認めて諦めたら、楽になった。

「…あー煙草吸いてぇ」
  窓際一番後ろの席で外を眺めながら呟けば、聞き咎めた舎弟の一人が「えっ」と声を上げて飲み終えた牛乳パックを握り潰した。
「堂島さん、煙草吸うんですか?」
「マジで!いつからですか!?」
「俺も吸おうかな煙草」
  学校の昼休みは思い思いに席を囲み、友人同士で勝手に集まって食べている。
  食堂はなく、購買があるのみなので、生徒は自宅から弁当を持ってくるか、通学途中で買ってくるか、当日購買で買うかの三択だった。
「…やめとけ、酒と煙草はハタチになってから」
  怠そうに頬杖をつき、空になったペットボトルを振りながら常識的に嗜めてみるが、三人は互いに顔を見合わせ興味津々といった様子で顔を輝かせた。
「いやでも今…」
「ちなみに何吸ってるんですか?」
「知りたい知りたい」
「言わねぇし。もう吸ってねぇし。酒もやめたし」
「えっ酒も!?」
「オトナだ、いつの間にか堂島さんがオトナの階段上ってる!」
「俺ら真面目に勉強してる場合じゃねぇぞ!?」
「…いや勉強はしろよ真面目によ…」
「正直勉強ついていくので精一杯ス…。テスト前とかマジ地獄ッス」
「堂島さん一位ばっかでマジすげぇ」
「何でこの学校進学校でもねぇのに順位張り出されるんだろな…泣けてくる…」
「いやお前百位以内に入ったことねぇし名前出たことねぇだろ!」
「お前が言うなよ!」
「俺百位になったことあるんだぜ!」
「何だとこの裏切り者め!」
「あー!?真面目に勉強した成果だろうが!」
「クッソー絶対次負けねぇ!」
「おう昼飯かけて勝負だ」
「望むところだ」
「……」
  こいつら平和だなぁ、と大吾は思った。
  これが普通の学生の生活なのだった。
  「そういえば今日雑誌発売日だから買ってきた」と一人が買ってきた雑誌を広げ、グラビアを見ながら誰ちゃんが可愛い、いやいや誰ちゃんの方がスタイルがいいと言い始め、「堂島さんはどれがタイプですか」と聞かれて返答に詰まる。
  高校生男子の頭の中はどいつもこいつも似たようなもので、女のいない男の興味はもっぱら雑誌やテレビの向こうにいるアイドル等に向くのだった。
「あー…どれって言われてもな」
「あれ、堂島さん今彼女いましたっけ?」
  そして何故か不思議なことに、特定の彼女が出来るとおおっぴらにこのグラドルが好き、などと軽々しく発言はしなくなるのだった。
「いねぇかな」
「あ、なんか意味深な」
「特定のがいないとかそういうことですか?堂島さんモテますよね。何回も告白現場見たことあります」
「お前覗き趣味あったのかよ!?」
「ばっかちげーよ!女子が堂島さんと話してるの見かけただけだっつーの!」
「そういや俺もクラスの女子が堂島君が~とか言ってるの聞いたことある」
「堂島君と仲いいの?とか聞かれたことあるわ俺」
「さすが堂島さん。すげぇ」
  一斉に尊敬の眼差しを向けられたが、うっとうしいことこの上ない。
「…どうでもいいっつーの…」
「堂島さんオトナだ…クールすぎる…」
「そんなんじゃねぇよ。俺今絶賛片思い中だから」
「ええええええええ」
「マジッスかぁあああ?」
「どんな女なんですか!?この学校の生徒ですか!?うわー気になるぅぅぅぅう」
「…気にすんな。絶対教えねぇし」
「えええええええ教えてくださいよぉぉぉ」
「お、俺達で良ければ相談乗りますからー!」
「堂島さんなら断る奴いないでしょ!」
「……」
  ならいいんだけどなー。
  乾いた笑いしか、出なかった。
  女じゃなく、同年代ですらなく、しかも弟扱いされたりガキ扱いされたり挙句簡単に手を上げてくるしで、逆立ちしても適いそうにもない相手である。
  小学生の頃父親に殴られて以来、誰にも手を上げられた事はない。
  ケンカで殴られる事はあっても殴り返すのでそれはお互い様の話であり、数のうちには入らない。
  都合二度殴られている。
  どちらも己が原因を作っているので相手を責めるつもりはない。全て相手が正しいのであり、それがまた己の存在価値を貶める。
  経験値の差、と言ってしまえばそれまでだが、隔たりが大きすぎて対等に並べる日が来るとは到底思えなかった。
  努力だけで埋まるものならいくらでも努力をするつもりではいるが、まずは心の中に居場所が欲しい。
  こいつがいなきゃ、と思ってもらうには、どうすればいいか。
  …同級生の女子のように「好きです付き合ってください」が通用する相手ではない。「ごめんなさい」とかつて己が即答したようにすげなく返されるのがオチである。
  「好きです」なんて陳腐な言葉だ。
  だからどうした。
  そんなことは大前提で、そこから何をするかが問題なのだ。
  女じゃないんだから、伝えて満足なんてできるわけがない。
  手を繋いでお話できれば幸せ、なんて思えるはずがない。
  あわよくば両思いになれたらいい、なんてままごと遊びは夢の中でやれ。
  あわよくば、じゃイヤなのだ。
  確実に、受け入れて欲しいのだ。
  男女の恋愛と同じように考えるだけ無駄な気がした。
  正直な所、恋だ愛だの精神論より重要なのはヤれるかヤれないかだ。ヤれるのならば、精神は後からでもついてくる。
  これは暴論ではない。
  相手は男だ。しかも己よりも強くてカッコ良くて大人で男前で文句なしの、誰もが認める最強の男なのだ。女ではないのだから、論点が違うのは当然なのだ。
  受け入れてもらう為には段階を踏む必要はあるが、段階を踏むにしても、まずあの人は男はイケるのだろうか?イケるとして、受け入れてもらえるのだろうか?そこからだった。
  正直自分が抱かれるのは勘弁願いたい。
  強硬に突っぱねられたら考えないでもない…のか?
  だがしかし。俺はヤりたいのだった。
  己の倫理観についてはすでに桐生一馬に関して崩壊しているので、どうでもいい。
  認めた。拒否するのをやめた。ヤりたいのだから、仕方がない。  
  ……。

