人間性を、捧げよ。
白く靄のかかった石段は現実味がなかった。半透明で白い騎士の幻影が行き交う中を歩く。石段の周囲は真っ白で何も見えなかったが、超えた先は現実世界が待っていた。
灰色の砂地は灰の湖を思い起こさせたが、なだらかな勾配が続いており、山の中腹のような印象を受けるこの場所の岩壁は、錆びた金属のような不可思議な色をして角度によって鈍く輝く。
余裕のある道幅は広く、倒木などはあったが進行に支障はなさそうだった。
足を踏み入れてすぐ、白いサインがいくつもあった。
ここは大王グウィンがいる「最初の火の炉」であるはずだが、サインがあるということは、いくつもの世界でここまで到達している不死がいるということだった。
世界を変えた猛者達がいる場所だった。
当然のようにサインを出していたクラウドを召喚するが、スコールはついて来ようとするのを止めた。
「…悪いが、ここは一人で行きたい」
「…そうか。…大丈夫か?」
「ああ、死んだらまた挑戦するさ」
「……」
クラウドが眉を顰めたが、もう決めたことだ、変更するつもりはなかった。
「自分の世界に帰ってもらって構わないぞ、クラウド」
ここで待ち惚けというのも申し訳ないと言えば、首を振る。
「ここは闇霊によく侵入される。…ここまで来れるってことは強い奴ってことだからな。力試しをしたい奴が来る」
「そうなのか」
「あんたの進行の邪魔はさせない。ここで殺しておくから気にせず行って来るといい」
「…済まない、ありがとう」
「いや、気をつけて。…後で会おう」
「ああ」
見送るクラウドの視線を感じたが、振り返らなかった。
緩やかな坂道を、砂を踏みしめながら歩く。
さっそく闇霊に侵入された気配があったが、しばらく待ってみてもこちらへ向かってくる様子はない。クラウドが相手をしてくれているようだった。
物陰から現れたのは、大王グウィンについて行ったという黒騎士だ。
正当な訓練を受けた騎士の剣筋をかわし、攻撃する。背後を取り、致命の一撃を加えれば地面に転がり断末魔の悲鳴を上げて息絶えた。
先を急ぐが、闇霊の気配はいつの間にか消えていた。
ここには余計な敵はいないようで、進んだ先に一体ずつ、王の御所を護衛するように黒騎士が立っていた。
断崖にかけられた石橋を渡り、廃墟と化した神殿を目指す。静かで華やかさの欠片もなく、シンプルで美しい場所ではあったけれども、寂しい場所だった。
道なりに五体いた黒騎士を全て倒し、祭壇前に立つ。
この向こうに、大王グウィンがいるはずだった。
また闇霊に侵入されたようだったが、この先に入ってしまえば闇霊は消える。僅かな間クラウドに負担をかけるが、今更だった。食い止めてくれているのがありがたい。
こちらはグウィンに集中できるというものだ。
ここまで来た。
最初の火から王のソウルを見出し、火の時代を築き、消えかけた火を継いだ太陽の光の王グウィンと、見える。
一つ深呼吸をした。
短い石段を上がり、中に入る。
剥き出しの地面が広がり、岩壁に囲まれた空間は広かった。
正面奥に、「最初の火」が篝火に灯っていたがその光は弱々しい。
本当に、消えかけているのだった。
篝火前に佇んでいた大柄な人物が振り向いた。
王冠を被り肩まで届く白髪、伸びた口髭、威厳に満ちた堂々たる体躯に纏った長衣は大王の名にふさわしい。
最初の火を背に、無言で見据えるその瞳には意志があり、威圧された。
この王は、正気だった。
幅広の片手剣を構え、一歩で距離を詰められた。燃え盛る刃を薙ぎ払われ、スコールは後ろに下がる。
刃は長く、柄は金色の装飾が施されて美しい。
片手剣の猛攻の次は左手で頭を掴もうと迫られるのを横にかわす。
余裕すら感じさせる歩みで近づき、太く筋肉に覆われた右足で蹴り上げられた。
剣で受けたが、衝撃に耐えきれず仰け反った。とんでもない力だった。
