超えられない壁。

  沖縄の春の日差しは本州での初夏に相当する。四月も下旬になれば海で泳ぐことができ、照りつける日差しは肌を焼く程に強く痛い。
  視界に飛び込む景色全てが陽光に刺され輝いて見える鮮やかな色彩は、慣れたとはいえ生粋の沖縄育ちでない人間には強烈に過ぎ、ともすればその明るさに目が眩む。
  しばし立ち止まり瞼を押さえ瞳の中でちらつく光をやり過ごし、軽く首を振って形ばかり手を翳して日除けの代わりにしながら、桐生は再び前を向いて歩き始めた。
  天色の空はどこまでも高く、流れる雲は白く淡い。
  海岸線に沿わせて這う車道を逸れ、海へとせり出すように埋め立てた土地の上に建つ巨大なホテルの敷地内へと足を踏み入れ、その高さに思わず目を眇めた。
  周囲に高層建築物は存在せず、あるのは観光客を見込んだ商店と、マリンスポーツ関係の建物がほとんどであり、それらは精々数階建ての小振りなものであったが、白で統一された外観を持つ高層ホテルは横に倒した長方形をして、車道から見えるべき海の景観を遮断していた。
  オーシャンビューと通年マリンスポーツを楽しむ事が出来るという点を売りに、多くの観光客が訪れるこのホテルは県内でも有名であった。
  桐生とすれ違い通り過ぎて行く人間はすべからく、浮かれた表情をし大きな声ではしゃぎながら次に行く場所への期待を語る。
  微笑ましい気持ちになりながら一人ロビーへと入り、受付カウンターで用件を告げれば、恭しい一礼と共に目的階と部屋番号を教えられ、礼を言い置きエレベーターへと向かう。
  エレベーターを降りた時点で腰を折る黒服の男達に迎えられ、扉の前で待機する男もまた深く腰を折り頭を下げて、扉を開けた。
  ノックを必要としないということは、受付からすでに連絡が行っているということだ。扉を開けた男は中に入ることをせず、そのままお進み下さいと言う。桐生が中に足を踏み入れた所で、静かに背後の扉は閉められた。
  一室しかないホテルの名を冠したスイートルームは無駄に広い。
  この部屋に居座るべき人間は一人しかいないにも拘らず、リビングルームはもちろんのこと、プライベートダイニングやバーカウンターまで存在した。
  エメラルドグリーンと鮮やかなブルーのグラデーションを描く海を百八十度望む窓は大きく取られ、バルコニーへと通じる一部は開いており涼やかな風が通り抜けていくのが心地良い。
  ホテルというよりは居住を目的としたマンションのようだと思ったが、そんな感想はさておき、広すぎる室内に黒服の姿は一人もなかった。
  室内を見渡し、壁面に掛けられた五十インチは軽く超える大型テレビの正面のソファに腰を掛け、こちらに背を向けている男の姿が視界に入る。
  膝上にノートパソコンを置いて中を覗き込んでいた男が気配に気づいて顔を上げ、背後を振り返った。視線が合い、慌てたように立ち上がる。
  膝上から転がり落ちたノートパソコンはソファの上を跳ね床に落ちたが、毛足の長い絨毯によって落下の衝撃は和らげられ、鈍い音はしたものの大事には至っていないようだ。
  全く顧みられないそれに桐生の視線が思わず流れたが、立ち上がった男は「お久しぶりです」と深く頭を下げた。
「…ああ、久しぶりだな六代目」
「お呼び立てして、申し訳ありません!」
「…いつまで頭下げてんだ」
「はい。あ、いえ、その」
  上体を上げかけた男はだが、再び頭を下げた。
「本当は俺が出向かなきゃならなかったところを、わざわざ、来て頂いて」
「それは構わねぇが、一体何の用なんだ。六代目が沖縄まで来ている余裕はねぇはずだろう」
  東城会は瓦解寸前なのだった。
  柏木を失い、峯を失い、神田や浜崎といった主だった幹部は死亡し、もしくは失脚した。
  トップである六代目は生きていたが、損失は巨大だった。
  …責任の大部分は、積極的に関わったわけではなかったが桐生にあることは自覚していたので、呼び出しを断ることなくここまで出向いたのだった。
  今は組織の建て直しに奔走しているはずであり、遠出している暇などないはずである。
  まさか愚痴を言う為、泣き言を言う為に沖縄くんだりまで来たりはすまい。
  六代目は己を弁えている男であると信じていたし、東城会のトップに足る人物であるとも思っている。
  余程の事情があるのだろうと問えば、上質な黒のスーツに身を包んだ組織のトップが床に膝をついた。
  何だと言う間もなく、両手もついて頭を床にこすりつける。オールバックに整えられた髪が乱れることはなかったが、露わになっている額が絨毯にめりこんだ。

