己よりも身長が高く、体重もある男を背負って上がる螺旋階段は想像を絶する過酷さだった。
  汗で担いだ手は滑る、柔らかい人間の身体は服を擦り振動に合わせて動いて滑る、担ぎ直す度にかかる重力の負担は足へとかかって膝が笑い出し、けれども階段なのでバランスを崩せばまっ逆さまで、前のめりになりながら途中座り込んで休憩しながらでないと体力が保たなかった。
  ひ弱なわけではない。人並みなだけだと言い訳するが、この状況を打開できるわけもない。
  体力が限界だったが、放置は出来ない。
  館の外へ連れ出して、病院に連れて行かなければならなかった。
  こんな所で救急車を呼んだとて、どれくらい時間がかかるか。そもそも、来てくれるのか。
  待っていられないのなら、自分がやるしかないのだった。
  肩で息をするが、呼吸は整わない。
  頬を落ちて行く汗は止まることなく流れ落ち、階段に落ちて染みを作った。
  喉が引き攣り乾燥して辛いが、唾も出ない。
  立ち止まる度に休憩時間が長くなっていくが、ザックスを落とすわけにはいかない。注意しなければならなかった。
「も…ちょっと…!」
  反動をつけて立ち上がり、よろめく足に喝を入れながら一歩ずつ上る。
  もっと体力が欲しい。
  無事に帰れたら明日から頑張る。
  毎日走り込みして腹筋とか頑張るから、今もうちょっと動ける体力が欲しい。
  絶対やらないことは自分でもわかっているが、そうでも思わないと限界だった。
  こういうときあれだ、レオン達みたいに強制暗示があればいいのに。
  気合で頑張れ、みたいにすればひたすら文句も言わずに階段上がるんじゃないのか。
  あ、でも俺暗示効かないんだっけ。
  何で効かなくなったのかは、なんとなくわかっている。
  レオンが酷いことを言うからだ。
  ああそうだ、これはレオンのせいなのだ。
  あのまま静かに暮らしていられたのなら、暗示だろうがなんだろうが受け入れたのに。
  人の感情を弄ぶような暗示は許せない。
  あいつはあっさり俺を切り捨てたのだ。夢だと言い、さよならと言ったのだ。
  酷い奴だ。こちらの気持ちは一切無視で、一方的で容赦がない。
  向こうには向こうの事情があったのかもしれないが、知ったことか。
  俺が、傷ついたのだ。
  俺が、悲しかったのだ。
  大人しく受け入れるには、レオンに深入りしすぎた。
  夢だと思いたくない、さよならなんかしたくない。
  きっちり拒絶されフラれるならともかく…と思った所で首を振る。
  拒絶されるのもフラれるのもご免だった。なかったことにしようと暗示をかけられた方がまだマシだったのだろうかとも思うが、それはあまりにも後ろ向きに過ぎた。
  拒絶させない。きっちりと受け入れてもらう。
  ついでに、従わされるのではなく対等でありたいし、レオンから「ごめんなさい」を言わせたい。
  ああそうだ、やらなきゃならないことがある。
  こんな所で潰れてる場合じゃない。
  最上段に足をかけ、倒れこむように部屋の中へと手を伸ばす。
  ザックス共々床に這い蹲る格好になったが、もう足に力が入らない。
  匍匐前進の要領で肘を使ってザックスをひっぱりながら部屋の中へと入り、ザックスを寝転がらせて己もまた仰向けに寝転んだ。
  もう、駄目だ。
  限界だ。動けない。倒れそうってかもう倒れてるけど眠いし寝たい。
  でもまだだ。まだ一人女が残ってる。
  ザックスよりは遥かに楽だろうけれども、それでも人一人を背負ってまたここまで上がってこなければならないのだと思うと気力が萎える。
「あーくそー…」
  ソラがどうなったのか気にする余裕もない。
  力なくうつ伏せになり、上体を起こす。足に力が入らなかったので四つん這いの格好で窓まで這いより、埃塗れの窓枠に手をかけて外を見る。
  何か少年の声らしきものは聞こえるのだが、外は何も見えない闇であり、どうなっているのかわからなかった。
  そういえばレオンっていないのか?
  まだ来てないのか、それとも別の場所にいるのか。
  ソラに戦わせておいて自分だけいないってどういうことだよ。
  早く顔見せろ。
  窓枠から手を離し、また床を這いザックスの隣まで戻る。
  気合を入れて立ち上がろうとしたが、膝から力が抜けて座り込む。
「お…俺情けない…」
  もうちょっと頑張れよ俺!
  女一人くらい軽く助けて来いよ俺!
  落ち込むクラウドの上に、影が落ちた。

