あいつは俺の全てを持っている。

  黄昏の街と呼ばれる大都市は、日の浮き沈みのない文字通り一年中黄昏に支配された街だった。朝も昼も夜もいつも同じ空は、その下で生きる人々にとっては何の変哲もない、代わり映えのしない風景の一部でしかない。夕焼けが美しいとされるサンセットヒルや、ハイネ達お気に入りの時計塔の上からみる眺めでさえも、それは至極当然にあるものを愛でている感覚に過ぎないのだと、ある日ロクサスは気づいてしまった。
 時計塔からみる浮世離れした儚い景色が好きだった。
 雲を黄金に染めて沈み行く太陽は輪郭を淡くし、橙から紅、紫紺へと微妙なグラデーションを描きながら煌く様を見るのが、好きだった。
 それは刻々と変化し、やがて漆黒の闇に閉ざされて行く前の瞬間の輝きであるのだという認識があるからこそ生まれる感慨であって、変化のない景色しか知らぬハイネ達と共有できる感動ではなくなっていることに、気づくことは戸惑いと恐怖を生んだ。
 自分は、夜明けの太陽を知っている。
 自分は、ジリジリと肌を焦がす熱い中天の太陽を知っている。
 自分は、闇に閉ざされた空にぽっかりと浮かぶ黄金の月を知っている。
 …何もない、闇のみの空をも知っている。

 この街で生まれ育ってきたはずなのに。

 それは己の記憶から来るものなのか、夢の中の少年が知っている記憶なのか判然としなかったけれど、夢の中の少年―ソラと言った―は、晴れ渡った雲ひとつない大空の下、小さな島で友人と飛び回り、日が暮れるまで駆けずり回りながら元気に遊んでいるのだった。
 踏みしめる砂浜は熱せられて肌を焼く程に熱いのに、裸足で平然と駆ける感覚はあらゆる束縛から解放された自由で楽しいものだった。
 ソラは幸せだった。
 何故こんな夢を見るのか、ロクサスは知らない。
 夢の中でソラと呼ばれ、見知らぬ友人達とたわいもない話で笑い合い、走り回り、外の世界へ行きたいと望む。
 いつかこのイカダで外の世界へ行ったら、どうする?何をする?何を思う?
 毎日映画のようなストーリー仕立てのそれを、延々と鑑賞するのは奇妙な既視感と羨望とでもって受け入れた。ソラという一人の少年の人生を追う物語は詳細で生温く、そして波乱に満ちていた。
 人間一人の生き様は、酷く重い。
 同時に気づく。
 自分が生きてきた記憶の、なんと曖昧であることか。
「…サス、アイス溶けちゃうよ?」
「あーぁ、アイス落ちたー!」
「…あ」
「オイオイ、何かボーっとしてるなロクサス?悩み事か?」 
「…いや」
 この街で生きてきた自分は、友人にも恵まれ何不自由のない生活をしているはずだった。平坦な毎日を退屈しながら過ごし、ちょっとした冒険と、スリルを求めて仲間とつるむ、何の変哲もない少年の一人であるはずだった。
 何の疑問も持たずに過ごしてきたし、これからもずっとこの毎日が続いて行くのだと信じていた。
「俺、ここにいていいのかな」 
「…はぁ?」 
 ソラという少年の記憶―まさに記憶だ―を自分の頭の中で再生されているような生々しく現実的な感覚は、まるで自分の方が夢ではないのかと思うほどに鮮明だ。
「最近、俺の周りで変な事件起きてるし…」
「気にするなよ、ロクサス。何かあっても、俺達皆で解決していこう。友達だろ!」
「そうだよ、ロクサス」
「うんうん、僕達友達でしょ!」
「ハイネ、オレット、ピンツ…ありがと…」
 ここにいる自分と友人達の存在は本物なのだと、確かめるように頷いた。
 黄昏の太陽だけが、変わることなくロクサスを照らしている。

 

