リノリウムの床に散乱した硝子の破片を踏みしめると、細かく砕ける音がした。
廊下の奥、開いた扉から覗く部屋内には書籍や機械類がまるで空き巣に荒らされた後のように潰れて床に落ちている。酷い有様だった。
レオンは鍵を開けてくれた管理人に礼を言い、「真っ直ぐ戻って下さい」と追い払う。
「誰かが来た」という記憶を持っていてもらっても困るので、管理人には管理人室に戻った瞬間忘れるように暗示をかけた。
頷き廊下を歩いて去る後姿を確認し、扉を閉めて、鍵をかける。
午後に差し掛かった平日の晴天の中、部屋はカーテンが閉め切られて薄暗いが、視界に困ることはない。
足を踏み入れ、やたらと広い「神羅の英雄の住居」を歩く。
マンション最上階のワンフロアを使った空間は、一人で住むには有り余るのではないかと思う。一部屋ずつも広いが、見て回るのも大変だ。
鏡という鏡は全て壊され、大小の破片となってそこら中に散らばっている。
書斎と思しき壁面全書棚の部屋では半分以上の本が床に落ち、端が折れたり引き裂かれたような後があった。別の部屋を見れば寝室だったが、広い空間にぽつんと置かれたベッド以外に特筆すべき家具もなく、一面のクローゼットは閉ざされたままであり、衣服の類を持ち出した形跡はなかった。
もう一部屋を覗いてみるが、ここは物置部屋だろうか?天井まで届くスチールラックが並べられ、棚の上には様々な物が乗っていた。
まるで商品陳列棚のようだと思ったが、クッションのようなものからぬいぐるみ、新旧ゲーム機、ゲームソフト、いくつも並んだ引き出し付の箱の中にはそれぞれマザーボード、キーボード、ビデオカード。ハードディスクやメモリ、マウスまであり、オーディオの類やバイクのミニチュア、車のものまで多種多様でまとまりがない。とてもではないが全てを確認していたら日が暮れそうだと思ったが、新品で開けられた様子のないパッケージの裏を確認して納得した。
全て神羅製品だ。
自分で集めたのだとしたら変人の域だなと思ったが、仕事の関係でサンプルを手に入れたとか、そういうことならばまだ納得できる。
が、それでも律儀に全て取っておくのは十分変人だ。
保管して置けるスペースがあり、処分するのも面倒で、断るという選択肢が取れない場合にこういう事態になるのだろうか。
倉庫と化しているこの部屋には手をつけられた様子がないのをいいことに、早々に出る。
ハウスキーパーの手が入っているのか目立った埃や汚れもなかったが、こんな部屋を掃除させられるスタッフに同情した。
広々としたサニタリールームやリビングダイニングは放置し、それ以外の所を見て回った後、もう一度書斎へと赴く。
パソコンや記憶媒体は持ち出された後だったが、そんなことは織り込み済みだ。
目的は破られ引き裂かれた書籍にあった。
衝動に任せて手当たり次第に破り捨てた物と、そうでないものを選り分ける。
破られ方と捨てられ方を見れば一目瞭然だった。目的を持って破り捨てた物は執拗であり、そのものに対する怒りが混じっている。
本としての本来の役目を果たせずただのゴミと化した一冊を手に取り、表紙を確認する。
遺伝子工学の専門書だった。
別の一冊はさらに踏み込んだ内容で、また別に手に取った本は生命倫理の物だった。
さらに毛色の変わった背表紙を手に取れば、ファンタジーだ。
妖精や人間以外の種族が出てきて活躍する、冒険物だった。かと思えばホラーやミステリーもあり、死者が土の中から蘇り、人間の血を求めて襲い掛かるという地方の伝説を扱った物まで様々あった。
精神的に余程余裕がなかったのか、傾向は顕著でわかりやすい。
わかっていたことではあったが、セフィロスは吸血鬼化されている。
神羅の社長と重役が死んだ日かその前に。
レオンは眉を寄せ、ため息をついた。
完全に逃げられてしまう前に、ゼアノートの情報を吐いてもらわなければ。
残念ながらここにはゼアノートと繋がるようなものはなさそうだった。
本人に直接聞きに行くことはもちろんだが、神羅の新社長にもアンセム博士のことを聞かねばならならなかった。
どういう関連なのか。今でも繋がりはあるのか。
アポイントメントはもちろんない。
