「…なんだこれ」
締め切られたエントランス前に人だかりができており、何かと近づけば紙が一枚、貼られていた。「社員各位」から始まるそれは倒産しましたのお知らせであり、手続きは弁護士を通してくれというものだった。
「…は?」
その場にいた元社員一同同様の感想を持ち、各々顔を見合わせた。
これが現実であると認識できた者から地面に膝から崩れ落ち、呆然とする者、どこかへ電話をかける者、中に入ろうとガラス扉を引き開けようとする者様々だったが、今日から無職、という事実だけは誰もが嫌でも認識せざるを得なかった。
「半月分の給料、どうなるんだろ…」
今月の給料とボーナスがきちんと支給されただけでも良心的な会社だというべきなのかもしれないが。
クラウドもまた呆然と立ち尽くしたが、とりあえず貼り紙に書かれた弁護士の名前と電話番号を控えることだけは忘れなかった。
その場で連絡し、しかるべき手続きの手順を聞いてメモを取る。
意外に冷静に行動できたな、とクラウドは自画自賛したが、自宅に帰って脱力した。
「……」
何すればいいんだっけ。
…えっと、昼飯どうしよう。
手続きもやらないとな。
平日のうちにやらないといけないな。
もうすぐ年末じゃないか。役所関係全部休みになるぞ早くしないと。
「……」
とりあえず寝るか。
寝よう。
おやすみ。
布団に潜り込み、目が覚めたら夕方だった。
「腹減った!」
落ち込んでいても腹は減る。
コンビニに買い出しに行くか、どこか食いに行くかで迷うが、食いに行くのは面倒だった。
コンビニで明日の分も買ってくるかと重い身体を引き起こし、外に出ればすでに真っ暗で身を切るような寒さに首を竦めた。
「マフラーしてくれば良かった…」
レオンにプレゼントしてやったマフラーは暖かそうだった。
あれ、いいモノだったよな。
俺も欲しい。
レオンにプレゼントしてやったジャケットも、暖かそうだった。
俺も買おうかな。
俺が着てもたぶん似合う。
いやでもあいつの為に選んでやったものだからやっぱりあいつには負けるかな。
あいつよりも似合うジャケットが欲しいな。
買いに行こうかな。
思考が現実逃避していることを自覚したが、仕方がない。
コンビニで買い物をして家に帰り、夕食を済ませ風呂に入ってテレビをつけて、ベッドに寝転んだら全てがどうでもよくなった。
「…来年から心機一転するの、あいつだけじゃなくなったじゃないか…」
面倒くさい。
どうしようかな。
あいつの為に随分金を使ってしまったが、まだ余裕はあった。
今まで全然自分の為に金使ってなかったもんな。
興味もなかったし。
疲れてたし。
職探しをするにしても、年が明けてからだな。
ゆっくりしよう。
でもとりあえずは、寝る。
もう、おやすみ。
別に目覚めなくてもいいなと思っていても、朝は来て目が覚める自分にクラウドは失望する。
「…生きてるって、全然素晴らしくない」
それでもやっぱり腹は減る。
冬休みに入ったらしき学生達の元気な声は外からは聞こえず、静かな朝食を一人で取って、クラウドはスマホを手に取った。
習慣と化したキミスタ!を起動して、レオンのブログと動画をチェックする。
内容は別に興味ない。
興味はないが、知らない情報があるとムカつくので確認をしている。
それだけだった。
更新された最新のブログは「お知らせ」で、年末にキミスタ!専用サイトで生配信される番組を見てね、というものだった。総合ランキングの発表と、来年から始まる第二期の新メンバーも発表され、上位十人は卒業ということで特集が組まれて、華々しく門出を祝ってくれるのだそうだ。脱落組の扱いはだいたい想像がつく。ほとんど取り上げられることもなく、消えていくのだろう。
脱落が確定しているメンバーも、このお知らせはしなければならないのだと思えば、残酷だった。
ひどく虚しい気分だった。
スマホを放り出し、クラウドはまたベッドに横になる。
バイク、買おうかな。
どこかに行きたいな。
今度はもうちょっと楽な会社を探して、休日はツーリングしたい。
友達欲しい。
恋人も欲しい。
でも今は動くのだるいししんどい。
手続きだけはしておかないとな。
それが終わったら今年中はゆっくりしよう。
寝放題だしごろごろし放題だ。
でもジムは行っておきたい。
身体動かさないと死にそうだ。
…いやでも死んでもいいのかな。
別にもういいかな。
でもとりあえず、寝る。
眠い。
年末までをだらだらしながら過ごし、キミスタ!生配信の時間が来ても、観る気にはならなかった。
どうせレオンの扱いなんて無に等しいし、脱落していくヤツへの扱いなんて観たくない。
ここ数日はレオンのブログや動画もチェックしていなかった。
こちらの精神が削られるからだ。
余裕がないので、同じような境遇にいるレオンを見るのが辛かった。
だが来年にはブログや動画は全て削除されるかもしれないと思うと、確認しなければならない気になり、生配信までの時間見てみるが最後までレオンはいつも通りだった。
何故だか、安堵した。
こいつ強いなと、初めて思った。
俺には無理だなと、素直に思えた。
大勢から「お前はいらない」とランク付けされてなお、いつも通りでいられることの、すごさを知った。
だからこそなおのこと、何故脱落するのか未だに理解ができないのだ。
「…おかしいよな」
生配信を観る気になった。
ほかの奴らがどれだけのものなのかを、見届けてやらねばと思ったのだが、観始めて程なく、インターホンが鳴った。
「…は?」
夜九時である。
宅配が来る予定はないし、来客の予定もあるわけがない。
間違いかと思って放置するが、インターホンは再び鳴った。
セールスが来るような時間でもない。
仕方なく立ち上がり、画面で確認して首を傾げた。
見たことのある男だった。
「…どちらさま?」
問えば、抑えられた低い声が答える。
「クラウドかな、こんばんは」
「……、…は!?」
身体が硬直した。
いやいや、まさか。
なんだこれ夢かな?