「申し訳ございませんでした、四代目!!」

  六代目に土下座されるいわれはない。
  半ば呆然と見下ろして、桐生はこの無駄に広すぎるスイートルームに部下が一人もいない事情を察したのだった。
  こんな無様な姿を、部下に見せられるはずがない。
「おい大吾…」
「きちんと謝罪しなきゃと思ってました!時間がかかっちまってすいません!!」
  内部の混乱や、自身の怪我のせいで自由に身動きが取れなかったのだと男は言った。
  今もまた、すぐに東京へ帰らねばならないが、多少時間を確保する事ができたので飛んできたのだと言った。
  床に伏したままの六代目の頭頂部を見下ろしながら、桐生は軽く首を傾げる。
「…何の謝罪だ」
「え?何のってそりゃ、買収計画を止められなかった事、神田や浜崎の暴走を止められなかった事、峯がアサガオを破壊したこと、…峯が四代目に、ご迷惑をおかけしたこと、浜崎が四代目を刺したこと、あとこれが一番重罪だ…俺が、死にかけたこと。おかげで何の指示も出せず、東城会がガタついて、しまいました…」
「なるほど、それは重罪だな」
「…はい」
  桐生は理解し、落ちてくる言葉を聞き逃さないよう力を込めて白くなっている大吾の指先を見下ろした。
「お前がこんな所までわざわざ出向いて来たことを言ってんだ」
「…は」
「顔を上げろ六代目。土下座される筋合いはねぇ」
「…はい…いやでも」
  躊躇いがちに身体を起こす男の横を通り過ぎ、絨毯の上に転がったノートパソコンを拾い上げ、テーブルへ置く。そのまま向かいへ回り、テレビを背にするようにソファへと腰掛け足を組む。
「…座らねぇのか」
「は…い、失礼します…」
  促せば、躊躇を見せて大吾が立ち上がる。
  元の場所に収まって、大吾は膝の上で拳を作った。
「…桐生さ…いや、四代目」
「何だ」
「刺された傷は大丈夫ですか」
「もう痛みはねぇよ」
「そうですか。…本当に、ご迷惑をおかけし…」
「しつこい」
「…はい…」
  遮られ、口を噤む。
  桐生の表情を窺うが、怒りや不快はそこになく、静かであった。
  目が合い、視線を外せなくなる。
  凪いだ瞳をしているくせに、強すぎて眩暈がしそうだった。
  己の責任なのだと大吾は思っている。
  何故あの時銃を出した。
  …己が身に危険が迫っていると思ったからだったが、ならば何故一人で相対したか。
  何故事前に武器の携帯の有無を確認させなかったか。
  武器類の持ち込みを禁止し、かつ部下と共に会えば良かったのだ。
  己の認識の甘さが原因であり、それが全てだ。
  東城会の崩壊を招いたのも、己のせいである。
  経緯は真島が教えてくれた。酷く面倒くさそうに、だが事実を歪めることなく正確に。
  暢気に寝ている間に、四代目を巻き込み東城会を巻き込みそして全てを失いかけていた。
  何の為に。
  己は何の為に動いてきたのか。
  与り知らぬ所で手の中にあったはずの物が水泡に帰す瞬間を、またしても経験することになったのだった。
  一度目は、桐生の裏切りだった。
  二度目は、己が招いた裏切りだった。
  三度目は、起こしたくない。絶対に。 
  何も言わない桐生に焦れる。
  責めて欲しかった。
  馬鹿野郎と罵って欲しかった。
  誰にも咎められることなく、叱責されることなく、傅かれる立場になってみて初めて孤独を感じる。
  豪気な母親でさえ、六代目襲名と同時に距離を置くようになった。
  出すぎた事は一切しない。
  極道に生きる女の、それが賢い生き方だった。
  己を諌めてくれるのは、目の前で静かに己を見つめるこの龍しかいないのだと知っている。