「レオン!」
 夢の中でソラが呼ぶ。
 鍵穴を閉じて欲しいとレオンは言った。
 肩まで届く褐色の髪と蒼穹の瞳を持ち、額に一筋の傷が印象的な長身の男は、その端正な顔に憂いを宿してキーブレードの所有者へとアドバイスをくれる。
 大人の男だった。
 そして心に痛みを抱えている男だった。
 強いのに、優しいのに、どうしてそんなに悲しそうな瞳をするの。
 俺が頼りないから?とソラが言う。
 キーブレードに選ばれて災難だったな、と男が言う。 
 ソラは見知らぬ街に迷い込んでいた。
 親しい少女との別れ。
 親しい少年との別れ。
 最近ロクサスの回りに現れ始めた不可解な生き物にも共通する異質な存在に襲われた島は形をなくし、闇に飲み込まれていった。放り出された別世界で、一人彷徨い歩いていた所をレオンに拾われたのだった。
 離れ離れになってしまった友人を探しに行くことを決意し、キーブレードという剣を使って敵を倒し、世界の中心へと続くと言う鍵穴を塞ぐ役割を負ったソラは仲間と共に旅に出る。
「レオン」
 どれだけ声をかけても、彼は必要最低限の事しか話してはくれない。
 視線は、滅多に合わなかった。
 色々な世界を旅して、敵と戦い強くなっていくソラを確認するように視線を落とし、成長して行く姿に瞳を細めることはあれども、笑いかけてくれたことすらなかった。
 ソラがその時最も必要としている情報やアイテムをくれるくせに、心を見せない男にソラは焦れる。
「俺は今まで、友達になれなかった人はいないんだからな!」
 不平たらたらに言えば、ドナルドやグーフィーにそれは子供っぽい我侭だと顔を見合わされて笑われた。
 ソラと呼ばれ、共に冒険をしているような感覚に陥りながらもロクサスも思う。
 レオンはちゃんとソラの事を考えてくれているのに。
 笑いかけたり、たくさん話をしてくれるだけが親愛の示し方ではないだろうに。
 レオンなりに、ソラを甘やかしすぎないよう、きちんと自分の足で立って強く、生き抜いていけるよう細心の注意を払っている事がわかるのは、ロクサスが第三者だからなのだろうか。
「…あんたはちゃんと、ソラの事考えてるのにな」
 その証拠にホラ、たまに合う目線はちゃんと優しい。
 それに気づけないソラは、まだまだ子供なのだろうと思った。
 強くなってレオンに認めてもらいたいソラは、ちょくちょくレオンの元へ行く。
 出会った人達、戦った敵、行った世界の出来事を話しながら、レオンに自分を見てもらおうとするソラの姿は必死でもあり、微笑ましくもあった。
 いつも元気に訪ねて来るソラに、一見そっけない態度を取りながらも、それでもないがしろにすることもなく最後まで話を聞くレオンは、十分優しいとロクサスは思う。
 そしてレオンの言葉や態度に一喜一憂するソラが向ける感情は単純な羨望や憧憬のようでいて、複雑に絡み合った理解しがたい様々の感情に満たされていることを知った。
 自分を見てもらいたい。
 自分を認めてもらいたい。
 親しくなりたい。
 好きになってもらいたい。
「…馬鹿だな、ソラ」 
 レオンはちゃんとお前のことを見ているし、認めているし、ちゃんと好きでいてくれているのに。
 そんなことにも気づけないなんて。

 …俺がお前だったら。

 もっと上手くやれるのに。
 レオンが実在する人物であるのなら。
 ソラよりもっと素直に、もっと早く、レオンと親しくなってみせるのに。

「ええー?俺の事忘れちゃったの?しょうがないなぁ…じゃぁヒント!最初の名前はソ!」
 
 夢の少女と現実で繋がった瞬間、ソラもレオンも実在するのだと理解したロクサスの胸に去来したのは―…哀しみだった。
 俺がソラだったら、レオンに好きになってもらえるのに。
 ソラが実在するなら、俺の入る余地がないじゃないか。
 俺は世界を渡る術を知らない。
 仮に世界を行き来できたとしても、キーブレードの所有者でなければ。
 …キーブレード。
 ロクサスを「主人」と呼んだ白い生き物達を相手にするとき、手に現れる鍵状の武器はキーブレードと呼ばれるものに酷似していた。
 何故自分がそれを使えるのか、知らない。
 アクセルという赤毛の男が、何故自分をどこかへ連れて行こうとするのかも、知らない。
 幽霊屋敷で会った少女は自分を「存在してはいけない者」だと言った。
 知るのが怖い。
 知ってはいけない。
 夢は夢のままでいいじゃないか。
 ソラは夢の中の住人で、いいじゃないか。
 友人を探して旅をし、レオンに憧れる少年で、いいじゃないか。
 何故それを現実に持って来ようとするの。
 それが何故、自分に関係するの。
 何故、どうして。
 望まなくとも、強制的に夢は進む。
 リクの裏切り。
 カイリという少女の抜け殻。
 アンセムという、リクの心の中に入り込んだ心だけの存在。
 ハートレス。心無き者。
「やったな、ソラ」
 レオンが微笑う。
 蒼い瞳を細めて、綺麗に微笑う。
 再生されるだけの記憶の流れであるはずなのに、胸が痛くて仕方がない。
 どうしてその笑みを向けられるのが、俺じゃないんだろう。
 ソラは喜びを隠し切れない様子で、笑う。

