眠れ、眠れ、手の中で。

  すでに日は落ち、深夜と呼べる時間に突入しようとしていたが、扉を開けた先に部屋の住人はいなかった。
  よくあることと気にも留めずに我が物顔でリビングへと侵入し、明かりをつけソファへと座り込んだが、ローテーブルの上に乱雑に置かれた書類を見やって眉を顰めた。
  法則性の欠片もない、投げて乗せただけと言わんばかりの紙の束は向きこそ揃っているものの方向はバラバラであり、しかも逆側から投げたのだろう、ソファに座って見れば文字は逆を向いていた。
  一番上に乗っていた一枚を手に取り、内容を見る。
  明らかに仕事の物と思しき文章の羅列は回りくどい表現によって塗り固められ、何が言いたいのか不明瞭なものだった。
  公式書類というやつは、何故長文なのか。
  箇条書きで要点を言えと思いつつ、最後まで読む気も失せて放り出す。
  タイトルもまた長い。

 『市街化区域におけるレジャー施設建設を目的とする開発許可制度の運用基準』

  意味はわかる。
  街を再建する為にレジャー施設を作る際の基準についての話ということだ。
  それはわかるが、何故そんなものがここにあるのかというのが疑問だった。
「…相変わらずあいつはめんどくさいことやってるな」
  クラウドはため息をつき、飲み物でも淹れようとキッチンへ向かう。住人不在であってもクラウドは気にしない。
  鍵を渡したということは、自由に出入りをしていいということだと解釈している。
  通常ならば遅くなってもそろそろ帰ってくる時間であったし、顔を合わせた所で文句を言われる筋合いもなかった。
  少し遠出をしていて、数日振りに戻ってきたところなのだ。
  疲れていたし早く寝たかったが、さすがに家主が不在のままベッドを占領するのはどうかと思う。
  まぁ邪魔なら蹴飛ばすくらいのことは平気でやってのける家主であったので、勝手に振舞っていても問題はないのだが、わざわざここに来た目的があるのでそれを達成せずして熟睡することはできなかった。
  早く帰って来いと思いながら、コップに入れた水を飲む。
  柱に凭れかかり、空になったコップを見つめてため息をついた。
  歪曲した硝子の向こう、ダイニングテーブルの上にメモ用紙が置いてあることに気づいて、歩み寄る。
  掌ほどの大きさの正方形の紙には、この部屋の住人の手による文字が躍っていた。
「…俺宛かこれ!」
  何日から何日までどこに出かける、と書かれたそれは、一人暮らしの男には必要のないものだ。
  明らかに、招かれざる客に対して向けたもの。
  律儀に残されたそれに苦笑が漏れる。
「誰も心配しないし…」
  帰って来なければ再建委員会の様子を見ればいい。
  通常通りならば何か理由があるのだろうし、異常事態ならばそれはその時考えればいいことだった。
  だが珍しいこともあるものだとクラウドは思う。
  あの男が何日も留守にすることなど、この街に戻ってきてからなかったのではないだろうか。
  しかもこのメモに書かれた場所は、つい先日までうろついていた場所だった。
  街の隅々まで見て回り、足りなければ別の世界へ出かけることもある。通りすがったその場所は街の中心部からは離れていたが、随分と賑やかで復興の進んでいる区域だった。
  仕事というよりは休暇や旅行で訪れるにふさわしい観光特区と言っていい。
  まさか旅行ということはあるまい。
  リビングのローテーブルの上に置かれた書類に目をやった。
  あれか。仕事か。
  観光地へ泊まりがけで仕事とは、ご苦労なことだった。
  手に持ったままのメモを見下ろし、首を傾げた。
「…さすがにこの時間はもう寝てるかなあいつ」
  日付を跨いだ時刻になっていたが、まぁいい。
  クラウドは今現在暇だった。
  疲れていて寝たいのだが、ここにいないのなら仕方がない。
  意外にきっちりとした文字を書く男の驚いた顔を想像しつつ、クラウドは移動する為回廊を開いた。
 
 

 
 
