忘れないで。

  懐かしい歌が聴こえる。
  当時一大現象を巻き起こした流行歌は、シンガーの爽やかでありながらも切々と歌い上げるずば抜けた歌唱力とメロディーによって、心に残るラブソングとして有名だった。
  そのシンガーが属するグループが送り出す楽曲は、一度聴いたら忘れられない印象的なものが多く、誰もが熱狂した。
  平和で幸せの象徴とも言える時代の歌は、街が闇に包まれ壊された際に全て消え去り、人々の心の奥底へと仕舞いこまれてしまっていたはずだった。
  日々生き延びることに心血を注ぎ、いつかあの街に帰ること、平和で幸せだったあの時代へ還ることを夢見て人々は生きていた。
  その歌を聴いたのは、一体何年ぶりだろう。
  意識の覚醒と共にクラウドは目を開けた。
  周囲の気配を窺ってみるが、人がいる様子はない。
  夢だったのかと思いながら、寝起きの頭を軽く振る。
  アンセムの研究施設のデスクの上、広げた分厚い本の上に突っ伏してクラウドは寝ていた。
  貴重な資料を傷つけるなと口うるさく言われていることを思い出し、急いで上半身を起こし本の状態を確かめてみるが、体重をかけて寝ていた為ついた開き癖はすでに直しようがない程くっきりとついており、ばたんと閉じれば該当ページが膨らんでいた。
「……」
  無言で、本棚に戻す。
  左右に隙間なく本を詰めて並べ、押し花の要領で押し続ければそのうち直るんじゃないかと淡い期待を寄せながら、しゃがみこみ本の取り出し加減や並び順に不自然が出ないよう、隣の本棚からも本を数冊移動させた。該当の本を真ん中に置き圧をかける。
  一列ぎっしり本の並んだ棚を、顎に手をやり満足げに見やりながら一つ頷き、クラウドは腰を上げた。
  重要なのは、この本の癖が直るまで、アイツにバレないようにすることだった。
  この棚だけ抜けもなく詰まっている、という違和感にはこの際目を瞑ることにする。
  いや、いっそこの周辺に本を集め、目的を拡散させると言う手もあるか。
  時間はかかるし非常に面倒くさいが、やってみてもいいかもしれない。
  小首を傾げて考え込むクラウドの肩に、黒のグローブの嵌った右手が乗せられた。

