騒がしい気配が近づいてきたと思えば、扉の向こうではしゃぐ声がする。
鍵を開ける音と、扉を開ける音。
暑いよー!と疲れきった声を上げて部屋へ上がりこんでくる少年の声には聞き覚えがあった。リビングに通じる扉を開けて、無遠慮に踏み込んでくる。
「ふわー部屋すずしー!…ってあれ、何でクラウドがいるの?」
本来ここは無人であるはずなのに、部屋に入れば空調が効いて非常に快適であることに驚いた少年が視線を彷徨わせれば、ソファで寝転がる男に気づいて声をかけた。
避暑、と簡潔に答えてみせる金髪は顔を向けることもしない。少年は怪訝に眉を顰めてみせた。
「えぇ?ちょっと意味わかんないんだけど…」
「そうか」
何故人様の家に勝手に上がりこんでいるのか?とか、どうやって上がりこんだのか?とか、避暑ならここでなくても良かったんじゃないの?とか、色々な意味を込めて問うたものの、返される言葉はそっけない。会話をする気がない明らかな様子に戸惑う。少年は邪険に扱われることには慣れていなかった。言葉を捜し、相手が乗ってきそうな話題を出してみる。
「えーっと、セフィロス見つかった?」
「まだ」
「うぅ…レオン、いいの?」
お手上げ状態で助けを求めれば、後から入ってきたこの部屋の正当な持ち主はため息を一つ漏らし、首を振った。
「ソラ、そいつは放っておいていい」
酷い言われようだったがソラは納得し、ソファの上でだらしなく足を伸ばして惰眠を貪っている男はちらりと顔を上げた。レオンと目が合い、意味するところを汲み取って再び枕にしている肘掛へと倒れこむ。
「大人しくしているならいてもいい」、明確なお許しを得てクラウドはそのまま昼寝を決め込んだ。元々許しがあろうがなかろうが好きにするし、そもそも出て行けと力ずくで追い出された記憶もなかったので、一度居座ったらこっちのものだ。
「そうする。あ、レオン買ってきたアイス溶けかけてるよ!ちょっと冷やしといて後で食べよう!」
「先に冷たい飲み物でも淹れようか。コップと氷を用意する」
「新製品に惹かれて買っちゃったけど、これただのオレンジジュースだよな?」
「飲んでみればわかる。注いでおいてくれ。アイスは…冷やしておくか。忘れずに食って帰れよ」
「うん。あっストローもね!ストロー!お上品にちびちび飲むのが最近の俺のジャスティス!」
「…意味がわからんが…好きに使え」
「レオンの分もね。あーと、クラウドの分もいるの?コップ三つあるけど。寝てるっぽいよ?」
「淹れてやれば勝手に飲む」
「ふーん?まぁいいけど」
釈然としない様子のソラだったが、レオンに言われて大人しくコップにジュースを注いでいるようだった。
近づいてくる気配がしたので目を開ければ、ローテーブルの上にストローの刺さった氷入りのジュースがコースターと共に置かれる。
「クラウドどーぞ」
「…どーも」
どこか不満気な少年の表情に内心で苦笑する。
子供の感情はわかりやすかった。
レオンを独占できると思っていたら、邪魔者が我が物顔で居座っていたという所か。
知ったことではなかった。
形ばかり礼をいい、身体を起こす。
レオンの元に戻った子供が、手持ちの鞄から教科書と筆記具を引っ張り出してダイニングテーブルの上に並べていた。
「先生、よろしくお願いします!」
「…まずは自分でやってからだ」
「ええー!先生ひどい…っ」
「酷くない。一から十まで教えてたらお前の身につかないぞ」
宿題か、課題か。
勉強が苦手らしい少年が頭を抱えて唸る。
「手取り足取りオネガイシマス!」
「…わからない所は白紙で置いておいていい。できる所からやりなさい」
「うぅ…っ先生厳しいな…」
「授業で取ったノートを見ながらやるといい。教科書は俺が見る。…今どこまで進んでるんだ?」
「えーとね…」
向かいに座ったレオンが教科書を開き、少年が立ち上がって覗き込みながらページを捲って指を差す。課題は複数教科あるようで、時間がかかりそうだなと窺えた。
ダイニングで交される会話を聞くともなしに聞きながらソファに凭れかかり、クラウドはストローでジュースを吸い上げる。オレンジジュースと言っていたが、果汁の含有量は多かった。ジュースなんてどれくらいぶりだろう?記憶にない。氷で冷やされたそれは冷たくて喉に染みた。
真面目に取り組み始めた少年のプリントと教科書を見比べながら、レオンが首を傾げる。ややあって立ち上がり、消しゴムと鉛筆を駆使して格闘する少年の隣に移動し、椅子を引いて座り直した。
「…ん?」
レオンを見上げた少年の目は嬉しそうだ。
「…逆からだと見にくいからな。気にしなくていい、進めろ」
「うん!」
再び顔を下に向け、黙々と課題に向き合う少年を尻目に、机の上の教科書類を向かい側へと移動させて眼前のスペースを確保したレオンは、ジュースを取り上げストローを咥えて一口啜る。
…いいな。
クラウドは一人ごちた。
隣に座って手取り足取り家庭教師か。
そういうプレイも悪くない。
俺がもう少し若かったらシチュエーション的には完璧だったのだが、こればっかりはどうしようもない。レオンには是非眼鏡をかけてもらって、伏目がちに数式の説明をしながら眼鏡の縁を持ち上げる仕草とか良さそうだ。あいつは今の所眼鏡は必要なさそうだったが、ファッションとして一つくれてやってもいいかもしれない。
茫洋と見つめているのに気づいたレオンが視線を向けた。絡む蒼の瞳にこれと言った感情は見えなかったが、咥えたままのストローを吸い上げる様にぞくりと背筋を這うものがあった。口を離し、視線を合わせたままレオンが舌を出してストローを舐め上げる。
「…っ!」
ヒキョウモノ!