夜を待って行動しなければならなかった。
携帯が震え、メールの着信を知らせる。ポケットから取り出して内容を確認し、ため息をついた。
「…ちょうどいい時に」
携帯をポケットへ戻し、英雄セフィロスの住居を後にした。オートロックの扉が音を立てて閉まる頃には、すでにレオンの姿は見えなかった。
朝からの体調不良は続いている。
否、軽い貧血を自覚していたが、身体的な不調としてはそれだけだった。仕事に支障が出る程深刻なものではなく、鉄分を多く含んだ食品を摂取すればすぐに回復するだろう程度のものだ。
問題は精神的なものだった。
クラウドは晴れない表情で午前を過ごす。
出勤時、通学路にもなっているのだろうソラとまた会い話をしながら駅まで歩いたが、変わった様子は何もない。「レオンは俺が出かけたら寝るって言ってたからもう寝てるかも」と言いながら笑う姿は普通の人間だった。
レオンより色素の薄い髪、濃い蒼の瞳。血色が悪いということもなく、元気で年齢相応だった。
駅で別れ際に求めた握手に少年は怪訝な表情をしたものの、触れた手は冷えていた。
この少年もまた、レオンと同じ存在なのだろうか。
化け物、という単語は使いたくなかった。
瞳が紅く変化して牙が伸び、十五階の高さを物ともせずに窓から侵入する事ができ、まともな食事は摂らず、おそらく鏡に映らなかったと思ったのも気のせいではないだろう。
首筋に残った痕が気になった。まるで娯楽作品に出てくる吸血鬼のようだと思ったが、吸血鬼は昼間は歩けないはずではないのか。
どこまでが夢で、どこからが現実なのだろう。すべて「己の妄想」で片付けられれば良かったのだが、何故かそう思い込むことは困難だった。
「夢だと思え」という暗示が一つ、壊れたことにクラウドは気づいていない。
夢として思い込む為には現実の齟齬が大きすぎたこともあるが、夢だと思いたくない気持ちが強く、拒否をした。
そうだ、あれは夢ではない。
夜な夜なレオンが訪ねて来ては、何かを質問した。
答えられることもあったし、知らなくて答えられないこともあった。その都度レオンは誰々に聞け、とか誰々が詳しいだろう、と助言をくれて、それに従い行動していた。
具体的な内容については覚えていないが、情報を齎せば褒めてくれた。
小さな子供にするように頭を撫で、微笑む姿に愛されいてるのだと思った。
何故そう思ったのかはわからない。今考えればそう仕向けられていたのかもしれないが、クラウドは嬉しかった。
夢ならいいだろうという思いと、夢でなければいいのにという思いでレオンに手を伸ばし、拒絶されなかったので受け入れられたのだと思っていた。
レオンが人間ではなく目的があって近づいて来たのだったら。
「……」
何が落ち込むって、俺のことをただの駒としか見ていなかったということにだ。
気持ちが沈む。
それに比例して、体調は悪くなった。
仕事をやっていられる状態ではなくなり、入社して初めて早退することにした。
まだ有給休暇は支給されていないので給料から天引きされるが、仕方がない。仕事も今日はそれほど忙しくなく、明日で取り返せば済みそうであることも大きい。午前中一杯で早退し、食欲はないが昼飯を食ってから帰ろうと思い立つ。
食堂で軽めのものをトレイに乗せ、窓際の席に座って一人進まない食事をしている所に、対面に腰を下ろすスーツ姿が視界に入り顔を上げる。
「…ザックス」
「よ!どしたの元気なさそーじゃん」
「あぁちょっと、調子悪くて。飯食ったら帰る」
「あ、そうなの?道理でパンとコーヒーなんて学生の昼みたいなもん食ってるなと思ったら。大丈夫なのか?」
「平気だ。寝れば治る」
「気をつけて帰れよ~」
言いながら、昼間からでかいカツレツを頬張る姿は元気そのものだった。
今日はきっちりとネクタイを締め、ボタンもしっかり留めている。これから外部の人間と会う約束でもあるのか、しきりに腕時計を見やる様子に首を傾げた。
「…約束でも?」
「あーうん、約束ってか、電車の時間」
「え、電車で営業?」
「違う違う。てか俺営業じゃねぇし。んーと…お前セフィロスの行方気にしてたよな」
「あ?…あぁ」
そうだったっけ?