  真島がどこまで踏み込めているのかによる気がした。

  あ、ムカつく。
  なんかすげぇムカついた。
  けど知りたい。
  うわぁ複雑。
  知りたくないけど知っておきたいこの気持ち。
  「真島さんとどこまでの関係?」って聞いたら答えてくれるだろうか?素直に答えられてもイヤだが、ごまかされてもそれはそれで傷つきそうな気がした。
  …うん、駄目だな。他の方法考えよう。
  授業終了のチャイムが鳴って、生徒が一斉に立ち上がる。
  舎弟が一緒に帰ろうと教室までやって来るが、今日は委員会の日であったので先に帰して一人別の教室へと向かった。
  学校活動を円滑に行うために、何だかんだと委員会が存在する。積極的に立候補する人間は少数派の為、埋まらないポストはくじ引きで決める事が中学時代からの慣例であった。
  運悪く委員に当たってしまい、月に一回各クラスの委員が集まり話す内容もないのに雁首揃えて出席を取られ、「ではまた来月」とやるのが常だった。
  「今月はこんなことがありました」「来月は気をつけましょう」これだけの会話で三十分。実に無駄な時間だと思いながら、解放された大吾は校門への道を歩く。
  帰宅する生徒のピークは過ぎた後で閑散としていたが、グラウンドからは賑やかな掛け声や指示の声が響き渡っていた。
  運動部頑張るねぇと思いながら、どのクラブにも所属していない大吾はしばし立ち止まり、眺めやる。
  中学の時は「堂島組長の息子と一緒に活動したくない」という生徒の遠まわしな圧力があったが、高校に入ってからは大吾自身がクラブ活動の必要を感じなかった。
  それよりも優先すべきことがあったからだ。
  まぁ特にやりたいスポーツもないので構わなかったのだが、団体で活動している様子を見ると、心のどこかが疼くような気がした。
  羨ましい、という程明確な感情ではなく、楽しそうだな、という感情に近いのかもしれない。
  それは己が参加しないことを前提にした感情であり、割り切っているので今更どうしたい、というものではなかった。
  金属バットがボールを当てる甲高い音がグラウンドに響き渡り、遠くから弧を描いて近くへボールが落ちてきた。
「……」
  歩いてそれを拾い上げ、「飛ばしすぎー!」と叫びながら近づいてくる外野手が両手を振って「すいませーん!」と声をかけてくるのに、ボールを投げ返す。
「ありがとー!」
「いーえ、どういたしまして」
「君いい肩してるねー!野球部入らないー!?」
「…はぁ?いや、入らねぇし」
「気が向いたら入りなよー!一緒に甲子園目指そうぜー!」
  全開の笑顔を向けて、生徒は「じゃ!」と手を振り練習へと戻って行った。
  生き生きと弾んだ後姿を呆然と見送って、大吾は頭をかいてため息をつく。
「…甲子園て正気か…」
  この学校は、どのスポーツも目覚ましい成績とは縁がないのだった。
  それでも、目指すところがないよりはあった方がいいに決まっている。
  そう、俺も目指すところがあるのだから。
  …全く健全ではないけれど。
  さっさと桐生さんのところへ行こうと思い立ち、踵を返して冬空の下、学校を後にした。