 
  かつて闇の手に落ち、再び人間の手に取り戻したレイディアントガーデンと呼ばれる街は、現在の所中心部よりも外円部の方が順調に復興が進んでいる。
  闇の扉が開かれた場所が街の中心にある城であり、そこから溢れ出たハートレス達は今もなお城を拠点に活動をしている為で、キーブレードの勇者の手によって扉を塞ぎ止め処なく溢れ出てくることはなくなったものの、未だ街の中心部においては昼夜関係なく闇の者達は闊歩していた。
  外堀を埋めて行く作業にも似た地道なハートレスの駆除は功を奏し、少しずつ闇の生息範囲は狭まっている。
  外円部にハートレスが出現することはほぼなくなり、人間の安全圏が確保されつつあった。
  街の荒廃加減と復興速度は場所によってまちまちではあるが、日々目に見えて蘇るかつての姿は人々に活力を与え勤勉な労働意欲をかきたてるようで、街へと戻った人々は実に真面目に働いている。
  真面目に働いているからこそ、生命の危機に晒されることのない外円部の生活圏に、安楽の地として保養所を作った。
  疲れた心と身体を癒す為の場所として歓楽街は必要だという理由からであった。
  一番栄えていなければならないはずの中心部は闇の気配が濃厚であり、危険が残っている為現在の所復興は緩やかであり、外側の方が活発であるのは仕方がない。
  仕方がないが、復興という名に胡坐をかいた無軌道な建設計画を許容することはできず、年度ごとに提出され修正される復興計画に基づいた街作りが行われるよう、監視することもまた再建委員会の仕事の一つであった。
  あれもこれもと平和になった途端噴出する街の権力者達の行動に頭を痛めつつ、広大になりつつある街の外円部へと、表向きは休暇と言う名目の元視察に向かったレオンだったが、すでに疲労していた。
  日中は家族連れやカップルなどの客に向けた観光産業が盛んであったが、夜になると様子は一変する。
  煌びやかなネオンと出歩く派手な格好をした男女が行き交う夜の街は、別世界のようだった。
  ハートレスの脅威がないというだけでここまで復興速度に差ができるのかと、書類上では知っていたが実際目の当たりにすれば愕然とした。
  客引きの男女が通りを歩く人間に追いすがりながら店に寄って行けと声をかける。
  街の中心部に生活拠点を置く人々にとって、夜とはイコール闇の者達が活発に活動する時間であり、無防備に出歩くことは自殺行為だったがここはそうではない。固く扉を閉ざし朝までじっと家の中で過ごす必要もなく、気軽に出歩く事ができるのだった。
  日頃のストレスを解放し、羽目を外すには丁度いい。
  何者にも脅かされない場所、結構なことだった。
  一人で通りを歩く男は、客引きにとって格好の餌食である。レオンが一人客引きを引き剥がしても、次から次へとやってきた。
「お兄さん、安くしとくよ。カワイイ子いるし、どうですかー?」
「いや、結構」
「仕事で来たの?お疲れでしょう、うちの店ゆっくりできますよ!」
「ああ、またそのうち」
「お兄さんお兄さん、ホストとか興味ない?指名取った分だけ稼ぎ放題だし努力が報われる場所なんです!あなたの才能生かしてみませんか!?」
「間に合ってます」
  視線を合わせたら厄介だ。こういうものは、真っ直ぐ前を向いたままその気はないと返答してやるのが一番効果的だった。
  こいつはダメだと見切りをつければさっさと別の人間の元へ移動する。客引きとはそういうものだ。
  活気があるのはいいことだったが、普段生活している中心部とのギャップが大きく違和感が拭えない。
  深夜になってもまだ人通りが絶えることのない大通りから逸れ、細い路地裏へ踏み込んでもハートレスの気配はなかった。完全に人間の手に世界が戻ったのだという安堵は大きかったが、変わりに現れたのは性質の悪い人間だった。
  有り金置いていけという、典型的な観光客狩りの数名に取り囲まれる経験は滅多に出来るものではない。
  ここは平和だなぁと何故か引き攣る己の頬を押さえながら皮肉に思う。
  復興した街、復興した区域、復興した産業はどれも活力に満ち溢れて眩しいほどだが、人間の内面は変わることはないようだった。
  薄暗い路地裏で絡んでくる連中は、街の中心部で人間を狙って現れるハートレスとどう違うというのか。
