今日くらい、ワガママ言ったっていいじゃない。

 闇の機関の一員であることを象徴する黒いコートの裾が風に煽られ翻る。高い位置から見下ろすその顔は、逆光のせいでよく見えなかった。石でできた城壁は高く、己の脚力と能力をもってしても上まで届きそうにないことに、ソラは内心歯噛みする。
 ハートレスやノーバディを使って、キングダムハーツを意のままにしようとする機関は倒さなければならない敵であった。
 たくさんの人を傷つけ、危険に陥れ、そしてキーブレードを持つ自分を付け狙う者達を放置することはできない。
 降りて来い、とソラは叫んだが、フードを目深に被った者は答えることなくその場に佇み、ただキーブレードの所有者を無言で見下ろすだけだった。
 もどかしさに城壁の真下まで駆け寄って飛び上がってみるが、手は縁にかかることなく滑り落ちた。
 降りて来い、と再び叫ぶ。
 ブリザドの魔法を放てば、相手に当たることなく空に消えた。
 置物のように動かない相手だが魔法を食らう気はないらしく、僅かに身を動かし難なく魔法をかわすその技量は計り知れなかった。
 相手に敵意は感じられないが、かといって機関に属する者である以上好意的であるはずもなく、なんら語ることのないその姿に苛立ちばかりが募って行く。
 何なんだよ、とソラが言う。
 何か用があるんじゃないのかよ!
 戦わないなら、何でじっと見てるんだよ!
 言いたいことがあるなら言えよ!
 
 一方的にまくし立てても、相手は何も語らない。
 高い城壁の上に立ち、緩やかにコートを靡かせながらソラを見下ろす。

 ただソラを、見ている。

 その場に行けないもどかしさと、何も語られない苛立ちと、届かない無力感に耐え切れず、ソラは手にしたキーブレードを相手に向かって投げつけた。
 
 何にもしないなら、消えろ。
 見てるだけなら、お前なんていらない。

 無造作に投げたキーブレードは動かない男のフードを掠め、空に消えて再びソラの手の中に戻る。
 未だキーブレードの所有者である証を認めてソラは満足し、フードを掠めた黒コートの存在を見上げて息を呑んだ。
 
 何で。

 絶句し瞳を見開いたソラの前で、相手はフードを頭から落とした姿を晒す。
 褐色の髪が風に揺られ、柔らかに流れた。
 額に走る一条の傷は見知ったもの。
 見下ろす蒼の瞳も、それはとてもよく知るもので。
 感情の見えない静かな表情で見下ろす整った顔は見間違えようはずもない。

 何で。

 無意識に一歩前に出る。

 イヤだ。

 城壁に手をついて、遥か上に立つ男を見上げる。
 手を伸ばし、男に手を取って欲しいと願うが、男は見下ろすだけで手を伸ばしてはくれなかった。
 この距離がもどかしい。
 何で。
 俺に何も言ってくれないの。

「…レオン…!」
 
 己の叫び声で、目が覚めた。

 
 

 いてもたってもいられずに向かったホロウバスティオンの街は常と変わらぬ様相で、ソラは拍子抜けすると同時に安堵した。変な夢を見てしまったせいで、レオンやこの街に何か起こったんじゃないかと心配になったのだったが、杞憂に終わりそうだった。
 通い慣れた道を歩き、魔法使いの家へと向かう。
「いい所に来たな、ソラ」
 恐る恐るドアを開け、中にいた人物と目が合った瞬間笑顔で迎えられ、ソラはその場に固まった。
「…どうした?」 
 首を傾げて窺うように尋ねられ、我に返る。
「あれ、ソラ来たんだ!ナイスタイミング!」
「祈り、通じたね。良かった」
「おぅソラ。今日はおめぇの日だぜ。お祝いしような」
 再建委員会の面々が口々に意味不明なことを言っているが、ソラの耳には入らなかった。
 じっと一人を見つめる。
 夢の中で拒絶されたその人を。
 ソラが見つめていることに気づいた男は、怪訝な表情を隠しもせずに、だが小さく微笑んだ。
「ソラが来ればいいな、という話を今していた。ちょうど良かった」
「…俺、来て良かった?」
「?当然だろう」
「俺、来て嬉しい?」
「ああ、…ソラ?」
「俺も嬉しい!良かったレオンーッ!!」
 いつもと変わらぬレオンの腰に、力いっぱい抱きついた。
 事態が理解できずに呆然とするメンバー達のことなど、視界から消えていた。
 現実のレオンは会話が出来るし、触れることも出来るし、拒絶しない。
 これって幸せなことだったんだ、とソラはしみじみ実感したのだった。
 

 

