ。
  本人かどうか、確認をしなければ。
  ゼアノートに関係する者全てを把握しておかなければ。 
  「ザックス」という男が鍵のような気がした。幹部に近く、セフィロスと近く、クラウドの先輩だと言っていた。クラウドを使って、どこまで深入りさせることができるか。
  直接ザックスに接触するのが手っ取り早く確実だということはわかっているが、躊躇する。余り行動範囲を広げて派手に動くことは望ましくないということもあったが、何より気遣うのは「彼女」の存在だ。
  開店前にやって来て、花を活けて帰って行く彼女のことを、知っていた。
  関わり合いになりたくない。
  自然に平和に、歪みなく生きて欲しいと思っていた。
  今彼女が幸せならば、ザックスに関わることもまた、望まないのだ。
  迂遠だとは思うが、直接関わらない方法で事態を収拾したかった。

  エアリスは、死に絶えた街の数少ない生き残りの仲間なのだから。


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緋の残照-04-

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