世界は碁盤の目で出来ていて、周囲は生命に溢れている。

 高層階から見下ろす夜景に一馬は魅入り、風間が風呂から上がって飲み物を手に傍近くのソファに腰掛けてもまだ見つめたままだった。
「そんなに珍しいか?」
  と問えば、ようやく窓から目を離し少年が静かに頷く。
「ホテルに泊まるの初めてです。すごく高いですね」
「でかいホテルの高層階はこんなもんだ。最上階は埋まってたのが残念だったな」
「最上階の景色はもっとすごいんですか?」
「いや、最上階は部屋がもっと広い」
「へぇ…」
  首を傾げる少年はそれほど興味はなさそうだった。
  落ち着いた様子の少年に、備え付けの冷蔵庫の中のジュースを渡す。
  家政婦の教育が行き届いていたのか、それとも元からそのように躾けられていたのかは不明だが、一馬は直接口をつけることはせず、コップに注いでから飲んだ。
  それを見て風間は缶ビールを直接口につけて飲んでいいものか迷ったが、コップを取るのは面倒でそのまま飲むが少年が気にした様子はなかった。
  家政婦について何を語るでもなく、駆けつけた組員に後を任せ一時避難の場所としてホテルを選び移動しても、少年は大人しく従った。
  次の居住場所が決まるまで、数日はここに滞在すると言えば「はい」と答え、必要最低限の荷物を抱えながら頷いた。
  ショックを受けていないはずがない。
  「普通の人間」が人生において死体と遭遇する機会はそれほど多くはないだろう。
  ましてや殺人死体である。ここ数ヶ月の間に立て続けに起こった出来事は心に深い傷を残しているはずであり、なのに表に出さない少年の内面を心配した。
  一馬が買い物から帰って来た時、鍵は開いていたと言った。
  おそらく襲撃者がやって来てインターホンを鳴らした時、家政婦は少年が帰って来たものと思い込んで確認せずに扉を開いてしまったのだろうと思う。
  風間のマンションに直接訪ねて来る関係者はいない。
  電話番号を知っている人間も片手で足りる程しか存在しない。
  基本的に来訪者はないものとして、誰かが来ても開けなくて良いと家政婦には言っていた。
  家政婦にとっては、不幸だった。
  無理矢理乱入されればどの道逃げ場はなかったのだが、助けを求める時間くらいは取れたかもしれない。
  死んでいた場所がリビングのソファ付近であった事で、玄関から乱入者を追うように中に入り、別の人間に背後から撃たれたのだろうと想像はついた。
  風間は家政婦に感謝している。
  一馬を買い物に行かせてくれたおかげで、失わずに済んだのだった。 
「なぁ一馬、ここに紙がある」
「え?はい…」
  電話の横に備え付けのメモを取り上げ、テーブルの上に置いた。
  ペンを取り、一定間隔で縦横に線を引き、碁盤の目のようになったそのマスを横に十列、黒で塗り潰す。

 

novel_03_01

 

「イギリスの数学者ジョン・ホートン・コンウェイが考案したセル・オートマトンなんだが」
「…?せる…」
「こういう、碁盤の目で囲われた一マスをセルと呼ぶ。この上で繰り広げられる簡単なゲーム、と言えばいいか」
「ゲーム…」
「この横十列で展開される形をペンタデカスロンと呼ぶが、…まぁ名前はどうでもいい。このゲームには簡単なルールがある」
「はい」
  風間の意図は不明だが、何かを言おうとしているのだと一馬は理解した。
「塗り潰している黒の部分を生きたセル、白の何もない部分を死んだセルとする」
「はい」
  メモを一枚破り取り、別の紙に基本ルールを書いた。
「白の死んだセルに隣接する三つの生きたセルがあれば、生命が誕生する。生きたセルに隣接する生きたセルが二つか三つならば、次の世代も生存する。生きているセルに隣接する生きたセルが一つならば、次の世代は過疎で死ぬ。生きているセルに隣接する生きたセルが四つ以上ならば、次の世代は過密により死滅する。ルールは四つ。誕生、生存、過疎、過密」