篝火の炎が揺れて、空間を紅く照らす。
この王を倒す事ができなければ、火を継ぐ資格も、闇の王になる資格もないのだった。
剣を振り下ろすスピードが速い。
だが。
グウィンが両手持ちした剣を振り下ろす。
手首を払った。
剣をグウィンの腹に突き立てる。身長の高さ的に、心臓を狙うのは無理だった。
膝をつき、グウィンが呻く。まだだ。
ゆっくりと立ち上がるのを見逃さず、斬りつける。
一撃与えたが振り向き様に水平に薙ぎ払われ、スコールの胸を掠めた。
試されている気がした。
真っ直ぐぶつかるグウィンの視線は冷静だ。
お前は、火を継ぐ為に来たのか。
お前は、闇を齎す為に来たのか。
燃え尽きようとしている薪の王が、最後の力をぶつけている。
己を超える存在かどうかを、試している。
息を吐いた。
超えねばならない。
振り下ろす一撃をかわし、斬り上げようとする二撃目の手首を蹴り上げる。グウィンは剣を離さなかったが、再び無防備に晒された身体に剣を突き刺し、前のめりになった男の肩を蹴って貫いた剣を抜き、仰向けに倒れた所で心臓を狙う。
神の血は人間と同じで紅かった。
グウィンは最期の瞬間まで静かな表情を崩すことなく、目を閉じ口元は安らかな笑みすら浮かんでいるように見えた。
取り落とした大王の剣から、炎はすでに消えていた。
大王グウィンが神として絶頂期であったなら、果たして勝てただろうか。
四人の公王や白竜シースに王のソウルを分け与え、神としての力は殆ど残っていないはずだった。
千年の間火を燃やし続ける為の薪となった王は、最期まで静かで威厳に満ちていた。
「…終わった」
不死院に幽閉され、脱出して祭祀場へと連れて来られてからまだそれほど日は経っていなかったが、ひどく遠い昔のような気がした。
出会いがあり、別れがあった。
この世界の仕組みを知り、不死の成り立ちを知った。
消えかけた篝火へと歩み寄る。
…次に己が薪となって、この火を燃やせば大王グウィンを継いだことになり、放置して消えるに任せれば闇の時代の始まりとなるのだった。
「……」
己の取るべき行動は、決まっている。
躊躇することなく、最初の火へと手を伸ばした。
手に移った炎は瞬く間に身体全体を覆いつくし、地面を舐めるように広がり祭壇全てが眩しい赤で満たされた。
激しく燃え上がった篝火は明るく弾け、空気を取り込み上空へと舞い上がる。
炎の赤は空高く光に変じ、どこまでも高く伸びて拡散した。
夜に閉ざされていた人の世界に、朝と昼が戻ったはずだ。
しばらくすると炎が落ち着き、篝火周辺だけが明るく燃え始めた。
薪代わりに燃えていたスコールの身体の火も、落ち着き消えた。熱くはなかったが、体中を駆け巡る力の存在を感じて拳を握り締める。
大王グウィンは火を継いでから千年保ったが、果たしてスコールは何年保つのだろう。
スコールは神ではなく、王でもない。
仮に数十年しか保たなかったとしても、それはそれで構わなかった。
人の世界で生きている、スコールにとっての大切な人達が生きている間、不死にならず平和に人間として死んで行ければいいと思う。日々恐怖に怯えることもなく、幽閉されることもなく、寿命を全うして欲しい。
それはスコールに関わる人達以外にも言えることだった。
世界中の全ての人間が、人間として正しく生きて死んでいける世界であれば、それでいい。
スコールは人間でいたかった。不死になんてなりたくなかった。
もう誰も、亡者になんてならなくていい。
篝火の前で座り込む。
全てが終わったのだと思うと、何もする気が起きなかった。
ぼんやりと燃える篝火を見つめ、脱力に任せて後ろへと倒れ込む。
大の字で寝そべると、明るい空が見えた。
「…やっぱり朝と昼はあった方がいい」
「そうか?」
