肌に刺さるように冷たい風が吹き抜ける冬が過ぎた後には、ぬるくまろやかな眠気を催す季節がやってくる。
  陽光に透け輝く木々となだらかな丘陵の緑は鮮やかで、草花の香りが爽やかな風となって鼻先をくすぐり背後へとそよいでいった。
「んー、いい天気だ!」
  ダークスーツに身を包んだ男が両腕を上げ伸びをした。
  周囲に群がる数十人の人間の内、そうでしょうとにこやかに頷いたのは数名、カメラを構えその様子を撮影している十数名、マイクを持って追従する十数名、今後のスケジュール確認の為、数人のスタッフと会話をしていてそれどころではなかった補佐官達、その他数名は何の反応も示さず周囲へと視線を向けた。 
「いいねぇ、こういう日にはゆっくり昼寝をしたいねぇ」
「はは、春眠暁を覚えずと申します。多忙を極めていらっしゃる大統領閣下でも、お昼寝をされることはありますか?」
「いやぁ、うちは補佐官が優秀だから。俺なんかいつも…」
  補佐官の一人が大きく咳払いをし、気を削がれた大統領に目配せをした。  
「ラグナ大統領閣下、時間が押しております」
「あ…ああ、そっか。じゃ、終わったらまたゆっくり見させてもらおうかな」
「は、はい、喜んで!」
  案内としてついていたスタッフが上擦った声で何度も頷く様子に笑顔で返し、ラグナはこの日の為に用意された式典会場へと足を向けた。
「国立公園五十周年記念式典だなんて、舌噛んじまいそうだぜ~」
  簡易椅子に座った満員の会場は、エスタ大統領の登場でおおいに沸いた。
  マイクが設置された壇上へ上がる足がつりそうになるのを自覚しながらも、笑顔を崩さず手を振り高説を垂れるべく大統領は口を開く。

  会場の外で警護を担当するスコールは暇であった。
  否、暇ではなく、平和であった。
  髪を撫でる風は爽やかで心地よく、木々の狭間に聞こえる鳥のさえずりは生き生きと澄んでいて、目に飛び込んでくる眩しいばかりの陽光も真夏のそれとは異なり焼けるような熱さもない。
  緑の草原ととりどりの花で埋め尽くされた花壇はどこまでも続いており、散歩道としても有名なここは本日国賓の来場により入場者は規制されている為閑散として、人の気配のない自然と空気は思わず深呼吸をしてしまうほど美しかった。
  公園として作られたという話だが、見る限り人の手はそれほど入っているようには見えなかった。
  あくまで自然。
  人間を感じさせない世界は雄大であった。
  景色へ意識を向けていたのは大統領付護衛も同様であったようで、隣で腕を広げてあからさまな深呼吸をする様子に冷たい視線を投げれば気づいた相手は申し訳なさそうに会釈をした。
  併設されているカフェを臨時の式典会場として貸し切っている為、本来ならばテラスから中の様子も窺えるはずであったが本日は幕が引かれており、外からは中の様子を窺い知ることは出来ない。ただマイクを通した大統領の声はしっかり外まで聞こえていた。
  背中ごしに聞こえる男の声は落ち着いており、用意された台本どおりに読んでいるのだろうスピーチは、シンプルであり明瞭であった。
  政治的意図も見えないただ国立公園設立五十周年めでたいな、これからもこういう場所は残していかなきゃな、という略せばそれだけのものであったが、大統領が述べることに意味があるらしかった。
  本人が壇上に立っていたのはほんの数分、口を開いたのはその中の三分の二程度、紹介と割れんばかりのいつまでもやまない拍手の方が何倍も長いのもまた、相手が大統領であるからということらしかった。
  権力を持つのは面倒くさいことだと、スコールは思う。
  大統領のご高説が終了すると同時に周辺がにわかに騒がしくなり、マスコミ関係者への対応と大統領自身の移動とこの後の予定について変更が入ったということでスタッフが走り回っていた。
  本日追加の警護要員として呼ばれているSeeDにとって変更事項は知らせてもらわねば困るのだが、まずは関係者で今後の方針を決定し意思疎通をしてもらわねばならない。
  ちらちらと投げられる視線を不快に思いながらも周囲への注意は怠らない。
  やがて方針が固まったのか護衛の一人が近づいて、小声でこう囁いた。
「大統領がこの後二十分間公園散策をされます。護衛をお願いします」
「了解しました」
  二十分で公園散策などできる広さじゃないだろう、とか、元々の大統領付護衛がいるにもかかわらず何故自分をご指名なのか、とか、気になることは色々あったが聞き返すような愚は犯さない。
  任務は速やかに、無駄なく完璧に遂行する。 
  やがてカフェの裏口から出てきた大統領が伴っていたのは大勢のマスコミではなく、公園管理をするスタッフ一名のみであった。
「やー、スコールお待たせ!行こうぜー。あ、こいつはすげー優秀なSeeDだから。よろしくな!」
「は、はい、僭越ながら案内を務めさせていただきます、よろしくお願い致します」
  白髪の混じった人の良さそうな壮年のおじさんが、ぺこりと大きく腰を折って挨拶をした。
  軽く会釈で返し大統領へと視線を向けると、にこにこと腰に手をやり笑っている。
「時間あんまないからさー、さくっと行こうさくっと!」
「はい、ではこちらから…」
  国立公園と言えば、博物館や美術館、動物園や遊園地も併設し、広大な敷地に膨大な自然と集客を見込んだアミューズメント施設が売りである。全てを見て回るには一日では到底足りず、当然周辺にはホテルや旅館が並び定期的に運行される無料送迎バスもあり、年間来場者数は一国の人口の五分の一を占める。
  そんな場所を、たった二十分間の散策。
  案内の男はどこかの施設へ向かうわけでもなく、ゆったりとした歩調で花と草原の道を歩く。
「施設につきましては、先ほどご説明差し上げました通りです。せっかくのお天気ですので、草花などを眺めながらゆっくりとご散策がよろしいかと思いまして」
「うん、それがいいな。のんびりまったり。嫌いじゃねぇし」
  ご機嫌な様子で大統領は周囲に咲き乱れる花々を眺めやり、終始笑顔を絶やさない。
「こーゆーとこ、いいよな。なんつーの、癒されるってのかな~。な?スコール」
「…はぁ」
  自然豊かでなだらかな丘陵地。草原と鮮やかに咲き誇る花達。
  後ろを振り返らなければ、そこはまるでかの場所のようだった。
  そしてセットでついてくる、目の前を歩く男の過去の記憶。
  渋い表情で固まっているスコールを振り返り、ラグナは気づいた。
  同じ場所を思い出し、過去を共有する存在がいることに。
  ラグナがかつて大切にしていたものであるとか、人であるとかを知る人間が、今ここに。
  不意に照れくさい気がして、ラグナは小さく咳払いをして前を向いた。
  仕事を忘れるところだった。
「季節ごとにこの場所は色彩が変わります。春は梅、菜の花、桜など。夏は紫陽花、コスモスなど。秋はサルビア、冬は水仙などが当公園の自慢となっております」
「へえ~。花はあんま詳しくねぇけど…コスモス?」
「はい、秋の桜と書いてコスモスと読みます。花言葉は乙女の真心、純潔、愛情。語源には秩序、調和、美などの意味がございます」
「ああ、秋になると咲く綺麗な花だな」
「あ、はい、そうです、白やピンク、赤など優しい色の花が咲くのです」
「黄色とかもあるんだろ」
「ございます。よくご存知で」
「うん、それは昔よく見てた」
「左様でございますか。今は残念ながら時期ではございませんが…」
「また秋になったら来るかな~」
「その際には是非お声がけ下さいませ」
「うん、そのときはよろしくな!」
  ゆるやかな坂道を登りきり、ラグナは来た道を見下ろした。
  眼下に広がる美しい緑と花の道の途中で一人、スコールが立ち止まっている事に気付きどうしたと問えば、上げた視線には何故か動揺があった。
「スコール?どしたー?」
  声をかければいや、と小さく答えたきり、口を閉ざして坂道を登りきる。
「どこか具合でもお悪いのでしょうか?大丈夫ですか?護衛さん」
「…大丈夫です、申し訳ない。お気になさらず。そろそろお時間です、お戻りを」
  前半は案内の男に、後半は護衛の対象たるラグナに向けて事務的にそう答え、スコールは今来た道を引き返そうとした。
「ホントに大丈夫か?スコール」
「大丈夫です。取り乱しました。失礼致しました」
  心配そうな様子のラグナと案内の男を先へ進ませ、スコールもまた歩き出す。
  目の前を歩く男には、全く変化は見られなかった。
 