「クラウド大丈夫?」
  
  かけられた声を振り仰ぎ、クラウドは目を瞬く。
  あれ?
「ソラ?何で?」
  外で戦っていたはずの少年が妙に明るい表情で立っていた。服はぼろぼろで斬られた痕がたくさんあったが、怪我はなさそうだ。
  髪も乱れていたが、気にした様子もない。
「レオンが来た!…から、助けに来たよ。その人助けるの?」
「え、レオン!?セフィロスは?」
「だから、レオンと戦ってる」
「え」
  レオンは戦えるのか?
  あのセフィロスと!?
  呆然とするクラウドに焦れたように、ソラは足踏みをした。
「で、早く助けないとその人死んじゃうんだろ?連れて行けばいいの?」
「…あ、あぁ、待ってくれ。下にタークスの女がいる。あの人も多分まだ生きてると思うんだが」
「わかった、連れて来る。ここで待ってて」
「…ああ…」
  力が抜けた。
  床に尻餅をつくような格好で足を投げ出し、仰向けに再び寝転ぶ。
  意識を失ったままピクリとも動かないザックスの腕に触れ、言い聞かせるように呟いた。
「レオン、来たって。…もうちょっとだ、頑張れザックス」
  自然と閉じる瞼に抗えず、目を閉じた。
  意識が落ちるのは早かった。
  ソラが来たら起こしてくれるだろう。
  ほんの少しだけ、休憩だ。

 

 