  俺は、あんたに叱られたい。
 
「…桐生さん、俺」
「どうした」
「…アサガオ、建て直し、しますよね」
「ああ、する」
「まだ現場見れてないんですが、状態は…?」
「瓦礫の山のままだ」
「そうですか…申し訳あ」
「うるせぇぞ」
「りっ…はい…、えっと、瓦礫の撤去から建て直しまで、うちで費用持ちます。建設も任せてもらえるなら、真島さんがやる気になってます」
「…そこまでやってもらわなくて結構だ」
  費用を持つという件については、断らない。
  それは東城会としてのケジメのつけ方であり、断ってはならない。
  筋を通さなければ、やっていけない世界なのだから。
  だが建設自体を任せるとなると話は別だ。
  桐生が迂遠に断るが、大吾は引き下がらなかった。
「いや真島さん、やる気になってます」
「何故二度言った」
「すでに設計図作って建材集めに走ってますが」
「止めろ!東京から沖縄まで運んでたらいくら金かかると思ってる!」
「建材はこちらである程度揃えるようですが。でも真島さん、やる気になっ…」
「三度言うな。人件費も輸送費も馬鹿にならねぇぞ。やるなら地元の建設会社でいいだろう」
「しかし真じ…」
「四度言うと殴るぞ」
「…じゃぁ、桐生さんが真島さんと話つけて下さい。俺は無理です」
「オイ六代目」
「六代目でも無理なもんは無理です。あの人止められるの、四代目だけですよ」
「……」
  桐生が黙った。
  大吾は畳み掛ける。
「すでに色々と手配済みのようです。嬉々として報告されたんで。追い返す労力と金考えたら、任せた方が楽ですよ桐生さん」
「…むぅ」
「どこで建設しようが金払うのは一緒です。それなら身内でやれる方がいい」
「…わかった。任せる」
  桐生が折れた。
  大吾は安堵に胸を撫で下ろす。
「はい、任せて下さい」
  これで一つ、桐生に詫びが出来た。
  だが、まだ足りない。
「…あ、すいません俺飲み物の一つも淹れねぇで」
  漸く周囲のことに目が向いた。
  テーブルの上に乗せられたノートパソコンを閉じる。端がへこんでしまっていたが、使用するのに問題はないので構わない。
  気にするなという桐生にそういうわけにはいかないと言い置いて、バーカウンターへと向かうが、立ち止まった。
「あ、…コーヒーでいいですか?酒の方が良ければ酒にしますが」
「コーヒーでいいぜ」
「すいません、俺夜会合あるもんで、酒飲めないんですよ」
「東京には戻らなくていいのか?」
「戻ります」
「……」
  時間は大丈夫なのかと尋ねたのだったが、言い直す程のことでもない。
  簡易的に設置されたミニキッチンへと消えた大吾だったが、すぐに顔を覗かせた。
「すいません桐生さん…湯を沸かすところからになります…」
「…それは構わねぇが…用がこれだけなら俺は帰るぜ?」
「ま、待ってください!まだ帰らないで!あ、そうだ飲み物運ばせりゃいいんだ」
「……」
「すぐ用意します!」
  バタバタと足音荒く扉を開けて、すぐ向こうに待機していた黒服の一人に指示を出す。
  廊下の向こうでバタバタとまた走る音が聞こえ、扉を閉めて戻ってくる大吾は一つ何かを成し遂げた顔をしていた。
「……」 
  目の前のソファに落ち着いた東城会の頂点に立つ男に向かって何かを言おうと口を開くが、桐生は諦め口を閉ざす。
  詫びは聞いた。
  破壊された養護施設は新しくしてくれるという。
  ならばそれでチャラだった。
  峯や他幹部については、六代目が統率できる状況になかったのだから責めるいわれはない。
  そもそもその程度の幹部しかいなかったのだと、責める資格も桐生は持ち合わせてはいなかった。
  大吾が築き上げ、大吾が統べてきた組織なのだ。襲名より日も浅く、古参幹部は壊滅状態であり結束も固くはない。
  何を言う資格があるというのだ、自分に。
  ただ降りかかる火の粉を払い、それが東城会を組織瓦解寸前にまで追いやった、むしろ責められるべきは桐生である。
  大人しく土地を明け渡し、関わり合いにならぬよう生きていれば良かったのだ。
  買収はしませんと大吾が言った。
  東城会の六代目が、「手出しはさせません」と言ったのだ。
  その背後にどれだけの覚悟と犠牲が払われたのか桐生には知る由もなく、大吾がそう言ったのだからと信頼した。
  桐生こそが甘えていたのだと自覚している。
  堅気になり、静かに暮らすと言いながら、火の粉を払う。
  力ずくで。
  そういう人生を歩んできて、それが当たり前だと思っていたが、痛感した。
  堅気であるということは、不便であるということなのだった。
  大吾が土下座をする必要などない。
  己のことなど気にかけなくて良いのだと、言ってしまえば済む話なのだが何故だかそれはできなかった。
 
