放課後、校門を出てすぐ声をかけられた。
不快な響きを持つそれは聞き慣れたケンカへのお誘いというやつだ。
目を眇め、眉尻を上げて睨みつければ相手は怯みを見せた。気の弱そうな顔をした他校の生徒だった。
「お前がケンカすんの」
問えば男はうろたえて、額に汗を浮かべながら是と答えた。
「…へぇ~」
嘘だな、と思った。
こんなヤツがケンカできるわけがない。
恐らく本当にケンカしたいヤツは他にいて、パシリにでも使われているのだろうと思った。
今から一緒に来いと言われ、迷う。
桐生が待っているはずだった。
下校時間に生徒が集中する場所では目立つだろうと彼なりに考えた結果、曲がり角を折れしばらく進んだ塀の中程で待っていた。
ここから桐生の姿は見えない。
どうするか。
逡巡する大吾を見て、男は困ったように焦り出す。
「連れて行かないと、俺ボコられるんです…」
「……」
知らねぇよ、と思ったし、同情誘おうとすんじゃねぇよと思ったが、聞いてしまっては仕方がない。
知らせに行くには遠かった。
…勝手に消えたら怒るよな。
けどすぐに片付けて戻って来たら平気かも。
怪我はまだ完治していなかったが、痛みは引いた。
少しくらいなら動ける。
「どこ」
ぶっきらぼうに言えば男は顔を輝かせて喜んだ。
こっちですと言われるまま、逆方向へと歩き出す。
通りすがりに報告することもままならないが、ケンカを売られて逃げることは矜持が許さなかった。
先導する男は両手を握り締め、肩を震わせながら歩いている。
おいおい大丈夫かと思ったが、加担しているのだから同情の余地はない。
五分ほど歩いた雑居ビルの隙間を縫うように入り込んだ先、ぽっかり空いた狭い空き地に、男が八人待っていた。
鉄パイプに金属バットからナイフまで、武器を携行しておりさすがに大吾も鼻白む。
「よくやったゴミ。これからお前はゴキブリに昇格だ」
「……」
中央で金属バットを肩に乗せ、派手なスカジャンを来た金髪ピアスの男が気弱な男を褒めてみせ、背後の男達が追従の笑いを上げた。
不快に過ぎて、胸糞悪い。
抱えていた鞄を下ろし、構える。
大吾を見て、中央の男が嘲笑した。
「こんだけの人数相手に、何イキがっちゃってんの?お前は何にも出来ずに死ぬんだよ?」
「黙れクソが。さっさと来いよ」
恐怖?あるに決まってる。
死ぬかもしれない?ああ、逃げ出したいくらい怖ぇよ。
けど引けない。
引きたくない。
コイツらを、許してはいけない。
男達がけたたましく笑い出す。
ああ、うるせぇ。
群れてしか行動できないカスどもが。
こんな奴らに負けられない。負けてはいけない。
「んじゃ、死ねよ」
男達が武器を構えた。
「恥ずかしい奴等がいるなぁ」
低く、落ち着いた声が投げ込まれた。
まさかと思い振り返れば、普通のおにいさんの格好をした、堅気には見えない桐生が立っていた。
「…あン?何お兄さん?ホストか何か?」
「夜のお仕事するにはまだ時間早いぜ」
「お兄さんも死にたいの?」
口々に吐き出される挑発も、意に介した様子はない。
「中学生のケンカにしちゃ、物騒なモン持ってるじゃねぇか」
歩み寄り、大吾の隣へ並ぶ。
「…桐生さん…」
「お前らホントに中学生か?」
「さぁね。中学は卒業したかな」
「ほう。いい歳してガキ一人苛めるのに武器持って本気とは情けねぇ話だな」
「あぁ!?うっせぇんだよボケが!!黙ってろよ!!」
気色ばむ男達はいつ襲い掛かってきてもおかしくない。
大吾は男達を睨みすえながらも、桐生の加勢に感謝した。
「助かるぜ桐生さん。一人じゃ厳しいと思ってた」
「ところで大吾」
「何?」
ちらと視線を向けた瞬間、拳が間近にあり気づいた時には頬の痛みと共に地面へと転がっていた。
「…ッ…、…!?」
大吾は驚愕したし、男達もまた唖然と目を見開いた。
桐生は拳を納め、冷めた瞳で見下ろした。
「命の張り時を知らねぇ奴に、戦う資格はねぇ」
「……、き、」
「俺は何の為にいるんだ?言ってみろ」
「……」
大吾の登下校を見守る優しい兄ちゃんだと言った。