「夜分に申し訳ない、少し話ができないかと思って」
「は…!?」
「日を改めた方がいいかな」
「へ!?あ!?いや、ちょ…、ま、ままま待って」
「はい」
はいって言った!?
夢じゃなくて!?
部屋を見渡し、ここ数日の廃人生活で散乱し放題の本や服を片づける。
キッチンに放り出したままだったコンビニ袋の中身も片づけ、ゴミはゴミ箱へと押し込んだ。
パジャマに等しいルームウェアも急いで脱いで、クローゼットからまともそうな服を引っ張り出す。ワンルームの為ベッドも剥き出しなので、ぐちゃぐちゃになったシーツや布団も形ばかり直して見栄えを整え、深呼吸をした。
だ、大丈夫かな?
ていうかあんまり待たせられないし、もう無理だし。
日を改めてって言ったって、本当に次があるかもわからないし。
もういいか。
いいよな。
心臓の音がうるさく、手に汗をかいていた。
本当に?
いるのか?
扉を開けたら、本当にレオンがいた。
「突然申し訳ない」
「い、いや、…ど、どうぞ…」
「お邪魔します」
俺の家に。
レオンが。
いる。
なんだこれやっぱり夢かなとクラウドは思うが、すぐそばに立つ男は間違いなくレオンだった。
クラウドがプレゼントしたマフラーとジャケットだったし、靴もそうだ。
「キミスタ!の生配信は観てた?」
問われ、我に返った。
「あ、今、ていうか、何で?で、出なくていいの」
「脱落組は出番ないから」
「うっ…あぁ、…そうか」
出ないのか。
じゃぁ観る必要もなかったな。
一瞬呆けたが、慌ててレオンにソファを勧めた。いつまでも客人を立たせているなんて非常識もいいところだった。
きちんと礼を言ってソファに腰を下ろすレオンを見て、アバターを思い出す。
前見たなこの光景。
キミスタ!のホーム画面は二等身だったけど。
「あっの、飲み物淹れる…ええっと、インスタントしかないけど…」
「お気遣いなく」
「いや、そういうわけには」
コーヒーを淹れて渡してやればマグカップを両手で包み込み、「温かい」と言ってレオンは小さく笑みを浮かべた。
「あの、えっと…」
何の用で来たのか、見当がつかない。
しかもこんな時間に。
アバターの二人は仲良しだったが、現実の二人は芸能人とただの一般人だ。
自分の部屋に推しがいて、平然としていられるヤツがいるわけがないのだ。
…いや、俺はファンじゃないんだけど!