  冬が過ぎ、春が来ても毎日の生活は変わらない。
  クラス替えがあり、三年生が卒業して新入生が入ってきた、くらいの違いしかなかった。
  桐生は重要な仕事を任される事が増えたようで、留守がちになった。
  事前に予定がわかっていれば知らせてくれるようになったので、大吾は都合に合わせて社会勉強をすることにした。
  堂島組に顔を出し、下っ端構成員と茶を飲んで世間話をする。
  最初こそ恐縮されしきりに帰るよう諭されたが、抗争や事件が起こらなければ基本的に事務所内は平和である。父親が容認し、大吾が宜しくと言えば否とは言えず、毎回差し入れを持って訪ねていけばそのうち歓迎されるようになった。
「坊ちゃんはいずれここを継がれるんでしょう?」
「らしいね」
「高校出たらすぐ入られるんで?」
「大学行けって言われてるけど」
「へぇー!頭良いんですねぇ。羨ましいなぁ」
「行けたらいいけどね」
  極道世界に足を踏み入れようとする人間の大半は、のし上がる事を夢見たチンピラか、族上がりか、様々な理由でその道しか選べなかった人間だ。
  職業として就職してくる人間はまずおらず、高学歴もいるにはいるが数は少ない。
  馬鹿ばっかり、と言ってしまえば言葉は悪いが、身体を張るしか脳のない連中はたくさんいた。
  だからこそ金の稼げる奴は優遇されたし、腐るほど存在する体力自慢の中で傑出した強さを誇る事が出来る奴は尚更優遇されるのだった。
  極道について、理解をしたかった。
  己がいずれ入る世界であることはもちろんだったが、何よりも桐生一馬が「極道を体現する男」だったからだ。
  大吾はまず桐生のバックボーンを理解する所から始めた。
  桐生一馬の成り立ち。
  堂島組にいれば、育ての親ともいうべき風間組長と顔を合わせることも増えた。
  挨拶から始まり、少しずつ近況を話すようになり、距離が縮まってくると子供の特権を利用して桐生一馬について無邪気に尋ねる。
  かつて舎弟どもが桐生さんに熱く語ったように、いかに桐生さんにお世話になっているか、桐生さんのような強い男になりたいかを熱意を持って語れば、桐生の尊敬して止まない風間組長は瞳を細めて優しげに微笑んだ。かつて「東城会一の殺し屋」と呼ばれたハンターが、人の親の顔をして桐生一馬を語る。
  時間が許す限り、話をしてくれた。
  施設にいたこと、中学を卒業してこの道に入ったこと、順風満帆に見える極道人生においても、様々な苦労があったこと、今の強さがあるのは、彼の一方ならぬ努力と才能によるものであること。
  詳しい事は本人に聞きなさい、と必ずそう言いはしたけれど、質問したことに丁寧に答えてくれた。
  風間組長は立派な人物だなと、思った。
  それを柏木師匠に言えば笑って「昔はそりゃぁ恐ろしい人だったんだぞ」とほんの一部を披露してくれたりもした。「これは桐生も知らないことだ、いつか教えてやるといい」と暴露された時には「ありがとう師匠!」と拝んだものだった。
  大吾が「桐生一馬を尊敬して止まない跡取り息子」として認知されるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
  大吾を見かければ誰もが「今日は桐生さんはどこへ行ってますよ」と笑顔で教えてくれるようになり、「桐生さんが戻られたら坊ちゃんが会いたがっていたとお伝えしておきますね」と親切に言ってくれるようになった。
  桐生本人は呆れた表情で「やめろ」と言いはするのだが、本心から嫌がっているわけではないことを知っていた。
  わかるように、なっていた。
「教えてくれた方がいいじゃん。俺ずっと桐生さん家で待ち惚けくらうんだぜ」
「勝手に来て勝手に帰ってるんだろが」
「桐生さんがいねぇと寂しいじゃん」
「何だそりゃ。ガキか」
「散々ガキ扱いしておいて今更確認って、桐生さん矛盾してるぜ」
「ほ~ぉ。言うようになったじゃねぇか」
「格ゲーもそうそう負けねぇようになったし!」
「どんだけ必死に練習してんだお前…」
「そりゃするだろ!努力は惜しまねぇよ」
「…努力する所を間違ってるぜガキめ」
  劣勢になるとちょっと拗ねる。
  これは随分と気を許している相手にしか見せない一面だということを、知った。
  敵に対しては恐れを知らず、怯むことなく口上の切り返しも達者な桐生であったが、普段は口数が多いわけではなく、聞き役に回る方が多かった。
  ゲームをしながらでも大吾が喋れば、桐生はちゃんと聞いていて、必要に応じて質問もし、ツッコミもできるしボケもできた。
  …多分にボケ部分は天然であろうと思われたが、不意打ちで来るそれに大吾はその度色々なものを堪えなければならなかった。
  すげぇカッコ良くて何でもできる男なのに、その落差がたまらない。
「…桐生さんさ、天然って言われたことない?」
「何だそりゃ?ねぇよ」
「じゃぁ可愛いとか言われたことない?」
「…女に言われるのはともかく、男のそれは挑発だろ」
「え?」
  画面の中のキャラクターが、桐生の操作キャラクターに蹴られてダウンした。
「…おい、指止まってんぞ?」
「あ。…いやいやいやいや…桐生さん…」
「何だ?」
「それマジで言ってるんだよな?」
「あ?冗談で言うくだりじゃなかっただろ今のは」
「そういう所が、可愛いって言うんだぜ、桐生さん」
「…は!?」
  桐生の操作キャラクターが、大吾のキャラクターのコンボ攻撃を喰らってダウンし、体力が尽きて勝負がついた。
「桐生さん、指止まってたぜ」
「…もう一回だっ!大吾!!」
「はいはい」
  大人気ないところも、見えるようになった。
 