「…クラウド・ストライフ。一体何をやらかした?」

 子供がイタズラをバレないように隠すのにも似たわかり易すぎるカモフラージュに、気づかない人間がいたら教えて欲しいくらいだった。
「…レ、レオン…お前いつの間に…!」
  完成しなかったカモフラージュを惜しいと思いながらも、クラウドは焦る。背後から感じる不穏な気配に振り返ることはできなかった。
「…クラウド、俺の目を見て、何をしたか報告しろ」
「…怒らないと約束するなら」
「それは内容次第だ」
  ちらりと首だけ巡らせれば、レオンの口元には優しげな笑みが浮かんでいたが、目は笑っていなかった。
  素早く思考を巡らせ、クラウドは肩に乗ったままのレオンの手首を掴んで振り返る。
「…本を開きすぎて痕がついたから戻そうと思っただけだ」
  素直に白状すると、レオンは眉を顰めて半眼になった。
  あ、怒った。
  が、勝算はあった。
「…資料は大事にしろと言ってるだろう」
「破ったわけじゃないし、紙を折り曲げたわけでもない。飲み物食べ物で汚したりもしていない」
「そんなことは論外だ」
  おそらくそんなことをしようものなら殴られるだけでは済まされまい。
  今回は、痕がついただけだ。
  ちょっと、そのページが開きやすくなっただけだ。
  本棚を一瞥し、レオンは仕方がないと言ってため息を吐いた。クラウドの意図を、察したようだった。
「…これで戻ればいいけどな」
「きっと戻る」
「何を根拠に…まぁいい、俺は戻る」
  未だ眉を顰めたままのレオンは掴まれた手首に気づいて離せと目で訴えた。
「そういえばお前、いつからいた?」
  手首を離してやりながら問えば、呆れたような視線が返る。
「お前が来る前からいる。奥で色々作業をしていた」
「…気づかなかったな…」
「集中したかったからな」
  それはすなわち、気配を消して邪魔が入らないようにしていたということだった。
  ハートレスやノーバディが徘徊するこの場所までわざわざ来て、本や奥のコンピューターに用がある人間など限られていた。
「……」
  邪魔扱いされたのは、俺か。
  気分が悪い。
  今度はクラウドの眉が寄った。 
  目の前で不機嫌になる男を気にした様子もなく、レオンは扉に手をかける。
  クラウドもまた、無言でレオンの後ろについて歩いた。
「本はもういいのか?」
「飽きた」
「…そうか」
  クラウドの行動に逐一口を挟んだりはしない。
  立ち去るというのならば、好きにすればいいのだった。
  行く手に立ち塞がるハートレスの相手をする為に、武器を構える。
「…そういえば」
  隣に並んで同じく武器を構えたクラウドが、何かを思い出したように呟いた。
「何だ?」
  聞き返した分、反応が遅れた。
  先に飛び出したクラウドは無造作に突っ込んで、ハートレスを蹴散らし始める。大剣を一閃すれば、数匹の敵が吹っ飛ばされて床に転がり消えて行った。打ち下ろせば潰された敵がまた同じように消えていく。
「……」
  何だコイツ、嫌がらせか?
  見守る形になってしまい、後からでも戦いに加わるべきかと思うが、考え直す。
  レオンは武器を下ろし、クラウドが蹴散らしながら空けてくれる通路を進む。
  楽でいい。
  せっかく戦ってくれるというのだ、好意に甘えて自分は体力を温存しよう。
  仕事はまだまだ山積みで、やらなければならないことは腐るほどあるのだった。
「いいご身分だな!」
  まとめて仕留めながら投げられる皮肉に答える声には、笑みが滲む。
「身体がなまらないように、しっかり戦っておけよ」
「上から言われる筋合いはないぞ!」
  また一匹、片付ける。
  さしたる苦労もなく数を減らして行く黒衣の背中に、声をかけた。
「で、何を言おうとした?」
「この状況で聞くのかよ!」
「自分で言い出したくせに」
  舌打ちが聞こえたが、剣を振るう手は止まらない。
なぎ払い、ひと段落した所でクラウドが大剣を地面に突き刺し振り向いた。
「…さっき、歌ってたか?俺が寝てる間」
「俺が?」
「…いや、いい」
  首を傾げて笑うレオンの表情が何を言わんとしているのかは読み取れなかった。
  仮にレオンが歌っていたのだとしたら、もう一度聴いてみたいとは思ったが頼んだとして歌ってくれるとは思えなかった。
  そもそも、気のせいかもしれないし。
  あれはおそらく夢だろう、きっとそうに違いない。
  何でもないと前に向き直り、大股で進んで行くクラウドに、レオンは肩を竦めてみせた。

 

