風一つなく雲すらもなく、晴れ渡った一面鮮やかに広がるブルーの空は朝も早くから街の人々を辟易とさせた。
日の出と共に上がり始めた気温は午前八時の時点ですでに三十度まで上がっており、流れ出す汗は風に癒されることなく重力に従い肌を伝って流れ落ちる。ここ数日同じような天気が続き、行き交う人々の挨拶の言葉は決まって「今日も暑いですね、せめて風があればまだマシなのに」である。
そうだった、この街には四季があるのだった。
闇に堕ちた街を取り戻してからようやく人々は四季の移ろいに目をやる事ができるようになっていた。
故郷に戻りて四季を感ず。
それは幸せなことではあったけれども、それでも暑いものは暑かった。じりじりと陽光に刺され灼かれる熱さは耐えがたい。
かつての繁栄した街を取り戻し、より発展させるべく働く人々はどれだけ苦行であろうとも勤勉に労働する。その一人として日々動くレオンもまた、真夏の太陽にうんざりしながらも街を駆け回り復興の為に働くのだった。
打ち合わせからの帰り道、現れるハートレスを排除する。
暑さも寒さも感じることのない敵の存在がこの時ばかりは羨ましい。動けば汗が流れ落ち、服を湿らせ不快だった。
首筋に張り付く髪を払いのけ、切りたい衝動に駆られる。
夏は暑くていけない。
短くする気はなかったが、真夏の間だけはなんとかしたいと思うのだった。結ぶという選択肢もあったが、それはそれで面倒だ。
結局いつものように流したまま、再建委員会の本部である魔法使いの家へと向かう。
家の中は空調が効いていて涼しいはずだ。少し涼めばまた出かけなければならなかったが、多少なりとも落ち着ける空間が必要だった。
扉の前に立ち手をかけたが、力を入れる前に向こうから開いた。
「うわっ、ごめんなさいごめんなさい逃げろドナルド!グーフィー!」
馴染みすぎる程に馴染んだ声が家の中から飛び出した。ぶつかる寸前互いの存在に気づいて身をかわし、レオンは家の中へ一歩踏み込み、少年達は外へと一歩踏み出した。
「あっ避けてレオン!!」
「な…」
何だって?
言葉は最後まで言えなかった。
すぐ背後に迫ったエネルギーの光球を、かわす事ができずレオンはもろに食らって壁へと弾き飛ばされた。
「わーっ!!れ、レオンがぁあああああっ!!」
少年の叫び声がこだまする。
安全なはずの家の中から攻撃を受けるだなんて、予想できようはずもない。
無防備もいい所に不意打ちで食らった攻撃自体は痛くはなかったが、弾き飛ばされ壁に激突した背中はみしみしと音を立てて苦痛を訴える。床に座り込み、咳込む己の手が光っていることに気づいてレオンが怪訝に眉を顰めた。
手だけではない、身体全体が光っている。
光球のせいであることは一目瞭然だったが、発光する意味が不明だった。
「…何だこれは」
「だだだ、大丈夫レオン!?ごごご、ごめん俺達のとばっちり…ッ!」
「レオン、大丈夫!?」
「うわーレオンが吹っ飛んだよ痛そ~。生きてるの?」
「…家ん中で暴れんのやめろっつーんだよ…精密機械入ってんだぞ!…おいレオン、大丈夫か?」
心配そうに覗き込んで来る少年と、家の中にいたらしいエアリス達が駆け寄ってくる。
大丈夫だ、と答えようとして顔を上げるが、覗き込んで来る視線が一様に驚愕に見開かれていた。
「…?大丈夫だが、一体…」
何だその目は?
レオンの身体を取り巻き発光していたものは、皮膚に吸収されるかのように力を弱めて消えて行く。ひとまず安堵し、レオンは立ち上がった。
「あ?」
左腕に止めている赤のベルトが三本共に滑り落ち、手首に引っかかって止まった。理由がわからず、左手を眼前に翳して見れば、普段ぴったりのサイズで収まっているはずのグローブが浮いていた。
余裕を持ってだぶつくそれに違和感を覚え、グローブを外す。
「…?」
目の錯覚だろうか、気のせいなのか、手が少し小さい気がした。
己の足元を見下ろしてみるが、そこに違和感はない。あるとすればズボンの裾がいつもより多少長く見えることと、腰のベルトが多少緩いくらいか。
何故だ?
首を傾げる。
首を傾げて、違和感があった。
首元に手を伸ばす。
先ほど汗が張り付いて疎ましく思っていた後ろ髪が、なかった。
「え?」
なかった。
え、どういうことだ?