 どうして俺は、俺のままでお前になれないんだろう。

 キーブレードを持っているのに。
 おそらく、世界を渡ろうと思えばすぐにもレオンに会いにいけるだろうに。
 こんなに鮮明にソラの記憶を持っていても、俺はソラではない。
 ロクサスは、ソラにはなれない。
 なれないんだ。
 レオンに認めてもらえたのは、ソラ。
 レオンに笑いかけてもらえたのは、ソラ。
 ロクサスではない。
 どうして、俺はお前ではないのだろう。
 キーブレードが使えるのに、どうしてお前だけがレオンに笑いかけてもらえるんだろう。

「俺は、もう一人のお前なのに」 
 
 現実という名の虚飾が剥がれ落ちる音がした。
「存在してはいけない、だなんて」 
 じゃぁどうして俺は生まれたの。
 どうして俺は生きてるの。
 こんなに、苦しいのに。
 こんなに、かなしいのに。

 ニセモノ、だなんて。

 「心が繋がっていれば、いつかまた巡り会える」とエアリスが言った。
 ソラとして夢の中を生きた自分の心は、どこへ行けばいいの。
 たくさんの人に会い、たくさんのことを感じたこの心は、いらないというの?

 ソラだけがいればいい?

 ソラから分かたれてXⅢ機関として生きた短い間、自分の心は曖昧で存在は心もとなかった。
 通常のノーバディの発生とは違い、ハートレス化したソラは己の身体を取り戻した。
 半端に分かたれた自分にソラであった頃の記憶はなく、心もなかった。
 ソラの欠片でしかない自分。
 半端に生まれた自分は、今やっとソラという人間の記憶と心を手に入れたのに、手放さなければならないの?

 ソラだけが、いればいいというの。

 「生まれ変わったらまた会おう」
 赤毛の男は諦観を滲ませた口調でそう言って、消えていった。
 アクセル。
 自分の親友だった男。

 俺が俺でなくなるということ。
 アクセルのことを知らない俺になるということ。
 俺のことを知らない人になるということ。
 生まれ変わる。
 ソラになる。
 それは恐怖だ。
 
 どうして俺は俺のままでいられないんだろう。
 ソラが、俺であったら良かったのに。
 俺が、ソラになるのではなく。

「ソラ」
 夢の中のレオンが微笑う。
 ソラが望んだように。
 心が痛い。
 ないはずの心が痛むのは、ソラの記憶と心を持っているからか。
「…なんだ、ノーバディでも、泣けるんじゃん…」 
 ソラが眠るポットの前で、ロクサスは泣いた。
 床に落ちる透明な雫は止め処なく、瞳から零れていった。
 ソラが大切にしていたものは、ロクサスも愛しい。
 ソラが好きだった人達は、ロクサスも愛しい。
 
「レオン」

 やっとまともに視線が合うようになった蒼の瞳は真っ直ぐで美しかった。
 もっと、レオンのことを知りたかった。
 もっと、親しくなりたかった。
 
 俺が、ソラであったなら。

「…俺、ホントに消えちゃうんだな」 
 ソラが知らない、ロクサスがロクサスとして出会った人達を思い出す。
 ソラが出会った人達のことを俺は知っているけれど、俺が出会った人達のことをお前は知らない。
 
 俺の事も、お前は知らない。

 このままお前が目覚めて、また再び冒険をするのだとしても。
 レオンに会うのだとしても。
 
 俺が何を思ったかなんて、教えてやらない。
 もっと上手くやればレオンと親しくなれるのに、なんて、教えてやらない。
 ジレンマを抱えて、一人不器用に生きていけ。

 お前は俺が欲しかった全てを持っているけれど、俺の事はお前には教えてやらない。

 俺からは、何一つ教えてやらない。
 このままお前に吸収されて全部消えてしまうのだとしても。
 俺という痕跡が一つも残らないのだとしても。
 
 お前が大切にしている人を俺も大切に想っていたのだという記憶だけは、渡さない。

「俺の夏休み、終わっちゃった」

 この黄昏の街で過ごした記憶は、俺のもの。
 XⅢ機関として過ごした闇の記憶も、俺のもの。
 
 お前には、渡さない。

 それだけが、俺が生きたと言う証。
 あの蒼の瞳が例え俺を見なくとも。
 俺のことを知らなくても。
 俺だけは、知っているから。

 またいつか、巡りあう日まで。
 さようなら、愛しい人達。

 

 生まれ変われるものならば、…次は俺として生まれたい。
 他の誰でもない、俺に。


END

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