口元に浮かぶ笑みは確実に嫌がらせだ。
思わず持ったままのコップのストローに噛み付いた。
がじがじと歯を立てストローの端を噛み潰す。レオンが眉を顰めて、ソラに気づかれないようひっそりとため息をついた。
「レオン、一枚終わったよ!半分くらい白紙です…」
「…見せてみろ」
「途中までしか出来てない数式とかある」
「ああ」
レオンが鉛筆を手に取り、ソラが終わったプリントを見やりながらメモ用紙に一問ずつ数式を書いて行く。
「ここはこれを使うといい。教科書だとこれ。ノートだと…ここだな」
「えー、何でそうなるの?」
「何で?じゃない。数学と言うのは、これにはこれ、と決まってるんだ。答えは一つだ」
「えー」
「だから言うだろ、基本公式は丸暗記、応用問題も公式を覚えていればすぐできる」
「むぅ…」
「この問題にどの公式があてはまるか、それが全てだ。逆に言えば、それがわからなければ数学はできないし、それ以上を考える必要もない」
「ぬぅ…」
「…とりあえず、出されている公式は覚えること」
「ううっ…暗記とか嫌いだ…」
「頑張れソラ」
項垂れ唸りながら、ソラはレオンが書いたメモを見ながらプリントに写して行く。写して行くのを見守りながら、レオンは次の問題の公式をメモに書き記していった。
親切なことだ。
やはり眼鏡は必須だな。あとは白の開襟シャツとか。…型に嵌りすぎか。
「できた!」
見上げたソラが、窺うようにレオンを見る。
「…それで、合ってる」
褒められ嬉しそうに笑う様子はお子様だ。
正解一つごとにキスでもしてやらねば真面目に勉強などしてられないだろうとクラウドは思ったが、目の前で実際にやられたらムカつくだけなので、ソラがお子様で良かったと内心思ったりもするのだった。
「次を」
「はい、先生!」
目を伏せメモに書き込む指先は長く、睫毛も長い。揺れる前髪に隠されてちらつく瞳は静かで優しさに満ちていた。慈しむようなそれは、クラウドに向けられることのない感情だ。
面白くない気分になり、目を逸らす。音を立ててストローを啜れば、レオンがこちらを見る気配がした。
…俺がレオンを先生と呼ぶのは違和感があるな。どっちかというと先生と呼ばれたい。
医者プレイか。
教師プレイか。
だがレオンに先生と呼ばせる為には、それなりのステータスがないと苦しい気がした。残念なことに、向こうの方が金も地位も権力も持っている。
下克上プレイとか。…俺があいつの部下設定?…嫌だな。逆の立場で…いや、あいつが部下設定で犯したところでつまらないな。「おやめ下さいお代官様」レベルだ。失笑モノだ。
「あ」
思わず声が上がった。
レオンとソラが不審にこちらを見つめてくるが、無視をする。
ソファに凭れたまま足を伸ばし、ローテーブルの上で組む。
顎に手をやり、思い浮かんだ考えに悦に入った。
レオンの設定は何でも良い。先生だろうが医者だろうが社長だろうが娼婦であろうが構わない。リアルに行くならすでにあいつはこの街の英雄でありリーダーだ。再建委員会のリーダーはすなわちこの街の権力者と対等に渡り合えるということだ。肩書き的には申し分なく、その辺りはどうでも良い。
問題は俺。俺の設定。
あいつの上に立ちたい。もしくは対等。下にいるのは嫌だった。
なら俺は肩書きに拘らない第三者の立ち位置でいればいい。あいつの職業に関わらない肩書き。
それなら「先生」だって「社長」だって呼べる。その場合俺の立ち位置は教え子ではなく卒業生だったり、同僚だったり、取引先の会社員とかでいい。リアルな設定なら、俺はすでに第三者だ。
全く問題なかった。
何だこれなら違和感なくどんなプレイもできるな。そのうち色々道具を買って来ることにして、一気に買い込むとキレて投げ捨てられる可能性がある為、慎重に少しずつ、疑われない範囲で増やして行かなければならなかった。
だって道具の置き場所はレオンの家になるのだから。
さてまず何から買って来るべきか。
