下がっていいという父親の言葉に逆らわず部屋を辞した後、しばらくして桐生も帰ったようだった。
  夜になって熱を出し、「子供の頃を思い出すねぇ。今も子供だけど」などとからかう母親の看病を受ける羽目になり、大吾は何重にも落ち込んだ。
  翌朝には熱も引き、筋肉痛のような痛みは少しマシになっていた。
  汗が気持ち悪いので風呂に入り、染みる傷口に悲鳴を上げそうになりながら耐え、食卓につけばちょうど朝食の時間だった。
  朝食だけは母親も共にするが、父親は見かけない。
「学校、行けそうかい?」
「ああ」
「受験も近いしね。真面目に勉強しておいで」
「わかってる」
  今時の極道は、高校卒業は当たり前なのだそうだ。
  当然のような顔をして父親は「高校くらい出ておけ。大学も行けるなら行っても構わん」と鷹揚に促したが、正直な感想を言えばどうでも良かった。
  馬鹿より勉強が出来た方がいいに決まっているが、家業を継ぐことが決定しているのに積極的に勉強しようという気にはなれなかった。
  別に継ぎたいわけではないのだ。
  では何になりたいのかと言えば、それも特にはないのだった。
  小学生ですでに将来の道筋を決定付けられてから、夢見ることはなくなった。
  とはいえ、さすがに高校受験に失敗するわけにはいかない。塾にも通っていなかったし、家庭教師もつけてはいなかったから、自力でやるしかないのだった。
「今からでも塾に通っていいんだよ」
  出かけ際、母親に言われたが今更である。
「神室西は大してレベル高くねーし。ランク上目指すわけじゃなくて相当下なんだからヨユーだよ」
「上目指せばいいのに」
「近い方が楽でいい」
「…全く…夢がないねぇ…」
  それこそ、今更だった。
「行って来る」
「気をつけてね」
  歩く分には痛みもなく、問題はなさそうで安堵する。
  庭師に挨拶をし、門を出た。
「……え」
  門を出て一本目の曲がり角側の電信柱に凭れて煙草をふかす男は、知った顔だった。
「き…」
  声をかけようと口を開くが、それより先に男が気づいて軽く笑む。
  微笑みと呼ぶには男の瞳は強すぎた。
「おはようございます、大吾坊ちゃん」
「…おはよう、ございます…」
  男の今日の装いはカジュアルだった。
  とはいえ、上半身はスーツスタイルであり、白地に黒ストライプのシャツ、黒のナロータイ、上着も黒で目立たない程度の光沢素材のものを羽織っており、下は黒デニムでベルトは蛇柄かと思いきやライトグレーの迷彩柄だ。靴は先の尖った黒革靴だ。
  …雑誌やテレビで持て囃されている夜系のにおいがすると思ったが、口には出さない。
  下もスーツ素材の黒なら完璧だった。ただ男の顔はチャラくはなく精悍で、無駄なく鍛えられた体格は夜系というよりはやはり我が家の家業系に見えるのだった。
  そういえば部屋には服がたくさん掛かっていた。
  仕事柄必要なのだろうと思ったが、大吾が知る限りのスーツ着用の「大人」達はどこから見ても逆さに振ってもヤクザにしか見えないギラついた格好をしているのが常であったので、意外と言えば意外だった。
  似合ってるけど。似合っててカッケーけど、目立ってる。
「…桐生さん、何してんの」
「坊ちゃんのお供を」
「へ!?」
「怪我が治るまでの間、登下校にお供します」
「…な、なんで!?」
「堂島組長の指示です」
「…親父の…?」
  思わず立ち止まりかけた大吾を置いて、桐生はさっさと歩き出す。
  慌てて追いかけるが、走ると足がビリビリと痛んだ。
「ちょ、痛い、まだ痛いし早すぎる!」
  非難の声を上げれば、気づいた男が速度を落とす。
  ようやく並んで歩けるようになり、安堵のため息が漏れた。
「…若者が朝からため息とは辛気臭ぇな」
「誰のせいだよ誰の!…って、あれ、敬語じゃない」
「御曹司に敬語は当然」
「…じゃ、今は?」
「ここは堂島組長の敷地じゃねぇからな」
「……?」
  何だその線引き。
  意味がわからなかった。
  無言で問いかける視線を受けて、桐生は僅かに眉を寄せた。
  説明が面倒だと言いたげな顔だった。
「堂島組長に筋は通すが、お前に通す筋はないってことだ」
「血筋とか関係なく?」
「血筋ね…」
  息を吐き出すように笑う男の表情に、肯定的なものは一欠片も見当たらなかった。
「……」
  さらに問いたかったが、それ以上の質問を打ち切るように桐生は片手を上げて制す。
  これ以上聞くなと言われた気がして、大吾は口を閉ざした。