呆然と立ち尽くしたら、左手首に引っかかっていたベルトが切ない音を立てて床に落ちた。
我に返る。
答えを求めて先ほどから穴が開くほどと表現したくなるほどに見つめてくる連中一人一人に視線を飛ばす。
どういうことだと問えば、全員が異口同音に絶叫した。
「レオンが若返ってるぅーッ!」
的確な答えをありがとう。
気が遠くなりそうだった。
光球を飛ばした張本人である魔法使いは咳払いをして、お前さんに当たるとはと呟いたまま沈黙した。
いやいや説明してくれよと求めれば、隣に立った少年が申し訳なさそうに眉を下げて項垂れた。
元々胸下辺りまでしかなかったはずの少年の身長が、並んだ今では肩下辺りまで迫っていた。一体何センチ縮んだのか考えるだに恐ろしく、レオンはさりげなく視線を逸らす。
「えっと、マーリン様の本の山を倒しちゃってさ、その上にドナルドとグーフィーが乗っちゃってさ、大切な本をちょっと破いちゃったり折っちゃったりその…ちぎれちゃったり…」
「あぁ…」
そりゃぁ大事な物を壊されたら怒るだろう。魔法使いの本は再建委員会のメンバーでさえ、不用意に触れることは許されない。位置を動かすことすら禁止されているのだから、粗末に扱われた時の反応は容易に知れた。
「…それで、これはいつ戻る?」
重要なのはそこだった。
さぁ…と弱りきった表情で首を傾げる少年に代わって、口を挟んだのはエアリスだ。
「さっき、まる一日は反省しろ!ってマーリン様怒ってたから…まる一日で戻るんじゃないかな」
「まる一日…」
魔法使いに顔を向けるが、否定の言葉は返ってこなかった。では一日経てば元に戻るのか。
真っ先に脳裏を掠めたのは仕事のスケジュールだった。
中身に変化はないのだから支障を来たすことはないだろうが、周囲が支障を来たすだろう。会う人間全てに説明をするのは面倒であったし、仮にも再建委員会のリーダーとして表に出ている以上、醜態を晒すことは避けたいところだ。
腕を組み考え込むレオンを見下ろし、シドがため息をついた。
「今日のスケジュールと明日のスケジュールのうち、人に会う系のやつは延期してもらう。おめぇは表に出なくていい。めんどくせぇが行って来るか。デスクワークは必須なやつだけ置いとけ。日にちに余裕があるやつは元に戻ったら残業してでもおめぇがやれよ」
シドの大きな手が頭に乗せられ、ぐしゃぐしゃと髪をかき回されてレオンは焦る。
「な、何だ?」
「おめぇ相当若ぇぞ。いくつの頃だ?逃げ出した時より若ぇんじゃねーのか」
「…そんなに…?」
戸惑いで力なく答えるレオンに、エアリスが手持ち鏡を持ち出して「見る?」と問うが、頑なに拒否をする。
「いや、いい。…ショックで倒れたら困る」
「…レオン…」
でもカワイイのに、と心配を見せながらも本音を漏らすエアリスの言葉は聞こえないことにした。この街を逃げ出す時にはまだ小さな子供だったユフィが、物珍しそうな顔でレオンを頭から足元まで眺めている。ユフィの記憶の中のレオンはすでに、「大人」として認識されているのだから、興味深そうな視線を不躾に向けられても何も言えなかった。
少年とレオンを見比べ、ユフィは頷く。
「ソラと変わらないくらいじゃない?でもソラ、年齢の割にちっこいんだね。レオンが大きいのかな?」
「ち…ちっこいって言うなよ!俺はこれから伸びるタイプなんだからなっ!!レオンだって大人になっても十センチくらいしか伸びてないんだから、俺が倍以上伸びれば全然オッケーだ!」
「……」
気にしていたらしいソラがむきになって反論した。
そうだよな、男としては身長は気になるところだよなとレオンも内心で同意した。
しかし。
「…十センチ…」
十センチ低かった頃を思い出しそうになり、思考を止めた。
額に指先を滑らせてみるが、やはりそこには傷痕はなかった。
「…シド」
名を呼べば、見下ろす視線は滅多に見ることのない心配そうな色を湛えている。
「何だ、レオン」
「…すまないが、帰っていいか」
「かまわねぇ。…無理すんなよ」
「ああ」
シドは知っている。
「…ありがとう。皆も悪いが、元に戻ったらまた来る…申し訳ない」
だが何も言わないことに感謝した。
レオンの常にない動揺を隠せない様子にシド以外の誰もが驚いたが、追求する人間はいなかった。
「しょうがないなぁ!そりゃいきなり若返ったらびっくりするよねぇ。うちなんて若返ったら子供だよ!っつー話だよ」
「思いつめないでね、レオン」
見透かしたようなエアリスの言葉が心に痛い。
頷いて、見送る視線に背を向けて外へ出る。
すぐに追いかけてきた足音は、少年のものだった。
「家まで送るよ!俺達のせいだし!」
キーブレードを構えて意気込む姿は微笑ましかった。現れる敵を容易く蹴散らし、レオンの傍らにぴったり寄り添う。さながら護衛のようだった。
僅かに口元を緩めてレオンが笑う。
「…一応、俺も戦えるんだがな」
「え、そうなの?…あぁ、うん、いいんだ、俺にやらせてよ!数減らさなきゃなんないしな」
レオンがいつから強かったのか知らない。
ソラと大して年齢的に変わらなさそうなレオンの造作は中性的で繊細そうで線が細く、大人びて見えるけれども驚く程の美少年ぶりだった。
レオンはあんなにカッコよくて大人で意志の強そうな瞳で凛とした印象なのに対して、随分と…いや、造り自体は同じで雰囲気も変わらないのに何故か違う。
額に傷がないから?
