雨に、撃たれる。

「あっクラウドじゃん」
「クラウド、起きたんだね。ゆっくり眠れた?」
「…ああ」
 中途半端な眠りから覚めた後、再び眠る気をなくし、気分転換の為に外の空気を吸おうと歩いていた所をユフィとエアリスに呼び止められ、クラウドは振り返る。
 魔法使いの家から城へと向かおうとしていたのか、二人して両手いっぱいに分厚い本を抱えて歩いている様子に怪訝に眉を顰めていると、ユフィが頬を膨らませてどんどん近づき、抱えていた本をクラウドに突きつけた。
「…??」
「かよわい女の子が大荷物持ってたら、何も言わずに手伝うのが男ってモンだ!」
「かよわい…?」 
「いいから、さっさと持って歩く!ホラホラ!」
「……」
 勢いに飲まれて大人しく本を受け取ったクラウドは、諦めてエアリスの本も受け取ろうと視線を向けるが緩やかに首を振って断られ、クラウドが見ている前で持っていた半分をユフィに渡し、クラウドの横を通り過ぎる。
「ありがと、クラウド。半分持ってくれるだけで、助かる」
 にこやかに微笑んで、不満そうな色を滲ませるユフィを宥めながら通路を歩く。二人の後ろについて行きながら、クラウドは抱えた本を見下ろし、統一された表装と背表紙の本達に見覚えがあることに気がついた。
「これ、研究施設に持って行くのか?」
「ううん、書庫の方。シドが読みたいって言った本をレオンが持ち運んで来てくれてたんだけど、シドは自分で返しに行かないしレオンは忙しくて暇がないし、そしたらこんなに本、溜まっちゃった」
 吐息混じりに言いながらも、エアリスの口調にシドやレオンを責める色はない。仕方ないなぁ、と言わんばかりの苦笑は、温かさに満ちていた。
「…持ってきた本人に返しに行かせればいいのに」
「ホントはね、これの倍、あったの。半分はレオンがちゃんと返しに行ったんだよ。これもね、置いといてくれていい、って言ってたんだけど、ちょうど私とユフィ、手が空いたから」
「そそ、まぁたまにはレオンの手伝いしてやってもいいかなぁ~ってね」
「レオンの仕事、私達で手伝えることなんてほとんどないから。出来ることは手伝いたいし、ね?」
 それで何も関係ないはずの自分が手伝わされてる意味がわからないんだが、と、クラウドは言いたかったが言葉に出しては別のことを言った。
「あいつは今何やってるんだ?」
「レオン?…さっきまではシドと、街の防衛システム強化プログラムについて話してた、かな。それが終わったら、城上層階の調査と改築作業の打ち合わせ」
「へぇ…色々やってるんだな」
 感心して呟けば、何故かユフィが「そうだよ」と胸を張った。
「一応レオンがリーダーだからね~!そういやあの城ってさ、どうすんの?もうアンセム博士っていないよね?住む人いないんじゃ、改築しても意味ないんじゃないの?」
「まだはっきり決まってないみたいね。新しい街の指導者の住居になるかもしれないし、一般に開放して新しい施設にしてもいい、って言ってた」
「まだハートレス、い~っぱいいるんでしょ?」
「うん。全部倒して、完全に安全だとわからないとなかなか作業も進まないね。今はお城より、街の方が優先だし、ね」
「魔法とかでさ~、こう、パパッと街とか作れればいいのにねぇ」
「出来たら楽なのにねぇ」
 再建委員会のメンバーや街の人間が復興に力を注いでいても、未だこの街の完全な復活には時間がかかることに、クラウドは破壊されつくしたダメージの深さを知った。