  堅気にはなったが、東城会と縁を切るつもりはないのだと言えば、度し難く愚かな男だとお前は言うだろうか。

  「東城会四代目」は、伝説なんかじゃないのだと。
  おそらくいつか、誰かが気づく。
  それはお前か、他の誰かか。
  その時俺は、俺らしくいられるか。自信がなかった。
  黒服の男がワゴンを押し、コーヒーと軽食を運んで来て思考は中断された。
  テーブルの上に乗せられるそれを満足そうに眺めやり、「ご苦労」と男を労い六代目が桐生を見る。
「どうぞ、桐生さん。適当にルームサービス頼みました」
「ああ」
  カップを手に取り、口をつける。
  芳醇なコーヒーの香が鼻を擽り、喉を通る上品な喉ごしにため息をついた。
  男が退出し、静寂が落ちる。
  用がないのに長居しても仕方がない。桐生は、コーヒーを飲み終えて立ち上がった。
「そろそろ帰る」
「え」
「…何だ、まだ何かあるのか」
「…ああ、…はい」
「何だ?」
「……」
  コーヒーカップを見下ろして、大吾が黙る。
  しばし待つが、返答はなかった。
「おい大吾」
「はい。…桐生さん」
「何だ」
  顔を上げた男は、自嘲の笑みを刻んでいた。
「俺のこと、ぶん殴ってくれませんか」
「…は?」
「あ、顔を腫らすと他人に説明すんのめんどくせぇから、腹とかで」
「…何言ってんだ」
「ガツンと一発、お願いします」
「意味がわからねぇぞ。何で殴らなきゃならねぇんだ」
  大吾が立ち上がり、スーツの上着を脱いでソファに落とす。
「右はまだちょっと傷残ってるんで、左で。お願いします」
「……」
  桐生の眉間に皺が刻まれた。
  何だコイツ、と言いたげな表情に苦笑が漏れる。
「気が乗らないなら、罵ってください。馬鹿野郎とか、クズとか、そんな感じで」
「…気持ち悪ぃぞお前」
「罵倒もダメなら、しっかりしろと、叱ってください。思いっきり、怒鳴る感じで」
「…俺は帰るぜ?」
  付き合いきれないと言いたげに首を振って歩き出した桐生の腕を力任せに掴んで、引いた。
  桐生の足元がふらついたが、さすが伝説の男はバランス感覚も人並み外れているので倒れることはない。
「待った!帰らないで桐生さん!本気なんすよ!」
「…沖縄に、SMクラブはあったかな」
「違う!女王様に苛められたいわけじゃない!」
「……」
  尚更薄ら寒いと言わんばかりの桐生の目は本気で帰りたそうにしている。
  違う、そうじゃなくて。
「俺は!あんたと!つながりたい!」
「……つ」
  反復しようとして、桐生はやめた。
  言葉を飲み込み、反芻する。
  つながりたいとは、どういう意味か。
  …そういう意味か?
  それとSMとどういう関係があるのか。
  桐生にSMの趣味はなかった。残念ながら。なので大吾の期待に沿うてやることはできそうにない。
  結論を出し、桐生は真っ直ぐ大吾を見つめた。
「SMプレイは無理だ」
「だから違うって!!俺はあんたと」
「なら俺を怒らせてから殴られろ」
「いやです!本気で殴られたらダメージでかすぎる!」
「……お前なぁ」
「俺はあんたと、つながっていたいんだ」
  俺はあんたに必要とされたい。
  裏切られたくない。
  俺があんたを裏切ることはない。絶対に。
  だがあんたは。
  あんたは簡単に捨ててしまえるのだから。
  捨てられやしないだろうと思っていたら、気づいたらあんたがいない。
  そんな経験を何度もした。
  大事にしている。
  大切にしている。