「よし、一枚完成!これが一番難しかったんだよな~。後は割とすぐ終わると思うよレオン!」
「そうか。…では少し休憩してアイスでも食うか?」
「食う食う!俺二個ね!」
「わかってるから、慌てるな」
ひと段落ついたらしいソラがアイスアイスとはしゃいでいた。
カップアイスとスプーンをトレイに乗せて、レオンがキッチンから顔を出す。ソラの前にチョコとキャラメルアイスを置いてやり、バニラを自分の為にテーブルの上に置いて、こちらにも一個持ってやってくる。
「それレオンが食べるんだと思ってたのに、いいの?」
「俺は一個でかまわんさ。仲間外れもかわいそうだろう」
「…まぁそうだけど…」
ソラは不満そうだが、食っていいぞと促すレオンの言葉に顔を輝かせ、いただきます!と元気良くアイスに向かった意識はもはやクラウドには向いていない。
歩み寄ったレオンが、行儀悪くテーブルの上に乗った足を叩き落とす。
「…痛いんだが」
「テーブルは足を乗せる物じゃない。…バニラだが、文句言うなよ」
スプーンと共に渡されたアイスの蓋を開ければ、クリーム色がかった乳白色が顔を覗かせる。
一山掬って、レオンに向けた。眉を顰め戸惑う様子に負けじと手を突き出して口元に押し付ければ、諦めて唇を開く。
白いモノが、口の中に。
…この表現は卑猥だな。
スプーンから離れる口元を追って、レオンの胸倉を掴んで引き寄せる。
「…ッ!?」
レオンの口の中は冷たかったが、目当てのアイスはすでに溶けた後のようで、バニラの甘い香りが残るのみだった。
アイスの通り道だろう冷えた箇所を奥から手前へと舌で辿り、唇を離せば覗いた舌が唾液に混じって白く濁っていた。
「…アレみたいだな」
味と匂いは随分違うけど、と呟けば横っ面をはたかれた。痛い。
「…お前、TPOというものを知ってるか…」
背後にソラがいる為、声は自然囁きほどに小さくなった。
お子様はアイスに夢中だ。チョコとキャラメルを交互に食べておいしぃー!と感動しながら、机の上の教科書とにらめっこをしている。
気づかれていないのだから、問題ない。
「…ところで、眼鏡と白衣、どっちが欲しい?」
「変態」
即答された。
そう返してくると言うことは、用途を理解したということだ。いやらしい。
「…どっちも欲しい?じゃぁ買ってくる」
めげずに言えば呆れた視線が落ちてきた。
「…元からそのつもりだっただろお前…」
「バレたか」
他にも色々小道具も必要だ。レオンのお許しが出たのなら、揃えて来てもいいだろう。
立ち上がろうとしたクラウドに「アイスを全部食ってから行け」と言い渡し、レオンも自分のアイスが溶ける前に処分しようと踵を返す。
「さっきからお前の視線、うるさい」
「…俺?」
「ニヤニヤするな。気持ち悪い」
「……」
ニヤニヤってどんな顔?
クラウドは己の頬を両手で挟んでみたり摘んでみたりしてみたが、鏡がなければどんな顔をしているのかわからなかった。
至って真面目にプレイについて考えていただけだというのに、失敬な。
まぁシチュエーションに付随するレオンのあれこれについても考えたりはもちろんしたが、それのせいか?
ソラの隣に座り直し、アイスを食べ始めたレオンの口元はいつ見てもエロかった。
考えるくらいはタダなのだからいいではないか。
…それを実行しようとした所で、一体何が悪いのか。
アイスを一気に食べたら頭痛がした。かき氷じゃなくても来るんだなと、痛感した一瞬だった。
こめかみを押さえて立ち上がる。
店が閉まる前に、買って来なければ!
さすがにソラは泊まらないだろう。明日は学校だと言っていることだし。
ならば、問題ない。
大股で部屋を出て行くクラウドの背中をきょとんと見送るソラと、苦々しい表情で見やったレオンの表情が対照的だ。
さて、今日は何から始めるか。
END
クラウドはもともと設定としては「ヒモ」だよね。っていう。
リクエストありがとうございました!