クラウドの物問いたげな口調に気づいたレオンが、「本当に申し訳ない」と頭を下げて詫びてみせた。
「事前に連絡をすべきだと思ったんだが、自由になる時間が生配信中のこの二時間しかなくて」
「…は、はぁ…」
「住所は登録情報を確認させてもらった」
「……」
そんなことが一芸能人に可能なのだろうか?と思ったものの、冷静にツッコミを入れる余裕はクラウドにはなかった。
無言で見守っていると、レオンはおもむろに自分のスマホを取り出し、小さな端子も取り出した。
「話の前に、テレビ使っていいかな…生配信の様子を確認しておきたくて」
「え…あ、ああ、どうぞ…」
「ありがとう」
リモコンでテレビをつけている間に、レオンはテレビへと歩み寄り、端子を接続し、ミラーリングしていた。
「一応明日のブログで生配信について書かないといけないことになっていて」
「あぁ…なるほど…」
「俺には関係ないのにな」
「……」
笑うレオンの横顔に、自嘲の色はない。
他人事として、割り切っているような表情だった。
テレビに映し出される光景はライトが照らされ華やかで、八十九位から上に向かって名前が読み上げられる度に、スタジオにいるメンバーから拍手が起こる。
その場に九十位以下の者はいなかった。
やはり隣にいるレオンは、本物なのだった。
実感し、心臓が跳ねる。
何なんだ。
何でここにいるんだ。
コーヒーを啜っていると、隣でレオンがこちらを向いた。
「クラウド」
「は、…はひ…!?」
名前を呼ぶのはやめて欲しい。
レオンの表情は仕事用の完璧な笑顔だった。
「本来ならキミスタ!主催の食事会に招待しないといけないんだが」
「…は…?」
「残念ながら年末で俺の契約は終了するので、招待することができない」
「え……」
「契約終了間際に百万マニー突破するファンが現れるとは思っていなかったこちらの落ち度なんだが」
「落ち度って…」
「年が明けてフリーになったら、個人的に食事に招待したいんだが、クラウドの予定は?」
「へ!?」
思わず仰け反った。
個人的に?
誘ってくれてる?
「脱落が確定しても高額課金して応援してくれるファンが存在する、ということがまず…驚きというか、想定してはいたが範囲を超えていて」
「……」
ファンじゃないけど。
そこだけは訂正したい。
「純粋に疑問なんだが、半年かけて順位を落としたのに、何故課金してくれたんだ?」
「…へ…」
「ファン数や課金額の推移はだいたい想定内だった。他のメンバーの順位や課金額と比較しても差はない。順位が下がればファンは減って課金額も減る。十二位から三十位までは順位を落としても減らなかったが、それ以降は予想通りだった」
「……」
レオンが何を言っているのか、わからなかった。
何かシステム的なことを言っていることはわかったが、レオンが何故それを口にするのかがわからない。
「脱落圏内に入ってからは脱落圏内のファン数と課金額になる。これも想定通り。一部熱心なファンが支えてくれることも、だいたいは予想通り。だが脱落圏内に入っているメンバーに一人で百万課金されることは、想定外だった」
「…はぁ…」
「そんなに俺のことが好きなのかと」
「は…っいいいいいいいや、だからっ…!!」
「だから?」
「……うっ…だ、だから、ちが…」
レオンがマグカップをテーブルに置き、クラウドが持つカップを取り上げてこれもテーブルに置いた。空いたクラウドの両手を取って握り込み、握手会の時よりもずっと至近でレオンはクラウドの瞳を覗き込む。
「もう課金しなくていいと言ったのに、課金してくれたのは本当にただの嫌がらせだったのか…?」
「…っう、…」
「お前の気持ちを知りたくて来たんだ、俺は」
「き、気持ちって言われても……」
嫌がらせに決まってる。
それ以外あるわけなかった。
お前の嫌がる顔が見たかったって言えばいいのか。
色々な顔を見せろって、言えばいいのか。
上手く言葉にできる自信はなかった。
視線を落とし狼狽するクラウドをしばし見下ろし、レオンは少し身体を引いた。
手は離さなかった。
「まぁ、クラウドのようなファンが一人でも獲得できれば相当粘れるということはよくわかった」
「…ねばれる…?」
「システムに課金したら返してやることはできないから、本当は言うべきではないんだが」
「……?」
何を言うつもりなのだろう、レオンは。
目線を上げると、レオンはわずかに目尻を下げ、諦めたような顔で笑っていた。
「俺は芸能人じゃないんだ」
「は…?」
「キミスタ!のシステムを作って運営しているのは俺の会社」
「はぁ…!?」
「ランキングシステムの有用性と実効性を確認するためのサンプルの一つとして、実際に参加してデータを取っていて」
「…は…!?」
「半年で十二位まで上がったのは予想外だったが、思いの外いいデータが取れたから、今度は残り半年で順位を下げた時のデータを取ろうとしていた」
「…おい…!」
「後半六ヶ月は、順位の操作をした。ファンになってくれた皆にはとても申し訳ないことをした」
「……お前…!」
「クラウドにも、申し訳ないことをした」
「……!!」
卑怯者。
お前、手を繋いだままで言うことか!
