理想と現実。

 

 初夏から夏へと移り行く日々の変化は、日差しの強さと吹き抜けていく風の温度が物語る。夏を感じさせる強さで肌を灼き始めた陽光も、風に吹かれれば優しく流れて心地良い。
 灼熱を思わせる真夏へと向かう、準備期間と思えば短すぎると思わないでもなかったが、過ごしやすい今の季節がレオンは嫌いではなかった。
 肉体労働における、体力の消耗具合が違うからだ。
 身動きせずとも汗が流れる真夏の外気は眩暈を覚える程で、できることなら動きたくない、と思ってしまうのはもう若くないからか。
 二十代で「若くない」というのもどうか、とは思うが、すぐ目の前で走り回り、ハートレス駆除に喜々として取り組む十代を前にして、年齢を感じたとしても無理からぬことだろう。
 少し背の伸びた後ろ姿は、それでもレオンに比べればまだまだ小さい。
 元気に動き回る少年を見ていると、「自分はもう若くない」と零してしまいたくなる程には、己と少年との差異を感じずにはいられなかった。
 両手で支え持っていた十冊程の本を抱え直し、少年が作ってくれる道を歩く。
 日蔭は涼しくひやりと風が肌を撫で、その快適さに日蔭を選んで歩くレオンと、日差しの中でも構うことなく駆けていく少年が対称的だった。
 定期的に少年は振り返り、レオンとの距離を測っては立ち止まる。
「レオン、ちゃんとついてきてよ!」
「ついて行ってる。問題ない」
「何でそんな端っこ歩いてんの?」
「日焼けすると困るだろう?」
「えっ?」
「本が」
「…ああ…レオンが、かと思っちゃった…」
「俺は女子か」
「デスヨネ!」
 待っているソラに追いつき、隣に並んでレオンが肩を竦める。
「だが涼しい方がいいのは確かだ」
「…さては、楽してるな?」
「楽させてくれて助かる、さすがソラ」
「うわー正面から言われちゃうとなー、イヤって言えないなー」
「さすが、ソラ」
 重ねて言えば、ソラが照れたように視線を逸らす。
「もーいいって!今日は書庫まででいいの?」
「ああ、済まないな」
「ううん、俺も時間なくてごめんな、レオン」
「全然構わない。助かってる」 
「レオンはすごいよな」
「…何だ突然」
 歩き始めたレオンは、止まったままの少年を追い越したことに気付き、首を傾げて振り返る。
 すぐに歩み寄ってくる少年の瞳は真っ直ぐレオンを見つめたままで、その一途さにレオンは思わず瞳を眇めてその強さを受け流す。
「どうした?ソラ」
「そういうの、口説き文句って言うんだろ」
「…何だって?」
「相手をその気にさせる時に使うんだ。さらっと言えるレオンがすごいよなって」
 唇を尖らせ不満を見せる少年を見下ろし、少年が言わんとしているところを察して、レオンが笑う。
「違う。それを言うなら、社交辞令だ」
「…しゃこうじれい」
「物事を円滑に進めるために、相手を誉める」
「それ!!」
 力いっぱい指を指され、返す言葉に苦笑が混じる。
「俺がお前に社交辞令って…冗談じゃないぞ?」
「そんなのいらないのにな。気、遣われてるのかなって」
「心から言ってるんだが」
「…ホントかなー」
「本当だ。疑うのか?」
 軽く首を傾げて見下ろすレオンの顔は、笑っている。
 レオンの言葉はソラにとっては耳障りが良すぎて、照れる。
 誉めてくれて、感謝してくれて、心配してくれる。
「…全部信じたら俺、踊り出すくらい喜ぶから」
 温かさに満ちた言葉に対して、子供じみた返答しかできずに、ソラは己の表現力のなさを嘆く。
 もっと頭の良さそうな返しをしたいと思うのだが、それでも大人の男はちゃんと意図を汲んでくれるのだった。
「なら良かった。…ほら、ハートレスが現れた。ソラ、頼む」
 信頼の言葉は、嘘か真か、わからない。
 けれどレオンは人を傷つけるような嘘はつかないと、ソラは信じている。

