「海に行こう」最初で最後の夏を、君と。

 

 ジャラジャラと金属が、歩くたびに擦れて立てる音が耳障りだった。
 広く閑散とした廊下を二人分の足音と、金属の鎖が揺れて動く。
 キラと呼ばれる史上最悪の凶悪犯を逮捕するべく、東京都内にビルを構え捜査を始めてからまだそう日は経っておらず、出来たばかりのビルは新築特有の塗料の臭いと人の手によって汚されていない大部分の空虚さとに包まれていた。
 都内一等地に建つビルの値段と広さは問う気力を削ぐ程の規模であったが、現在キラ事件捜査本部として稼動する内部に出入り出来る人間は両手の指で数えて余る程度しかおらず、遊ばせているフロアと施設のなんと多いことかとビルの持ち主以外の人間は思ったものだった。
 当の持ち主本人は何を考えているのか、背中を丸めて億劫そうに無駄に広い廊下を歩く。
 その右手首には手錠が繋がれており、長さに余裕は持たせてあるものの、片方は別の人間の左手首へと伸びていた。
 常に行動を共にすることを義務とし、監視という目的で連れ回す男を相手は呆れた視線で見つつも、すでに諦めたのか何も言わずについてくる。
 ジャラジャラと歩くたびに鳴る音だけが、うるさくて仕方が無い。
「この手錠、鎖じゃなくて紐にでもしましょうか」
 呟けば、怪訝な声が返って来る。
「なんだい、急に」
「うるさいですよね、これ。紐なら音しませんし、静かでいいんじゃないかと」
「…それじゃリードみたいだな。僕は犬じゃないぞ」
「犬扱いと犯罪者扱い、どっちがいいですか?夜神くんは」
「どっちもごめんだ」
「どっちか選んでください」
「…どっちも嫌だ」
「じゃぁこのままで我慢します。うるさいですけど我慢します」
「竜崎…」
 呆れとも怒りとも取れる微妙な嘆息を洩らし、夜神月という名の現在キラ最有力候補である男は憮然と黙り込んだ。
 やがみらいと。
 自宅に監視カメラと盗聴器をしかけても証拠は見つからなかった。
 五十日間に及び監禁しても、ボロを出さなかった。
 今こうして手錠に繋いで二十四時間監視していても、己はキラではないと言い張る。
 状況として考えれば夜神月がキラであるとしか考えられないにも拘らず、証拠が出ない。自白もしない。
 「世界の切り札」とまで言わしめた己がこれほど手こずるとは、というのが探偵Lこと竜崎の素直な感想であったが、諦めてはいなかった。
 必ず証拠を挙げて、夜神月をキラとして逮捕する。
 …もし、夜神が本当にキラではないのだとしたら?と考えることも一再ではなかったが、それでも彼がキラであるという確信があった。
 夜神月がキラ。それ以外に考えようもないのだと、思っていた。
「弥もいい加減第二のキラとして自白してくれればいいのですが」
「…僕もミサも、キラじゃないって何度も言ってるだろ」
「それで物事が通るなら警察は要りませんね。それを確かめる為にこうやってうるさくて不便な思いをしながらも手錠つけてるんですから、早くはっきりするといいですね」
「…早く第三のキラを捕まえて、はっきりさせようと思ったよ今…」
「がんばりましょうね」
「…どの面下げてそんな台詞が言えるんだろうな…」
 夜神の方こそ今更何を言っているのか。
 と思ったが口には出さず、カードキーで弥の部屋を断りもせず無遠慮に開けて、足を踏み入れた。
「あっ!ライトー!来てくれたのね!」
「ミサ…」
 竜崎の存在など眼中にないかのように月に飛びついたミサを横目で見つつ、竜崎はソファへと近づき床に転がった先程までミサが読んでいた雑誌を拾い上げた。
「…水着特集?」
「あっ!ちょっと勝手に見ないでよ竜崎さん!えっち!」
「…えっち…」
 言われ慣れない単語に呆然とする竜崎から雑誌を取り上げ、ミサは月に向き直って水着特集のページを広げて見せた。
「ライト!ライトはこの中でどの水着が好き?私、どんなのが似合う?」
「えーっと…」
「私ね!私これがカワイイと思うんだけどー、ライトはどう思う?これカワイくない?今年はねー、こーゆー露出の高い水着が流行なの!ミサに似合うと思わない?」
「ミサさん胸がないから露出しても色気がないような…」
「竜崎さんうるさいよ。黙ってて」
「……」
 横から口を挟む竜崎を一蹴して、ミサは再び月に向き合う。
「ねね、ライトどう?ダメかな?」
「いいんじゃないかな…似合うと思うよ…」
「ホント?やったー!じゃぁコレ買う!買って着るから、一緒に海行こうよ!」
「え、海?」
「うん!」
「海…」
 呟いて月は視線を泳がせたが、視線の先の竜崎はやはりというべきか、渋い顔をして頭を振った。
「竜崎」
「ダメですよ。コレどうするんですか。コレつけたまま海行く気ですか?羞恥プレイがお好きとは知りませんでした」
「…そう言うと思ったよ」
 ジャラジャラとこれみよがしに目線の高さまで手首を持ち上げ鎖を見せ付ける竜崎に、月は諦めの溜息をついた。
「…無理みたいだな、ミサ。諦めろ」
「えー!せっかくの夏!新しい水着!カッコイイ彼氏がいるのに、海に行けないってありえない!」
「行くならお一人でどうぞ。あ、松田はつけますから一人じゃないですけど」