誰にともなく呟いたはずの言葉に応えがあって、スコールは目を瞬いた。
顔を上げて声がした方を見やれば、見知った男がこちらに向かって歩いて来ていた。
身体を起こし、近づいてくる男を迎える。
「…祭祀場以外での生身のあんたは見慣れないな」
「ここがもう、あんたにとっての祭祀場だろ?スコール」
「…そうか、そうかもな」
「火を継いだんだな」
「ああ」
明るく燃え上がる篝火に、消えかけていた面影はなかった。
隣に立った男に座る気配がなく、スコールは怪訝に見上げて首を傾げた。
「クラウド?」
「スコール、約束、覚えてるか?」
「…約束?ああ、いつか借りを返すと言ってたやつか?覚えてるぞ」
「良かった」
クラウドは笑ったが、炎を見下ろす視線は冷めていた。
「……」
背筋を這うざわついた感覚があったが、それが何故かはわからない。スコールは眉を顰めた。
クラウドがゆっくりと視線を向ける。蒼の瞳が炎を映して揺らめいた。
「終わったことだし、返してもらおうかな」
「…あんたが、助けを必要とすることあるのか?」
「もちろんある。切実で、大事で、正直切羽詰ってる」
「……」
一体何だ。あまり楽しいことではなさそうだった。
クラウドが膝をつき、スコールの肩を掴む。余りの強さに、スコールの顔が歪んだ。
「っ、何だ、!」
「俺の世界に、来てくれ。スコール」
「…何、だって?」
「気づかなかったか?今までずっと、俺はスコールの世界に来てたんだ。…今もそう」
「……」
確かに、ここはスコールの世界だ。
いつも会っていた祭祀場もスコールの世界だったが、「世界が混じる」と言わなかったか。「混じる」ということは、クラウドの世界、祭祀場と共有しているということではないのか。
疑問が顔に出ていたのだろう、クラウドは何でもないことのように頷いた。
「あんたの世界に寄せていた。それだけのことだ」
よく、わからなかったが、しかし。
「…俺はここにいなくていいのか?」
「あんたが生きてさえいれば問題ない」
「…ならいいが、…」
何かが引っかかる。
違和感がある。
それは一体、何だ。
「じゃぁ行こう、立って」
「……」
腕を掴まれ立ち上がらされた。
手を離されることなく歩かされ、祭壇を出る。敵も何もいない静かな道を逆行し、火継ぎの祭壇まで戻ったが、王のソウルを捧げて燃え盛っていたはずの王の器の火は消えていた。
「……」
これは消えるものなのだろうか?
前例を知らない為正確なことはわからないが、火が消えていてはどこかへ移動することもできないではないか。
どうするのかと視線を向けたが、男は気にすることなく前を向いたまま王の器を通り過ぎた。
「…おい、クラウド。どこへ行くんだ?」
「そうだな、せっかくだから俺の世界を案内しよう」
「……」
クラウドの世界と言っても、スコールのものと変わりないはずではないのか。
相変わらず掴まれたままの腕が痛かった。
「…フラムト」
暗闇に向かってクラウドが声を投げた。足元から頭と顔が現れて、首を伸ばした世界の蛇が恭しくクラウドに向かって頭を垂れた。
「お呼びでしょうか、王」
「火継ぎの祭祀場に」
「かしこまりました」
「…は?」
フラムトは闇の中へと消えたはずだったのに、何故ここにいるのだろう。
戸惑い反応できずにいるスコールごと、フラムトは祭祀場へと運んだ。水場だった場所が底の見えない暗闇なのは同じだったが、フラムトは顔を出したままそこにいた。
そこで初めてクラウドは掴んでいた手を離し、スコールに見ろと促す。
顎で指し示された祭祀場の異変は、瞬時に見て取ることができた。
「…え、何で?」
例え人間の世界から朝と昼が奪われようとも、このロードランの地には昼夜があった。
祭祀場は常に明るく、日が差す癒し場であったはずなのに。
夜だった。