 レオンが俺にそう言うなら、そうなんだろう。

 それは、とても嬉しいことだった。
 不満を継続させることが難しく、「もー!」と言葉と共に吐き出して、ソラはキーブレードを構えて群れの中に突っ込んだ。
 空は高く、雲は薄い。
 手入れをする者のいなくなった廃城の、崩れた壁や割れた地面の隙間から伸びる植物の緑が濃い。

 夏が、すぐそこまで来ていた。

 

 

 

 

 

 少ない雲を押しのける強さで熱を感じさせる日差しも、城の中までは届かない。
 薄暗く、そこかしこに湿気を残す人気の絶えた空間は、春先の肌寒さを未だ引きずっているかのようだ。石造りのひび割れた壁と、汚れて傷みの目立つ絨毯の上を、鈍く靴音を響かせながら歩けば、明かりの届かぬ闇に蠢く、敵の気配が濃厚になる。
 通路の奥までハートレスを蹴散らしに行こうとするソラを、「今日は見える範囲で構わないから」と引き留め、分厚く重い扉を開けて書庫に入れば、埃臭さが先に立つ。
 こまめに掃除、など不可能である現在それは仕方のないことだった。
 本棚に近づけば、長い歴史を感じさせる古い本独特の匂いがした。
「片づけ手伝うよ」
 レオンの隣に立ち、適当に本を手に取って、「これはどこ?」と首を傾げるソラにおおよその場所を教えてやって、レオンも片づけるべく本棚を探す。
 本を読んだのはレオンではなかったが、借りて行ったのはレオンだった。なので、だいたいの場所は把握している。
 読みたい本があるなら自分で行け、と言うのだが、シドという名の出不精は、レオンに貸し出しと返却を当たり前のように要求し、委員会本部のパソコンの前から動かないのである。
 どうせついでだろ、と押し付けられ、もはやレオンも文句は言うが諦めていた。
 明かり取りの窓から差し込む陽光はまだ明るい。
 夕方に差し掛かっているはずだったが、日の入り時刻は随分と遅くなっていた。
 レオンが最後の本を本棚に戻している先、二階に上がったソラは手にした一冊を本棚に入れようとしたが、ふと気配を感じて本棚の奥を覗き込む。
 埃を払った椅子に腰かけ、机の上に両足を投げ出して行儀悪く座る男がこちらを見ていた。
「わっ!クラウドいたのかよ!」
「悪いか」
「いや、悪くないけど、声かけてくれたらいいのに」
「なんて?」
「いや、なんて?って言われても…こんにちは!とか…?」
「俺が?」
「…う、うーん…言ってくれてもいいけど」
「断る」
「あ、そう」
 逆立てた金髪を軽く振りながら欠伸をする男を置いて、ソラは本を本棚へと戻す。
 片づけが終わったと報告するべく振り返れば、レオンは階段を上がってすぐそこまで来ていた。
「クラウドがいるって?」
「うん、びっくりした」
「どうせ、寝てたんだろう」
「…余計なお世話」
 覗き込んだレオンに向かって不愉快、と眉間に皺を寄せて表現するクラウドに苦笑を落とし、ソラに向き直る。
「時間は、大丈夫なのか?ソラ」
「あっヤバイ。そろそろ帰らないと」
 窓の外がまだ明るいから、忘れてた!と、慌てて踵を返す少年の背にかけるレオンの声は優しい。
「そうか。今日は助かった。気をつけて帰るんだぞ」
「うん、今度は時間があるときに来るね!クラウドも、さよなら」
「…さよなら」
「こんにちは、はできないのに、さよならはできるんだな~」
「……」
 わざわざ振り返って手を振る少年に対し、言葉だけで返す男は大人げないな、とレオンは思う。
 床に薄くたまった埃を舞い上げながら階下に降り、走って扉から出ていく少年は忙しなかったが、元々時間がないと言っていたのを書庫まで付き合ってもらったのだから、感謝以外の言葉はない。
 少年が持つ武器でなければ、ハートレスを消滅させられないのだから、仕方がなかった。