  相手が人間かそれ以外かの違いだけで、善良な人間にとっての脅威と言う点においては同一だった。
  金をくれてやる義理はないので断れば、各々襲い掛かってくるのも同じ。
  殴られる筋合いもないので軽くかわし、だが放置すると追いかけてきそうなので死なない程度に殴る蹴るの暴行を加えておく。
  すでに秋の夜長に冷たい地面の上に倒れこんでは風邪を引きそうだなと思ったが、自業自得なので問題もないだろう。
  相手の力量も測れず特攻してくる勇気には感嘆するが、それは勇気ではなく無謀だと教えてやる間もなかったがどうでもいいことだった。
  路地裏を出て、別の道へと入れば今度は「お兄さん遊んでいかない?」と背後から靴音を響かせながら声をかけられうんざりした。
  客引きのセリフには独創性の欠片もなく、答える気も失せたが無視をするとしつこく付け回されることもある。言い飽きてしまったお決まりの断りの言葉を軽く受け流し、追いすがった客引きはレオンの肩に手を置いた。
  馴れ馴れしい動作にため息を漏らし、手を払う。振り返った先にいたのは見知らぬ男だった。視線が合った瞬間「まぁいい男!」と浮かれた声を上げられ一歩引いた。
  年齢的にはかなり年上の男は精悍な顔つきをしていて、紫のストライプシャツに黒のネクタイ、光沢のある黒のスーツを着込んでおり口調と外見が全くそぐわなかったが、まともな人種でないことは一目瞭然だった。
「一晩の思い出をどうかしら?悪くないと思うわよ」
「いりません」
「アタシの店イケてる男いっぱいいるんだけど来ない?」
「結構です」
「女の子いっぱいいる店もあるけどそっちがいい?」
「頼んでない」
「んー、じゃぁ…」
「……」
  人の話を聞こうとしない長身の男が軽く首を傾げ、レオンの頭から爪先までを撫でるような視線で一巡し、趣の異なる笑みを浮かべた。 
「お兄さんさ、俺でどう?いくら?」
「はぁ?」
「言い値でいいよ。相手探してるんだろ?」
「何でそうなる」
  いつの間にやら口調は男のものになっていた。あれは営業用ということなのだろうが、それにしても合っていない。
  馴れ馴れしい態度はそのままに、距離を詰め至近に見下してくる下卑た視線が不快だった。
「こんな夜中にこんな路地裏で一人うろついてると襲われちゃうよ」
「ご忠告痛み入るが、俺に触るな」
  髪に触れようとする手を再度払う。
  その気はないと睨みつければ、男は困ったように肩を竦めてため息をついた。
「俺じゃご不満かな。相手紹介しようか。男がいい?女がいい?」
「いや、結構だ」
「もう夜遅いよ。帰って寝るだけなら遊んで行けばいいのに」
「しつこい」
「俺ベッドの中じゃしつこくないよ。優しくするし。試してみようか」
「他を当たってくれ」
「そう言わずに。俺お兄さんのこと気に入っちゃったな」
「迷惑だ」
「ね、君名前なんて言うの?俺はね、」
「聞いてないし言う気もないしあんたに付き合う気もない。他を当たってくれ」
「つれないなぁ。いいなぁ。鳴かせたいなぁ」
「……」
  ダメだこいつ、分かり合えそうにない。
  腕を掴もうと伸びてくる手を払い落とす。関わり合いになりたくない人種だった。
  男を無視して立ち去ることはおそらくできない。頷くか男自身が諦めるまでついてくるだろうことは容易に想像できる。厄介な奴に絡まれたと思ったが、男は出会えた幸運を勝手に喜んでいるようだった。
  いい加減、会話すること自体が億劫になって来る。
  まだ夜の間に見て回らなければならない場所はたくさんあったが、疲れてきた。
  さっさとホテルに戻って今日は寝たい。
  その為にはこの男をなんとかしなければならない。
  面倒だった。
  踵を返し、何かを話しかけてくる男に背を向け歩き出したが、男はぴったりついてきた。
  駄目押しすれば何とかなると思っているのか、懲りずに肩に手を回そうとしてくるのを叩き落す。
「触るなと言っているだろう」
「どういう条件なら触っていいのかな」
「どんな条件でもお断りだ」
「でも君、触られるの嫌いじゃないでしょ」
「…は?」
  思いもよらぬことを言われ、無意識に男の顔を見たが後悔した。
「男、嫌いじゃないでしょ。嫌悪がない」
「……」
  にこやかな顔に浮かぶ下卑た視線はそのままだった。