…見守るということは、有事の際には手助けしてくれるということなのだった。
だが殴られた。
頬が全神経を集中させたかのように痛む。熱くて、泣きそうだ。
言ってみろと言われても、痛みが酷く言葉にならない。
身体を起こそうにも、力が入らず動けなかった。
たった一発で。
パンチ一発でこの様か。
桐生の拳は、重かった。
答えられない大吾から視線を外し、桐生は男達へと向き直る。
「教育の必要がありそうだな。俺が相手してやる。死にてぇヤツだけ、かかって来い」
「…カッコイイねぇおにーさん!!こんだけの人数相手にやれるもんならやってみろよ!!」
一斉に向かってくる八人を相手にしても全く桐生は怯まなかった。
大吾が呆然と見守る中、あっという間に動ける男の数が減る。
相手から金属バットを取り上げ打ち下ろす。鈍い音がして打たれた男の肩がありえない程陥没した。
膝をついた男へと振りかぶり、野球のバッティングの要領で頭を容赦なく振りぬいた。
豪快に男が吹っ飛び壁に激突して動かなくなる。
一人、二人、三人…。
数えるのが追いつかないスピードで、気づけば地面に倒れた最後の一人の顔面を、靴底で踏みつけ踏み躙っていた。
「……す、…げ…」
強すぎる。
圧倒的過ぎて、まるで特撮ヒーローモノでも見ているかの如き瞬殺だった。
なんとか身体を起こして座り込んだが、動けない。
桐生はこちらを見ることなく、辛うじて地面に這い蹲りながら呻いている金髪のリーダーの髪を掴んで引っ張り起こした。
「おいお前。聞きたいことがある」
「…ッヒ、…!!」
「お前ら、どこのチームだ」
「…、ち、がいま…」
「あン?」
さらに髪を引っ張れば、髪の束が抜けていくつか桐生の指に絡まった。
「ッぎ、…、ホントに…ッ!ホントに、ちがう、ちがうんです!!おれら、おれらはっ!たのまれて!!」
「誰に」
「…ち、チームの、残党が、堂島探してるって、」
「…それで?」
「堂島殺った奴は、チームに入れてくれて、格上げしてくれるって…!!っそしたら仕事も色々、もらえるって…!!」
「何で中坊のガキを狙った」
「ど、堂島組の息子、だし…ッ!!」
「なるほど、どうしようもねぇクズだな」
「ゆ、ゆるして…!!」
「堂島違いだ。お前らが探してるのは、俺だ」
「…ッえ…!!」
「二度とガキに手出すんじゃねぇ」
「は、…はいぃ…ッ」
掴んでいた髪を離され、男はほっと息をつこうとしたが、できなかった。
後頭部を掴まれ、地面へと叩きつけられそのまま意識を失った。
「……」
口を開けて呆けている大吾の元へ行き、膝をついて覗き込む。
「おい、大丈夫か?」
「…だ、い丈夫じゃねぇ」
「ん?」
「顔すんげぇ痛ぇけど…俺感動してる」
「…あぁ?」
「あんた強ぇな。…すんげぇ強ぇな。すげぇ…すげぇよ」
「……」
頭が馬鹿になっちまったか?と思ったが、殴ったのは桐生である。
ガリガリと首の後ろをかいて、大吾の腕を掴んで立ち上がらせた。
ふらついてはいるが、歩けそうで安堵する。
「お前の手下に感謝しろ。学校出るとこで見かけたって、知らせに来たんだからな」
「…そうなのか」
鞄を拾って持ってやり、「帰るぞ」と言えば「うん」と頷き大人しくついてきた。
門前まで送ってやり、中から出てきた黒服の男に「姐さんはご在宅か」と訪ねれば、大吾と男が驚いた。
「はい、いらっしゃいます。少々お待ち下さい」
「ああ」
「…お袋に、何か用あるの?」
「大事な用が出来た」
「……」
出来た、ということは急用なのだろう。
和室に通され、座って待てばそれほど待たされることなく大吾の母親である堂島弥生が現れた。
大吾の顔を見て、腫れ上がった頬に驚く。
「お前それ…またケンカしたのかい!」
「…いや、これは」
「俺がやりました」
大吾の言葉を遮り、桐生が発言した。
「え、桐生が…?」
瞠目した女は、大吾と桐生を交互に見やる。
「はい、ご子息に手を上げました。申し訳ございません」
深々と頭を下げる桐生を見つめ、弥生は「やめておくれよ」とため息をつく。
