あの場所に、還ろう。
海があり、大地があり、空がある。
それを「世界」と呼ぶのなら、各地に点在するひずみによって誘われる場所のことは「空間」と呼ぶべきなのだろう。
いくつもの「空間」を抜け、戦闘を繰り返し、「世界」を歩く。
この「世界」で生きる目的はただ一つ、「敵と戦って勝つこと」だった。
神に呼ばれ、神の為に、敵を倒し続けなければならなかった。
呼ばれた仲間の素性はそれぞれ違い、年齢も性別も文化圏も違えば種族も違う者も存在した。
記憶を持たずにこの「世界」に生まれた者にとってそれらは瑣末時でしかなかったが、長く「世界」に留まればやがて記憶が蘇る。
脳裏に突如現れるそれはまるで部屋の片隅にうず高く積まれた宝箱のように、何かのきっかけで一つずつ開口してはほんの僅かばかりの記憶を落として消えて行く。
積まれたままの宝箱は叩いても投げつけても、時が来るまで決して開くことはない。
けれど零れた記憶は確かに己のものだった。
別の「世界」で、生きていた己の軌跡そのものだった。
一つ開けば、別の記憶が欲しくなる。
己が辿ってきた過去を、知れるものなら知りたいと思うのは本能だ。
仲間の誰もが、多かれ少なかれ思い出した記憶に思いを馳せ、元いた世界に帰りたいと願うようになるのは必然だった。
己の左手を見下ろして、ラグナは首を傾げる。
左薬指に嵌った指輪の意味は、記憶がなくとも知っていた。
シンプルなリング。
誰かと将来を誓った証。
空に翳して眺めてみる。
指輪を外して、噛んでみる。
カチカチと歯に当たっても傷つくことのない形に、どこかの世界に存在する相手を思う。
どんな人なんだろう。
どんな出会いがあって、どんな生活をしていたのだろう。
子供はいるのだろうか。
自分の職業は何なのだろうか。
銃器を楽々扱えるくらいだから、まともな職業ではなさそうだった。
俺と結婚してくれた人。
俺が、好きになった人。
濁って晴れない空を見上げて考えてみるが、浮かんでくるものは何一つなかった。
どんな世界に生きていたのだろう。
知りたいと、ラグナもまた思うのだった。
「うわー、疲れたー」
ため息混じりに吐き出しながら、ジタンは地面に転がった。
調和の神が座す聖域は安全だという暗黙の了解があった為、情報交換や休憩を目的に仲間が集まることは良くあった。
転がったジタンが「ちょっと昼寝ー」と言い出すのを見下ろしたバッツが、心配を滲ませ首を傾げる。
「大丈夫か?敵そんなに強かったか」
「あー、違う違う」
顔を覆っていた右腕を退けてバッツを見上げながら、ジタンは地面に放り出していた左手でひらひらと手を振った。手を振りついでに戻ってきた方角へと指を差し、行ってくればとバッツを誘う。
「…何かあんの?」
「ラグナが何か張り切ってっから」
「ラグナ?…何で?」
「一人ずつ勝負しようって持ちかけてるぜ。銃乱射しまくるからさー、こっち動き回るハメになるし疲れた。いい運動になったけど」
「何で勝負?」
「知るかよ。ラグナに聞けって。今スコールとやってんじゃねぇかな」
「おお、スコールと?よく受けたなアイツ」
「日頃絡まれてっから、ストレスたまってんじゃね?…つーことで、おやすみー起こすなよバッツ!」
「起こさないって。…って、もう寝てるし。風邪引くなよー」
言うだけ言って夢の世界へと旅立った小さな仲間に声を落とし、バッツはジタンが指差した方角へと歩き出す。
「楽しそうなことは俺も混ぜてもらわないとな!」
この世界には娯楽がない。
目覚めた時からあるのは襲い来る敵との戦闘ばかりであって、仲間と僅かばかり過ごす時間以外に気の休まる時はなかった。