コーヒーを啜る。
ああそうだ。情報収集をしなければならないのだった。
「見つかったのか?」
促せば、ザックスは周囲を警戒するように見回した後、顔を近づけ小さな声で囁いた。
「いるかどうかはわかんね。けどタークスがさ、途中で車乗り捨ててあるの見つけたって報告があってさ」
「へぇ」
「んでまぁ、色々調べたらとある屋敷がセフィロスに関係してるらしくて。無人でもうずっと使われてないらしいんだけど、そこにいるんじゃねーかなって。逃げてそうな気もするけど一応な」
それはおそらく、ザックスの報告メールに入っていた屋敷のことだった。
「ザックスが行くのか?」
「それがさー聞いてくれよー。社長命令だぜ。行って見て来いって。んでいたら説得して来いって。宝条博……、あいや、まぁ、あれだ、抵抗されたらどうすんだって思うけど頑張るしかないよなはははは」
「……」
「まぁタークスいるし万が一はないと思うけど…俺まで殺されるようじゃ、もう英雄駄目だよな」
「…ザックス」
せっかく隠した博士殺害発言が露呈していたが、ぼそりと呟く言葉には力がなかった。
二人で飲みに行く程度には近しい距離にあったのだろうことは聞いて知っていた。だからこそ行って来いと社長も命令したのだろうが、危険はないのだろうか。
…一人殺害している男だ、仮に友人であろうとも危険がないはずがない。
「俺の体調なんかより、ザックスの方が大丈夫なのか?」
「んーまめに連絡入れることにはなってる。連絡なくなったら応援来るだろ」
「…そんな適当な」
「派手に動けないからなぁ。あそこにいるって確証が得られればまた別だけどさ。何にしてもまず確認しないとなんなくて、事情を知ってる奴が良くて、できることならちょっとでも話ができる奴が適任っていうわけ」
「…無理するなよ」
「おうサンキュー!クラウドも早く体調悪いの治せよ!」
「俺は大丈夫」
「そか!さって、んじゃちょっと早いけどそろそろ行くわ。お大事にー」
「…ザックスも気をつけて!」
「おー」
トレイを片手で持ち、片手を振った後姿は颯爽としていた。
食事を終えてクラウドも食堂を後にし、会社を出る。
携帯を取り出して、報告メールを打った。
「……」
これは送らなければならないメールだった。簡潔に、的確に、急ぎの用件の場合にはメールを送ること。
わかっている。
ついでに、早退することを伝えるのは余計だろうか?
報告部分はすでに打ち終わっている。さっさと送信しろと囁く声が聞こえるが、未練がましい感情が顔を出す。
心配してくれるだろうかと期待するなんて、馬鹿だな自分。
恐らく直接会っても今まで通りの顔はできない。
店で会っても、平静でいられるか自信もない。
…だがレオンが人間ではないのだとしても実害はなかったし、嫌ではないのだ、不思議と。
「…俺救いがないな…」
自覚している。わかっている。
ならば、もういいと思う。
しっかり一文を付け加え、レオンへとメールを送信した。
報告メールに返信がないのはいつものことで、送受信したメールは削除しておくことが約束だった。約束といっても口約束ではなく、やれという強制だったがクラウドは遵守しており、送り終わったメールは即刻削除した。
会社を出て電車に乗り、空いている座席に座る。昼間は座れる位には空いているのだと思うと、ありがたかった。
最寄り駅の改札を出て、自宅へと帰る。
日の高いうちに退社して帰宅する経験は初めてで、新鮮だった。
平日昼間でも行き交う人々は多い。主婦ばかりではなく、学生やサラリーマン、老人など入り乱れており大都市の多様性を垣間見たような気がした。
仕事を途中で放り投げてしまったような後ろめたい気分を抱えながらも、鍵を開けて部屋に入る。
鍵をかけ、鞄をソファの上に放り出し、スーツを脱ぐ。ネクタイと上着を脱いだ所で、力尽きてそのままベッドへと寝転んだ。
眠い。
目を閉じれば即熟睡できそうだ。
意識が落ちるに任せて眠ろうとするが、遠くから聞こえるインターホンに邪魔をされて浮上した。
「……誰だよ…」
どうせ新聞の勧誘か、分譲マンションのセールスか、宗教だろう。