 地下から走り出た後、ソラは焦っていた。
  「人間の戦闘のプロ」も十分厄介だというのに、「同類の戦闘のプロ」は手に負えない。
  身体能力は人間の比ではない。人間ならば力任せに一撃でも当てることができれば勝負は決するが、同類だとそうはいかない。
  傷ついた先から驚異的な回復力で塞がって跡形もなくなり、銃を何発撃ち込もうが死なないし刀で腕を切り落とそうがくっつければ再生する。首を落としたところで死なないのだ。
  吸血鬼を殺す方法はただ一つ、心臓を潰すしかない。
  セフィロスの心臓を潰せるとは思えない。
  というより、逃げるだけでも精一杯でしかも逃げ切れていなかった。
  遊ばれている。
  廊下に転がる柱の残骸を蹴り飛ばしてみても刀で斬られ、物を投げつけても同様で、正面からの攻撃はどう考えても通じそうになかった。
  広い館とはいっても長い刀を振り回す男にとっては狭いだろう。
  後ろに回りこむことも出来ず、扉に向かって走るしかない。
  床に粉々に砕け散り転がる巨大なシャンデリアを持ち上げ投げる。
  これはさすがに刀を使わず、男は避けた。
  その隙に扉を開けて外に出る。
  広場に立ち、向かい合い、ソラは息を吐いた。
「…追いかけっこは終わりかな」
「ゼアノートどこ行った?」
「だから、知らん」
「…そっか。あーあ、また一からやり直しかー」
「……」
「あ、俺さ別に正義の味方とかじゃないから。カッコイイけど俺そんなんじゃないから。ゼアノート探してるだけだし、セフィロスが何しようがどうでもいいよ」
「ほう?」
「邪魔しないから邪魔しないでくれよ」
「それは、私が決めることだ」
「……」
  根っからの悪人という感じはしないのだが、どうもお友達になれそうにはなかった。
  向こうが心を閉ざして拒否をしており、お友達を求めてもいなさそうだ。
「一つ問う。この化け物の息の根を止めるにはどうすればいい」
「…は?」
「頭を潰すか?心臓を潰すか?」
「…心臓を潰せば死ぬけど」
「なるほど、ではお前で試してみよう」
「はぁああ!?」
  何でそうなるんだよ!!
  いたいけな少年をいたぶって楽しいのかこの変態サディストめ!!
  思わず身構える。
  この広さなら、多少は自由に動けるはずだった。
  刀を構える男は嫌になるほど隙がない。
  戦闘慣れしてるって、嫌だなぁ。
  平和が一番なのになぁ。
「レオンが来たらお前なんかボッコボコなんだからな!」
「…誰だそれは」
  問うた男の上空に見えた姿に歓喜する。
  やっと来たよ!
「レオン!!」
  叫べば、気づいた男が空を見上げ、瞬間で飛び退った。
  セフィロスがいた位置に剣を突き刺し、着地した男にソラが駆け寄る。
「遅いよレオン!大遅刻だぞ!」
「…済まん。遅れたな」
「あれがセフィロスだよ。ボッコボコにしていいぞ!」
「…それは厳しいな」
「ええ!?」
「あいつは強い」
  銀髪をなびかせ笑みを浮かべる男を見据えながら、レオンが立ち上がる。
  戦闘経験も殺人経験も比較にならないほど豊富な男に勝てる奴は果たしているのか。
  一対一で勝負をつけるのは至難である気がした。
  下手をしたらこちらが殺される。
「…ソラ、クラウドは?」
「生きてるよ。地下に置いてきちゃったけど自分で上がってこれるだろ」
「ザックス達は?」
「あー、転がってた人達かな?まだ生きてたよ」
「ソラ、任せる」
「え、うん。それはいいけど」
「頼んだぞ」
「え!うん、わかった!頼まれた!」
  ぼろぼろの姿になった少年の頭を一つ撫で、送り出す。
  館の中へと走る後姿を見送って、セフィロスと対峙した。
「少しは戦えそうだな」
「…質問がある」
  答えず言えば、男は不快に眉を顰めた。
「…ゼアノートの行方なら知らん」
「そうか。ゼアノートに何の情報を渡した?」
「……」
「そうか。宝条博士の研究データか」
「…貴様」
「姿を隠すなら早い方がいい。まもなくここにヘリが来る」
「神羅か」
「…神羅は敵対しない限りあんたに手出しすることはないようだ。あんたは自由だな」
「……」
「あんたは人類の敵になるのか?」
「気に入らんな」
「……」
  構えを解いたセフィロスは無表情だった。
「この状況。…貴様の仕業か」
「それは買いかぶりというやつだ」
「……」
  セフィロスが自由に動けるようになるタイミングで放り込まれた神羅の餌。
  現れた同類。
  やってくる神羅。
  めまぐるしく動く状況の中、判断した結果は退却の二文字だった。
  皆殺しにすることは可能だろう。
  だが同類の存在は厄介だった。
  長引けばこちらが不利に働く。
  夜が明ければ身体能力は人間同様に戻るのだ。それでも容易く殺されるほど甘くはないが、兵器を持ち込まれれば骨が折れる。
  化け物は万能ではなく、化け物には化け物の生き方があるのだった。
  遥か遠くで、ヘリの音が聞こえる。
  目の前に立つ、額に傷を持つ男の言葉は真実だった。
「…いずれ見える時を楽しみにしておこう」
「会いたくないな」
  笑みを残し、男の長身が崩れた。
  手足の先から無数の黒い蝙蝠が飛び出して、空へと舞い上がる。
  周囲を覆いつくす羽音に眉を寄せ、レオンは完全に姿をなくして去って行く蝙蝠の行方を見上げ、ため息をついた。 
  戦闘にならなくて良かったと思う。
  あの男がどこへ行ったのか興味もないが、敵として見えることがないよう願うばかりだった。
  館へと向かう。
  開いた扉の向こうから、ザックスを抱えたソラと女を背負ったクラウドの姿が見えた。
  手を振ってやれば、気づいたソラは顔を輝かせ、クラウドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「レオン!セフィロス倒したの!?」
「まさか。あいつはどこかへ消えた」
「えーそうなの?残念!」
  入り口で出迎えて、玄関口に二人を地面に降ろさせて、寝かせるように指示をする。
「神羅のヘリが来る。二人とクラウドを回収してもらおう」
「えっ!ちょっと待てよ」
  不満の声を上げるクラウドと同時に、ソラも駄目だよ!とレオンに迫る。
「クラウド暗示効いてないし!セフィロスの暗示も駄目だった。記憶とか持って面倒起こされると困るし!」
「…面倒って…そんなの起こさないけど」
  ソラは厳しい顔でクラウドに指を指した。
「こういうの、信用しちゃいけないんだ。親に耳にタコが出来るほど言われたからな!人間は嫌いじゃないけど平気で嘘をつく」
「な!?それを言うならレオンも嘘つきだろ!吸血鬼も一緒じゃないか!」
「一緒にすんなよ!レオンは嘘なんかつかないよ!」
「いーや、ついた。俺についた!暗示って嘘だろ!嘘の強制だ。レオンは俺に嘘をついたんだ。あ、ムカついてきた。そうだ、殴らせろよレオン!」
「断る」
「お前…!」
  胸倉を掴んだ手を、ソラが掴む。
「ちょっとレオンに何するんだよ!離せよ!」
「一発殴らないと気が済まない。俺の感情弄びやがって!」
「……」
「はー!?何言ってんだよ意味不明!」
「お子様は黙ってろ!」
「お子様!?俺がお子様!?うわーレオンこいつ何なの!ムカつく!」
「……」
  ヘリが来るから、と言っても聞きゃーしない。
  レオンの胸倉を掴んだまま、ソラとクラウドは二人でケンカを始めていた。
  仲が良くて結構なことだが、いい加減にして欲しい。
「あーもー!」
  埒が明かないとため息をついて、ソラがレオンを振り仰ぐ。
「てーか、暗示が効かないならどうするレオン?殺したくないけどそれしか口封じの方法が…」
  物騒な言葉を吐かれ、クラウドの眉が吊り上った。
「は!?殺すって何!俺セフィロスに殺されかけたっていうのにお前らにも命狙われるってのか!?」
「…ああ、まぁ、待て二人とも」