 

novel_03_rule

 

「さてこのルールを踏まえた上で、この横十列のセルは次の世代ではどうなるか?」
「え…っと…」
  まるでパズルのようだと一馬は思ったが、単語が難解であり、考え込んだ。
「次の世代では横八列、縦三列になる」

 

novel_03_02

 

「へぇ…」
「次の世代は輪になる」
「えぇ…?」
「その次の世代は間が狭まって、さらに次の世代には過密のせいで薄くなる」

 

novel_03_03

 

  一枚ずつ捲っては碁盤の目を引きマスを塗り潰す。
  根気のいる作業を風間は黙々と続け、一馬はただ大人しく見守った。
「一巡するが、元の形には戻らない。似て非なるものになり、あとは延々繰り返す」
  パラパラ漫画の要領で、メモ用紙を捲って見せれば黒く塗りつぶされた部分が生きて動いているかのようだった。

 

novel_03_04

 

「これは生命の誕生、進化、淘汰のプロセスをシミュレーションしたゲームだが」
「…はい」
「良く出来ている」
「……はい」
「人間の存在に基本ルールなど存在しねぇが」
「はい」
「生命の誕生、進化、淘汰は存在する」
「…はい」
「このゲームはライフゲームという。形は他にも数え切れない程存在する。ルールに沿って生きて死に、次世代へと続いて行く」
「…はい」
「人間も同じ」
「……」
「生きる奴は最後まで生きる。死ぬ奴は途中で死ぬ。俺も、お前もだ」
「……」
  風間の言わんとするところを理解し、一馬は目を見開いた。
  瞳の奥が熱くなり、眉間の辺りが酷く疼く。
  俯き、膝の上で握りこんだ両拳を見下ろすが、やがて視界は滲んで見えなくなった。
「どちらにしろ死は避けられねぇ。どうせ死ぬなら、楽しんで生きろ。生きたいように生きろよ」
「…は、い」
「お前の人生は、誰も代わってはやれねぇんだからな」
「……」
  慰めようとしているのだ。
  喉が震えて、言葉は出なかった。
  呼吸が苦しくなり大きく息を吐き出すが、熱い塊が身体から抜けた瞬間、零れ落ちた涙が拳に落ちた。
「ゲームは所詮単純化された計算モデルでしかねぇが、人間はよ、腐るほどいるんだぜ。見渡せば、生きたセルだらけだ」
  風間はソファから立ち上がり、鼻を啜り上げて涙を拭う少年の頭を抱え込んだ。
「周囲は生命で溢れている。いつか淘汰される日が来るかもしれねぇが、可能な限り俺がお前を守ってやる」
「……」
  それは嫌だと言いたかったが、風間の手は大きくて、暖かかった。
  父親に抱きしめられた記憶はない。
  母親の手も暖かかったが、小さかった。
  母親がするよりは乱雑で、力も強かったが嬉しかった。
  いつも母親を安心させたくて抱きしめ返していた己の手は、無力だった。
  今も、無力だ。
  己の身体は小さくて、両腕を精一杯伸ばした所で風間がしてくれるように抱きしめるには足りなかった。
  けれど、伸ばす。
  力いっぱい、しがみつく。
 
