その瞬間を、見届けたい。

  目を覚ますと、そこは廃墟だった。
「…何でだ」
  一人がけのシンプルな木椅子に座らされ、上半身を横に傾いだ状態で目覚めた桐生は腰の痛みに顔を顰めた。長時間同じ姿勢でいた為に、筋が硬直して痛むのだったが、何故こんな所で座って寝ているのか覚えがない。
  痛む箇所を押さえながら身体を起こし、見下ろしてみるが確認したところ拘束されているわけではなかった。
  室内を見渡す。
  窓はなく、鉄製の扉が正面に一つあるだけの何もない部屋だった。コンクリート打ちっぱなしの壁は寒々しかったが特に目立つ汚れもない。中央には古びた木製のテーブルが置かれており、長方形のそれは桐生が座っている椅子とセットであると思われたが、上には何も乗ってはいない。
  天井は高く、照明は正方形の埋め込み式で、白く無機質な明かりを落としていた。
  室内に荷物と呼べるような物はなく、床もまたコンクリートであって灰色の世界に眉を顰める。
  何だここは。
  廃墟というよりは拷問部屋のようだった。
  だがそれにしては汚れもなく、生臭くもなく、血臭もない。
  拘束する為の器具の類も存在しない。
  何故己がこんな所にいるのか、思い出そうとするが何故か記憶は曖昧だった。
  逃げた方がいいのだろうか。だが、危機感はない。
  ただ不可解であった。
  サイの花屋と真島に呼び出され、闘技場で戦ってくれと頼まれた。
  真島とタイマンかと思ったがそうではなく、真島と組み、タッグマッチで参加してくれというのだった。
  新しい趣向で観客を楽しませるのだと花屋は商人の顔をして野太く笑み、真島は上機嫌な様子で「桐生チャンと共闘やなんて楽しみやなー」と言って笑っていた。
  随分と神経の昂ぶった様子でドスを振り回しながら嬉々として相手に向かって行く真島に呆れながらも、途切れることのない大歓声と喧騒は、桐生の中の闘争本能をくすぐってやまない。知らず浮かぶ笑みを押し殺し、桐生もまた戦った。
  たまに訪れる非日常は、悪くない。
  勝利の余韻覚めやらぬ様子の真島に引っ張られ、飲みに行こうと店に行き、しばらく話をした覚えはあるのだが、先の記憶は途切れていた。
「…真島の兄さんか」
  思い出して納得するが、危機感を覚えない時点で自身察しはついていた。
  だが何だこの部屋は?見覚えのない場所だった。
  外に出るべきか迷うが、ここに連れて来たのが真島なら、そのうち来るだろうという気がした。
  ガチャリと鍵を開ける音がして、まるで計ったかのように鉄製の扉が開く。
「お目覚めかな~?桐生チャーン」
「…兄さん、ここは何だ」
「おっ時間ぴったし」
「…盛りやがったのか。薬」
「ちょこっとだけな」
  素肌の上に蛇柄のジャケットを羽織り、黒の革パンツという見慣れたスタイルで鼻歌を歌いながら、歩いて来る男の手には物騒な物が握られていた。
「…おい兄さん」
「さっき言うてた、遊びをしよか桐生チャン」
「何?」
「覚えてへんか?言うてたやろ。余興や余興」
「…覚えてねぇな」
  桐生が見つめるその先で、手に持っていた物をテーブルの上に乗せ、パンツのポケットの中から小さな何かを取り出しバラバラと落とす。
  銃と弾丸だった。
「ほな再現したる。俺がな、桐生チャンにこう聞いてん。「桐生チャン殺すには何が必要や?」ってな」