星が瞬き、明かりのない闇の落ちた祭祀場は暗く、目が慣れるまで歩き回ることすら困難だった。
中央に置かれた篝火は一体どうしたのか。火防女がいるのなら、火が灯っているはずなのに一切の明かりがなかった。
クラウドが光の魔術で周囲を照らす。倣って、スコールも光で照らして祭祀場内を歩く。
誰も居なかった。
ラレンティウスも、イングウァードも、ペトルスも、パッチも、火防女も、誰も居ない。
篝火は消えたまま、手を翳しても火がつくことはなかった。
「クラウド、どういうことだ?」
「どういうって、見たままだ」
「…ここ、あんたの世界だろう?」
「そう」
「……」
あっさり肯定されたが、理解が追いつかなかった。
何故火が消えているのか。
何故人がいないのか。
何故、夜なんだ。
背筋を悪寒が走り抜けた。
これは、まさか。
「…あんた、火を、継がなかったのか」
声が震えた。
振り向き見つめたクラウドの顔は、見たこともない程愉快そうに笑っていた。
「すごいだろ、全部、消えたんだ。ああ、火防女は最初の火が消えたと同時に勝手に死んだ」
「……!」
「篝火も死んだけど…まぁ、問題ない。必要になったら世界が混じった時に利用する。…ああ、不死は光がなくても生きていけるんだ。光がないと困るのは人間だけだ。最初の火がなくなって光がなくなれば、人間全部不死になるから問題ない。不死になれないやつは死んで行くから問題ない」
「…あんた、」
「この光の魔術も、今はスコールの為に使ってるけど、なくても困らないはずなんだけどな。人間の頃の感覚を引きずってるから視えないだけで。俺はもうなくても平気だし」
「…、……」
的確な言葉が出てこなかった。
フラムトが言った「王」とは、「闇の王」のことなのか。
カアスが言ったもう一つの世界が、これなのか。
「クラウド、ここにいた、不死の連中は…どうした?」
「ん?夜になって篝火が消えたら発狂した」
「…っ!」
「邪魔だから殺した。平然としてた奴も、死んで人間性を失くして亡者になった。多分どこかでうろついてる。…ロードランにいたまともな奴は全員死んだ」
「……」
信じたくなかった。
当たり前のように言う、これが、クラウドなのか?
「もっと面白い所行こう」
硬直したスコールの腕を取り、フラムトの元へと向かうクラウドに逆らえず、引きずられるように連れて行かれた場所は王都アノール・ロンドだった。
天井付近から逆さまに蛇の首を伸ばし、王女の間にある篝火へと降ろされたがそこの火も消えており、開いた扉の奥に王女の姿は見えなかった。
「…王女も死んだのか。…殺したのか?」
「殺したと言うか…一撃で消えた。あれはそもそもグウィンドリンが作り出した幻覚だ。王女はとうの昔に嫁いで王都を棄てている」
衝撃の事実だった。
「…マジなのか?…グウィンドリンっていうのは?」
「ああ、マジな話だ。グウィンドリンというのは大王グウィンの末子。暗月の霊廟に引きこもって復讐霊を送り込んでる根暗な奴」
「……」
「あいつは殺しても免罪できないんだよな。遊びたい時にはここに来るのがちょうどいい」
「…前、ジェクトが言ってた王子っていうのは、そいつのことか」
「ああ、そうそう、それ。暗月警察の雇い主がそいつ。棄てられたアノール・ロンドを必死に守っていたのも、そいつ。美しい姉を信仰の対象にさせて、自分は陰から守ってた」
語る口調が過去形だった。
大聖堂に出たが、ここも夜だった。
夕暮れで紅く染まる建物群が美しかった都なのに、もうこの世界でそれを見ることは適わないのか。
敵はいなかった。
何もなく、美しいだけの完全な廃墟と化した夜の王都はうら寂しい。
外に出ると、闇霊と復讐霊が同時に侵入してきて驚いた。
「おいクラウド、エリアのボスを倒したら霊体は侵入できないんじゃないのか」
