祈りはどこに届くのか。

  何の収穫も得られぬまま再建委員会本部へと戻ったレオンは苛立っていた。
  今回、異常な事態が多すぎて自分の手には負えないのではないかと思い始めており、それは同時にやりきれなさと無力感を呼び起こす。
  ハートレスは通常生息域を持っており、簡単に住処を変えることはない。村人を襲ったのがハートレスであるのなら、近辺にいるはずであるのにそれらの姿はなかった。では村人は示し合わせて一斉に失踪したのか?…そう結論付けるには根拠に乏しい。
  経済的な問題もなく今年の収穫は豊作であり、家族の不和も聞かなかったし、周辺住民のトラブルもない。
  何しろ身の回りの物や金目の物を持ち出した形跡すらないのだから、ハートレスの存在を疑うのは当然だとレオンも思うし、ハートレスの仕業だろうとも思っている。
  が、今までの在り方と合致しない。
  おかしい。
  ハートレスが独自の進化を遂げているという話は聞かないが、もしそうなのだとしたらそれは脅威であった。
「書類を持って来ましたぞ。お願いします!」
  と、声を弾ませ商工会の正式な依頼書を持って来た男に罪はない。
「ああ、お引き受けします」
  取り繕う余裕がなかったレオンが、ただ表情を作ることをせずに淡々と請け負っただけだった。
「…あ、あの…?」
  先ほど顔を合わせて話をした時には穏やかな表情を見せていたはずの若いリーダーが、無表情であることに困惑する。
  レオンに言わせればこれが素だ、ということになるのだが、男にとっては再建委員会の不興を買うことはすなわち、街で彼らの保護を受けられなくなることを意味した。
  謙るような口調になったのは無意識だったが、レオンはちらりと視線を投げただけで、意識は依頼書の方に向いていた。
「まだ、何か?」
  気弱そうな壮年の男の視線が泳ぐ。
「い、え、あの、それ、何か、問題でもありますかな…?」
  これ以上下がりようがない程下がった眉が哀れを誘う。
  まだいるのか、と言いたげな視線で突き刺して、レオンはようやく気がついた。
「あ」
  このおっさんは、商工会の理事だった。
  一つ咳払いし、表情を改める。
  今更微笑を貼り付けた所で違和感しか生まないだろうが、あえて微笑を貼り付けた。
「失礼。簡潔に作って頂いて感謝します。要点もわかりやすく、調査もしやすい。報告は追ってさせて頂きますが…少しお時間を頂くことになるかもしれません」
  依頼書を集中して読んでいたからだ、ということにする。
  首を傾げ、少し照れたようにはにかんでみせた。
「これは深刻な状況ですね。…よくここまで調査されましたね。助かります」
  壮年の男は騙された。
  片手を上げて、「いやいやそんな」とまんざらでもなさげに満面の笑みを見せる。
「我々も仕事ですから、しっかりやれることはやらせてもらっとります。急いで作ったので至らない点もあるかもしれませんが、不足はないですかな?」
  お前が作ったのか。道理で文法も時系列もバラバラだ、とは、レオンは言わない。
「ええ、大丈夫だと思います。また何か、新しい情報等があれば、知らせて下さい」
「わかりました」
  気持ち良く帰ってもらえて結構だ、と、男が去ってその存在を頭の片隅に追いやる。
  依頼書についていた調査結果については目新しいものは何もない。つい先ほど己の目で確認してきた所だった。
  異常に増えたハートレス。
  忽然と気配すらないハートレス。
  そして、城に大量のハートレスを呼んでいると思しき黒い影。
「……」
  果たしてこの仮説は正しいのだろうかとレオンは顎に手をやり考える。
