どうしてこうなった?

  見渡す限りの青い空と広い海を眺めながら釣り糸を垂らす。
  遥か彼方にかかった薄暗い雲がこちらに向かってきているようだったが、あれがここに来るのはおそらく夕方頃だろう。
  地図で言うところの世界の中心に位置するこの場所はF.H.と呼ばれ、西にガルバディアを臨み、東には大国エスタに繋がっていた。
  すぐそこが海であり、のんびりと時間を気にせず釣りを楽しむには最適だった。
  釣堀と言えるような立派な施設はない。
  どこでもその辺で、好きなところで釣ればいいという開放的な空気が気に入った。
  少し離れたところでは町人が何人か同じように簡易椅子に腰掛けのんびりと釣りを楽しんでいる。
  こんなものの一体どこが楽しいのかと嘲笑混じりに吐き捨てていた過去が嘘のように、いざ始めてみるとこれがなかなか奥が深い。
  釣れればそれは楽しいが、釣れなくともなんとはなしに海を見つめ、茫洋と時間を過ごすことも悪くないのだと思えるようになっていた。
  せかせかと毎日を生きるだけが全てではない。
  そう思うようになったことは、明らかな成長であると自覚した。
  朝から始めてもう昼だが、釣果は一匹。持って帰るのも面倒なので、引き上げ時にはリリースしようとぼんやり思う。
  少し離れた所に座る、見知らぬおっさんと「今日は釣れないねぇ」などと交わす会話も苦にならない。
  今日一日飽きるまでここに居座るつもりで用意してきたペットボトルを手に取ろうと屈んだ所で背後に人影が落ちた。
「…あん?」
  振り向けば、見知った顔が立っていた。
「…あんた、こんなとこで何やってる」
  不機嫌も露わに眉間に皺を寄せ、のどかな町に似合わぬ黒服に身を包み、ジャラジャラとベルトやペンダントを吊るした男が平坦な声で詰問する。
「見りゃわかんだろ。釣りだよ指揮官サマ」
  これ見よがしに釣竿を振り振りアピールし、ペットボトルの中身を飲み干す。水じゃなくて味のあるもん買ってくるべきだった。次回は別のものを持って来ようなどと考えながら海に向き直れば、背後から盛大なため息が漏れる。
「現状報告ではなく、あんたがやるべきことを放棄した事態についての説明を求めてるんだがな」
「あ?やるべきことって何だっけ?」
  海を見つめたまま首を傾げる。顔を合わせて会話をする気にはなれなかった。
  こちらの不利が確定しているからだ。
「補習受けろって言ってんだよサイファー」
「…成績悪くねぇがな」
「出席が足りないんだよあんた。ふらふら世界に迷惑をかけてた間の分、空白だ」
「ふらふらっておま…」
「ただの学生の分際で長期無断欠席、補習で穴埋めできなきゃあんた留年だ」
「…あーはいはい。悪ぅございましたね」
「退学にはできないんだよ、ガーデンの責任と言う奴があるからな。だからあんたはちゃんと卒業しなきゃならない。義務だ」
  あーあーうるせー。
  耳に指を突っ込んだ。
  聞こえません聞きたくありませんと態度で主張されて、スコールの機嫌はさらに降下する。
  こいつがどんなに困った事態になろうが直接的には関係ないので好きにすればいいのだが、指揮官と言う立場がそれを許してはくれない。
  他の生徒は可愛いものだ。伝説のSeeDの指揮官様が一言言えば素直に言うことを聞いてくれる。
  問題児はこいつだけだ。
  かつてお取り巻きとして敵対していた風神雷神も、今となっては素直なものだ。サイファーに付き従っているのは変わらないが、体制に盾突こうという気概はなく、大人しく学園生活を送っている。
  …こいつもな。
  明らかな問題行動はなくなったものの、こうやって小さな反抗とやらはたびたびあった。
  その度学園長に呼び出され、「監督をお願いしますね」と笑顔で強制されるのだ。
  迷惑極まりない。
  指揮官様は暇ではないのだ。
「…発信機、つけろ」
  名案だと思い提案すれば、これ以上ない位に顔を顰めた醜い顔で睨みつけられた。
「あ?何で監視されなきゃなんねぇんだ俺は迷子のお子様か」
「迷子のお子様は家に戻ろうとするが、あんたは自分勝手すぎるんだよ」
「…あー?どこに出かけてもちゃんと戻ってやってんじゃねぇか家によ」
「偉そうに言うな大犯罪人が。監禁されて行動制限されても文句言えないんだぞ馬鹿が」
「俺様にそんな趣味はねぇ」
「あんたの趣味なんかどうでもいいんだよ。聞いてもないし聞く気もないし興味もない!」
「……」
  あっそう。
  サイファーの白けた視線に突き刺され、スコールの内心がささくれ立つ。
  迷惑かけておいてその態度がムカつくんだよなホントに。