 レオンの背を見上げ、クラウドは投げ出していた足を床に下ろして、足を組む。膝を台にして右手で頬杖をつき、聞こえるように溜息を落とした。
 振り向く男に左手で手招きをするが、眉を顰めて不審そうに見下ろされただけで、近寄っては来ない。
「何だ?」
 会話が困難な距離でもあるまいし、そのまま喋れ、と言外に言われた気がして、クラウドも眉を顰める。
「なぁ、気づいたか?」
「何に」
「気づいてないのか。鈍いんじゃないか、お前もソラも」
「何が」
「ここまで来たなら気づいただろ?」
「だから、何に」
「ハートレスとノーバディ」
「来る途中にいた奴らは、ソラが倒した」
「そうじゃなくて」
「あぁ…、お前がムカつく、ということにはとっくに気づいてる」
「それは俺のセリフ。…だから、そうじゃない」
「何なんだ」
 腕を組み、疲れたように溜息を零しながら吐き出すレオンの眉間に刻まれた皺は深い。
 回りくどいやり取りに苛立っているのだ。
 見上げるクラウドの口元には微かに笑みが浮かぶ。
 わかっていて、やっている。
 だが、表情を改めた。
「アイツらの気配が、騒がしい」
「…騒がしい、とは?」
「そのままの意味だ。何かに反応して、興奮してる、みたいな」
「何?」
 看過できない内容だった。
 レオンは姿勢を正して見上げてくる男の正面に立ち、詳しく話せと詰め寄るが、クラウドは平然と首を振った。
「お前らが来たから騒がしいのかと思ってたが、そうじゃないみたいだ」
「闇の生き物が騒ぐというなら、それなりのヤツが来ているってことじゃないのか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない…俺もこれ以上はわからない」
「もったいぶった割には情報がなさすぎる。反省しろ」
 呆れた溜息をつきながら髪をかき上げ、本棚に凭れるレオンの言葉には容赦がない。
「は…?意味がわからん。何かいるかも、って、教えてやったんだから、感謝されてしかるべき」
 不快に顔を顰めるクラウドを一瞥しただけで何も言わず、すぐにレオンは視線を流して腕を組む。
「異変らしい異変には気づかなかったな…。…街と城を調べるのは…時間的に厳しいな」
 今日は、と、付け足し、窓外を見る。
 まもなく日が落ちる。
 夜は闇の生き物達の領分だった。
 街はもちろんだが敵しかいないこの城で、一人夜を明かすつもりは毛頭なかったし、そもそも一人で解決しようとも思っていなかった。
 背負える責任には、限度がある。
 この件は持ち帰って本格的に対処を考えなくてはならないが、まずは。
「…まだ明るいうちに、回れる所は見ておくか」
「……」
 レオンって変な奴だな、と、クラウドは頬杖をつきながら思う。
 思考がすでに、クラウドの言を採用した前提になっていた。
 「何かいるかも」という発言から、「ではどう対処するか」へと進んでいる。
 「情報がない」と言いながら、「ではどう調査するか」へと進んでいた。
 適当な嘘をついている、と考えないところが、不思議だなと思うのだった。
「で、クラウド」
「…何」
「お前は一応街の確認を頼む」
「え?何で」
「もしかしたら、お前の探し物かもしれないだろ」
「…あぁ、なるほど」
 それを出されたら、拒否できない。
 今クラウドが生きている目的は、その「探し物」であるのだから。
 それにしても、と、クラウドは思うのだ。
「レオンお前、俺が適当なことを言ってるとは思わないのか」
「何を今更」
 本棚から身体を離し、腰に手を当て溜息をつくレオンの表情は平静だ。
「俺にそんな嘘をついて、お前に得があるのか?」
「…ないけど」
「じゃ、問題ないだろう。俺は行くぞ、時間がない」
「あぁ…」
 それなりに信頼されているのだと知ることは、ひどく落ち着かない気分になる、と思うクラウドだった。