 見上げれば、かつては美しく輝ける庭と呼ばれたこの街の象徴とも言うべき城の、見る影もない様相が哀れを誘う。壁が破壊され内装が露出した部分や、風雨に晒され薄汚れた窓や壁の色は手入れもされずに放置されたままであり、城内へ入るにも崩れ落ちた瓦礫の山をかきわけ、隅に積み重ねて進まねばならず、クレーンや大型機械が通った後の道筋は完成されているが、深部へ行けば闇の支配から解放されたのみで手付かずの危険地帯がまだまだ広がっているのだった。
 城改築の優先順位は低い。
 誰も住まず、闇の者共が蠢いているからだった。
 資料として使える1、2階の書庫は優先的に安全確保されたものの、その他の部分の調査は遅々として進まない、とエアリスは言う。
 ハートレス達を駆逐できる人間は限られている上、完全に消滅させる為にはキーブレードが必要だったからだ。
 対処療法で暇が出来れば調査の名目で再建委員会がハートレス駆除に乗り出してはいたが、いかんせん人手が足りず城の内部まで手が回らないのが実情で、闇からの解放は少しずつ、じれったい程緩やかな速度で行われているのだった。
 街中にすら闇の者達は出現するのだから、闇の城として使われていたこの城の内部は想像するに難くない。
「あと何年かかるかわからないけど、それでもやっと、私達の手に街、戻ってきたんだもの。ゆっくりでも再建、頑張らないと、ね?」
 前向きに生きる彼女達の笑顔は何者にも染まらず美しいとクラウドは思う。
 自分の生き方を決めて進む強さと信念がそこにはあり、その思いは少しずつでも確実に実を結びつつあることが窺えるのは、素直に喜ばしいと同時に羨ましくもあった。
「机の上に本、置いておいてね。片付けは私達がやるから。クラウド、手伝ってくれてありがとね」
 木製の重厚な扉を押し開けて、エアリスは振り返る。たいしたことをしたわけではないので、感謝されても返す言葉も見つからず曖昧に頷いたクラウドを見て、ユフィは本を抱えたまま肩で器用にクラウドの背中を小突いてみせた。
「ついでに上行ってさ~、レオンと一緒にハートレス共、ぶっ倒して来てよ!そしたらレオンも助かるし、うちらの街、早く復興できるかも」
「…俺が?」
「ユフィったら」
「だってさ、せっかく強いんだからさ、その力使わないともったいないよ。腐るぞ?」
「……」
「ホラホラ、行った行った!本はもらう。置いてって。この街にいる使えるヤツは親でも使えってね!」
 この少女は一体どのような教育を施されてきたのかと呆気に取られたクラウドとエアリスだったが、彼女に悪気がないことはその笑顔からよくわかった。
 エアリスは苦笑を零し、クラウドに労わりの視線を向ける。
「クラウドは自分のやりたいこと、やればいいと思うよ。だから気にしないで、ね」
 自分のやりたいこと。
「……」 
 自分がやろうとしていること。
 ユフィとともに本の片付けに入ったエアリスの背中は、クラウドに何も求めてはいなかった。
 何も責めてはいなかった。
 この街に戻ってきてから彼女は常に自分の考えを尊重してくれていたことを知っていた。
 街の再建を手伝えと言われたことも無ければ、宛てもなくセフィロスを捜して彷徨っていることに呆れた様子も見せず、決着をつけたいと願い続けていることを理解してくれ、見守ってくれていた。
 ユフィはずけずけと一見無神経にも思える発言をするが、間違ったことは言っていない。
 それは一つの選択肢であり、ともすれば狭くなりがちなクラウドの視野を広げる意味を持っている。本人にそんなつもりはないのかもしれなかったが、彼女達には感謝していた。
 強い彼女達の言葉は、時に鋭くクラウドの心に刺さるが、不快な痛みではなかった。
 闇に沈みそうな弱い自分に、彼女達の光は強すぎるけれど。
 全て決着をつけた後にはきっと、それを当然と受け入れられる日が来るはずだった。
 セフィロスを殺せば、全てから解放されるはずなのだ。