「マッツーと海行って何が楽しいのよー!竜崎さんのバカぁー!」
「なんとでも。とにかく月くんの外出は禁止です。必然的に私まで外出するハメになるのでごめんです」
「引きこもりー!ヒッキー!ヒッキー!ニート!」
「…ニートではありませんよ。月くんこの人何とかしてください」
「……」
「海行きたいー!ライトと一緒にデートしたいよー!」
 疲れたように脱力する月の腕を掴んで駄々をこねるミサは、これで日本のトップアイドルだというのだから世の中はわからない。
 海外ブランドの高い調度品を蹴倒さんばかりの勢いで暴れるミサに辟易し、竜崎は月に非難がましい視線を投げた。
 彼女を調教するのは彼氏の役目とでも言いたげに。
「…ミサ、キラを捕まえるまでは仕方が無いってことはわかるだろ…」
 無言の圧力に屈したわけではなかろうが、月はやる気のない口調でミサを諌める。
 いい加減疲れている様子が見え見えだった。
「さすがに僕も外には出たいが、手錠に繋がれたまま出るのはイヤだ」
「外してくれればいいのに!竜崎さんのケチ!」
「ケチとか言う問題じゃありません。もっと頭使ってくださいミサさん」
「あっそれミサのことバカって言ってる!ムカつく!」
「ソレが理解できて、何故外出がダメだということが理解できないんでしょうか…理解できません」
 二人の間に挟まれる形になった月は、逃げ出したい衝動を堪えて竜崎に向き直った。
「外出が無理なのはわかった。でも多少気分転換できるようなものを何か、考えてくれないか?僕もミサもキラ逮捕の為に可能な限り協力しているし、ミサもこれでもかなり我慢していると思う…よ…」
 語尾が小さくなったのは自信がないからか。
 月の腕にしがみついて大きく頷くミサを見、たいして期待もしていなさそうな月の表情を見て「わかりました」と呟いた。
「外出は無理ですが、このビルの室内プール使っていいですよ。使えるように準備させましょう」
「うわ、ここプールあるのっ?すっごーい!」
「そんなものまであるのか、このビル…」
「ぬかりはありません」
「いや、キラ事件の捜査をしていてプールで遊ぶ日は来ないだろ普通…」
「残念ながら、来てしまいましたねそんな日が」
「……」
 まとまりのない黒髪を無造作に弄びながら竜崎は唇を尖らせた。
「キラ事件が終わったらこのビルは用無しになりますし、その時には企業にでもくれてやろうかと思ってたので」
 色々設備は整ってます。
「立地条件もいいしな…」
「なかなかないですよ、こんな好物件」
 感心したのか呆れきったのか判別しかねる表情で呟く月に平然と返してみせて、竜崎はミサへと顔を向けた。
「で、いつがいいんです?」
「え…と、水着買ってからだからー…二、三日後くらい?」
「わかりました。ではそろそろ戻りますよ月くん」
「え、ああ…」
「ライトー!水着楽しみにしててねー!」
 ジャラジャラと鎖の音を引きずって、ミサの部屋を出た竜崎は捜査本部として稼動しているフロアではなく、最上階へと向かうエレベーターへと乗り込んだ。
 月は連れられるままに共に乗り込み、滑らかに動き出すエレベーターが上昇して行く様子をじっと見つめる。
「室内プールは、最上階か」
「まぁ、お約束ですね。今は水入ってませんが、眺めはいいですよ」
「へぇ~…ホントにプールあるんだな…」
「今更何を言ってるんですか。そんな嘘ついても何の得にもなりませんよ」
「まぁ…そうだね」
「しかし意外です」
「何が?」
 上昇に従って変わって行く文字盤を見ながら竜崎は唇を摘んで弄ぶ。子供じみた仕草だったが、頭は常に忙しく働いていることを月はよく知っていた。
 竜崎には奇行が目立つ。
 体育座りで椅子に座り、暇があれば菓子を摘み、外見には無頓着、他人に対しても無頓着。猫背で歩き、目の下には隈が浮き出て消えることはない。
 奇妙な風貌も行動も、「世界一の探偵」という称号を持って見れば納得がいくというのも奇妙な話だったが、事実この男は有能で優秀な探偵であった。
 その男は現在もっぱらキラにその情熱の全てを捧げているようだった。
 キラと目され手錠で繋がれている自分は、疑いを晴らす為にも大人しく竜崎に従うしかなく、積極的に協力することで疑いを晴らそうとしていた。
 自分はキラではない。
 キラであった記憶もない。
 何度そう言っても、竜崎は信じない。
 ならば他にどんな方法があるというのか、逃れる術があるのなら教えて欲しいくらいだった。
 そんな月の内面を知るはずもなく、揺れもなく静かに止まったエレベーターから降り、竜崎はしばし考える素振りを見せた。
「…夜神くんが気分転換を望むなんて。しかも、海に行きたいと言い出すとは想像外でした」
「僕も、室内プールとはいえお許しが出るとは思わなかったよ、竜崎」
「夜神くんが望んだので」
「…親切のつもりかい?」
「いえ、キラとしての行動が垣間見れるかと」
「見れないよ」
「…そうですか…」
 即答した月に対して適当に答える竜崎は、予想通りとでも言わんばかりに溜息をついた。
 キラではないと言い張る夜神月。
 キラであった記憶もないと言い張る夜神月。
 