 

 

 

 

 回れる所を回る、と言っても、時間の制約がある以上、場所を絞らなくてはならない。
 ハートレスやノーバディの気配が騒がしくなるほどの存在がいる、ということは、人間にとっては脅威と同義であった。
 そんなレベルの敵と言えば、知恵が回り、何かを企む。
 この街には未だ多くの闇があり、利用価値があるからこそやってくるのだろう。
 レオンはクラウドの言を疑ってはいなかった。
 「何かいる」というのなら、「何か」は「いる」のだ。
 アンセム博士が残した研究施設を回り、異常がないかを確かめる。不正にアクセスされた形跡はなく、システムにも問題はなかった。
 目的として来るのなら、データが蓄積されているここだろう、と踏んでいたのだが、アテが外れた。
 あとは十三機関と戦えるデータがある、城外の通路から入れる白い部屋か、と思うが、そこは帰りに寄るとして、問題は城内だった。
 広すぎて、日暮れまでの短時間で回りきることは不可能だった。
 一つずつ部屋を見て回ることは諦め、各フロアのハートレスの動きを観察する。
 特に変わった様子は、見られなかった。
 レオンの気配を察して現れ、襲ってくる。いつも通り。
 そしていつも通り蹴散らして、上階へと進む。
 壁が崩れて外気が吹き抜ける夕暮れ時の通路は、随分と気温が下がって肌寒くなってきていた。
 橙と朱の入り混じる光が壁に当たり、城内を染め上げる光景は幻想的で美しいと評するに足りたが、ハートレスに邪魔をされては台無しだった。
 さて、どうするか。
 もし十三機関に並ぶレベルの強敵と出会った場合、一人で相手をするには骨が折れる気がした。
 キーブレードに選ばれし勇者ですら苦戦を強いられたのにと、思う。
 負ける、とは思わないし、言わない。
 戦闘が必要な状況になれば戦う。それだけのことだったが、目的を明確にし、対策を講じる必要があるのだった。