「ああ、ここが夜なのはそもそも、王女の幻影と王子を殺しているからだ。どちらか一方でも夜になるけど…ここだけは神の都だからかな、最初の火関係なく夜になった。王族殺しは償えない。馬鹿王子の呪いなんだそうだ。いつでもいつまでも侵入してくる。…暇つぶしできるし、いいだろう?」
「……」
良くない。
そもそも何故殺すのだ。何故罪を増やすのだ。理解できなかったが、クラウドは平然と答えてみせた。
「やることがなくなると、色々やりたくなってくる」
「……」
やっぱり理解できなかった。
闇霊と復讐霊は互いに排他関係にあるようだったが、この二人は協力してクラウドを倒そうと向かってきた。
「…スコール、見てる?一緒に戦う?」
「…どっちがご希望だ?」
「すぐ済むから、待っててくれ」
「…わかった」
巻き込まれないように距離を取る。
同時に襲い掛かった闇霊と復讐霊だったが、クラウドは大剣を薙ぎ払い二人を吹っ飛ばした。
すぐ側に転がった復讐霊へと近づいて軽く剣を振り上げるが、復讐霊は横に転がり一撃を避けたのをクラウドは追いかける。闇霊が背後に迫り、挟み撃ちの形になったが闇霊が致命の一撃を食らわせようと剣を引いた瞬間、横へ飛んでかわしてみせた。
攻撃を止められなかった闇霊が、立ち上がって体勢を整えていた復讐霊の心臓を貫く。
低い呻き声を上げて死んだ霊体を呆然と見下ろした闇霊の背後に今度はクラウドが立ち、大剣を背中から心臓目掛けて貫く。
闇霊が仰け反るように上半身を反らせ、血を吐いた。
柄まで埋まった大剣を引き抜こうと背に足を当て蹴り出せば、棒切れのように軽く床に転がり闇霊も死んだ。
勝負は一瞬だった。霊体の特性を生かした無駄のない戦術に感嘆の吐息が漏れたが、そもそもが褒められたものではない。
「…こいつらが侵入できるのは俺の世界ではこのアノールだけだ。最近来てなかったけど…質が落ちたかな」
「…常にそれだと、ここではゆっくりできないな」
そんなことを言いたいわけではないのだが、脳が思考することを拒否していた。
純粋に心配されていると思ったのか、クラウドは笑いながら首を振った。
「いや?感知できない場所はいくらでもあるし、ここは広いから。隠れんぼもたまには楽しい」
「……」
そういう問題ではない気がしたが、問う気は失せていた。
「次はどこに行こうか…あ、灰の湖だけは夜じゃない。あそこは古竜の住処だからかな、おそらく原初の霧の世界に近いんだと思うが」
「…他は全て夜なのか」
「そうだな…もう百年は経つから、おそらく人間の世界も全員不死になってると思うんだが」
「百年!?」
「ああ、結構長いだろ」
クラウドが闇の王になったのが百年前だと言うのか。
百年も、こんな世界にいたというのか。
…一人で、いたというのか。
闇の世界で、たった一人の王として君臨してきたのか。
「…あんたが世界のことに詳しい理由が、よくわかった」
「伊達に長生きしてないからな。シースの書庫も、暇つぶしにそこそこ読んだ」
「……」
フラムトを呼べば、大聖堂の中だと言うのに高い天井から首を伸ばして逆さまに現れた。
「灰の湖へ」
「はい、王」
フラムトは従順だった。
大王グウィンの友だと言い、カアスと共に器を捧げた時には愚か者めと罵られたというのに。
複雑な表情で蛇を見上げるスコールを見て、察したクラウドが小さく笑った。
「…世界の蛇は、理に逆らえない。火を継げばそれが新たな理に、闇になればそれが新たな理に。蛇はそれに従うのみだ」
「…そうなのか」
「フラムトとカアスだけじゃなくて、他にもいる。それぞれ役割があるらしい」
「へぇ…」
さすが百年生きている闇の王は博識だった。
古竜の末裔は、まだそこに存在していた。
スコールの世界にいたものと、全く変わらない。