  再建委員会本部の中には、パソコンに向かったままのシドとレオンしかいなかった。
  エアリスとユフィは出かけており、ソラは来ていない。
「…なぁシド」
「何だ?お前何イラついてんのか知んねーが、他人巻き込むんじゃねぇぞ大人げない」
「……」
  気づかれていた。
  しっかり聞いていたくせに、何のフォローもなしとはなんとも酷い話だと思ったが、下手にシドに割り込まれても話はややこしくなったであろうから、結果的にはこれで良かった。
  言葉に詰まったレオンを見やり、「で?」と促す。
  手を止めて聞いてやるんだから、早く言えと言わんばかりに顎をしゃくって腕を組む。
  レオンはため息をつき、同じく腕を組んで壁に凭れる。己の思考を、言葉に変換するのは面倒だった。
「あの監視カメラで見た影が、大量のハートレスを城に持ち込み、分散した奴等が街に降り、村まで達し、被害が広がった、という認識でいいと思うか」
「農家の連中はいつ消えた?」
「…具体的にはわからないが、結構前だと思う。依頼書にある調査では一週間以上前、と書いてあったが」
「なら逆じゃねぇのか」
「逆?…ああ…」
  そうか。村人が先にハートレスに食われたのだとしたら。
「大量のハートレスは、村にいた…?」
「村全部は回ったのか」
「…いや、さすがにそこまでの時間はなかった」
  ふーむ、と鼻から息を吐いて、シドは天井を見上げた。
「城に持ち込みするくらい大量のハートレスなら、そこら中にいてもおかしくないんじゃねーか?」
「そう…かもしれんが、ざっと見た感じ何もいなかったぞ…?それに、大量にいるならエアリスが行った時に気づいているはずだろう」
「そうか。そうだよなぁ」
  あの影は、一体どこから大量のハートレスを連れて来ているのだろうか。
「けどよ、村に気配がないってことはもう根こそぎ持ち込み終了した可能性もあるんじゃねぇのか?」
「それは困る」
「困るってお前…」
「あの影に直接聞かないとならないんだからな。来て貰わないと困るだろう」
「…そりゃそうだが」
  それはこちらの都合であって、あちらさんが聞いてくれる保障はないのだ。
  では他にいい手があるかと問われれば、村狩りするしかない、としか言えない。再建委員会だけでは手が足りない為、人手を確保する必要があり、それは時間のかかることだった。
  しかし姿もなく気配もなく、本当にいるかどうかも疑わしい案件に人員を割く事は難しい。大勢の人間を動かすのなら、確証が必要だ。
  レオンの言うことはわかる。わかるがしかし、レオンの願望混じりの言い様に何とも言えないむず痒さを感じ、シドは首の後ろを掻いた。
「お前もなぁ…」
「…何だ?」
「十分大人の癖して何なんだそれは」
「…何がだ?」
「いやいい。…ちょっとこっち来いや」
「…?」
  手招きに素直に応じ、レオンが傍らへと歩み寄る。
  シドは手を伸ばし、レオンの髪をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「…っ!?」
  レオンの身体が硬直する。
「たまーに、ホントにたまーにだが、おめぇ可愛いなぁと思う時があるんだがよ」
「はぁ!?ちょっ…やめろよ!」
「何だコレは。俺様の親心ってやつか?」
「おや…って、あんた俺の親じゃないだろ!?」
「うわーかわいくねぇ。かわいくねぇなぁお前」
「どっちだよ!やめろよ!俺いくつだと思ってるんだよ!」
「あん?俺様にとっちゃいつまでたってもガキはガキだ」
「……っ!!」
  絶句するレオンの髪はすでに乱れに乱れていたが、構わず撫でる。
  逃げようとしながらも逃げ切らないところが、コイツ可愛いんだよなとシドは思う。
 