「……」
  何を聞くのかこの男は。ろくでもないなと桐生は思った。
「桐生チャンはな、こう言うてん。「さぁな。死んだことがないからわからねぇ」ってな。くー!カッコエエこと言いよるで!ほんでな、考えてみたら殴り殺せるわけないやん。桐生チャンを殴り殺せる奴はおらん。ドスもな、心臓一突きしたら死ぬやろうけどな、まず桐生チャン一突きさせてくれへんやろ?」
「当たり前だ」
「やろ~?せやからな、コレやねん」
「……」
  せやからな、から続く意味がわからなかった。
  そもそもの議論内容がおかしいというのに、何故そこに結論がいくのだろう。
「すぐやしちょお待ってや」
  カチカチと金属が擦れる音を立て、カートリッジを全ての弾倉に詰める手を、桐生は眉を顰めて見やる。
  本気なのだろうか、真島は?
  全て詰め終え、六発装填式リボルバーの銃口を己のこめかみに当て、真島が愉快げに笑みを刻む。
「終わったで~桐生チャン。始めよか」
  無音の落ちる室内には二人きりであり、至近に歩み寄る真島の靴音はコンクリートに吸収されて静かだった。
  外界の音は一切入って来ていない。この部屋は、完全防音のようだった。
  なるほどこれなら銃声も外に漏れる事はあるまい。
  万が一の場合も安心というわけだった。
  全くもって、悪趣味極まる。
  逃げようと思えば逃げられるはずだったが、真島に対しその選択肢は桐生の中には存在しない。
  困惑の滲む瞳で見上げてくる桐生を間近に見下ろして、真島は隻眼を細めて笑った。
「どっちが先に死ぬか、試してみぃひんか」
「…本物は何発だ」
「あん?ダミーが一発」
「…六分の五で死ぬのか」
  呆れたため息が漏れるのは仕方がない。
  ほぼ確実に、死ぬだろう。
  先に撃った方が死ぬ。
  本気か、と問うのは愚問だった。
  真島の顔を見ればそれくらいはわかるのだった。
  口元を微妙に歪め、真島が軽く首を傾げる仕草をした。
「どないする?桐生チャン、先イくか?」
「……」
  やめろと言っても無駄だった。
  真島は、そういう人間だ。
  ここで死ぬのかと思えば走馬灯のように何かが過ぎるかと思ったが、過ぎったのは悲しげな瞳で見上げてくる少女の顔だけだった。
  あの娘を、しっかり育て上げると誓ったのに。
  だがそれもまた、瞬間で消え去った。
  耳が痛くなるほどの静寂の中、己の心の声すらも聞こえなくなり、桐生はただ真島を見上げた。
  背筋を駆け上る電流にも似た快感を覚え、真島が「たまらん」と呟いた。
「命乞いはナシなんか。さすがやな桐生チャン」
「やめろと言ったらやめるのか?」
「愚問やな」
「だよな」
  何故、とか、どうして、とか、聞きたい事はあったが聞いた所で答えを期待できるはずもない。
  命を諦めたわけではない。
  死にたいわけでもない。
  理不尽であると主張し、抵抗すれば真島は諦めるかもしれない。打ち負かし、やめろと言えばやめるだろう、おそらくは。
  だが言葉は口を飛び出す事はなく、肘掛けに置いた手は動かなかった。
  神妙な顔をして、真島が銃口を桐生の眉間に突きつける。
  撃鉄を下ろし、トリガーに指をかけた。
「桐生チャン、先イかせたるわ。…特別な?」
「……」
  変らぬ表情の桐生を見下ろし、躊躇なく引き金を引いた。