空は霧がかって青く、紺碧の湖水もそのままだった。灰色とも白ともつかぬ砂浜を歩きながら、こうしていると自分の世界と変わらないのにとスコールは思う。
やはり、火を継いで良かったと思っていた。
闇の世界は、孤独だった。
いや、クラウドが自分で殺して回った結果ならば自業自得というべきなのか。
人助けをしていたと言った。
闇霊や復讐霊として侵入し、不死を殺して回っていたとも言った。
…飽きた、とも言っていた。
百年だ。
スコールには未知の世界だった。
「自分があと何年生きるか、スコールは知ってるか?」
「…いや、知らない。わからない」
「だよな。…俺も知らない。人間は百年も歳を取らずにいられない。どんなに長くてもやがて死ぬ。…けど不死は死なない。人間性がある限り亡者になることもない。…発狂する勇気もない」
「……」
「神や王と呼ばれる奴等は時間の感覚が人間とは違う。…俺は人間だった。闇の王になって世界が滅びるのかと思ったらそんなことはなかった。全員不死になって平和に生きるのかと思ったら、そんなことはなかった。ほとんどが亡者となって正気を失う。人間の世界は混沌に堕ちた。僅かに残った人間と不死の逆転劇は面白かった。爆発的に亡者が増えて、そこら中で戦争状態だ。まぁ、どうでもいい話だけどな。百年は長い。この先何百年生きると思う?…さすがに飽きた」
「……」
恐ろしいことを、路傍の小石を蹴飛ばす程度に軽く言う。
これが、クラウドなのか。
闇の王なのか。
だが生きる時間の長さについてだけは、おそらく、スコールにも共通するだろうことだった。
どれくらい生きるのだろう?
どうやって過ごせばいいのだろう?
先のことなど、何も考えてはいなかった。
「…他の世界の奴等も殺してやろうと思って、世界が混じる度にそこら中の不死を殺して回ってた」
「……」
「でも気が変わった」
「…何故?」
何となく、答えを知っている気がしたが、聞いてはいけない気がした。
クラウドがスコールの表情を見て、笑う。
「そう、あんたと会えた。あの時あんたと会わなかったら祭祀場の連中皆殺しにしてた」
「……」
絶句した。
そんなことを考えながらあの細道を歩いて来ていたのか、この男は。
「期待はしてた…けど、ホントにグウィンを殺せるところまで行けるとは思ってなかった。あんたは王の力を手に入れた」
正面から見つめられ、両手を取られた。
根源的な恐怖があった。
目を見てはいけない。
話を聞いてはいけない。
「待ってて良かった。信じて良かった。あんたは真面目で素直でいい奴だ、スコール」
やめろ。
「あんたが望むならあんたの世界にいてもいい。…ここじゃなくても」
言うな。
「助っ人しようが闇霊として侵入しようがそれも自由にすればいい」
「……」
聞いてはいけない。
「人間の世界に行きたいなら、行ってもいいんだ。あんたはもう神になったんだから」
「……」
喉が乾いて言葉が出ない。
呼吸が苦しい。
悪魔の誘惑にも似た甘い囁きを聞いてはならない。
耳を塞がなければ。
…言うな。
何も、言うな、クラウド。
だが男は言ってはならない一言を言うのだ。
「俺と一緒に生きてくれ、スコール」
そんな目で見るな。
愛しげに、触れるな。
逃げられない。
この手を振り払うことが、スコールには出来ない。
「…あんたは多分、先に死ぬ。最初の火に命を食われているから。でも大丈夫。その時は、一緒に死のう」
「…それは嫌だ…」
ああ、駄目だ。
流される。
酷いなと言って笑う男の瞳は正気なのにまともじゃなかった。
一緒にいて苦痛じゃないのに、恐ろしい。
「スコール」
駄目だ。
このまともじゃない男が、まともじゃない世界で共に生きてくれるのだと言う。
飽きるまで?
死ぬまで?
…恐ろしい。
泣きたい。
もう、逃げられそうになかった。
END
リクエストありがとうございました!