多いんだよな。一人暮らしの賃貸マンションを狙ってくる奴。何も平日昼間に来なくても良かろうに。
俺は会社に行ってていません、と心中で言い訳をして無視を決め込むが、中に人がいるのを知っているかのようにインターホンは執拗に鳴り続けた。
いくらなんでもしつこい。うるさい。
眠気よりも苛立ちが勝り、立ち上がる。
モニターごしに文句でも言ってやろうと映像を確認したが、誰も映っていなかった。
「…イタズラ…じゃないよな…?」
思わず呟いた声が玄関の子機から漏れたのだろう、ため息混じりの声が返って来る。
「…遅い」
「…レ、レオン!?」
思わず身体が跳ねて、目が覚めた。
カメラに映らない位置に立っているのかと思ったが、気づく。
鏡に映らないのなら、カメラに映らなくても不思議じゃない。
共同玄関のオートロックを解除し、レオンを招き入れる。十五階に上がってくるまでの僅かな間で、ソファの上に投げ出した鞄を片付け、スーツの上着とネクタイをクローゼットに押し込んで、締め切った玄関口で待つ。玄関の鍵は開けておいた。
待ち時間がもどかしく、歩き回る。
ホントに来たのか。
いつも通りに振舞うことができるのか。
扉を開いて姿を現したレオンは、うろうろと玄関で歩き回るクラウドを見てきょとんと目を見開いた。
「あ」
「…何だ?ご主人様を待つ飼い犬か何か?」
「ち、違う…!」
「…入っても?」
「ど、どうぞ…」
お邪魔します、と挨拶をして中に入るレオンの後ろを歩く。
やはり、姿見にレオンの姿は映りこまなかった。
「……」
目は蒼いままだったが、ああ、やっぱり人間じゃないのかと納得した。
しっかりと目の覚めた日中、目の当たりにした現実を、クラウドは冷静に受け止めた。
今日は窓からじゃないんだな、と思わず言いそうになったが言葉を飲み込み、「体調は大丈夫なのか」と問われて大丈夫だと頷いた。
「貧血みたいになって気持ち悪くなったから早退した。寝てれば治ると思う」
「そうか、大変だな。寝ていいぞ?」
「え」
「様子を見に来ただけだからすぐ帰る」
「……」
本当にすぐ帰りそうな勢いだったが、ゆっくりしていけと引き止めるのもおかしな話だろう。己は体調不良で会社を早退しているのだから。
ベッドに腰掛け、レオンを見上げる。何か、言わなければ。
「あー…ワイン、冷蔵庫入ったままになってるけど」
出る言葉は引き止めようとするものになった。
「ん?…ああ」
「飲んで行けば」
「いや、今日はいい」
「…そうか」
寝室の窓辺に立ってカーテンの隙間から外を覗くレオンは普通の人間にしか見えないというのに。
せっかく少しずつ親しくなって、あんなこともやってしまったというのに。
不思議で仕方がなかった。
「いいから寝ろ」
「…はい」
振り返ったレオンに肩を押され、仕方なくベッドに寝転がるが眠気は吹き飛んでいた。
身体を横向きにしてレオンを見やれば静かにベッドサイドに腰掛けて、クラウドを見下ろす。額に置かれた手はやはり冷たかったが、優しいものだった。
「…クラウド、お前はよくやってくれた」
「…何?」
「随分捗った」
「……?」
「おかげで逃げられずに済みそうだ」
「…何の話…」
「感謝している」
知っているはずだった。レオンが言っていることの意味を、自分は知っているはずだ。
霞がかった記憶の向こうにあるものが、おそらくレオンの言葉の意味だった。思い出すことは出来ないが、レオンの為に行動していたことは覚えている。
「…役に、立った?」
「ああ、すごく」
「過去形なんだな」
「……」
「もう、役に立たない?」
「…もう、必要なくなった」
己の存在自体が必要ないと言われたような気がした。眉を寄せる。
何故だろう、すごく悲しくなった。
泣きたい気分というやつだ。
レオンを真っ直ぐ見上げれば、ぶつかる瞳は紅かった。
何かをする気だ。
額に置かれていた手が、髪を撫でる。
「…クラウド」
身体を屈め、至近に寄せたその顔は、深夜窓からやってくるレオンのものだ。
引きずりこまれるような感覚には抗えず、視線を外すことも許されない。
