祈りはどこに届くのか。

  心臓を揺るがす大音量が空を劈き、瞬間視界を白く染めて雷が落ちた。
  地響きのような余韻を残しながら、空はゴロゴロと低い音で唸っている。
「…ん…あれ?」
  肩を震わせ目を覚まし、ソラはソファに横たわって眠っていた己に気がついた。
  視界の正面には背凭れがあり、閉ざされた世界に窮屈を感じて寝返りを打つ。
  向かいのソファに座っていたはずの同行者の姿はなく、代わりに短い金髪を逆立てた黒衣の男が腕を組み、足も組んでふんぞり返りながら座っていた。
「…へ?クラウド?レオンは…?」
「……」
  無言で指差したのはテーブルの上に置かれたモニタだった。
  監視カメラを設置し、この部屋にモニタを置いて様子を観察していたのだが、代わり映えのしない画面にソラは飽き、ごろごろと部屋で寛いでいる間に眠ってしまったのだった。
「え、レオンそこにいるのか?」
  立ち上がり、回り込んでクラウドの隣に立つ。
  音声はなく、深夜の上月明かりもない中では良く見えはしなかったが、雷が光るたびに鮮烈に浮かび上がるモニタの中には背を向けたレオンと、周囲には山を成した黒い影のような壁が聳え立っている。
  今まさに対峙している人の形をした影は、壁と同化してわからなかった。
「え!ハートレスじゃないのかこれ!?」
「そう」
「…え!?そうって、何だよ!クラウド何してんだよ!」
「何って…見物?」
  さらりと他人事のように呟いて、クラウドが首を傾げる。
「おい!って、クラウドにツッコミ入れちゃったよ!違うよ何で見物してるんだよ!」
  ここに座って様子を窺っておきながら、何だその言い草はとソラは呆れた。
  手伝いに行かなくていいのかと、問うたのだが男は座ったまま動く気はなさそうだった。
「さっきから全然動いてない」
「…へ?」
「話し中なんだろう。…邪魔しに行くのか?」
「……」
  なるほど確かにレオンは武器を携帯していなかった。
  見ている今もまだ、動きはない。
  「話し中」ということは、誰かがいるのだろう。ソラは詳細を聞いてはいなかった。ただ「ハートレスが大量に現れるから、原因を突き止める」と言われ、ハートレスを倒す段階で手伝って欲しいということだったので、単純に戦闘すればいいのだと思っていた。
  レオンはソラを邪魔扱いなどしないだろうが、少し様子を見た方がいいのだろうか。
  それにしても、クラウドの存在が気になった。
「…何でクラウドはここにいるんだ?」
「さぁ?」
「…レオンが呼んだわけじゃ、ないよな?」
「さぁ」
「…あ、ヤなこと考えちゃった。ナシナシ。これナシ!」
「……」
  ちらりと興味なさげに冷めた視線を向けられたが、ソラはクラウドを見なかった。
  …俺の手伝いじゃ不安、ってことじゃないよな。うん、違う。絶対違う。
  いつも街に来たら歓迎してくれて、ハートレスを倒していけば「助かる」と喜んでくれるのだから。
  キーブレードじゃないとハートレスもノーバディも「救えない」のだ。
  本当の意味で「救えているかどうか」はソラにも誰にも確認は取れないが、解放した心は持ち主の元へと戻るのだから、運が良ければ人間として蘇る。
  それがキーブレードの力であり奇跡なのだ。
  今ここに、キーブレードを使える人間はソラしかいない。
  だから、レオンは必要としてくれるのだ。
  …あ、これもなんかイヤだな。ナシナシ。
  まるでキーブレードがなければ必要ないみたいじゃないか。
  ナシナシ。
  レオンはきっと、キーブレードがなくても歓迎してくれるはずなのだから。
  キーブレードがなければそもそも出会っていたかも不明だが、仮にトラヴァースタウンで行き倒れていたら、レオンはきっと助けてくれるはずだと思う。
  だから、キーブレードはあってもなくても関係ない。現在、ソラが所有しているのだから、そもそも仮定は無意味なのだった。
  キーブレードを持っていて、レオンを助けることができる。ソラじゃないとできないことだ。
「よし、これだな」
「…?」
  隣で怪訝に眉を顰めた男は何を言うでもなく軽く頭を振って、モニタを見下ろした。
  同じようにソラも見下ろし、レオンの様子を窺った。
  レオンが武器を構えたら、俺の出番。
  息を殺して、時期を待つ。
  再び視界が白く染まって、雷が落ちた。轟音に肩を竦めるが、隣で腕を組んだままのクラウドは動じなかった。
「動いた」
  ぽつりと漏れた声は小さかったが、ソラにもわかった。
  キーブレードを持ち、走り出す。
  扉を開けてレオンの元へと急ぐが、クラウドは動かなかった。

 

  ハートレスでできた堆い壁の中、雷光の落ちる瞬間露わになった影の姿は、肩より長い髪の女だった。
  無表情に近く、髪色は白に近い金のようだったが、正確にはわからない。