「こんにちはー!レオンいるー!?遊びに来たよー!」

「……!!」
  うわ、と、レオンが小さく呟いたのをシドは聞き逃さなかった。
「……!!……!!……!?」
  硬直し、大きく口を開いて事態の把握に努めようとする小さな勇者もまた、可愛いなぁとシドは思った。
  手を離して頭を自由にしてやると、レオンは無言で姿勢を正し、ソラに背を向けて髪を直している。
  赤面しながら小声で「恥ずかしい」を連呼するレオンが非常に珍しかった。
  一足先に我に返ったソラが、無言でシドへと視線を向けた。目を細めて笑い、来訪を歓迎してやる。
「おめぇが来んの、レオンは待ってたぜ」
「…え、ホントに?」
「おうよ。おらレオン、いつまでケツ向けてんだ。お待ちかねの勇者だぜ」
  まだ顔が赤いようだが、いつまで待たせるつもりなのかと急かす。
「…ああ、って、ケツを叩くな!」
「チンタラしてっからだろが。俺ぁ仕事があんだよ。あとはお前らでやってくれや」
  唖然とするレオンとソラを置いて、パソコンに向き直る。
  まぁ、たまには構ってみたくなることもある。
  普段全く手がかからないレオンがすでに少年ではない事は承知していたが、どうにも一番印象的な姿というものは記憶から拭い難いのだった。
  身も心も傷ついた少年の姿を思い出す。
  …まぁ、昔の話だがな。
  途中で止まっていたプログラムの続きを書き始める。
  己の世界に没頭すれば、もはや周囲のことは気にならなくなった。
「……」
  ため息をつき、レオンはソラへと歩み寄る。
  窺うような視線で見上げてくる少年に、いつもと変わらぬ笑みを向けた。
「ソラ、夜は家に帰るのか?」
「ん?んー…何か用事ある?」
「ある。大事な用事が」
「じゃぁ泊まってもいいよ。ちょっと親に言って来ないとだけど。いつまで?」
「…そうだな、長くて数日」
「今夏休みだし、週末は補習も休みだしオッケー!で、何するんだ?」
「ああ、昼は自由に行動してもらって構わない。夜だけいてくれれば」
「…うん?…それはいいけど、何で夜だけ?」
  どうせ昼も一緒にいるつもりなので構わないのだが、夜だけでいいと言われる意味がわからなかった。
  首を傾げて見上げたソラの頭を一つ撫で、レオンが声を潜める。
「二人っきりで外泊しようか、ソラ」
「へ!?」
「誰もいない所で、ゆっくり熱い夜を過ごそうか」
  レオンの顔が笑っている。これはあれだ、からかっている顔だと思ったが、ソラはその言葉の意味を計りかねて混乱する。
「えぇ!?何かレオンがイヤラシイんですけど…!」
  レオンの背後で、シドがアイスコーヒーを噴出した。
「…こらレオン!お子ちゃまに何言いやがる」
「うるさいぞシド。仕事してろ」
「まったくよ…。ソラ、そいつに篭絡されんなよ」
「…ろう…?え、何?どういう意味?」
  純粋に問うてくる真っ直ぐな瞳が痛いと思いつつ、レオンは軽くソラの頭に手を置いた。
「気にしなくてよろしい。…とりあえず、夜だけは俺と二人でいてもらう。別にお前を取って食ったりはしないから安心しろ」
「俺がレオンを取って食うのはアリなのか?」
  いや、ナシだろうとレオンとシドは同時に思うが、レオンは少し眉を顰めて困ったように笑い、シドは咳払いをしてまたキーボードを叩き始めた。
「…まず、了承をもらってきてくれ。俺はまだ仕事がある…晩飯は、シドに奢ってもらうから一緒に」
「おっシドの奢り!?」
「…おいレオン…」
  首だけをこちらに巡らせ、話が違うと言いたげな顔をシドはしたが、無視をした。
「何でも好きな物を奢ってくれるぞ。何がいいか考えておけ」
「おおー!何にしよっかな!レオンは何がいい?」
「ソラの好きな物で構わない」
「ええー!それは迷うな!どうしようかな!あっ先に家帰ってくる!お泊まりセット持って来よ~」
「ああ、俺は夕方にはここに戻る。それまでは好きにしていろ」
「わかったー!」
  慌しく出て行く少年の後ろ姿を見送るが、背後に突き刺さる恨みがましい視線に振り返らざるを得なかった。
「…何だ、その目は」
「お子ちゃまがいたらかわいいねーちゃんの店に行けねぇだろが!」
「ソラがいない時でいいだろ…」
「うちの有望株連れて行くわーって、言っちまったのによ…」
「…おいこら」
「再建委員会の若きリーダー様つったらよ、ねーちゃん達浮かれてサービスしますぅ!って言ってたのによ…」
「……」
「その顔腐らせるともったいねぇぞコラ。若いうちにいっぱい楽しんどかねぇとな」
「…じゃぁ暇をくれ」
「甘えんな。ねーちゃんと遊ぶ時間はな、寸暇を惜しんで作るもんだ」
  そこまでして。
  レオンは一気に疲労した。
「そのうちな」
  と返すだけで精一杯だった。

 

 