「「レオン!?」」

 二人同時に叫ばないで欲しい。
  耳を押さえ、レオンはため息をついた。
「ヘリに気づかれたくない。彼らが乗ってきた車を使わせてもらおう」
  胸倉を掴んでいたクラウドの手を離させ、さっさと移動を開始する。
  ソラとクラウドは互いに目を合わせたが、ソラはすぐにレオンの後について行った。
  クラウドはザックスを見下ろし、声をかける。
「ごめんザックス、ついていけないけど生きててくれよ」
  本当はヘリで一緒に連れて帰ってもらうのがいいんだろう。
  このまま帰ればおそらく、レオンとソラには二度と会うことはないのだという予感がした。
  記憶を持っていてまずいと本気で思っているのなら、クラウドに行動の自由を与えたりはしないのだ。暗示が効かないのなら殺すか、土下座でも何でもして「誰にも言うな」と釘を刺すべきなのだ。
  なのに放置だ。
  好きにしろということだ。
  信頼されているのか、諦めているのか。
  クラウド一人が何かを喋った所で、誰も相手になどしないと思っているのかもしれない。
  今まで通りの生活をしたいのならば、踏み止まるべきだった。
  ザックスを見る。
  隣で意識を失っている女を見る。
  思い出したのは、幼馴染のティファの顔。
「……」
  走り出す。
  村の入り口へと向かっていたレオンとソラに、追いついた。
  振り向いた二人は同時に呆れた顔をした。
「…何でクラウド来ちゃうかな。殺されたいの?」
「…何しに来た、クラウド」
「俺も連れて行け」
「は?何言ってんの?どういう意味?」
  ソラは放置し、レオンの両腕を掴む。真っ直ぐ視線を合わせて、「決めたんだ」と言った言葉は己で思った以上に強かった。
「俺を仲間にしてくれ。俺も行く」
「……」
「えっ…!本気なの?正気なの?」
  レオンは目を瞬かせ、ソラは背を仰け反らせて驚いた。
「レオン、俺も連れて行ってくれ」
「…クラウド。仲間になると言うことは、全てを捨てるということだ」
「ああ、わかってる」
「全てを捨てるということは、全てを失って、失い続けると言うことだ」
「お前がいるだろ」
「……」
  レオンは逡巡するような深いため息をつき、首を振った。
「お前には未来がある」
「お前にもあるだろ」
「…俺には何もなかった」
「嘘だ」
  レオンの言葉は過去形だ。
  レオンもまた、人間から吸血鬼になったのか。
  ならばクラウドが吸血鬼になることに不都合はないはずだ。
  レオンの表情は諭すような笑みを浮かべていたが、隣のソラはじっと黙って聞いていた。
「…そうだな、選べばあったのだろうそれを、俺は捨てた」
「俺も捨てる」
「…クラウド」
「後悔しない。絶対だ。俺は俺が決めた道を歩く」
  夢の中で、同じようにレオンの腕を掴んで言った言葉を思い出す。
  そうだ、これは俺が決めたんだ。
  忘れないと決めたのも。
  一緒に行くと決めたのも。
  俺なんだ。
  探るような視線は蒼い。
  しばし見つめ合ったが、やがてレオンが諦めたように小さく頷き、微笑んだ。
「…そうか、じゃあ仕方がない」
「…レオン」
  夢の中のレオンと同じように、現実のレオンが認めてくれた。
「えー…レオン、いいの?」
  不安と不満の混じる表情で頬を膨らませるソラを見下ろし、レオンが優しく笑う。
「俺は構わないが、ソラが駄目なら仕方ない」
「…えー俺の判断なの?」
「もちろん」
「え、何それソラの許可が必要なのか?」
  首を傾げながら問えば、二人は同時に頷いた。