  己の為に風間が傷つく事は望まない。
  淘汰される事は望まない。
  あなたは神様なのに、人間なのだ。
  あなたもいずれ、死ぬ生き物なのだった。

  最後まで生きられますように。

  俺はその為に生きたいと、思う。

  見渡す限りの田園風景の中を、一台の高級車が走り抜けて行く。
  山沿いの道を上がり、木々に囲まれた一角へと滑り込む。
  陽光が常緑樹を照らし、煌く緑の中に沈むように見えるのは古びた木造家屋だった。
  後部座席から下りたスーツの男が隣に座っていた子供に下りるよう促している間に、家から飛び出し駆けて来た少年が笑顔で挨拶をした。
「風間さん、お久しぶりです」
「ああ一馬。元気にしてたか?」
「はい!」
  少し背が伸びたか、と頭を軽く撫でてやれば擽ったそうに肩を竦めて少年が照れる。
  下りてきた子供二人に気づき、小首を傾げて視線を向けてくるのに頷いて見せて、「家族が増えたぞ」と子供二人の背中を押した。
  兄妹だという二人は、見慣れぬ場所に落ち着かなさげに視線を彷徨わせていたが、一馬が笑顔を向ければぎこちない笑顔で返してきた。
「桐生一馬です、よろしく」
「錦山彰です」
  妹は兄の後ろに隠れるようにしていたが、嫌われたわけではなく、人見知りなのだと兄は言った。
「二人は同い年になるんじゃねぇかな。学校の手続き、しておくからな」
「ありがとう、ございます」
  頭を下げた錦山の肩を軽く叩き、風間は「仲良くな」と言って車に乗り込んだ。
  早々に立ち去ろうとする風間だったが、後部座席の窓を開け、一馬に軽く笑顔を向けた。
「今日はゆっくりできねぇが、そのうち時間作って来るからな。ケンカしてもいいが、ほどほどにな?」
「ケンカできるくらい、仲良くなりたいです」
「いい心がけだ」
  じゃぁな、と手を振れば、気をつけて帰って下さい、と頭を下げた。
  横浜市に、土地家屋付の物件を購入した。
  都心に近い割に、緑豊かな場所である。
  一部有名な港町や中華街があるおかげで都会のイメージが強いが、少し外れると田園風景が広がり、山に囲まれた自然豊かな土地が広がる田舎と言って差し支えない場所であった。
  結局他人が経営する施設に一馬を預けるよりも、己が施設を運営し、手元に置いた方が安心だという結論に行き着いた。
  安全か、と問われれば是とは言い難いが、危険が及ばないようにする為のあらゆる偽装と隠蔽工作は躊躇わなかった。
  風間が関わっているという真実はあれども、事実は一切ない。
  信頼の置ける人間を選び、世話人に選んだ。
  逐一報告は入るようになっており、離れていても成長を知る事ができた。
  己が極道を続ける限り、今後も出てくるであろう不幸な子供達の受け皿にすることもでき、子供達が将来を諦めずに済むよう、手助けすることを決めていた。
  偽善である。
  己の手で親を奪っておいて、己の手で将来を与えるのである。
  矛盾は承知しているが、それが己の仕事であり、己の贖罪の方法だった。
  いつか子供達が真実を知る日が来た時には、いくらでも責めれば良い。
  殺したいと言うのなら殺しに来ればいいのだった。
  その時大人しく己が殺されるかはさておいても、子供達が一人前になるまで守るのだという決意は変わらない。
  そう決意させたのは一人の小さな少年だった。
 
  全く、人間らしくなったじゃねぇか。

  俺も、お前も。
  俺とお前の二人なら、過疎で死ぬ所が錦山兄妹がやってきて生存した。
  安定したのだった。
  さて今後、子供が増えることはあるのか。
  過密で死滅する事は望まないが、人間は過密の中でも生きていける生き物だった。
  人間のライフゲームは、そう簡単には終わらない。
 
  最後まで生きる。

  その為に、できる事をしようと風間は思うのだった。


END
12歳一馬君に続く話を作りたかった。あと寺田。

ヒマワリを世界とする。
一馬、錦山、錦山妹、由美=生存(維持)
錦山妹、由美=過疎
死滅
遥=過疎
死滅

桐生さんの為のヒマワリであり全てであった。まる。

ライフゲーム-最終話-

投稿ナビゲーション


Scroll Up