仲間以外は敵しかおらず、アイテムや武器を販売しているモーグリはいたが、一般人と呼べる人間も存在しなかった。
行けども行けども出会うのは敵と荒野とひずみばかり。
街もなく、国もなく、乗り物もなく、文明文化が花開いている様子もない。
ある日突然何もない場所に適当に放り込まれ、ただ「戦え殺しあえ」と命令される。
まるでボードゲーム盤に乗せられた駒の如く。
ただ困ったことに、その駒は意志を持ち生きているのだった。
そして残念なことに、生きている駒はゲームを放棄することはできない。
否応なく戦いに巻き込まれていくのみだ。
何の楽しみもない場所だからこそ、前向きに生きて行かなきゃやってられないと思うのだ。
ラグナが何かを始めたのなら、自分も一緒に楽しみたい。
聖域の端で、大きな爆発音が響く。
スコールがガンブレードをぶっ放した音だった。
「おー、派手にやってんなー!」
乗り遅れてはつまらない。
駆け足になり、戦闘している二人へとバッツは近づく。
マシンガンから連射される銃弾を飛んでかわし、蹴りを繰り出すスコールだったが寸での所で身体を捻ったラグナに避けられ、舌打ちした。
地についた足を軸に、銃を構えなおす隙をつき距離を詰めガンブレードを突き出せば、盾にされた銃にぶつかり金属が擦れあう。
衝撃で後ろによろめいた男の喉元を狙うが仰け反られてガンブレードは空を切った。
がら空きになってしまった上半身を無理矢理捻りスコールは攻撃に備えたが、ラグナからの反撃はなく、一歩下がって距離を取り体勢を整えたスコールは唖然と目を見開いた。
「…オイ」
「…ってぇ…!頭打ったぁ!」
銃を放り出し、ラグナが頭を抱えて地面を転がっている。
ガンブレードを避けたというよりは体勢を崩して後ろへ倒れたと表現するのが正確だった。
「痛い痛い」と喚く男に戦う意欲を削がれたスコールは、呆れたようにため息をついて武器を仕舞う。
転がった銃を拾い上げ、ラグナへと差し出す視線が冷めたものになったとしても、それは仕方のないことだ。
「俺が敵ならお前は確実に死んでるな」
「ぅう、足がもつれた…」
「……」
情けない、と罵ってやっても良かったが、スコールと戦う前に何人もと戦闘していたことを知っていた。
共に戦う仲間達の強さは皆が互いに認めるもので、真剣に戦えば伯仲する実力同士で疲弊しないわけがない。
すまねぇ、と言いながら受け取った銃を杖代わりにして立ち上がる男は、十分すぎるほどにタフだと言ってよかった。
「お~いててて…。悪ぃなぁスコール。まともに戦えなくてよ」
「…俺と真剣に戦いたいなら万全の体調で来るんだな」
「次からそうする。いやぁしっかし皆強かったー」
後頭部を撫でさすりながら笑うラグナは、疲れてはいるようだったがまだまだ元気そうだ。
互いに戦闘を続行する気をなくし、休憩するかと踵を返した視線の先に、不満そうな表情で頬を膨らませたバッツが立っていた。
「おんや?バッツ、どーした?」
怪訝にラグナが問えば、バッツが詰め寄る。
「もう、終わり?」
「うん、終わり」
「スコール終わったら次俺って思ってたのに…」
「ほえ?」
「訓練?遊び?殺し合いじゃないよな、楽しそうだから俺も仲間に入れてもらおうと思ったのに!」
ラグナとスコールは顔を見合わせたが、スコールはため息をついて目線を逸らし、ラグナは鼻の頭をかいて笑った。
「あー、疲れたから、ちょっと休憩しようかと」
「おっ休憩終わったらまたやる?」
「…俺はやらない。やるなら勝手にやってくれ」
スコールは興味なさげにそう告げて、立ち去ろうと歩き出したがラグナに腕を掴まれ引き止められた。