  学校まで徒歩約二十分。
  聞きたいことは色々あったが結局聞けずに学校へ到着した。
  敷地を囲う塀の前を、校門目指して歩く。
  登校時間ピークよりは早めの時間だったが、すでに学校へと向かう生徒はそれなりに存在し、大吾の存在に気づきその隣を歩く男を見やって誰もが視線を固定する。
  教師ではありえない格好をした若い大人の男が、堂島大吾と歩いている。
  ざわ、と周囲の空気が一変し、大吾は眉を顰めて居たたまれない気持ちを我慢した。
  目立ってる。
  めちゃめちゃ目立ってる、桐生さん。
  男女問わずの視線は無遠慮に桐生の上を撫でて行くが、本人は全く気にした様子もない。
  恐ろしい程平静で、堂々としていた。
  足早に校門を抜けようとした大吾を呼びとめ、桐生は人差し指を立て言い聞かせるように呟いた。
「俺はお前の兄ちゃんという設定だ」
「に…兄ちゃん!?」
「怪我で苦しむ可愛い弟が不自由しねぇように、登下校を見守る優しい兄ちゃんだ」
「…いや、色々おかしくね?」
「聞く耳は持たねぇ。決定だ。オラ行って来い。しっかりお勉強してくるんだな」
「…行って来るけどさ…」
「放課後迎えに来るから、勝手に帰らず待ってろ」
「…わかったけどさ…」
  生徒が校門前で問答する二人を遠巻きに眺めながら通り過ぎる。
  学校内に入ってから立ち止まって振り返り、興味津々の視線を向けるギャラリーの山が出来始め、大吾はくるりと背を向け逃げるように玄関口へと歩き出す。
  散れ!と叫んで追い払いたい気分だったが、騒ぎを助長する気がしてできなかった。
  極道は、堅気に迷惑をかけてはいけないのだそうだ。
  いずれ家業を継ぐのだから、堅気に敵を作るなと言われていた。
  ただし敵対してきたら遠慮せず潰すこと。
  引けば相手がつけあがる。二度と敵対しようという気を起こさないよう徹底的にやれ。
  …学校生活において自主的に目立つことはしていない。出自の時点で目立っていても、己から何かをしようという気はなかった。
  が、今この時ばかりは何とかして欲しい。
  大吾が振り返ることなく歩き出したのを確認し、桐生は帰ったようだったが、未だに校門にギャラリーは残っていた。
  教師が数人、何事かと校門へ走って行ったが、会う事はないだろう。
  下駄箱で靴を履き替え、教室へ行こうとすると廊下で舎弟に挨拶をされる。
  挨拶を返し、「今日はちょっとあったかいッスね!」などとどうでもいい事を言って来る連中に適当に相槌を打ち、顔の怪我について問われてこれにも適当に返事を返す。
  学校生活は面白くない。
  勉強も特に好きではなかったが、無為に遊び回ることに比べればまだマシだった。
  楽しい事がない。
  つまらない毎日だ。
  …桐生の存在は、少しだけ大吾の生活を変えてくれそうな気がしたが、それも怪我が治るまでという期限付きかと思えば短いなと思ったのだった。
  三年の秋ともなれば、皆受験に向けて必死になる。
  放課後学校側が用意した「特別授業」なる受験向けの補習なども組まれていたが、参加する人数はそれほど多くない。
  殆どの生徒は塾に通っている為、必要ないのだった。
  大吾は一度参加してみたが、プリントを渡されテストのようにひたすら問題を解いて行くだけのそれに意義を見出せず、それきり参加していない。
  受験対策の問題集などはいくらでも売っているのだから、本屋で買えば事足りた。
  授業を終え、帰る準備をする。
  廊下に、舎弟達が待っていた。
「堂島さん、今日も真っ直ぐ帰るんですか?」
「ゲーセン行きません?」
「格ゲー面白いッスよ」
「…お前ら勉強しろよ」
  呆れて忠告してやるが、別にどうでもいいことだった。
「今から勉強しても間に合わないッス。行けそうなとこ受験します!」
「俺も。一緒のとこだよな希望」
「だよな。堂島さんは成績すげぇいいし、進学校ですか?」
「いや、神室西」
「えー!?神室西!?えー!?」
「いやそれでも俺らじゃちょっとしんどいけど、堂島さんそんなとこ行かなくても…!」
「近いし」
「えー!?」
「堂島さんが神室西なんだったら俺ちょっと頑張って勉強すっかなぁ」
「マジかよ!今から!?」
「ギリいけるかどうかの瀬戸際。塾は一応通ってんだよな」
「えぇぇぇ…」
「……」
  好きにすれば、と思う。
  遊びに行く気はないし真っ直ぐ家に帰ると言っても、連中は校門までついて来た。