 

 (…本当に、殺せるの?)

 

 

 浮かんだ言葉を即座に肯定することは、何故だかできなかった。

 電気もなければ魔法の力で明かりを灯されることもない城の上層部は、日が落ちれば真の闇に閉ざされる。夜は闇に生きる者達が最も活発化する時間であり、余程の酔狂でもなければ夜に出歩く人間はいない。
 未だ日は高かったが、調査には時間がかかる。出来ることならさっさと済ませて戻りたいとレオンは望んでおり、魔女の手から解放されて以来足を踏み入れていない場所へ踏み込むのは、獲物に飢えるハートレス達を触発する行為に等しく、気が重くなったとしても仕方のないことだった。
 仕事だからやるけれど。
 この街がホロウバスティオンだからやるけれど。
 …ここはあまりに敵が多すぎる。
 そして、広すぎた。
 ガンブレードを抱え直し、慎重に歩を進める。
 今日一日で何体敵を斬り捨てたことか、もはや数えることを放棄するくらいには戦っており、いい加減疲れてもいる。
 キーブレードに選ばれし少年はハートレス1000体斬りをやってのけたと嬉しそうに語ってくれたが、あの若さと強さには感心するばかりだった。
 体力はまだ衰えていないはずだが、衰えたのは精神か。
 日々忙殺され効率重視の思考に切り替わったのはいつからだったかもはや思い出せないけれど、1000体倒す前にもっと別の方法を探すだろう自分は、やはり若さゆえの勢いや無鉄砲さからは卒業してしまったのだと思うことは何故だか寂寥を伴った。
 いつまでも子供ではいられない状況が、そうさせたことに後悔はなかったが。
 だが今、延々と先の見えない戦闘を強いられる現状は苦痛でしかなく、いっそソラに代わって欲しいとすら瞬間思う。ソラは頼めばイヤとも言わずにやってくれるだろうし、闇の者達を完全に葬り去るにはどの道キーブレードの力が必要であったのだが、安易に人に任せてしまうことはあまりに無責任で、そんな考えがよぎることすら自己嫌悪の対象だ。
 これは自分が望んで行っていることなのに。
 ワンフロアの半分を調査・駆除するだけで数時間。
「…いい加減うんざりだ…」
 孤独で不毛にも思える作業を続けていれば気分も塞ぐ。
 ハートレス達との戦闘など、楽しくもなければやりがいもない。ストレス解消を通り越してストレスの原因になったのでは意味もない。
「やっと見つけた。…この城広すぎだな。迷った」
 大きく溜息をついたところで、聞き覚えのある声を投げられレオンは背後の階段を振り返った。
「…クラウド?何してる」
「まだ何もしてない」
 城の奥で人に会うとは思いも寄らなかった為、意外な思いで見つめれば人を食った返答をされ、言葉に詰まる。
「…訂正しよう。何しにここへ?」
「迷子」
「……」
 言葉に詰まるどころか言葉を失くしたレオンをどう思ったのか、クラウドは僅かに首を竦めて見せて、そのまま階段を登りきる。レオンに並び、平然とした表情の中にも疲労の色を隠しきれない様子を見て取って、言葉を選ぶ。
「…訂正しよう。散歩」
「…散歩で命を落とすハメにならないといいけどな」
「誰に向かって言ってんの?」
 大剣を構えて無造作に歩き出す金髪の後姿に呆れた溜息を投げて、レオンも再び剣を握り直す。
「迷子のお知らせはできないからな。はぐれたら自力で戻ってくれ」
「寂しがって泣かれても責任取らないぞ」
「それは俺の台詞だろ…ちょっと待て。そっちはまだ調査してない。あちこち傷んでるから無用心に歩くな」
 気負った様子も見せずにどんどん先を進むクラウドに警告するが、遅かった。
 ビシ、と床に亀裂が入る。
 え、と思った瞬間にはクラウドの足元半径3メートル程が陥没した。

「「あ」」

 二人同時に声を上げたが、轟音と共に落ちて行くクラウドに成す術もなく、レオンは呆然とその場に立ち尽くしたのだった。


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