王様になりたい。

 城壁広場へと続く城壁上のクレーンに腰掛けて、ソラはホロウバスティオンの澄み渡った夕焼けの空を眺める。髪を揺らす風は強くはなく、むしろ静かに流れる雲と沈み行く太陽の中に一人放り出されたかのような浮遊感があって心地良い。
 今日はホロウバスティオンに来てから、ずっとクレーン上で座っていた。
 いつも自分からレオンの元へ押しかけているので、たまには作戦を変えてレオンに見つけてもらおうと思ったのだった。
 瞳を閉じてぼんやりと瞼に当たる陽光と風を感じて待っていれば、やがて目的の人物に声をかけられ、内心喜ぶ。
 怪訝な声に、作戦成功、とほくそ笑んだ。
「ソラ?何やってるんだ?」
「夕焼けみてた」
「…そこは危ないぞ」 
「平気だよ!…レオンも一緒にどう?」
 ソラを見上げるレオン、という図は新鮮で、ソラは自然と零れる笑みを隠せなかった。いつも見上げる立場にいるが、今日はクレーン上にいる為ソラの方が視線が高い。
「いや、俺は」
「いいから、早く!」
「……」
 アンセムの研究施設へ行こうとしていたらしいレオンは、手に書類の束を持っていた。おそらく施設で書類を読みながら資料を探そうとしていたのだろうが、ソラを見かけて無視できる程付き合いが浅いわけでもなければ薄情でもない男は、ソラに急かされて半ば諦めの溜息をついてクレーンの上へと飛び乗りソラの隣へ腰を下ろす。
「…何か悩み事か?」
 書類を捲りながら、視線を向けずにレオンは呟く。
「何で?」
「…違うのなら構わないが」
 一見興味なさそうな言葉はだが、レオンなりの気遣いに満ちていることにソラは最近気づけるようになった。ソラに対して見せる静かな感情表現は時に酷くわかり辛いことも多かったが、それでも出会った頃に比べれば遥かに親しく、感情も見せてくれるようになったと思う。
 今も、いつもならこの街へ来ればすぐに魔法使いの家へ訪ねていくなりするはずの自分が、今日に限って一人空を眺めていることを気にかけてくれているのだ。
 それに気づけたことが、とても嬉しい。
「悩み事くらい俺だってあるけど、別にそういうわけじゃないよ」
 レオンが見つけてくれるのを待ってたんだ、という事に、レオンが気づいてくれる日は来るのだろうかと思いながらもソラは素直に答える気になれず、適当にごまかした。
 見つけてもらえなかったら諦めて自分からレオンの所へ行こうと思っていたし、それほど深刻に思いつめているわけでもない。
 それでも小一時間程は決心がつかずに座りっぱなしだったわけだが、今は、まだ。
「そうか」
「…うん。それ、何読んでんの?」
「経済白書」 
「へ?」
「…『景気の今後の対策については、IT関連財の在庫調整の進捗、雇用と所得の改善による消費の緩やかな増加等により民需中心の回復が…』」
「あああああああもういいもういい!」
「…そうか」
 口元に笑みを刻むレオンを恨めしげに見やって、ソラは拗ねる。
「そんなの読まなきゃダメなの?」
「ダメって事はないが、街復興のためには必要だな」
「へぇ~。大変なんだな…レオン賢いんだね」
「…さぁな」
 大人になったら社会のことや、経済のことも勉強せねばならないのかと思うと憂鬱だったが、考えてみれば自分はもうずっと長い事学校へも行っていないのだった。
 一年眠っていた。
 その前にはリクやカイリを捜す旅をしていたし、今もリクを捜す旅をしていた。全てが終わったら元の生活に戻れることはわかっていたが、今更どんな顔をして学校へ行けばいいのか、どんな顔をして親に会えばいいのかすらもはやソラにはわからない。
 冒険をしている間には思い出すことのない「日常」がここにはあって、レオン達は「日常」を生きている。
 自分は「非日常」なのだと感じる事は、何故だかとても寂しかった。
 夕陽に照らされたレオンの横顔は造り物めいて繊細で、光を透かして流れる髪は常より淡く輝いていた。書類を捲る手首の白さと手袋の黒とのコントラストが目に鮮やかで、ソラは知らず手を伸ばす。
「…ソラ?」
 手首に触れた少年の手は力なく、壊れ物を扱うかのような慎重さにレオンは書類から片手を離し、触れられた手をソラの自由にさせてやる。