「端午の節句?」
「そう、5月5日はこどもの日。男の子の厄除けと健康祈願のお祝い、する日なの」
「へぇ~。…でも俺、子供じゃないよ」
 エアリスに説明される今日という行事のことは興味深かったが、こどもの日と聞いて興味は半減した。15にもなってこどもの日でお祝いされても複雑なだけだったが、控えめに抗議するにとどまったのは、ソラの健康を祈ってくれるその気持ちが有難かったからだ。
「柏餅、ちまき、たけのこ、カツオ、菖蒲…縁起物全部そろえてみたよ!ソラが来なかったらレオンの端午の節句になるとこだったから、ホント良かったよ~」
「え、レオンの!?」
「…何で俺が今更祝われなきゃならないんだ…」
「だってこの中で男の子ってレオンしかいないし~。クラウド呼んで二人?」
「俺達はとっくに男の子って年齢じゃないぞ、ユフィ」
「だよねぇ。だからソラ来てくれて良かった!世界の為に頑張ってるソラを祝えて良かった!」
「…うん、ありがと」
 純粋に自分のことを考えてくれている人達の気持ちが、嬉しかった。
「鯉幟はさすがに用意出来なかったのが残念だね~!来年ソラが来るなら用意しとこっか、レオン?」
「…小さな子供じゃないんだから、そこまではいらないんじゃないか」
「えぇ~!ソラ、鯉幟いるよねぇ?」
「鯉幟って何?」
 ソラが聞き返せば、ユフィも一緒になって聞き返した。
「鯉幟って何?レオン?」
「…子供の立身出世の象徴として、鯉の形を模した幟を家の外に立てる。真鯉・緋鯉・青鯉の3種そろって立てるのが慣わしだな」
 面倒な説明を押しつけてくるユフィに溜息をついてみせて、レオンは簡単に説明してやった。
「…だって、ソラ。出世したいなら鯉幟立てなきゃ!」
「うーん。別に出世しなくていいからいらないや」
「ソラって無欲!」
「そんなことないけど」
 しばらく姿を消していたエアリスが戻ってきて、円卓に料理を並べ始めた。
 出世魚やカツオなど、縁起物中心で作られたそれらは色彩も鮮やかにソラの空腹を刺激する。
「もうすぐ料理できるから、ソラ、食べていって、ね?」
「うん、ありがとエアリス!腹減ってたんだー」
「あとでちまきとか柏餅もあるからね!」
「うん、食べる!」
 大勢で食卓を囲むなど、どれくらいぶりのことだろうか。
 家族と離れ離れになってから。
 リクやカイリと離れ離れになってから。
 ドナルドやグーフィーが一緒だったから寂しくはなかったけれど、こうやって大勢の人と食卓を囲んで暖かい会話に花を咲かせる日が再びやって来るなんて、胸が温かいもので満たされていくのを感じる。
 早くこんな生活が当たり前になればいいのに。
 皆が笑って暮らせる日が、早く来ればいいのに。
 隣に座ったレオンを見上げて思う。

 ずっとこんな毎日が続けばいいのに。

 エアリスが作ってくれた料理は美味しかった。
 あっという間に平らげて、楽しい時間は終わりを告げる。
 外はもう真っ暗だった。
「ソラ、今日は泊まって行くの?」
「あーどうしよう。帰ろうかな。泊まるとこないし」
 さらりとユフィに切り出され、帰る時刻であることを知らされたソラは、寂しさを抱えながらも暇を告げるが、さらに返されたユフィの言葉に驚いた。
「それならレオンの部屋に泊めてもらいなね。ハイこれ、菖蒲」
「えっ…ていうか、何この菖蒲?」
「何この菖蒲?レオン?」
「…ユフィお前な…」
 疲れたように額に手を当てたレオンは、だが面倒くさそうにしながらも律儀に説明をする。
「強い解毒作用があって薬草としても使われる菖蒲は本来酒にして飲まれていたが、最近は風呂に入れて菖蒲湯として使うらしいな」
「へぇぇ~!物知りだね、レオン!」
「昨日調べてたもんね、レオン」
「…料理とか縁起物とか調べろといったのはそっちだろ!」
「も~、怒らないでよレオン!調べるのとかって私ら苦手でさ~!」
 感嘆の声を上げたソラを茶化すようなユフィに、レオンは本気で疲れたようだった。
 レオンの部屋に泊まることについては否定も肯定もされていない為、ソラが窺うようにレオンを見れば、返答の必要を感じたのか「何もない部屋で良ければどうぞ」と呟いた。