「純正の吸血鬼じゃないと仲間にできない」
「俺じゃないと仲間にできない」

「…そ、そうなのか…?え、俺ソラに血を吸われるのか?」
「…仲間にするならそうなるね」
「レオンがいいんだが」
「俺は無理だ」
  あっさり却下された。
  がくりと項垂れたクラウドを見上げて、ソラが不機嫌に眉を寄せた。
「仲間になるの?どーすんの?…まぁ俺としては仲間が増えるのは嬉しいけど、人間として生きてた方が幸せなこといっぱいあるよ」
  レオンとはどうしても一緒にいたかったから仲間にしたが、クラウドは別にどっちでもいいのだ。
  吸血鬼の存在を喋って回られると迷惑だなとは思うが、その点レオンはクラウドのことを信頼しているようだった。レオンが大丈夫と言うのなら、そうなのだろうと思っている。
「仲間になる」
  即答したクラウドに迷いはないようだった。
「じゃ、屈んで。レオン、車出してくれよな」
「ああ」
  全ての音を掻き消す轟音を響かせながら上空をヘリが通過し、館へと向かって行く。
  ザックスとタークスの女が助かりますように。
  車のエンジンをかけ、ドアを開けたレオンが乗れと促す。
  まだ夜明けには程遠く、一日の始まりにもならない時間だったが、クラウドの中では何かが始まろうとしていた。