  ガチン。

「……」
「……」
  長い沈黙が落ちた。
  きょとんと隻眼を見開いた男は、眉間に突きつけていた銃口を離し、己の眼前へと持ち上げて覗き込んだ。弾倉を見、そこに確かに全てのカートリッジが詰まっていたことを確認する。異常を認められず、今度は銃を振り始めた。
  その様子を桐生は静かに見守っている。
  やがて現実を理解した男の顔が歪んだ。
  悔しそうに歯軋りをし、脱力したように銃口を下ろす。
「つまらん余興になってしもたで」
「…そんなに俺を殺してぇのか」

「殺したい」

  即答した男は姿勢を低くし、同じ目線の高さで桐生の顔を覗き込む。
  鼻が触れ合いそうな程の距離で、男は酷く真剣な表情をしていた。
  見つめ合う。
  視線の圧力にどちらも、引かない。
  桐生が小さく息を吐き、笑みの形に口角を引き上げた。
  目を細める。
「残念だったな、真島の兄さん」

「……!!」

  真島が姿勢を戻し、立ち上がった。背を向けてテーブルへと歩き出す。
  銃口をテーブル台に当て、引き金を連続して引いた。
  さして広くもないコンクリート壁の部屋に、銃声は耳を劈く大音量で響き渡り、心臓を抉る振動と爆発音に桐生は耳を塞いだ。銃口で押さえつけられたテーブルは運動の第三法則に従ってガタガタと音を立てて揺れはしたが、壊れることなく留まった。
  弾倉に残っていた五発全て撃ち尽くした後には、硝煙の臭いと静寂が落ちる。
  熱を持つリボルバーの銃口を眺めやり、呟く真島には不満が溢れていた。
「…しょーもな」
「…ろくでもねぇなぁ」
  本当に、生存確率は六分の一だったのだった。
  今更ながらに空恐ろしい気分になったが、最も恐ろしいのは躊躇なく実行してみせた目の前の男の存在だ。
「…まぁええわ。生きてる桐生チャンと、エエコトしよか」
  テーブルの上に銃を放り出し、再び近づいた男は桐生の髪を掴んで唇を寄せ、舌を出す。上唇を舐め上げていった後には噛み付かれ、痛みに呻くと今度は下唇に噛み付かれた。
  怪我をする程強くはないが、腫れる程度には痛みが走り桐生が顔を顰める。八つ当たりされても困るのだがと、言いたかった。
「兄さん…もし俺が最初の一発で死んでたら」
「あーあ。死体の桐生チャンとエエコトできるかと思たのになぁ」
「…本当に、ろくでもねぇな」
「激レアやんけ。冷たなるまで可愛がったるのになぁ」
「…冷たくなったら、おしまいなのか?」
「お、言うやん桐生チャン。そやなぁそしたら、ぐつぐつ煮込んで食うたろか。骨はすり潰して酒に混ぜて全部飲んだる」
「は、…好きにしろ」
  桐生は目を伏せ、どこまで本気なのやら読めぬ表情で笑った。
  自分の手で、殺せるものなら殺したいと、真島は思う。
  それは強さの証であると同時に、桐生への執着の強さの証明だった。
 
  ああ、アホらし。

  らしくもなく、ため息が漏れた。
  殺せないのだから、しょうがない。
  六分の一に裏切られるとは、最低な話だった。
  だがそれは必然なのだ。
  殺せない事は、最初から知っていた。
「上手くいかんなぁ。ホンマ、かなんなぁ…」
  逃げることなく、命乞いをすることなく、銃口を突きつけられてもうろたえもしないこの男には知る必要もないことだ。
  カートリッジを一つ隣にずらして眉間に撃ち込めば、桐生は死んだ。
  ドスで心臓を一突きすれば桐生は死ぬし、毒を盛れば同様に死ぬだろう。
  確実に殺せる方法などごまんと存在するし、この無防備に過ぎる「伝説の龍」など、本気になれば容易く殺せる。

  本気で殺せないから、困っているのだ。 

  己が矛盾を知っている。
  真島が見せる僅かな差分を桐生は掴む。甘さという名のかすかな希望を容赦なく、真島の身ごと抉り取る。
  この男が生き残るたびに、己は削られ食われていく。
  ああ、楽しい。
  ああ、悔しい。
  削られ骨のみになった時、己の中には一体何が残るのか。
  純粋な狂気だけが残ればいいのにと、思う。  
  掴んでいた髪を離し、顎から頬のラインをゆっくりと指先で撫でさする。
  革の滑らかな手袋は桐生の体温を伝えてはくれなかったが、絡む視線に満足する。
  この龍を殺すには、正攻法では駄目だった。
「…内から食い尽くすしかないやんなぁ」
「何だって?」
  片眉を上げて問い返す男の顎を掴んで上向かせる。
「桐生チャン、俺今傷心やねんから、慰めてくれや」
「…全くあんたは、勝手だな…」
  桐生の呆れた呟きは、真島の唇の中に吸い込まれた。
  身を穿ち、貫くだけでは足りなかった。
  全て丸呑みしてやりたいのだ。
 
  さて蛇はどの程度龍を呑み込めているのか?

「…桐生チャン、俺に殺されてもいいかなとか、思ったやろ?」
「はぁ?…殺せるもんなら、殺してみろ」
「俺の下でアンアン言うてる桐生チャンが、なんやカッコエエこと言うとるで」
「…ッ!!る、せぇ馬鹿!!黙って突っ込んでろ…っ!」

 意外と、いけてる気がした。


END
次からマトモ(!?)な兄さんが書けそうです。

龍の殺し方。

投稿ナビゲーション


Scroll Up