何だこれ、申し訳なさそうに笑うんじゃない。
別に、ファンだから課金したわけじゃなかった。
応援したくて課金したのは最初の一回だけだ。
だから別に裏切られた、とは思わない。
思わないが、なんだか色々な感情を踏みにじられた気分だった。
「…クラウド…?」
肩を震わせるクラウドを覗き込むレオンの瞳は、芸能人として振る舞っていた時と何も変わらない。
変わらないから、ムカついた。
「一発殴らせろ」
「…それで気が済むなら」
ため息混じりのレオンの言葉には、諦観があった。
話した時点でそれなりの覚悟はしたのだろう。
…それじゃ殴ったって無意味じゃないか。
「とりあえず手を離せよ」
「別に力は入れてない」
「……」
「おとなしくしてるのはお前」
事実、動かせばあっさりと手は離れた。
恥ずかしくなり、クラウドは耳朶まで熱くなるのを自覚した。
「お、俺は別に…!」
「…だからせめてもの詫びに、と食事に誘いに来た」
「……」
「無理にとは言わないが」
なるほど、得心がいった。
なら、足りない。
俺の気持ちは、全然足りない。
「食事で済むと思ってるのか」
「…百万マニーの価値があるかは知らないが」
「殴るのはやめる。一発ヤらせろ」
「は……」
初めて見る驚愕の表情だった。
握手会で見せたものとは比較にならない素のものだ。
見つめてやれば視線をうろつかせ、明らかに動揺を見せた。
「お前に百万マニーの価値があるかは俺が判断してやる」
偉そうに言えば、レオンは目を瞬かせた後、なるほどと頷いた。
「服を一式プレゼントしてくれた理由はそれか」
「…は!?ああああだから、そういう意味じゃないって言ってる、だろ!!」
別に脱がせたいとかそういうことじゃないから!!
いや結果的にそういうことを求めているわけだけども、そうじゃないから!!
「…一日デートする権利を得るにはいくら必要か知っているか、クラウド?」
「は?デート?…そんなもん売ってなかっただろ」
ガチャの確定交換券にも入っていなかった。
「食事会への招待も売ってないから」
「…あぁそういえば…いくらだよ」
食事会は一回百万マニーだったな。
デートならいくらだよ。
「累計一千万マニー」
「いっせんまん!?」
「…だいたい予想としては三年から四年で達成するファンが現れるかな」
「知るか馬鹿!狂気の沙汰すぎる!!誰だそんな設定したヤツは!!」
「…俺の会社なんだが」
「お前か!!」
目の前にいた。
こいつか!!
ちくしょうファンの心理を上手く利用しやがって!!
いや、俺はファンじゃない、ファンじゃないから関係ないけどな!!
「お前自分に一千万の価値があると思ってるのか」
「さぁ…それを判断するのは俺じゃなくて、ファンだから」
「ヤろうと思ったら一億とかか?馬鹿か!!」
「…ファンとのそういう付き合いは禁止になってる」
「ていうか、お前はもうメンバーじゃないっ!!」
「…よく気づいたな」
「気づくわ!」
「……」
レオンが大きなため息をついた。
ため息をつきたいのはこちらの方だった。
「わかったクラウド。ではこうしよう」
「…何だ」
「年が明けたら温泉旅行に一緒に行こう」
「…は…」
「俺は一ヶ月休みを取っているからいつでも構わないんだが、クラウドの予定は?」
なんだこの展開。
クラウドにはわけがわからなかった。
「…費用はお前持ちか?」
「ああ、俺持ちで構わない」
「…俺無職になったばっかりだからいつでも」
「…そうかわかった。じゃぁ履歴書持ってこい。俺の会社で使ってやる」
「えっマジで」
なんだこの展開。
本当にわけがわからなかった。
「そのかわり」
呟いて、レオンは再びクラウドの手を取った。
「もう課金しなくていいと言ったのに、課金してくれたのは本当にただの嫌がらせだったのか否か、はっきり聞かせてもらおうか」
「え…っななな、なんでだよ…っ」
後ろに仰け反った分だけ、レオンが迫る。
至近で見つめてくる元推しの笑顔は、相も変わらず完璧だった。
「その理由如何によっては、今後の収益拡大戦略のヒントになるだろうからな」
「ぅぐ…っ」
「ついでに、温泉旅行の内容についても一考の価値があるかもしれない」
「はぁ…!?ていや、ヤらせる前提じゃないのか…!!」
「ないに決まってるだろ。ホラ答えろ」
「ぅぐぐ…っ」
本当に嫌がらせだったのか、なんて。
気づきたくないのだ。
言わせるな。
なのに言うまで離れそうにない男の笑顔が、完璧すぎる。
「クラウド」
やめろ。
名前を呼ぶな。
わかってるだろ。
お前もうわかってくるくせに本当に嫌なヤツだった。
推しメンはトップスターにはなれなかったが、親密度はマックスになり結果的に推しと仲良しになれたクラウドだった。
END
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