 お前がキラであるはずなのに。

 演技をしているのかと、今もまだ疑っている。
 キラの能力は人へ渡っていくと仮説を立てたものの、未だ夜神月がキラで、それを隠しているという考えも捨ててはいなかった。
 キラは必ず捕まえる。
 夜神を監禁してから現われた第三のキラを捕らえれば、キラの能力の秘密は暴けるはずだった。
 第三のキラは頭が悪い。
 キラの能力を知り、夜神が殺人を行っていた事を証明することは、それほど難しくはなくなるだろう。
「ホントに室内プールだな、竜崎…」
 ガラス扉を押しあけて中に足を踏み入れれば、二十五メートルが6レーン、小規模ではあるが確かに室内プールだった。
 水が入っていればもっと涼し気に移ったかもしれないが、それでも最上階から見下ろす景色と白と青を基調とした室内とが、不思議と落ち着いて調和していた。
「まぁ、専門施設ではないのでこの程度で十分でしょう」
 全面ガラス張りの壁面へ近付いて地上を眺めやりながら、竜崎は不満げに呟いた。
「…いや、立派だと思うよ。ホテルについてる室内プールもこれくらいだろうし、泳げるんだから十分だ」
「泳げないプールはただの水たまりですしね」
「…ところで竜崎は泳げるのかい?」
「…一応、一通りは」
「へぇー!竜崎が泳ぐところは想像出来ないな。次来たら泳いでみせてくれ」
「…いやですよ。手錠したままでどうやって泳ぐっていうんですか」
「ああ…、やっぱりプールでも手錠はしたままなんだな…」
「当然です。手錠を外す日がくるとすれば、キラが捕まって完全に月くんの容疑が晴れるか、月くんがキラとして捕まるかのどっちかです」
「…僕への容疑を晴らして、外してもらうよ」
「そうですか」
 竜崎はまた、予想通りと言わんばかりの表情で頷いた。
 信用の欠片もないその態度に、さすがに月も不快になる。
「…竜崎は僕の友達というわりには容赦がないよな」
 不満を漏らせば、首を傾げて見つめ返された。
「夜神くんは私の初めての友人ですが、キラとなると話は別です」
 水のないプールは空虚で閑散としており、広い空間に響く声は反響することもなく吸い込まれて手ごたえがなかった。
 竜崎が言う「友人」という言葉も、空虚で全く手ごたえがない。
 自分が言う「友人」という言葉も、違和感に満ちて空虚だった。
 ラだと思っていながら「友人」と言える竜崎の神経が月にはわからなかったし、自分をキラ扱いする竜崎をなぜ「友人」と呼ぶのかもわからなかった。
 監禁から解放される以前の記憶はところどころ曖昧で、もしかしたらその曖昧な部分に答えがあるのかもしれなかったが、曖昧になる程度の記憶と感情で「友情」が築けるとは到底思えなかった。
 竜崎と自分が使う「友人」とはなんて表面的で説得力に欠けるのだろうかと、月は今さらながらに気がついた。
「…そういえば、なんで友達になったんだっけ?僕達」
 特に考えもなく出た言葉は取り返しようもなく、はっとした時にはLと呼ばれる世界の探偵が容疑者を見るような目で自分を見ていた。