「おや、お友達か?大吾」

 校門を曲がり、学校の塀が続く道路の中程に、壁に凭れ煙草を吸うやたらと目立つ男がいた。
「うぉカッケー」
「何だあの人カッケー。ちょっと怖ぇけど」
「堂島さんのお知り合いですか?」
「…き…、ああ、そう」
  名字を呼びそうになって、堪える。
  「兄ちゃん」という設定なのだった。
  …何だその設定。絶対おかしい。
  歩み寄れば桐生は凭れていた背を起こし、煙草を消して大吾を見、背後につき従う舎弟を見た。
「…弟が世話んなってるみたいで、これからも仲良くしてやってくれな」
「えっお兄さん!?」
「堂島さんの、お兄さんですか!!」
「そう、よろしくな」
「うぉーカッケーお兄さん!!」
「……」
  嘘つけ。
  しれっと、自然に、当たり前のように、嘘ついた。
  舎弟どもが一人ずつ、自己紹介をしながらいかに大吾に世話になっているかを熱く語り出し、大吾はうんざりとため息をつく。
  桐生も呆れているかと思いきや、一人ずつきちんと頷きこれからもよろしくな、と真面目に取り合っていた。

  意外すぎる。

  口を差し挟む隙もなく見守っていれば、ひと段落ついた所で桐生が「じゃぁな」と連中に別れを告げた。
  言外についてくるな、ということだったが、連中は「はい!!」と異口同音に返事をして直角に頭を下げた。
「堂島さん、また明日!」
「お疲れ様でした!」
「俺帰って勉強します!」
「…ああ…」
  何だこれ。
  意味がわからなかった。
「桐生さん…」
「ちゃんと手下いるんじゃねぇか。安心したぜ」
「……」
「帰るか」
  堂島組長の一人息子には友人がいないらしい、というのは母親から聞いていた。
  友人の話が出た事がない。遊びに行ったこともないし、来たこともない。家が家だから遊びに来ることを躊躇したとしても…と言葉を濁す姐さんは組長の妻ではなく、思春期の息子を抱えた母の顔をして心配を見せた。
  中学に上がってからケンカをするようになり、怪我が増えたとも。
  父親である組長は放っておけと言い、ケンカの一つもまともに出来ない男に組継ぐ資格はねぇというスタンスだったが、今回の事は目に余る事態と踏んだようだった。
  桐生が通りかかった時、空き地には五人が伸びて、一人がリンチにあっていた。三人がかりのそれに看過できず声をかければ、嗜虐の愉悦に顔を歪めた醜い少年達が身の程も弁えずに向かってきたので軽く捻って地面に転がし、まだ息があるボロ雑巾のようになった大吾に声をかけたのだった。
  五人は同じ制服を着ており、三人は私服だった。
  大吾だけが違う学生服であったので、事態を察したのだった。
  ケンカに口出しする気はない。
  だがまともに動けない状態で囲まれリンチを受けて死ぬかもしれないとなれば話は別だ。組長もそれは望まないと言い、ならば怪我が治るまでの間は護衛しましょうと申し出た。
  気になることもあったからだ。
  邸宅までの道のりを歩く。
  大吾は静かに並んで歩いており、時折視線を感じはするが何を言うわけでもないので放置している。
  高い塀が見えてきて、桐生はそこで立ち止まった。
「ではまた明日ここで。大吾坊ちゃん」
「…桐生さん」
「何でしょうか」
「そのー…」
「ん?」
  躊躇いがちの視線を捉え、言えと促す。
  少年は決心したように小さく頷き、拳を作って視線を向けた。