だが意志の力を総動員すれば、身体は何とか動くのだった。
手を伸ばし、レオンの後頭部へ回す。引き寄せてキスをすれば、レオンが目を見開いて硬直した。
口を開かせ舌を差し込むが、牙はない。もっと深くと抱きしめようとしたが、腕を掴まれ引き剥がされた。
「…お前、何で」
動けるのだと、信じられないような表情を向けられたが、説明のしようがない。
質問したいのは、こちらの方だ。
「お前何する気だ?俺に何しようとした?」
レオンの瞳に縛られているこの瞬間は心地良い。抗う気はなく、逃げる気もないのだ。受け入れてしまえば意志まで縛られることはないようだった。
「……」
紅い瞳に戸惑いが混じる。
レオンはクラウドにかけた暗示が壊れていることを知らない。昨夜のことも全て夢だと思っているはずなのに、躊躇なく伸ばされたこの手は何なのだろうと眉を顰める。
クラウドが身体を起こし、掴まれた手を取り返してレオンが着ているシャツを無造作に捲り上げた。
「っ!?」
「あ、やっぱり」
驚愕の余り拘束力の弱まったレオンの視線から逃れ、露わになった素肌を見下ろす。
鎖骨下や脇腹などに、クラウドがつけたいくつもの鬱血の痕が残っていた。人間じゃないのなら驚異的な回復力を持っていてもおかしくなさそうなのに、こういうのは残るものなのだろうか。それとも回復力はないのだろうか。
「な…っ?」
「夢じゃなかった」
「……っ!」
危険だ。
暗示が壊れていることに気づいたレオンは混乱した。
知られている。どこまで暗示は効いていて、どこから壊れているというのか。
報告メールは受け取った。だが、余計な一文が入っていることに首を傾げた。
暗示が完璧に効いているならば私情を挟む余地はない。
求めたことのみに応えるのだから。
少なくとも一つの暗示は壊れていて、どこかが緩んでいるのだと感じたが、どこかがわからない。
咄嗟に反応できずにいるレオンの身体を抱き寄せて、クラウドが小さくため息をついた。
「レオンが人間じゃなくても気にしない。必要ないとか言われたくない」
「……」
何故だ。
何故暗示は壊れた。
今までこんなことは一度だってなかった。
ベッドの上に押し倒されて、我に返る。
「…おい、クラウド…!」
身体を弄る手に恐怖する。
何だこれは。
何だこいつは。
男の唇が肌の上を這う様に戦慄いた。
理解できない。
ありえない。
これは、恐ろしいモノだ。
早く、消さなければ。
「レオン、」
名を呼び、顔を上げて愛しげに頬を撫でてくる男の視線を捉えて、手を伸ばす。
吐息が絡むその距離で、レオンは一言呟いた。
「眠れ。そして…さよならだ」
お前の中から俺にまつわる全てを消せ。
さようなら、クラウド。
美しい月夜になった。
地上に煌くネオンの上で存在を主張する満月は、控えめだった。
文明が発達しすぎて、地上が明るすぎるのだ。
それでも超高層ビルの最上階から見る月夜は悪くない。風が強く髪や服が嬲られるが、たいしたことではなかった。
窓辺に立ち中を窺えば、白いスーツを着た男が一人、豪奢な椅子に腰掛けデスクに向かって仕事をしていた。
神羅カンパニーの新社長だ。
強化硝子で出来た分厚い窓の外からノックするように強めに叩いてみれば、かすかな音に気づいた男が顔を上げて反応した。
全ての窓が開く設計にはなっていないが、一部は風を取り込む為と緊急脱出用に開く仕様になっていた。
警戒しているのだろう、男はハンドガンを手に取り窓へと近づいてくる。
壁に身体を預け、男が窓を覗き込むのを待つ。
窓の外には人が歩けるくらいの余裕があり、転落防止用の柵もあった。
非難時にはそのまま屋上のヘリポートへと上がれるようになっていて、ここを利用するのは社長のみだった。
手を伸ばし、相手に見えるようにもう一度、外から硝子を叩く。
人がいることを認識した男は、窓を開けることなく銃を構え、姿を見ようと身体をずらす。
レオンは微笑った。
まともな判断力を持った「人間」で安堵した。
敵意がないことを示す為に両手を肩の上にやり、ゆっくりと姿を見せてやる。
目が合った瞬間、男は落ちた。