  俺少しは桐生さんの心の中に入ってるのかなぁ。

  手ごたえがなくはないが、桐生は自らの心の内を容易には晒さない。
  大吾は気が遠くなる程我慢していた。
  真剣な表情の桐生の横顔を盗み見、唇にキスしたいと思う。
  そのまま抱きついて押し倒したい。
  思考自体は至って健全な青少年のものだった。
  その対象が、桐生一馬であるというだけで。
「あー…俺どうしよ…」
「ん?何か言ったか」
「いや何でも、ありまっせん!」
「…?」
  怪訝な表情で一瞬見つめられたことに気づいたが、ゲームに集中しているフリをする。
  やっぱり女必要かも。後腐れなくヤれる女いねぇかな。
  …風俗?
  …うーん、風俗かぁ…。
  彼女を作るという思考はもはやない。真面目にお付き合いをしたいわけではないので、それは相手に失礼だろうと思えるようになっていた。
  それに、そういう適当なことは桐生一馬が許さない。
  風俗行けと言われるのがオチなので、そちらで考えることにする。
  ああ、桐生さんとヤれたら一番いいのに。
  でも先は長そうだった。
  いっそ真島式に抱きついて押し倒してみて、「ヤらせて!」と言ってみたらどうだろう。
  …うん、殴られる気がする。しかもボコボコに。
  せめて殴られないくらいには、懐深く潜り込む必要があるのだった。
  まだ足りない。
  もっと深く入り込まねば。
  意識がゲームから逸れ、あっさり桐生に負かされた。
「あ」
「お前集中してねぇな…やめるか」
「う、…ごめん」
「時間も時間だしな。半端に残った飲み物は飲んで帰れよ」
「ああ、わかった」
  自らも飲み残していたペットボトルを手に取りながら、「あ、それから」と付け足した。
「明日は俺いねぇからな」
「泊まり?」
「横浜だ。遅くなったら泊まるかもしれねぇ」
「ふーん。わかった。じゃ明後日来るわ」
「…お前…、いや、もういい」
「迷惑そうな顔すんなよ!嬉しいくせに!」
「言っとくけど土産なんかねぇからな。期待すんなよ?」
「中華街で肉まんでも買ってきてくれていいんだぜ」
「悠長に買い物してる暇があればな」
  では中華街か、近い場所へ行くのだなと思った。
  明確に教えてくれる事はないが、こうやってポロリと情報を漏らすのは、気を許してくれているんだろうなぁと思うと、嬉しいと同時に切なくなるのだった。


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