 未だ成長途中の少年の手は己のそれより小さく細い。
 その手が握るキーブレードと少年の強さは疑問の余地もなかったが、今まるで宝物を与えられた子供のような純粋さでレオンの手を眺める様子はどこか思い詰めていた。
「どうした?」
 聞けば、触れる手に力が篭る。
「ソラ?」
「…手袋外していい?」
「は?」
「俺、レオンの素手見たことない」
 言いながら、返事も待たずに指先を引っ張った。
 革製のグローブは素肌に馴染んで密着するよう作られているため、そう簡単には外れない。一本一本少しずつ引っ張り、ある程度引き抜いてからまとめて掴んで引っ張る。
「…楽しいか?」 
 拒絶する程の事ではないが、他人に手袋を外されるのは奇妙にむず痒く、時折背筋を這う寒気にも似た感覚にレオンは眉を顰めてそれに耐えた。
「楽しいっていうか、なんか服脱がせてるみたいでえっちいよね」
「……」
「さすがに俺がレオンの服脱がせるのは大変そ~」
「せんでいい」
「ベルトとか数多すぎ!毎日めんどくさそうだよね」
「慣れればそうでもないけどな」
「慣れか~。…っと、外れた!色白っ!」
「悪かったな」
 露になったレオンの手は普段日に当たっていない為とても白く、陽光に透ける白い手にソラは目を奪われた。
「手ーのひらをー太陽にー透かしてみーれーばー、っていう歌あったよね?」
「…なんだそれは?」
「真っ赤にながーれるー熱いちしおー!」
 歌いながらレオンの手を持ち上げ太陽に透かして見るが、血管が透けているのは色が白いからであって、太陽の光のせいではない。歌は嘘つきだ、とソラは憮然と頬を膨らませた。
「…音程おかしくないか?」
「これでもアリエルと一緒にミュージカルやったりするんだけど?」
「みゅ、ミュージカル?…そうか…」
「なんか疑問でもあるの?俺、ヘタクソ?」
「…あぁ、いや…別に」
「何だよー!はっきり言えよー!」
「…で、満足したのか?」
 あからさまに話題を変えようとするレオンに納得いかないものを感じたものの、ずっとソラに捉えられたままの手をいい加減解放して欲しいという言外の要求を呑む気はなく、「まだ!」と一言返して己の手の平をレオンのそれと合わせてみる。
 指の長さも、手の平の大きさも、レオンには及ばない。
「うー…」
 手を合わせたまま一人唸り始めたソラに付き合う気をなくし、取られた片手を取り戻すことを諦めたレオンは手に抱えた書類を膝に乗せ、再び読み始める。
 日は大分沈み始めており、あと1時間もすれば完全に闇に没してしまうだろうが、それまでにはソラも気が済むだろうと放置していれば、手を離すこともなく大人しくなった。
「…おい、ソラ」
「しばらく大人しくしてるからさー、早くそれ読んじゃってね。んでご飯食べよ。腹減ってきた」
「片手が使えないと読みにくいんだが」
「これは離さないからね!離せないようにこうしておくから!」
「……」
 己より小さな少年の指が絡んで、繋がれた。
 どう見ても指の間隔や太さも違う為、絡めるにしてもソラの負担は相当大きいと思われたが気にした様子もなければ、本気で読み終わるまで手を離す気もないようで、レオンは大きな溜息を一つ落として咎めることを諦めた。
 何より、繋いだ手を眺めて喜ぶソラの顔を見たら何を言う気もなくなった。
 半分以上は読み終わった紙の束を、滑り落ちないように抱えなおして視線を落とす。宣言通り、隣に座ったソラは大人しく風に髪を靡かせながら暮れ行く空を眺めていた。
 繋がれた手は、ソラの両手の中に収まっている。
「……」
 青春ドラマや恋愛小説に出てくるコイビト同士みたいだ、とソラは思ったが、書類に集中し始めたレオンが気づく気配はない。
 それらの恋人同士の定義で言うならば、小さい自分が女役になるのだろうが、それは不満だった。
 あと1年。いや2年もすれば、絶対レオンと肩を並べてみせると決意していたし、自分がレオンを守れるくらい強くなりたいとも思っている。無論レオンは守られるような存在ではなく、今も街の復興を率先して行い、敵から街を守れる程に十分強い。
 肉体的なものばかりではなく精神的にも強いレオンの、心の支えになることができたなら。