  落雷後も動じることなく佇む様子に変化はなく、じっと窺うような視線をレオンに注いでいた。
「マリアとは、エアリスの友人か?」
  確認の為問えば明らかに動揺した様子で、女が身じろぎをした。
「エアリスを、知っているのですか」
「…仲間だ」
「…仲間…」
  探るような声音に変化した。
  態度の変化に敏感に反応したのは黒山となったハートレスだった。
  ざわ、と空気がざらつく悪意に変化した。
  レオンは眉を顰め、何でだよと内心呟く。
「エアリスの、彼ですか」
「は?いや違う。仲間だと言っている」
「…友人ですか」
「…ああまぁ、それでいい。友人だ」
「そうですか」
  それきり女は沈黙し、帰ると言っていたものの、動く気配はなかった。
  周囲のハートレス達は忙しなく動き始めてはいるが、まだ襲い掛かって来る段階ではないようで、レオンに視線を向けながら今か今かと命令を待っている。
  さてこれは、困ったことになったとレオンは思う。
  エアリスは、無事なのか。
  マリアという女がすでに闇のモノになっているのなら、危険だ。
  目の前の女はマリアのことを妹と呼んだが、闇の生き物に血縁など存在しない。
  いつから?
  …マリアの夫の葬式があった前後か、それよりも前なのか、後なのか。どちらにせよエアリスが訪ねた時にはすでに目の前に立つこの女はいたと言うのだから、すでに闇の生き物だったというわけだ。エアリスは「マリアは元気だった」と言ったのだ。成りすましでは、ありえない。
  エアリスに敵意を持っているのなら、前回訪ねた時に片鱗はあるはずで、だが彼女は全く警戒していなかった。「また遊びに行って来る」と言い、今回も気軽に出かけて行ったのだから。
  マリアやこの女に、人間に対する敵意はないのか。
  目的はないと言った、それが真実であるのなら、放置しておいても問題はないのか。
  …だが、周囲に群がるコイツらは。
  ハートレスは人間と敵対する生き物だった。人間を襲い心を奪うのは本能だ。相容れるはずがない。倒さなくてはならないモノだった。
  この女に諭すことは可能なのだろうか。
  ハートレスを呼ぶなと。
  マリアが望むと言うのなら、望むなと。
  これだけの数のハートレスを、召喚しているのか、それとも闇の扉が開いているのか。
  前者ならば翻意させる事ができれば良い。後者ならば、キーブレードで閉ざせばよい。
  静かに大人しく、人間と敵対することなく存在していられるのならば、倒す必要はないのではないか。
  レオンは迷う。
  エアリスは今どうしているのか。
  彼女の意見を、聞いてみたかった。
  対峙したまま静かに立つ男を見つめながら、マルタもまた迷っていた。
  エアリスの友人だという男は、この子達を城に持って来るなと言った。迷惑だからと。
  この子達の食事は人間だった。
  人間を襲わなくとも消滅することはないが、大好物なのだった。
  見かけたら、襲わずにはいられない。
  襲うなとお願いすることは可能だろう。
  けれどこの子達に我慢を強いることなど、できはしないのだった。
  村の人間全てを食い尽くしたが、無限に増え続けるこの子供達を養う術が、マルタにはない。
  マリアはこの子達が側にいてくれるだけで良いと言い、側近くに侍らせることが幸せなのだった。
  ただ、共に過ごせるだけで、幸せなのだ。
  屋敷内に溢れ返り、収まりきらなくなった子達を城へと運び、解放していることをマリアは知らない。
  食事をさせる為のみならば、人間の多い所に放してやればいい話だったが、最後まで面倒を見てやることがマルタにはできないのだから、最も闇の濃いこの城で、仲間がたくさんいるこの場所で、自由にしてやるのが一番良いのだと思っていた。数日に一度は解放してやらなければ、屋敷から溢れ返った子達は行き場をなくして村の中を彷徨い出す。
  家にいられないなんて、可哀想ではないか。
  マリアの近くにいられないなんて、可哀想ではないか。
  ならば自由にしてやろうと思って、何がいけないのか。
  この男はいけないと言う。
  連れて来るなと言われたら、マルタには成す術がない。
  「食うか食われるか」と男は言った。
  奇妙な話だ。人間は、この子達のエサなのに。
  この子達を、この男はどうすると言うのだろう。
  人間がこの子達を食うという話は過分にして知らないが、この男は食うのか。
  この子達を、殺すのか。
  ぞっとした。
  背筋に走る緊張は、あの晩の恐怖を呼び起こした。
  闇を殺す恐ろしいモノ。
  …エアリスの友人だというこの男もまた、恐ろしい生き物なのか。
  巨大な武器を振り回す、あの男と同種の生き物なのか。
  では、エアリスも…?