  あの女は調和を司る神だと言った。

 悲しげな瞳ばかりが印象的な、仕えるべき対象だった。
  誰かと戦い、気が遠くなるほど戦って、そして仲間を失いまた仲間を得て、どこまでいってもあるのは戦闘の記憶。
 
  いつ、どこで?

  夢なのかもしれない。いつか見た、遠大で憂鬱な夢の一つ。
  己の手を見下ろすが、あれが現実であったとは到底思えなかった。
  何より夢の中で笑うラグナは、若かった。
  エルオーネが見せる夢とは違った意味で、嫌な夢であったと思う。
「あ、そうだスコール」
「はい」
  振り返る男の顔は年齢の割には若く見えたが、それでも年月を感じさせる何かがあった。
「黄色のコスモスは、綺麗だったなー」
「え?」
「お前いたよな。あれいつだったっけ。また会えっかなー」
  何の疑問も感じないのか、あっさりとラグナが言った。
  答えられないスコールを尻目に、ラグナが案内の男に向き直る。
「黄色のコスモスって綺麗だよな」
「サニーゴールドのことでしょうか?黄色味の強い、綺麗なコスモスでございますね」
「よく覚えてねぇんだけど、綺麗なコスモスとスコールがいたことは覚えてんだよな」
「…はぁ、どこかコスモスが有名な場所がありましたでしょうか」
「うーん、場所はわかんねぇなー」
「それは困りましたなぁ」
  必死に会話を繋げようとする健気な案内役の男を気の毒に思ったが、スコールにはどうしてやることもできなかった。

 いつか見た夢のはずなのに、何故か共通する言葉と記憶。

  答えを探して視線を彷徨わせてみるが、あるのは春の穏やかさだけだった。
  うららかな午後の日差しにくすぐられ、咲き誇る色とりどりの草花達は今を必死に生きている。


END
ディシディア世界から「帰ってきた」ら、こういうこともあったらいいなという妄想。

花の名前

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