  負けじと殺意混じりに見下ろせば、男が金髪をかきあげため息をつく。
「…ちゃんと風神と雷神には場所言って出てきてんだから、問題ねぇだろ」
「ある」
「ああ!?」
「…まず、勝手に出かけるな。出かけるなら外出許可願を提出しろ。学園長か俺には居場所を知らせろ。風神と雷神に知らせるのはそれからだ!」
「……うわ、めんどくせぇ…」
「わざわざ連れ戻しに来なきゃならない俺の方がめんどくさいんだってことに、気づけ阿呆」
「来なくていいだろ」
「死ねよ阿呆」
  簡易椅子の上で丸まった背中を思いっきり蹴り飛ばす。
  相手の方が体格が良かろうがでかかろうが関係ない。SeeDの脚力を舐めるなと言ったところだ。
  蹴り飛ばされた背中が浮いて、簡易椅子から離れた。
  一歩進めば海というギリギリの所で釣りをお楽しみだったのだから、バランスを崩し前のめりになった身体の行き着く先は一つしかなかった。
「うげ…ッ!」
  明らかな動揺の叫びを上げて、踏ん張りきれなかった足もろともまっ逆さまに海へと落ちる。
  ドボーン、と漫画に出てきそうな擬音を上げて、サイファーが海に飲まれた。
  遠巻きに見ていた釣り人が焦って立ち上がったが、スコールは至って冷静に一礼し、「ああ、大丈夫ですお気になさらず」と笑顔で言えば、営業スマイルに騙された釣り人が頷いて海へと向き直る。
「…て、てめぇえええええ殺す気かぁあああああああ!!!」
  大量に飲んだらしい海水を吐き出しながら、縁を掴んで上半身を起こした男が叫んだ。
「その程度で死ねるなら良かったのにな、サイファー」
  哀れみを持って見下ろしてやれば、歯軋りをしながら海から上がる。
「片付けろ。釣りはもういいだろ」
「……」
  全身ずぶ濡れた男が舌打ちをしたが、否定はなかった。もともとこいつに拒否権はないのだから、否定されようが知ったことではない。
  スコールはため息をつく。
  ああ全く、どうしてこうなった。
  歩き出したスコールの後ろについて歩く男の気配を確認する。ふてくされてはいたが、抵抗する様子はない。
  魔女の騎士だのなんだのと、暴れていた当時に比べれば随分サイファーは大人しくなったと思う。
  現実を受け入れ、精神的にも落ち着いたのだろうことは想像がついたが、何だかんだとスコールに食ってかかっていたかつてに比べれば、今のサイファーは全くと言って良いほど逆らわない。
  まぁスコールも同じく成長し落ち着いたこともあるので、ケンカをふっかけられようとも買うことはもはやないだろうが、闘争心を失くした狂犬は今、ただの放し飼いにされた犬に等しい。
  扱いやすくて助かるが、正直拍子抜けも良いところだった。
  たまにやらかす逃亡劇も本気で逃げる気はないらしく、姿を眩ましても風神雷神には居場所を伝えていなくなるので、本気で捜索の必要もなかった。
  ただ迎えに行って来いと学園長に直接言われるスコールが迷惑を被っているだけで。
  …それが一番面倒くさい。
  手間をかけさせるなと言いたい。
  スコールよりも年上で偉そうで何でも知っていて…という、子供時代にありがちな年上の人間に感じる万能感はもはやない。
  絡まれいじめにも似たちょっかいをかけられむきになって立ち向かっていた過去はもはや遠い存在だった。
  それでも。
  大人しく付き従う男を振り返る。
  海水を滴り落としながら歩く道筋は点々と続いており、崩れた金髪が乱れて格好悪かった。
  髪が邪魔だとかき上げだるそうな様子はかつての無謀さとは程遠い。
  目が合い、何だと問われ逃げるなよと返せば、「今更逃げるかよ」とふてくされた。
  己が手にするガンブレードは、あんたが最初に使い始めた武器だった。
  負けたくない一心で使い始めたと思うだろう、それは確かに間違ってはいなかったけれども、本当はあんたのように強くなりたかったからと言ったら、あんたは信じるだろうか。
  ああ全く、どうしてこうなった。
  いつまでも強くあり続け、いつまでも前を歩いて偉そうにしていて欲しかったなど、口が裂けても言いはしない。
「サイファー」
「あ?何だ」
  立ち止まり、後ろを向く。
  正面に向かい合う形となり、サイファーが片眉を上げて用件を促す。
「…ホテルで服を乾かして行け」
  言えば、意味を理解した男が笑った。

  かつての無謀さや強引さがナリを顰めた今の男も、嫌いではない。


END

色即是空。

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