  午後の予定をこなし、本部へ戻るまでに少し時間ができたレオンは城の研究施設へと向かう。
  ハートレスの生態について、殆ど書物やレポートなどは読み漁ったがそれでも見落としはないかと確認する為だった。
  「トロン」のデータを解析するのが一番の早道なのだろうが、ハートレス製造を行う事ができるくせに、肝心の「ハートレスの設計」の部分はロックがかかっており、見る事は適わない。
  解析作業を進めてはいるが、はかどらない。定期的に暗証番号が変更される仕組みになっているようで、パターンの解析もやらねばならず、まだ目処は立っていない。それのみにかまけている時間もなく、どんどん後回しになっているせいで、今この理解し難い事象に対処できずに困っているのだったが、「トロン」に聞いてもアクセス権限はないようで、結局徒労に終わってレオンはため息をついた。
  書庫へと赴き、ハートレス関連の本を手に取り眺めやる。
  内容はすでに把握しているものであり、見落としもなさそうだった。
  だとすると、やはり。
「…書庫でお前見るの、久しぶり」
「…クラウドか。また昼寝か」
「お前…俺に対して偏見ないか」
  二階にいた金髪の男が、黒衣の裾を翻しながら傍らへと降り立った。
  レオンがテーブルの上に重ねて置いていた本を一冊手に取り、タイトルを確認する。
「今更何調べてるんだ?」
「いや、確認していた」
「…何を?」
「……」
  クラウドの視線を感じたが、答える気になれずレオンはテーブルに頬杖をついて思考を巡らす。
  あの城の影は、おそらくハートレスかノーバディのどちらかだろうと思っている。
  大量のハートレスを生息域を超えて「移動」させる事ができ、「命令」することが出来る存在は限られていた。
  城に移動させる理由がよくわからなかったが、元から夥しい数の闇のモノ達が生きる場所であり、そこに増えたところで微々たる物でしかないのだったが、人間がいる街ではなく、守りの薄い外縁部でもなく、ここ、であることに何か意味はあるのだろうか。
  各地を転々として大量に掻き集め、何かの目的があって城に置いている可能性もある。
  放されるハートレスは生まれたばかりと思しき小さなモノ達ばかりであった。
  一体どこから連れてきているのかと思うが、報告のあった失踪以外に、不審な事故や事件はないかと調べてもみたが、ハートレスが原因と思しき異常現象はこれといって見当たらない。
  あの村が、唯一怪しい。
  だが歩いてみたものの、ハートレスは一体も見つからなかった。
  間引きした後だからだろうか。
  あの村を隅々まで捜索すればまだどこかにいるかもしれないし、もういないかもしれない。
  まだいるとしたら、いずれどこかで大量失踪事件が起こって誰かが気づく。
  いないのならば、あの影を倒してしまえば解決するのだろうか。
  問題は、その一点だけだ。
  こちらにはキーブレードの勇者がいるので、負ける心配はしていない。
  倒す前に、話をせねばならないだろう。…話をできる奴ならいいが。
  その為にはまたこの城に来てもらわなければならないのだが、こちらから来てくれと頼む手段もない以上、いつ来てもいいよう、即応する為に城で寝泊りをしなければならなかった。
  後手に回っている自覚はある。相手の都合任せというのは歯痒く、不快だ。
  待つしかない立場であったが、敵が夜に来るだろう確率は非常に高いと踏んでいた。すでに持ち込みを終了しているのでなければ、待っていればいずれ相見えるだろう。
  生まれたばかりのハートレスは動きが鈍い。
  加えて、元々闇の生き物である奴等は、陽光照りつける時間帯を好まない。それでもエサとなる人間がいれば容赦なく襲い掛かってはくるのだが、夜に比べれば大人しい。
  ため息が漏れる。全く、ため息ばかりが良く出るものだとレオンは思う。
  ふと、傍らに立っていた影が揺れた事に気づいて、視線を上げる。
  ああ、コイツいたんだった。
  見れば、クラウドは明かり取りの窓から差し込む陽光を見ていた。
「…何か見えるのか」
  問うてやれば、「飛んでる鳥」などと食った返答をされてそうかと返す。
  用がないならさっさと離れて行くだろう男が、黙して傍らに立っている。
「…何か用か?」
  さらに聞けば、呆れを滲ませた蒼の瞳が見下ろした。
「用があるのはお前だろ」
「俺?」
  きょとんと目を見開いた。
  全く身に覚えがない。
  首を傾げて考える様子のレオンを見やり、クラウドがため息をついた。
「いや、用がないなら、いい」
「…何だ?何かあるのか」
「…別に」
  逸らされた瞳が不満そうだ。
  だが何も思いつかなかったので、レオンは立ち上がって本を本棚に戻す。
  一度家に戻り、外泊の為の準備をしなければならなかった。
  …いや、どうせまともに睡眠など取れやしない上、朝になれば戻ってくるのだから持って行くものなどありはしない。
  この身一つと武器さえあれば事足りるので、やる事といったら風呂に入って着替えることくらいだった。
  未だテーブルから動かぬ金髪を揺らし、クラウドはレオンの後姿を視線で追っていた。
  物言いたげな様子にレオンは気づいたが、クラウドからは何も言わない。
  何なんだ、と問い詰めたい気にはなったが、子供ではないのだから、言いたいことは自分で言えと思うのだった。
  このまま無視をして出て行くのも気が咎めたので、扉を開けながら振り向いた。
「しばらく夜はソラと過ごす。家は使いたければ自由に使え」
「…っは?何だそれ…」
「「お泊まり」というやつだ。じゃぁな」
  クラウドを置いて、扉を閉める。

 今夜来てくれたら楽なんだがな、と思うレオンの希望に反し、影は城に現れなかった。


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