 
 何者がいて、何をする気なのか。
 
 
 まず確認をすることが、レオンの役目である。
 上層階へ向かうにつれて外は暗くなり、漏れ入る光が弱くなる。
 夕日は山裾の向こうへと沈みかけ、無慈悲に時間切れを知らせるのだった。
 何ら収穫を得られず、徒労に終わった感は強いが、深追いしても危険が増すだけである。
 現に、と、レオンは武器を一閃し、レオンの身長程はあるハートレスを斬り捨てた。
 強いハートレスの出現数が増えており、闇の気配が数多い。
 いずれキーブレードの勇者を連れて来て、一掃する必要があるなと、今後の予定を一つ脳内に書き込んで、引き返すべく階段を下りる。
 道中減らしたはずの敵が、一回り大きさと数を増して現れた。
 本当に、キリがない。
 城内の一斉大掃除の必要を痛感するが、今ここで全てを倒すことは、レオンの役割に含まれてはいないのだ。
 早く戻って、明日以降の予定を組み直さなければならない。
 街を見に行ったはずのクラウドが、見つけてくれていれば話はずっと楽になるのだが。
 簡単に見つかるだろうか。
 あるいはその何者かが、さっさと用を済ませて消えてくれるなら、手間がかからず済むかもしれない。と、思いはするがレオンは首を振る。
 …否、「用を済ませて」ということはすなわち、街にとって有害である可能性が高いのだった。
 やはり目的追求が最優先だ。
「…あぁ…ウザいな…」
 それにしても敵の数が多かった。
 基本的に夜、城内をうろつくことはない。
 なので、夜の城内が元からこうであるのか、「何者か」の影響によるものなのかの区別は、レオンにはつかなかった。
 敵の隙間を縫って逃げるか、と思う。
 どうせ、キーブレードでなければこいつらを消滅させることはできないのだから。
 倒しても倒しても無意味である、という事実は、己の無力を突きつけられているようで、不快だった。
 高揚感とは対極にある気分に、疲労感もいや増すというものだ。
 階段を駆け下り、進路にいる邪魔な敵は薙ぎ払い、すり抜けられるところはすり抜けて、レオンは走る。
 前面に次々と沸いて出る闇は無限とも思えるほどで、背後を見やれば追いすがる闇もまた無限かと思う程の数で苛立つ。
「しつこい、うるさい、うっとおしい!!」
 強めの敵と言っても、苦戦するほどではなかった。
 倒そうと思えば一掃はできる。
 できるが、城から出るまでの距離と、現れる敵の数と、その戦闘時間を考えれば、可能な限り避けて走り抜けたい所だった。
 廃墟と化した城の足場は、お世辞にもいいとは言えない。
 崩れた壁から差し込む月光は明るく、今夜が満月であることは知れたが、視界が悪く動き辛いことに変わりはない。
 もっと早く引き返すべきだった。
 後悔はいつだって、先には立たないのだ。
 舌打ちを堪え、ハートレスの頭を飛び越して着地際、目の前にいる邪魔な敵に武器を振り下ろす。
 霧散した敵の向こうに、さらに敵がいた。
 伸ばされる触手を切り落とし、体重をかけて胴体を一突きし、勢いで背後に連なる数匹のハートレスごと貫いて、剣を横へと薙げば至近にいた数匹がさらに消えた。
 お前らは無限かもしれないが、俺の体力は有限なんだ。
 ちょっとは加減しろ、と言いたい。
 ゆっくり呼吸を整える暇もなく、一歩を踏み出し出口へと急ぐ。
 目の前に立ちはだかる敵をさらに蹴散らし、背後から追いすがる敵も振り払って、先へ。
 でかいハートレスが正面に現れ、周囲に群がるハートレスが一斉に襲い掛かってくる。
 まとめて、殺す。
 左手に炎を生むため一瞬、正面を見据えた。
 そのまま撃ち出し、光の剣を打ち下ろそうとしていたが、左から勢い任せの体当たりをくらって、バランスを崩した。
「…っ邪魔だ!」
 炎をそいつにぶつければ、そのハートレスは弾け飛んだが、後ろにはさらにでかいハートレスがこちらに向かって突進してきていた。レオンの倍はありそうな大きさで、バランスを崩した状態で避けられるわけがなかった。
 考えることもできず、両腕で己の身体を庇うようにして、物体がぶつかる衝撃に耐える。
 足が浮いた。
 床から離れた足はどこにも接地できず、背は壁にぶつからず、頭が傾いた。
 背に風を感じ、浮遊したような解放感に、レオンは表情がひきつるのを自覚した。
 瞬間背筋を駆け上った冷たい感覚は、恐怖であると、知っていた。
 視界に広がるのは、やけに美しく輝く新円の月と、闇夜と、流れる雲だった。
 肌をかきむしりたくなるような、ざわついた感覚が体中を駆け巡る。
 ハートレスに突き飛ばされた先は、崩れた壁の外だった。
 高さは。
 …少なくとも、人間が落ちて生きていられる高度ではなかった。
 どこかに、掴めるモノがあれば、と思ったが、城の壁が遠かった。
 手を伸ばしても、届く距離には、何も、ない。
 何も。
 なかった。
 地面は遠い気がしたが、おそらく一瞬で落ちるのだろう。
 潰れて、即死だ。
 やばい、死ぬ。
 これは、死ぬ。
 こんなところで、死ぬ。
 まだどうにかならないかと考える一方で、もう死ぬ、と囁く声がする。
 確かに、無理だ。
 術がない。
 己の持てる力を考えてみるが、レオンは人間だった。
 この場合は不幸なことに、というべきなのか。
 しかし正しく人間であったので、死ぬしかなかった。
 走馬燈?
 残念ながら、何もなかった。
 こんなところで、死ぬのか。
 死んでたまるか、ちくしょう、というやつだ。
 クソ、何でこんなことに。
 視界に闇が広がった。
 脳より先に目が死んだかと思ったが、月を遮るソレは突如現れ、近づいて来る。
 おかしいだろう。
 俺は今、落ちているのに。
 だが、考えない。
 手を伸ばす。
 声にならぬ声で、叫んだ。

 何とかしろ。
 何とかしろ。
 何とかしろ。
 助けろ。

 助けろ。

 早く!!

 
 夢中で伸ばした手を、漆黒の闇が、掴んだ。
 
 
「…死、ぬ、とこだった、馬鹿が…ッ!」

 

 くらうど、おまえ、くるのがおそい。

 

 冷え切った身体が、動かない。
 凍り付いたように固まって、呼吸さえもままならない。
 浅く小さく呼吸をしようと試みるが、無理だった。
 猛烈な睡魔に襲われ、抗えない。
 
 
 まぁいい。
 あとは、まかせる。

 レオンはそのまま、目を閉じた。


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拾い猫のディストピア-01-

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