「あんた目立ちすぎ。もっと地味な服で!!目立たない服で!!頼むよ!!」

「……」
  ずっこけるかと思った。
  どんな重要なことを言うのかと思えば、くだらない。
  これでも十分地味に押さえてきたのだが、大吾は不満であるらしい。
  これくらいの年頃の子供は、そういうものなのかもしれないと己の少年時代を思い出し、ふと笑みが零れた。
「…桐生さん?」
「目立とうが目立つまいが、己に恥じる所がなければどうでもいいことなんだがな」
「……」
「が、わかった。…大吾坊ちゃんの仰せのままに。ではまた明日」
「……」
  踵を返し片手を軽く上げて挨拶の代わりにし、颯爽と去って行く背中は震える程にカッコ良かった。
  ああいう男になりたいと思わせる、圧倒的な何かがあった。
  だが目立って欲しくはない。
  明日からは地味な服を着てくると約束してくれたことだし、少しは俺まで目立たなくて済むかな。
  大吾は一つ深呼吸し、問題集を片付けようと家へと向かった。
  翌日現れた桐生はさらにカジュアルであり、控え目ではあった。
「おはようございます、大吾坊ちゃん」
「…おはよう…ございま…す…」
  さらりとした素材の、黒地に細い白ストライプシャツの下にはワインレッドのVネックTシャツを着ており、ベルトは黒の太めのバックル、ネイビーのヴィンテージデニムは細身で靴はこれまた先のとんがった黒のローファーだった。
  確かにカジュアルだ。
  普通に町を歩いているおにーさんが着ていそうだ。
  だが目立っている。明らかに。
  アクセサリーをじゃらつかせているわけでもなく、派手なピアスや髪型をしているわけでもないのに、目立っている。
「今日は問題ないだろ」
  歩きながら桐生がどうだと言わんばかりの口調で問うたが、大吾は答えられなかった。
  普通の一般人のおにーさんならば恐らく何の問題もなかった。
  この男だから、問題なのだった。
  服装の問題ではないのだと思い知った。
  そこにいるだけで、異様に目立つ男なのだった。
「桐生さん、子供の頃からそんなだったの?」
「…どういう意味だ?」
「俺みたいにやたらケンカ売られたりしなかった?」
「売られたら買うまでだ。返り討ちは基本だぜ」
「…あ、そう…今は?」
「躾のなってない駄犬は痛い目見ねぇと学習しない」
「…あ、やっぱりね…」
  相当強そうだなと、大吾は思った。
  このままケンカを続けていけば、この男のようになれるだろうか。

  …好きでケンカやってるわけじゃねぇんだけどな。

  校門の中に入ればすでにギャラリーが待っていた。
「ここの生徒はこんな時間から登校とは、真面目だなぁ」
  と桐生はのたまったが、それはボケたのか、それとも天然なのか。
  何ともいえない微妙な表情をする大吾に首を傾げてみせて、「じゃ、また放課後な」と戻って行く桐生の背中が曲がり角で消えるまで見送った。
  たった一日で「堂島組長の息子のお兄さん」の噂が学校中に広まって、さらに居たたまれない心地のする大吾であった。


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