「…怖い顔してるぞ、竜崎」
「…おかしなことを言いますね、夜神くん」
 至近に顔を寄せて見上げる探偵は、猫背の分だけ自分よりも視線が低い。人差し指を唇に当てる仕草は人を馬鹿にしているようにも、挑戦的にも見えた。
「忘れてしまったんですか?記憶力のいい貴方が」
 失言を悔いても遅い。
 舌打ちしたい衝動を堪えて、月は己の記憶をフル稼働する。
「…僕をキラ候補と見ていると言ってお前が近づいてきたんだよな?」
「テニスをしましたね」
「テストをすると言って、キラかどうか確かめた」
「一緒に授業を受けましたね」
「捜査本部に出入りすることが出来るようになっても、お前は僕をキラ候補から外さなかった」
「夜神くんは友人ですから。辛かったです」
「……」
 辛かった様子も見せず淡々と語る男の口調に、月は眉を顰めた。
 友人を犯罪者として疑う、ということ自体が理解し難いのだと、この男はわからないのだろうか。
「…監禁してくれと言って来たのは夜神くんですよ?」
 心外だとでも言いたげに、竜崎は首を傾げた。
「僕がキラかもしれないとは言ったが、監禁してくれと言った覚えはない」
「同じことですよ。夜神くんがキラなら二十四時間監視して確かめる必要があった」
「……」
「殺害方法を知る必要があった」
「……」
「…でも監禁してしばらくしたら、貴方はキラではなくなっていた」
「…僕はキラじゃない」
「その急激な思考の変化こそ、貴方がキラであった証拠ですよ」
「…あの時の僕は…ミサが捕まったと聞いて、どうかしてしまったんだ」
「友人だと思っていたのに」
「竜崎」
 月は溜息をついた。
「今までの展開で、なんで友人と言えるのかが疑問だよ、僕は。それに今は友人ではないとでも言いたげだな、竜崎?」
「いえ、それでもやっぱり夜神くんはキラで、大切な友人だと思っています」
「矛盾してるだろ…」
「矛盾してるのは夜神くんの方です」
 静まり返った室内は、がらんとしていて寒々しい。
 窓の外から入ってくる陽光は暖かいのに、二人の間に流れる空気のなんと冷たいことだろうか。
 水のないプールのように、乾ききって空虚だった。
「…今の夜神くんはただの友人ですが」
 静かに語られる平坦な声は、何故か月の心に突き刺さる。
「監禁前までの夜神くんとは、命を賭けたゲームが出来る敵でした」
 何故残念そうに言うのか、竜崎の心はわからなかった。
 そして友人と言われるよりも、敵と言われる方が馴染む己もわからない。
「…その過去形も気になるが、お前はキラとのゲームがしたいんだな」 
「そうですね。今まで出会った人間の中で、最も嫌いな人間ですから」
 勝ちたかったんです。
 とても頭がいいのに、犯罪に走ったキラに。
 馬鹿みたいにプライドが高くて、傲慢なキラに。
 己の正義を信じて疑わない、哀れなキラに。
「勝ちたかったんです」
「…竜崎そっくりだね、キラって」
「そうですね、私は犯罪には走りませんが」
 同族嫌悪というやつでしょうかね。
 呟く竜崎は笑っていた。
 