 今の自分はレオンに支えてもらってばかりで、甘えてばかりいることは自覚している。「キーブレードに選ばれし子供」であるからこそ、親切にしてくれているのだろうとも思っていた。そうではない、純粋な好意であればどれだけ嬉しいか知れなかったけれども。
 キーブレードを必要としない世界がやって来た後も、必要としてもらえるような存在になりたかった。
 自分がどれだけレオンに大切に思われたいと望んでいるか、気づいてくれる日が早く来ればいいのにと思う。
 今はどれだけ言っても、きっと本気にしてくれない。
 自分が子供だから。
 だからちゃんと大きくなって、この温かいレオンの手と並ぶくらいの存在になったら。
 必ず認めさせてやると心に誓う。諦めの悪さと信念の強さには自信があった。
「俺はこれでもキーブレードの持ち主なんだからな!」
「うん、それは知ってるよ?」
「…え?」
 思わず声に出たソラの内心の言葉に即答したのはレオンではなかった。
 突然叫んだソラに滑り落ちそうになった書類を慌てて抱えなおした後ソラを見、第三者を振り返り、驚いてレオンは瞳を見開いた。
「王様」
「王様!?」
 レオンの言葉にソラは勢い良く背後を振り返る。
 人差し指を唇に当て、静かに、と呟いた小さな漆黒のコート姿は光の世界を統べる王その人であり、ソラ同様世界を飛び回ってXⅢ機関やアンセム博士を捜しているはずだった。
「…何かわかったんですか?」
 丁寧な口調で王に正対したレオンは、するりとソラの手を解く。
「うん、アンセム博士の研究データを少し見せてもらってから、話をしようか。気になる情報を手に入れてね」
「ほう」
「ソラも聞いておいて。今後行く世界のどこかに、手がかりはあるはずだから」
「…ハイ…」
「じゃ、レオン。コンピューターの操作をお願いできるかな。僕は機械はさっぱりわからなくてね」
「もちろん」
 気配も悟らせずに軽々とレオン達の背後を取った王は、言うだけ言うと体重を感じさせない軽やかな身のこなしでクレーンから降り、城壁広場へと消えて行った。
 後を追うように立ち上がったレオンの足を掴んで、ソラは不満も露に睨みつけた。
「…それ、読み終わったの?」
「これより、王様の方が優先だ」
「うー…それはわかってるけど!」
 あっさりと離された手が痛かった。
「王様、優先?」
「ソラ?」
「あー…うん、いや、行こ。待たせちゃ悪いし」
 渋々レオンの足を離し、ソラも立ち上がる。
 歩き始めたレオンの後ろをついて歩きながら、さっきまで繋いでいた己の手を見つめた。
 温かかったのに、あっさりと解かれた。
 相手が王様とはいえ、はっきり言って傷ついた。
「何を拗ねてるんだ?ソラ」
 視線を背後に流してそう問うレオンに悪意はなく、だからこそソラは傷つくのだ。
「…王様に対しては敬語なんだね、レオン」
「王様だからな。…正直、あの外見だから多少戸惑いはあるけどな…」
 ぬいぐるみや愛玩動物に類する可愛らしい外見に似つかわしくない肩書きに、接する態度を決めかねていると言うのが本当の所だったが、「王」という存在に敬意は払わねばならない、とレオンは思っている。ソラやドナルド、グーフィー達と戯れている姿は微笑ましい限りで、自分とは違う世界に生きている者達の存在を実感させるには十分だった。
 だが、そんな心情を知らぬソラは未だに不満そうな色を覗かせたまま、レオンの後ろをぴったりとついて歩く。
 やがて飽きたのか真横に並んだソラは、再びレオンの手を取り己のそれと絡めた。
「…子供みたいだぞ、ソラ」
「…俺、王様になりたい」
 身長差ができた今の体勢で指を絡めながら歩くのは辛かったが、両手で握り締めるように力を込めて耐える。引きずられているような、ぶら下がっているような珍妙な格好になったが、この際無様さは考慮しないことにした。
「王様になったらレオンに優先してもらえるんでしょ!俺、王様になりたい」
「…何言ってるんだ?」
「レオンに敬語使ってもらえるんでしょ!それってちょっと気分イイかも」
「本気で言ってるとしたら、馬鹿だぞお前」
「…馬鹿って何だよ!俺はこんなにレオンの事優先してるのに!レオンは俺より王様を優先するんだ!」
「……」 
 子供の癇癪はわかりやすくて、理解し難い。