 城を出た所で別れ、レオンは再建員会本部へと戻っていった。
  まだ日は高く、やるべき仕事が残っているのだと言った。
  普段人口密度の高い街中に出向くことはあまりなかったが、今日は何故だか人ごみに埋もれたかった。
  日中は人の往来も活発であり、商店街は店主がかける客引きの声と客の笑い声とで溢れ返っている。
  ぶつからないようすり抜けて歩くのも一苦労だったが、この雑踏が今は何故だか落ち着いた。
  これだけの人がいるのに、知り合いがいない。
  誰もが見知らぬ他人であり、誰も己のことを気にかけない。
  売る側と買う側、この空間は二つの空気で満たされており、一体感から疎外される感覚にクラウドは安堵する。
  一人なのに、一人ではなかった。
  一人ではないのに、一人だった。
  広場に佇み、周囲を見渡す。
  色鮮やかな野菜や果物を籠いっぱいに積み置いた店で、何かを手に取りながら店主と談笑する主婦がいる。
  アクセサリを扱う店で、商品に顔を寄せて吟味しながらじっと動かない男がいる。
  小物や何に使うのかわからない金具までを壁一面に取り揃えたカラフルな店の前では、子供から少女まで笑みで顔を輝かせながら、あれでもないこれでもないと一つ一つを手にとっては忙しなく隣にいる友人と思しき同年代と話していた。
  様々な店があり、様々な人がいる。
  未だ復興途中とは思えぬほどに、ここにいる人々は活気に満ち溢れて明るかった。
  明日があることを信じ、街がかつての輝きを取り戻す日を確信しているかのような強さが見えた。
  商店街の向こうでは、大型機械が休むことなく働いている。
  この街は、希望に満ちて生きているのだ。
  己は全く何にも貢献していないというのに、この中にいることが誇らしい。
  この街にいて、良かったと思う。
  隔絶された存在感を味わうには、十分だった。
  今は、それでいい。
  必ずこの街に、帰ってくる。
  いつか、全てが終わったら。
「…ん?」
  ずっと人いきれの絶える事がなかった人気店が、一瞬人の波が割れたことで店の看板が露になった。
  何の店だか前を通りかかっても人垣のせいで中が見えずにいたのだが、何の店かを理解する。
  理解すると同時に、人だかりが絶えない理由も理解した。
  ああなるほど、懐かしいと思い、気づいたら無意識に足が向いていた。
  人垣をかきわけ…る程の情熱はなかったが、隙間を縫って商品の前に立つ。
  目の前に陳列されたそれを、手に取った。
「…あれ、クラウド?」
  店から出た所で声をかけてきた女の声は、驚きに満ちていた。
  それはそうだろう、滅多に街中にいることのない存在が、人だかりの店の中から袋に入れられた商品を手に出てきたのだから。
「…エアリス」
  髪を一つにまとめ、リボンで結んだ優しげな顔は忘れようもなかった。
  出来ることなら誰にも見つかりたくはなかったのだが、見つかってしまったものは仕方がない。
  …仕方がないが、この街で面と向かって会いたくない人物というのは少なからず存在する。
  過去を知るエアリスはその筆頭であり、未だに街をうろつく己の不甲斐なさを会う度痛感するので、可能な限り早く立ち去りたかった。
  視線を逸らし、背を向けようとするクラウドをエアリスは止めない。
  応援するから、と言ったのだ。
  クラウド自身が納得するまで、邪魔をする気はなかった。
「こんな所で会うなんて珍しい、ね?…そうそう、何だか夕方から雷雨になるかもって。…風邪引かないように、気をつけて」
  傘いる?と聞いてみるが、クラウドは首を振って遠慮した。
  空を見上げれば、雲は多いものの雨が降りそうな気配はない。
  必要な物の買出しに来たというエアリスに別れを告げて、クラウドは人々でごった返す商店街から立ち去った。
  中心部から一歩離れれば、未だにハートレスが我が物顔で闊歩する路地や通路はいくらでも存在する。
  放置しておいても良かったが、掃除をしておけば当分の間は沸いて出ない。
  再建委員会の仕事として主にレオンやユフィが請け負うそれを、積極的にではないものの、通りすがりに倒すくらいはしておいてやってもいいかと思う。
  ひとしきり通路を掃除し終わった頃には、身体に纏わりつく湿気と独特の土の匂いが鼻を掠めた。
「…げ」
  空を見れば、先ほどまで晴れていたのに今や真っ黒く水分を多量に含んだ分厚い雲に覆われて、遥か向こうでは遠雷が轟いている。
  手に持った袋を見下ろし、眉を寄せて唸る。
  濡れるのはごめんだった。
  買った物を庇うように抱え込みながら、降る前に安全な場所へ移動しようとクラウドは走るのだった。


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