  病室の扉をノックし、返事を待って中に入れば、笑顔で黒髪の男が手を振りながら迎えてくれた。
「クラウド!悪ぃなぁ見舞いに来てくれて」
「いや、いいんだザックス。調子はどうだ?」
「さすがにもう平気だぜ。あれから一週間以上経つからな」
  退院間近で好きな物を食べているというザックスの為に、有名菓子店のケーキを買ってきて渡してやれば飛び上がって喜んだ。
「すげ美味そう!もうすぐエアリスが来てくれることになってんだ。一緒に食おうクラウド」
「悪い、仕事の出先のついでに寄ったからすぐ帰らないとならないんだ」
「…あーそうなのか。残念だな」
「彼女と二人で食べてくれ。元気そうな顔を見れて安心した」
「心配かけてすまん。まさか貧血でぶっ倒れるとは思わなかったなー。何でだろ」
「疲れてたんじゃないか」
「うーん…」
  セフィロスに出会ったことを覚えていないザックスとタークスの女は、館で突然倒れたのだということになっていた。
  新種のウィルスか何かかと、研究チームが組まれていたが原因など究明できるはずもなく、結局は貧血と過労ということで片付いた。
  もう一人死亡したタークスの男についても同様に、死因は伏せられ過労死として片付けられた。
  神羅の社長の命令でもあり、大事にはなっていない。
「じゃ、そろそろ戻る。元気で、ザックス」
「早いなー。次会うときは会社だな!クラウドも体調気をつけろよ!」
「ああ、ありがとう。じゃ、さよなら」
「またな!」
  「またな」はもうないことを、ザックスは知らない。
  真白い廊下を歩く。
  さようならザックス。元気で、幸せに。
  日中の病院は外来患者で賑わっていた。行き交う人々の邪魔にならないようすり抜けながら歩き、病院を後にする。
  途中若い女とすれ違った際に怪訝に見つめられたが、見返せば軽く会釈をされ視線を外された。
  花束を両手で抱え、髪をリボンで一つにまとめた女だった。
  「花屋を営む可愛い彼女」の話を思い出したが、彼女がそうなのだとしたらお似合いだなと思った。
  その彼女が病室に入った時、ザックスはぼんやりと外を見ていた。
「ザックス、調子はどう?」
「お、エアリス。平気だよ。そういやさっきケーキもらったんだ」
「わぁそこ、美味しいとこだよね!お友達が来てくれたの?」
「いや、取引先の社員さん。名前知らないんだけど顔は知ってるってやつ」
「そうなんだ?わざわざ来てくれたんだね」
「社長がよろしくと言っておりましたって、丁寧に挨拶来てくれたよ」
「へぇ。あ、お花花瓶に活けてくるね」
「おう。せっかくだしケーキ食っちゃおうぜ」
「うん」
  営業ではなくとも、取引先と付き合いはある。
  数多有る取引先の中の一つの無名な社員など、すぐに忘れる。
  会わなくたって、問題ない。
  神羅を辞める際の事務手続きと記憶処理は全てレオンがやってくれた。
  己が身動き取れなかったからだったが、親しい人間については自分でやれと言われたので、そうしている。
  これ、結構精神的にきついな。
  知り合いから己の存在を消す行為。
  今まで築き上げてきたもの全てがなくなるのだ。
  全てを失うのだ。
  己はここに存在しているというのに、己がいた世界から己が消える。
「……」
  まだ一人、残っている。
  電車を乗り継ぎ、駅に着いた。
  改札を出て、繁華街を歩く。
  時間的にはまだ早いかと思ったが、ティファは仕込みがあるので早めに出勤していることを知っていた。
  看板の明かりは消えているが、硝子扉は開いた。
  中に入り、覗き込む。
  厨房とカウンターを行き来する見慣れた幼馴染の姿があった。
「…ティファ」
  その場から動かず、名前を呼んだ。
  顔を上げたティファが、今日も早いね!と驚きに目を見開いた後、笑顔を見せる。
  じっと見つめれば、絡んだ視線が瞬きを忘れたように止まった。
「俺のこと、忘れてくれ。幸せに生きてくれ。ごめん。今までありがとう。さようなら」
  ああ嫌だ。
  過去の事が蘇る。
  ここ一ヶ月ほどのことが、蘇る。
  涙が溢れ、流れそうになって上を向いた。
  視線を外され我に返ったティファはしばらく呆然と佇んで、やがて瞬きをして通路に立つ男に気づく。
「…あ、すみません開店は十八時からなんです」
「…ああ、そうみたいですね。すいません、また出直します」
「申し訳ありません、お待ちしてますね」
  他人に向けるよそよそしい笑顔に、クラウドが眉を寄せた。
  これが、現実。
  全てを失うということだ。
  一礼し、店を出る。
  通路向こうの建物に凭れかかり、腕を組んだ男は悲しそうな顔をしていた。
「…何その顔」
  自分のことを棚に上げて言ってやれば、ため息で返された。
「…俺の気持ちが、わかったか?」
「え?」
「何でもない。帰るぞ」
「ああ…、…?」
  クラウドが安定するまでの間、移動する事ができずに新たな住居を用意していた。
  クラウドが住んでいたマンションは早々に引き払い、今までの痕跡は全て消した。
  ティファで、最後だった。
  これでこの街ともお別れだ。
「どこに行くんだ?」
「とりあえずソラと合流して…アンセム博士の口座があった都市だな」
「…口座…」
  神羅の社長に会った際、アンセム博士の関わりを尋ねたが、息子は博士を知らなかった。
  先代が出資をしていたらしく、代替わりするまで定期的に金が振り込まれていたが連絡を取っていた形跡はなく、何の為の金なのかも不明だということだった。
「何だそれ、使えないな」
「そうでもない。振り込まれ始めたのは惨劇の直前だ」
「惨劇って?」
「…ゼアノートがいて、神羅が関係していた。復元された宝条博士のデータにあった人外の体細胞もおそらくゼアノートの研究に関係しているんだろう」
「無視かよ」
「…息子が社長になって金の振り込みが絶たれれば、何か動きがあるかもしれない」
「……」
「調べる価値はある」
「…お前は秘密主義か」
「は?何の話だ?」
「…何でもない」
  お前の秘密はそのうち暴いてやる。
  隣に並んで、共に歩く。
  時間は無限と思えるほどあって、やることはまだまだあって、世界を回る。
  多くの人間と出会い、別れを繰り返すのだろう。
  その度に記憶を操作し、さよならを告げる。
  …ああ、お前の気持ちちょっとわかった。
  その言葉、俺のことを指してるんだといいんだけどな。
  あいしてるとか、そんな陳腐な言葉はもう言わない。
  同じモノとして、共に生きる。 

  それはひどく、幸せだった。


END
パラレルでKHのクラレオな関係にするのが目標でした。

緋の残照-最終話-

投稿ナビゲーション


Scroll Up