 レオンの部屋に泊まれる。

「…泊まる!俺レオンの部屋に行く!」
「ああ…どうぞ」
「今すぐ行こう!早く行こう!」
 立ち上がった際に勢いのあまり椅子を倒しかけたが、そんなことに頓着する余裕はなかった。レオンの手を取り、レオンの気が変わらないうちに部屋に押しかけてしまいたかった。
「早く、レオン!」 
「ちょっと待て、そんな急がなくても部屋は逃げないぞ」
「部屋は逃げなくてもレオンが逃げたら意味がない!」
「何で俺が逃げるんだ?」
「いいからー早く!レオンの部屋見せて!俺に!すぐに!」
「おいソラ…」
 無理矢理立ち上がらせ、渡された菖蒲の袋を掴んで出口へ向かう。
「ごちそうさまでした!すごく美味しかった!おやすみなさい!」 
「おやすみ、ソラ。いい夢を!」
「ありがとう!今日はいい夢見れそうな気がする!」
 レオンが一緒なら、きっとあんな哀しい夢は見ない。
 レオンが自分から離れてしまわないように、手首を掴んで引き寄せた。
 もっと自分の背が高かったなら腕を組む格好になっていたはずのそれは、自分の背が足りないばかりにレオンの腕に縋りついているようにしか見えないのが残念だった。
「ハートレス達が襲ってきたら戦えないぞ、これじゃ」
「平気!俺が戦うから」 
「いやそうじゃなくて…」
「俺、レオンより強くなるからな!」
「…ほう」
「レオンよりおっきくなるからな!」
「…それは楽しみだ」
 溜息混じりに笑われて不服に頬を膨らませたが、不快ではなかった。
 話しかけたら返してくれる。
 見つめたら見つめ返してくれる。
 触れようと思えば、触れられる。
 夢の中で苛まれた無力感とは無縁の現実は、幸せだった。
 もしあの夢が現実になる日が来るようだったら、その時は。
 自分の心がどうなってしまうのか、想像も出来なかった。
 レオンがXⅢ機関であることなどありえない。
 ソラが求めているのに、何も返してくれないなど、ありえない。
 
 …どれだけ頑張っても、レオンに届かないなんて、あってはならない。

 そう、レオンに届かないなんて、あってはならないのだ。
 夜道を歩きながら、ソラはレオンの手首を掴む腕に力を込めた。
「レオン」
「?」
「風呂一緒に入ろうね!」
「…は?」
「一緒に寝ようね!」
「……」
「一緒じゃなきゃヤだからね!」
「子供か?」
「子供でいいよ。だから一緒に風呂入って寝る!」
「……」
 強硬な主張に、これといって強く拒絶する理由も見つからないが、何故だか素直に了承するのは気が進まずレオンはしばし沈黙する。
 それをどう受け取ったのか、ソラはとんでもないことを言った。
「あ、心配しなくても何にもしないからね!」
「……」
 何にもって、何だ。
 一瞬思考が飛んだが、ソラは気づかずなお言い募る。
「やっぱさ、俺もっとおっきくならないとダメだと思うんだよね。ああでもレオンの身体色々触ってみたいかもしれないけど、でも…」
「…一人で入って、一人で寝ろ」
「えぇー!!ヤダよ!レオンのいじわる!何で腕放そうとすんだよー!」
 ソラの腕の中から手首を無理矢理引き抜こうとするが必死で止められ、あまりの必死さにレオンは呆れて溜息を一つ。
「子供に性教育をさせてやる気はない」
「せ…って、レオンのえっち!あ、でもそれイイかも!」
「カエレ」
「ヤダー!!じゃぁ教育してくれてもイイよ!レオンおにーさま!」
「断る」
「ワガママ!レオン、ワガママ!何にもしないから一緒に風呂入るー!一緒に寝るー!」
「どっちがワガママだ!…ああもう、近所迷惑になるから叫ぶな」
「…一緒に入る?一緒に寝る?」
 上目遣いで可愛らしく媚びて見せる子供に思わず舌打ちをしたくなった。
 了承するまでここからテコでも動かないだろうし、駄々をこね続けるだろうと思うと頭痛がする。
「…わかった、わかったからさっさと歩け」
「…やった!」
 本気で拒絶する気があるならそのまま捨て置けばいいものを、レオンは自身の甘さに辟易する。
 結局の所、ソラを嫌えるはずもないのだ。
 純粋に向けられる好意を否定することはできなかったし、するつもりもないのだった。
「俺、絶対レオンよりおっきくなるからね」
 おっきくなってどうしようというのか、尋ねるのは恐ろしかったので聞こえないふりをした。
「早くオトナになりたいなー」
「……」
 このワガママな子供がどんな大人になるのか、レオンには想像もつかない。
「俺、レオンのこと好きだからね!」
「…そうか」
 ソラのワガママを受け入れた時点で、もはやレオンの選択肢はなくなった。
 将来的にはどうか知らないが、今ソラが幸せで安らかでいられるのならいいかと思うことにした。
「菖蒲湯ってどんなんだろうね」
「…身体にいいらしいぞ」
「へぇ~」
 生返事を返すレオンに不満はあるが、現状これ以上を望みようもないソラには、それを表に出すことは出来なかった。
 黒いコートで冷たく見下ろすレオンの夢は、おそらく不安の裏返し。
 レオンが強いから。
 レオンが大人だから。
 早く追いつきたくて、焦る心が生んだもの。
 
 俺がレオンを好きでい続けること。
 大人になりたいと願い続けること。
 強くなりたいと思い続けること。
 
 俺が頑張れば、きっと夢の中のレオンにも届く日が来る。
 手を伸ばせば届くくらいに。
 手を、掴んでもらえるくらいに。

 レオンの大きな手が、自分のそれと同じ位になる日まで。
 俺はずっと、願い続ける。


END
こどもの日=ソラの日。

朱夏

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