大人じゃないから?
確かに完成された大人の身体じゃないレオンは、体格的に自分とあまり変わらないように見える。だが、それだけじゃないような。
ソラにはよくわからなかったが、漠然とした違いだけははっきりと感じるのだった。
知らず、レオンを守るように立ち、レオンを庇うように戦う。
無意識の少年の行動に、レオンは気づいた。
「……」
指摘するのも憚られ、眉を顰める。
世界を救うために選ばれた勇者は、やはりただの子供ではなかった。
中身は同じ「大人」のレオンであるはずなのに、些細な違いに気づいている。
外見に現れるのは、年齢の違いだけではない。
今の自分にはあってかつての自分にはないもの、それは「覚悟」だ。
覚悟を持たない時代の自分は、ソラにとっては「守るべき者」の範疇に含まれるのだと思うと情けなくもあり、多分に自嘲を込めて納得もする。
何をも守れなかった己にとっては、ふさわしい。
宣言通り道中の敵を全て倒し、家まで送り届けたソラは心配そうな目をしてレオンを見る。
「えっと、大丈夫?俺、ついてなくて平気?」
「…心配ない。ちょっと動揺はしているが、大人しく引きこもっておくさ」
「うん…ホントに、ごめんなさいっ!俺が子供になってりゃ良かったよな…レオン仕事もあったのに…」
直角に頭を下げて謝る少年の頭を撫でて、仕方がないとレオンは笑う。
「お前もお前にしかできない仕事がある。気にするな」
顔を上げたソラがレオンを見つめて、顔を赤らめた。
「…レオンの若い頃って可愛いね」
いや大人のレオンも美人でカッコイイと思うけど!と両手を振って余計な一言を付け足した。それは蛇足というのだ。
「……」
ソラでなかったらおそらく殴るくらいはしただろう。
ため息を一つ落とし、苦笑する。
「まぁいい。置いてきたドナルドやグーフィーにも、よろしく」
「うん、また来るね!なんかあったら呼んでくれよな」
「…連絡先を知らないぞ」
「あぁー…ていうか連絡取れないじゃん!いいよ俺またすぐ来るから!じゃぁ、またな!ホントにごめんなさい!」
「…またな」
魔法使いの家へと戻って行く少年の後姿を見送って、扉を閉める。鍵をかけて、チェーンもかける。
部屋に入り、全てのカーテンを締め切って鍵をかけた。
空調を効かせてソファに座り込もうとしたが、汗をかきおまけに緩くなった服を替えようと思い直して立ち上がる。邪魔なアクセサリを外し、サイズに影響しなさそうなラフなシャツとパンツに着替えて、サニタリールームへ。
手を洗い、顔を洗う。
顔を上げた先、鏡に映る己の姿に戦慄する。
これは過去に捨てたはずのものだった。
見たくない。
見たくない。
手足が震えた。
胃が痙攣し、喉元にせり上がってくる異物を堪えきれずに吐き出した。
「っ…、ぅ…ッ!」
いっぱいに捻った蛇口から激しく水が流れ出す。
気持ち悪い。
全て流して消してしまいたい。
あの時消えて行った人々と同様に。
飲み込まれていった闇の中に。
何も知らずにのうのうと生きていた時代の名残は全て消したはずだったのに。
こんな形で蘇るなんて、一体何の罰ですか。
まだ何をも成し得ていなかった。未だ全ては途中なのだ。
俺はまだ己を許していなかった。
憎い。
悔しい。
…悲しい。
全て吐きつくし、胃液しか出なくなってもまだ吐き気は収まらない。
深呼吸をし、思考をおいやる。
考えるな、思い出すな。引きずられてはいけない。
今の俺は、あの頃の俺とは違うはずだった。
さぁ、立って。
前を向け。いつまでもこんな所で這い蹲っていても、辛いだけだ。
とりあえずソファまで。ベッドまで行けそうなら、寝れば良い。
休憩しよう。
さぁ、足に力を入れて、立ち上がれ。
溢れて零れる涙を拭え。
お前はまだ、許されない。
流れ続ける水を止め、縋るように蹲っていた洗面台に手をついて立ち上がる。
深呼吸を繰り返し、歪んだ顔をした己を映す鏡を静かに睨みつけた。