 キモチワルイ。

「…僕とは似てないね、竜崎も、キラも」
 僕は犯罪には走らない。
 僕は傲慢ではない。
 僕は己の正義のみに固執したりはしない。
「似てないよ、竜崎。僕はキラじゃない」
 キモチワルイ。
 何故僕がキラだなんて思うんだろう。
 状況を見れば僕がキラである確率が高いのかもしれなかったが、僕はキラではないのだ。
 けれど、そんな月を竜崎は鼻で笑い飛ばす。
「以前の夜神くんは私そっくりでしたよ。今は毒が抜けてしまってますが」
「…毒って…」
「その毒がキラの能力なのか記憶なのかはわかりませんが、ソレが夜神くんをキラたらしめていたのだとすれば残念な話です」
「……」
「…早く、戻ってくるといいですね」
 待ちわびているとでも言うのか、うっとりと両目を細めて見つめてくる漆黒の瞳が月の心の奥底まで覗き込んでくるようで、月は一歩後ろに引いた。
 竜崎は、月を見ているようで月を見てはいない。
 キラという幻想を月の上に見て、月をキラにしようとしている。
 気持ち悪かった。
 同時に悲しく、憤りを感じる。
 自分がキラではないと証明するためにはキラを捕まえねばならず、キラを捕まえるまでは己がキラかもしれない、と疑いの目をいつまでも向けられねばならず、己を「キラではない夜神月」として竜崎に認識させるには己以外のキラが必要で、今現在人殺しを行っているキラは最初のキラではない。
 竜崎が捜しているのは最初のキラであり、最初のキラを捕まえない限り自分への疑いが晴れることは無いのだ。
「…キラを、捕まえればわかることだ」
「…そうですね」
 もう見飽きてしまった竜崎のどうでもよさげな表情に、ますます憤りは大きくなる。
 
 いっそ本当にキラであったら良かったのに。

 命を賭けたゲームをする気はないけれど、自分がキラであったなら、竜崎といい勝負ができる気がした。
 今の自分は竜崎と争う理由がないからしないが。
 …自分がキラであったなら。
 
 所々曖昧に抜けた記憶と思考の狭間に、自分がキラであったなら。

 馬鹿馬鹿しい仮定に、苦笑が洩れた。
 自分がキラであったなら。
 今こんな失態を演じているのは、Lに負けたことになるのではないかと。
 キラだと疑われ、手錠で繋がれている時点でキラは負けているだろうと思う。
 否、もしくは本当に後々キラの能力を戻す為の作戦として今記憶を失っているのだとしたら。
 負けてはいない事になるのだろうか。
「そろそろ本部に戻りましょうか。暗くなってきました」
「…ああ」

 本当に、自分はキラではないのだろうか。

 キラであった記憶などない。
 キラであったと思いたくもない。
 キラは悪だ。
 自分がそんな恥ずべき行為をしていたなどと、思いたくはない。

 だが、世界一の探偵が疑う僕は。

 ジャラジャラと金属の鎖が歩くたびに音を立てた。
 竜崎は僕がキラであることを望んでいる。
 友人だと言うくせに、命を賭けたゲームをやりたいのだそうだ。
 それほどに僕を、キラのことを評価している竜崎の思考はわかるようで、わからなかった。
 自分の方が優秀であると証明したいのだろうか。
 「勝ちたい」と竜崎は言った。
 プライドが高く傲慢なのは、竜崎もキラも同じ。
 似た者同士で潰しあい。
 気持ち悪かった。
 
 僕がキラであったなら。
 キラの記憶はどこへ行ったの。
 
 僕がキラであったなら。
 いつか記憶は戻ってくるのだろうか。
 その時僕は、どうするのだろう。
 竜崎の背中を見る。
 白いシャツにジーパン。見慣れた格好の猫背な男は、どうするのだろう。

「竜崎」
「はい」
「…僕はキラじゃないよ」
「そうですか」
 …きっと、喜ぶのかもしれなかった。

 自分がキラでは無かった時の夢を見る。
 自分がキラであったときの夢を見る。
 どちらも竜崎の存在からは離れられない気がして、月は諦めの溜息をついた。
 キラが死ぬか、竜崎が死ぬかしか、選択の余地はない気がする。

 僕はいつ、自由になれるのだろう。
 左手首にかかる手錠が、重かった。
 
「全て片付いたら、プールじゃなくて海へ行きたいな」
「手錠が外れれば、夜神くんは自由ですよ」
「そうだね。早くキラを捕まえないと」
「…そうですね」
 手錠が外れるということは、キラが捕まるか竜崎が死ぬかした時だということだ。
 わからないはずもあるまいに、ここに来てもやはり竜崎の声に変化は無い。
「…その時には、一緒に海に行って泳ごうか」
 竜崎が振り返る。
「…そうですね」
 
 初めて、楽しそうに笑った。

 竜崎の心理はよくわからない。
 月はそう思うけれど、不快ではなかった。

 

 

 

 

 僕は竜崎のことは、嫌いではない。
 僕がキラでなければいいのに、と、この時改めて思ったのだった。

 

 

 もう、左手にかかる手錠もなければ、その先に繋がれた相手もいない今になって、思い出す。

 そう、僕は竜崎のことは、嫌いではなかったのだ。
 命を賭けたゲームは、終わった。
 僕は、自由になった。

 

 

 海へ一緒に行くこともなく。

  お前が、消えた。


END

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