  何よりも優先している。
  あんたを。四代目をだ!
  見返りは求めない。求めるものでもない。
  だが今は。
  何をも縋るもののない今この時だけは、あんたが欲しい。
  あんたの言葉が欲しい。
  あんたの何かが欲しい。
  俺を支える、あんたが欲しい。
「桐生さん」
  掴んだ腕に力が入る。指先が震えた。
  物欲しそうな顔をしているだろう自覚はあった。
  東京に、帰らねば。
  時間はあまりない。
  桐生さん。
  沖縄まで来た、この意味を。
  わかって欲しい。あんたに。
  あんたにだけは。
  言葉に出来ることと、出来ない事がある。
  口にしていいことと、いけないことがある。
  今ここでその望みを口にする事は許されない。
  東城会の六代目は、三万人の頂点に立つ男は、強くあらねばならなかった。
  愚痴も、弱音も吐かない。
  逃げない。
  だから。
「…情けねぇ顔すんな大吾」
  呆れた顔をして、桐生がため息をついた。
「なさけない、ですか」
「ぶん殴りたくなるぜ」
「顔以外なら、構いません」
  それは本当。
  桐生さんなら、構わない。
「俺を馬鹿にしてんのか?」
「いえ、とんでもない」
  胸倉を掴まれ、容赦なく引っ張られた。
  焦点が合わなくなるほど距離を詰め、桐生の舌が伸びて大吾の唇の輪郭をなぞり上げる。
「…大吾」
  甘く低く名を呼ばれ、桐生の腕を掴んでいた手を離し背に回してかき抱く。
  片手は桐生の後頭部へ回して、誘われるまま口付けた。
  ぶつかる舌先を舐めながら絡め取り吸い上げる。背から腰を撫で回し、尻へと滑らせその質感を確かめる。
  ネクタイを解かれ、床に落とされた。
「桐生さん…!」
「…SMプレイはごめんだぜ」
「いやだから違う…って、もう、いいです。どうでもいいです。あんたが、望むように。何でも。全部」
「何だそりゃ?俺がお前を抱くのか」
「あんたは俺を抱きたいのか」
「……。…うーむ」
「悩むなよ。俺落ち込むから。俺は抱かれたいわけじゃないです」
「そうか」
「俺はあんたに抱きしめられたい」
「…気持ち悪ぃなさっきからお前」
「気持ち悪ぃ俺に抱かれるあんたは何なんだ」
「…帰るか」
「あー!もう駄目です無理です時間もないしその望みは聞けません。ベッド行きましょうベッド。眺めはサイコーです」
「……お前はなぁ…」
「俺あんた大好きだ。沖縄来て良かった」
「……寒ぃ」
「エアコン効きすぎですか?でもすぐ汗かきますよ」
「…そういう意味じゃねぇ」
「ええ、わかってて言ってます」
「……」
「桐生さん」
  抱きしめる。
  完璧な肉体美を誇る男の身体は柔らかくもなく、丸みもない。
  だが酷く、優しく温かい。
  「堂島の龍」なのに、大吾のモノではなかった。
  「東城会四代目」なのに、東城会のモノでもない。
  「伝説の極道」なのに、極道ですらないあんたは、それでもここにいて、抱きしめたら抱きしめ返してくれる。
  大事にしている。
  大切にしている。
  手に入れたいのに、手に入らないモノだった。
  あんたの方が何枚も上手で、いつだって届かない。
  超えられない。
  触れているのに、届かない。 
  それでもここに、あんたはいる。
  本当は。

  俺はあんたに、あいされたい。


END

上手と下手

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