「あんたが理由もなく人を殴るわけがない。どうせ大吾が馬鹿なことをやったんだろう」
「ぐ…っ」
図星なので何も言えず、大吾は詰まって黙り込む。
「俺のせいです。早くに気づいて事態の収拾に当たるべきでした」
「過ぎちまったことはいい。大吾はこうして無事で帰って来たんだからね。それで、それだけかい?」
「はい。…今後は大吾坊ちゃんにケンカを吹っかけてくる輩は激減すると思います」
「そうなのかい?それはいいことだけど」
大吾が物問いたそうに桐生を見ている事に気づいたが、桐生はそ知らぬ顔をしている。
触れてやるまでもないかと思った弥生は、立ち上がって一つ手を叩いた。
「大吾、お前は受験勉強に集中しな。ケンカしなくて済むならそれが一番さ」
「…わかってるよ」
「登下校の護衛はまだやってくれるのかい?桐生」
「いえ、その必要はないと思います」
「えっ」
大吾が大きな声を上げ、弥生と桐生の視線が飛んだ。
「…あ、いや」
顔を伏せて黙り込んだ息子の頭頂部を見下ろして、弥生は小さくため息をつく。
「…そうかい。桐生がそう言うなら、もう必要ないんだろう。わざわざ時間を割いてもらって済まなかったね」
「いえ、こちらこそ貴重な経験をさせて頂きました」
では、と立ち上がる桐生の後を追うように大吾も立ち上がり、玄関へとついて歩く。
「…明日から来ねぇの?」
「護衛の必要はなさそうですよ、大吾坊ちゃん」
「…あ、そう」
「では、受験勉強頑張ってください」
「…ああ」
「失礼します」
あっさりと、帰って行った。
振り返りもしなかった。
「……」
クソ、寂しいなんて思わねぇぞ。
置いていかれた、とか、捨てられた、なんて感じる方がおかしいんだ。
……。
あ、ちょっと泣きそう。
クソ、すっげぇ悔しい。
受験なんて余裕でクリアしてやるっつーの。
覚えてろよ桐生さん。
次会う時は絶対強くなってるからな。
桐生の宣言通り、翌日からぱたりとケンカはなくなった。
元々売られたケンカを買っていただけなので、売られる事がなくなれば必然的にケンカをすることもなくなった。
たまに帰宅する父親は上機嫌な様子で「堂島の龍」の武勇伝を話して聞かせる。
チーマーの背後にいた敵対組織を一人で潰して来たのだそうだ。
シマを荒らしに来ていた邪魔なチームもことごとく潰し、おかげで神室町は平和になったとご満悦だった。
今まで興味すら持たなかった極道世界に、興味を持った。
家にいる男達に桐生の事を尋ねれば、誰もが「彼はすごい極道です」と誉めそやす。
そんなすごい人物に命を救われ、護衛までされていた己は「運が良かった」のだった。
前向きに頑張ろうという気になった。
真面目に身体を鍛えて、強くなろうと思った。当然勉強にも身が入る。
目標ができた。
…嬉しかった。
春になり、大吾は桐生のアパートの前に立っていた。
「…どうした大吾」
「高校受かった」
「ああ、おめでとう。頑張ったな」
「トップ通過だぜ。新入生代表で宣誓、俺が読むんだ」
「ほう。それはすごいな」
「というわけで入学祝くれ」
「…何が欲しいんだ?」
「権利」
「…あ?」
「この部屋に出入りする権利。…あんたに特定の女いないってことは調査済み」
「…ちょっと待て」
「手下とかどうでもいいんだ。どうせダチはできねぇと思うし。俺にも遊び場が欲しい」
「ここで遊ぶ気か!?女連れ込んだら殺すぞ」
「んなことしねぇし。…ゲーム持ち込みくらいはいい?」
「……おい」
「勉強もするし。真面目に学校行くし。トレーニングもちゃんとやるし。あんた仕事で忙しくても気にしねぇし邪魔しねぇし」
「……」
「つーわけで合鍵くれ」
「…お前な…」
桐生さんが慕っている風間組長の片腕として信頼の厚い柏木さんが、たまたま家で会った時親切に教えてくれた。
『桐生一馬の落とし方』。
義理堅く情に厚く、頼られたら放っておけない兄貴肌の桐生に気に入られたければひたすら下手に出て押せ!これあるのみ。
柏木さんすげーわ。俺柏木さんの事一生師匠て呼ぶ。
かくして大吾は、桐生の部屋の合鍵を手に入れた。