  わかった風な口を利く男に嫌気が差したが、離れようと距離を開けてもすぐに寄り添ってくる男に諦める様子はない。
「そういうの、わかるよね。…俺がどっちの人間かもわかってるんでしょ」
「興味ないな」
「はっきり言うねぇ。俺優しいよ?」
「そんなことはどうでもいい。他を当たれと何度も言ってる」
「俺にも好みというものがあって」
「知るか。ならば俺にも好みと選ぶ権利というものがある」
「えー?俺好みに合わない?俺結構イケてると思うんだけど、ダメ?どんなのがタイプなの?」
「……」
  自分で自分をイケてるとか、笑って下さいと言っているのだろうかと思うが、タイプも何もそんなものはなかった。
  だが素直にそんなことを言えば「じゃぁ問題ないね」等と言い出しかねないので、言う気になれない。
  宿泊しているホテルまで連れて行く気はない。
  どこか店に入ろうと誘ってくるが、店に行く気もない。
  ここで別れて、さよならしたい。
  さてどうするか。
  路地裏を出た先は明るいネオン街だった。
  大通りの角から現れた腕がレオンの首に回されて、男から引き離すように引っ張った。
「俺だろ」
「ク、…お前、何で?」
  危うく名前を飲み込んで、レオンは己の肩を抱き込むように引き寄せた金髪の男を見やって目を見開いた。
「いつまで経っても戻って来ないと思ったら、こういうことか。お前のタイプは俺でいいだろ」
「…いや、それはちょっと」
「この状況で文句言うとかお前何様だ?…さっさと戻るぞ。俺眠い」
「…戻りたいのは俺も同様だがお前…」
「何?あのおっさんと一晩過ごすの?」
「それはない」
  即答にクラウドは満足気に頷いた。肩を抱いていた手を離し、レオンの腕を掴む。
「じゃぁ帰るぞ。というわけでさよなら。残念でした」
「…うーん、あれがタイプなんだったらちょっと違うか…ざーんねん」
  釣りかけた魚に逃げられた男は呆然と頭をかきながら、去って行く二人の背中を見送った。
  黒スーツの男を置いて大通りを歩き、途中で右に折れ突き当たった場所に建つホテルがレオンの宿泊先だ。
  迷いなく歩くクラウドを見やり、レオンはため息をつく。
「歩きにくいから手を離せ。…メモを見たんだろうが、何で来た」
「手を離すと変なのに絡まれるだろお前。…暇だから来た」
「絡まれ度合いはお前も変わらなさそうなんだが?…いいから手を離せ」
「絡まれても俺全部無視するし。…相手するお前が悪い」
「俺のはもはや職業病だ。…仕方がないだろ」
「仕方なくない」
  部屋の前で立ち止まり、ようやくクラウドは手を離す。
  オートロックの鍵を開けろと促して、カードキーを取り出し差し込んだレオンの横をすり抜け扉を開けて中に入る。
  シングルルームであるはずだが部屋は広く、ベッドも大きい。
  観光地としてだけではなく保養地としても開拓が進んでいるこの地にふさわしく、バスルームは立派な温泉だった。
「さて」
  振り返り、ジャケットを脱ぎ携帯していた小物をテーブルの上に置いていたレオンの腕を再度掴む。
「風呂入って寝るか」
「…待て、この手は何だ」
「お前も入るだろ?温泉」
「……」
  胡乱気な眼差しを向けてくるレオンに、笑みを向けた。
「一緒に入るだろ?温泉」
「意味がわからん」
「お前に拒否権あると思ってんの?」
「……」
「助けてやっただろ。借り返せ、借り」
「…た」
「頼んでないとか言うなよ。お前困ってただろ」
「……」
「闇の回廊というやつは、聞こうと思えば外の会話も良く聞こえる」
「…ぬ」
「盗み聞きって言うな。おかげで助かっただろ」
「……」
  眉を寄せて不機嫌に睨みつける瞳は納得してはいないようだが、反論の余地はないので黙っていると言ったところか。
「さっさとヤって寝るぞレオン」
「…前提がおかしいんだよな…」
「寝かさないで欲しいって?積極的で結構だな」
「…アホだろお前」
「アホって言うな。ホラ早く。寝る時間が減るぞ。俺は昼まで寝ててもいいけど」
「……」
  これ見よがしなため息をつくレオンの背中を押して、あらかじめ確認しておいたバスルームへと向かうのだった。


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