「…何だ?」
自然、スコールの眉が不機嫌に顰められるがラグナは気にせず掴んだ腕に力を込めた。
「スコールはダメ」
「…何が」
「スコールは俺と戦ってくんねーと!」
「いや、バッツがいるだろ」
「んーバッツはいいや」
「えーっ!?何だよそれどういう意味だよー!」
声を荒げるバッツに向かって、ラグナが悪いと手を振った。
「えっとー、スコールがいい」
「…は?」
「え?」
きょとんと目を点にする二人を前に、ラグナはもう一度繰り返す。
「スコールがいれば、いい。悪いな、バッツ。他の奴らももういいやー」
「……」
意味がわからず首を傾げたスコールとは対照的に、バッツは肩を震わせぱくぱくと口を開けて喘いでいる。
気づいたスコールがどうしたと問うが、バッツは答えずゆっくりと深呼吸をして、声を絞り出した。
「ラグナがスコールにっ!!愛の告白だー!!」
叫んだ声は聖域中に響き渡った。
「え!?いや、違う!それは違うぞバッツくん!!」
「…何?」
「ちょっ…こらこらスコール何だその目は!愛はともかく、お前も俺がいればいいはずなんだぜ」
「うわー!ラグナが本気で口説いてるーっ!!」
再度のバッツの絶叫に、何事かと何人かが遠巻きに様子を窺っている。
「いやいや本気っつーか、マジな話、お前も俺じゃなきゃダメだと思うんだけどなぁ、スコール」
「…いや、だから、何のはな…し…」
「ラグナがフケツよー!スコール逃げてー!」
ラグナが掴んでいる腕とは反対側に立ち、バッツもスコールの腕を引っ張った。
何なんだ、この状況は。
混乱するスコールに構うことなく、スコールを挟んでバッツとラグナは攻防を繰り広げる。
「だーかーらー、いいかバッツ?俺にはスコールが必要で、スコールにも俺が必要だっつってんだろー?」
「いやいやいやいやアンタには必要かもしれないけど、スコールには必要ないかもしれないじゃないか!」
「必要だって!」
「言い切ったなアンタ!スコール、お前どうなんだよラグナのこと好きなのかー?」
「……言ってる意味が…」
よくわからないのだが。
バッツとラグナの言い分は随分と食い違っているように思えた。
ラグナが何を言いたいのかわからず視線を向ければ、意図が通じたと思ったのかにこりと嬉しそうに笑む。
いや、お前が何を言いたいのかまだわかってないんだが。
問おうと口を開くが、声になる前に後頭部からバッツの大声が降り注ぐ。
「こらー!スコールを篭絡しようったってそうはさせないからなー!」
「ろ、ろうらくってお前、ムズカシイ言葉知ってんなぁ。意味わかって使ってんのかー?」
「当たり前だろ!ホラホラスコールあっち行こうぜ!」
背後に引っ張られ、開いた口を閉ざされる。
させじとラグナも手前に腕を引っ張って、翻弄されるスコールは不快に眉を吊り上げた。
「ったく、独占欲は醜いぜラグナ!公共の場では皆誰のものでもありません!はいはいわかったら手を離す!」
「…バッツくんには何か激しく誤解があるような」
「何だよースコールもアンタのこと大好きだから邪魔するなとか言う気か?まっさかそんなことないよなスコール?」
引かれた腕の強さは遠慮の欠片もなく、人形のように揺さぶられただでさえ気が長いとは言いがたいスコールの苛立ちはあっという間に頂点に達した。
堪忍袋の緒とやらが切れると同時に、叫ぶ。
「バッツうるさい黙ってろ!」
「…す、スコール…」
「……」
ラグナとスコールはラブラブなんだ、というバッツの吹聴を訂正するのに、いらぬ労力をかけさせられるハメになったのは果たしてラグナが悪いのか、スコールが悪いのか。