 王様が道中の敵を全て蹴散らしてくれたおかげで快適に進める通路を歩きながら、レオンはソラに気づかれぬよう溜息する。
 一日に何回嘆息しているか、数える気にもなれなかった。
「キーブレードの所有者」
「え?」
「世間を知らぬ子供」
「……」
「友人と離れ離れになった可哀想な少年」
「…ソレ、俺の事?」
「無償の愛を求める夢見る男」
「……」
「…敬語で、これから接して差し上げましょうか?それがお望みなら」
「…レオン」
「何でしょう?」
 思わず歩を止めそうになったソラを振り返りもせず、レオンは前を見て歩く。
 レオンは優しいけれど、無制限ではない。
 引きずられそうになったら普段のレオンならば足を止めて待ってくれるだろうが、今のソラには妥協してくれない。
 今のソラを、甘やかしてはくれない。
 自分が足を速めてレオンに追いすがるか、手を離すしか選択の途はない。
「…ごめん、ごめんレオン。俺が悪かったから、怒らないで」
 手を離す選択など、ソラにありはしなかった。
 大人の男の歩幅に追いつくために小走りで追いすがり、ソラは己が情けなくて泣きそうになる。
 レオンの一番になりたいだけなのに。
 何よりも、レオンに優先してもらいたいだけなのに。
 …例えそれが本当に望んでいることだとしても、相手に強制できるものではないのだと、思い知らされた。
 レオンにはレオンの世界があり、価値観があり、社会がある。
 どれだけソラがレオンのことを優先していても。
 どれだけレオンのことを大切に想っていても。
 同じようにして、と強制する権利など誰にもありはしないのだ。
 レオンなりにソラのことを大切に想ってくれていることは知っている。
 可能な限り甘やかしてくれるし、優しくもしてくれる。
 それを当然と思う自分のエゴを見せつけられた。
 繋いだ手が痛い。
 心が痛い。
「…ごめんなさい…」 
 迷惑かもしれないと思っていても、それでも手を離すことはできなかった。
 自分から離れてしまうことは、できなかった。
「俺の事嫌いにならないで」 
 レオンに拒絶されることは、何よりも辛かった。
「…馬鹿だな、ソラ」
 苦笑にも似た柔らかな嘆息が一つ、落ちてきた。
 恐る恐る見上げたソラの頭を軽く撫で、レオンは初めて歩を止めソラを見る。
「王になったって、お前はお前だろう」 
「…え?」
「それで何が変わるわけでもないってことさ」
 王様が待ってるんだから、早くしろと続けて言って、レオンが繋いだ手に力を込めて引っ張った。
 引きずられないよう必死に歩くソラを見てレオンは小さく笑う。
 王は王。
 ソラはソラ。
 出会った立場や環境で態度や言葉が変わるのは当たり前で、相手にとって最善の選択をすることが対人関係の基本だとレオンは思う。
 ソラのいう優先順位とは単に社会的地位を指しているようでいて、実は対人の親密度を指している。
 単純に割り切れるものならば苦労はしないわけで、優先順位もそのときの状況によって変化するものだった。
 ソラにはそれがまだ理解できないようだった。
 王だから絶対的に優先しろ、だとか、ソラだから優先しろ、だとか、普遍的なものなどない。
 そんな我侭が通るような生き方はして来なかったし、許されもしなかった。
 それでもレオンは可能な限りソラを優先しているのだと言うことは理解してもらいたかったが、果たしてこの子供はわかっているのかいないのか。
「…ごめんね、レオン」
「わかればいい」
「うん」
 ソラが歩きやすいように速度を落としてくれたレオンにやっと笑顔を向ける事ができたものの、心から笑ってはいなかった。
 
 それでも俺は、王様になりたいよ、レオン。
 そうしたらきっと、俺はレオンの一番になれる気がする。
 「ソラ」で、「王様」。
 たぶん最強。

 無理な仮定は叶わないからこそなお甘美に思えて、ソラは内心切なくなった。
 いつかレオンの価値観を覆せるほどに、大きな存在になれるだろうか。

 何よりも優先される特別な存在に、俺はなりたい。


END

スタンダール・シンドローム

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