  たおやかな容姿と気さくな内面を併せ持つ、彼女もまた、恐ろしい生き物なのだろうか。
「…貴方は」
  押し出した言葉は無自覚に震えていた。
  両手を握り締め、胸元で組む。
「何なのですか」
  人間はこの子達のエサなのだ。
  この男は全く動じることもなく、大勢の子達に囲まれても平然としていられるのは、何故なのか。
「何と問われても、俺は人間だ」
「嘘」
  人間は、エサなのに。
「…あんたらにはあんたらの事情があるように、人間にも人間の事情がある。わかるか」
「事情?」
  頷く男は静かだった。
「あんたが持ち込んだハートレスはすでに街に流れている。数が増えるということは、人間に危険が増えるということだ。わかるか」
  マルタは頷いた。
「先程も言ったが、相克する以上食うか食われるかだ。人間も生きている。大人しく食われてやる理由はない」
「……」
「襲われたら抵抗する。仲良く共存することは不可能だ。あんたが自由を望むコイツらも、街で人間を襲えば返り討ちに遭う可能性があるということだ」
「……!」
  愕然とした。
  やはりこの男は、殺すモノなのだ。
  恐ろしい。
  何て、おぞましい。
「呼ぶな。増やすな。人間を襲わなければ、抵抗されることもない。家で大人しく、誰も襲わず静かに暮らしていれば誰も気にしない。…わかるか?」
  言いたいことは果たして伝わるのか。
  レオンは根気強く語りかける。
「…すでに連れて来てしまったモノについては仕方がない。…だが、人間を襲わせるな」
「…そんな」
「溢れて手に負えなくなる程増やすな」
「…無理です」
「マリアに言えばいいだろう」
「気づけば増えているのです。…呼んでいるわけでは、ない」
「…あんたはさっき、マリアが望むからと言った」
「ええ、そう。マリアは子供を望んでいる」
「…子供」
「望みに反応して、どこかからやってくる。…この子達は、マリアの子供」
「……」
  厄介だ。
  マリアを倒さなければ、終わらないのではないだろうか。
  無限に増えるハートレスを、無限に倒し続けねばならないのはご免被る。
「翻意させろ。せめて己の目が届く範囲で飼え」
「惨いことをおっしゃるのですね…」
「…人間にとっては、無限に沸き続けるハートレスの存在の方が惨いんだが」
「無理です」
  きっぱりと断られ、レオンは隠すことなくため息をつく。
  交渉ラインが成立し得ないのでは話にならなかった。
「…あんたとマリアが静かに暮らす事を望むならば、目の届く範囲のハートレス…いや、子供達と共に暮らせばいい。人間に迷惑をかけず、敵対しなければ共存は可能だ。…俺は無理な要求をしているつもりはない。どこが無理だ?言ってもらおう」
  この子達のエサである人間が、自己主張をする。
  マルタは僅かに首を傾げ、考える。
「…この子達は人間を襲いたがっている。禁止することなど出来ません。この子達はマリアの望みから生まれる子供。制限することなど出来ません。静かに暮らす事を望んでいます。人間と敵対するつもりもありません」
  頭痛がするな、とレオンは思った。
「なるほど。…敵意はないがハートレスは無限に増やす。コイツらが人間を襲うのは自由、人間は大人しく食われてろ、ということか」
「そうは言っていません」
「そういうことだろう」
「……」
  マルタは困惑していた。
  言葉に出して言われてしまうと、確かに共存は不可能である気がした。
  マリアやマルタは人間をどうこうしようとは思わない。が、この子達は違うのだ。
  ああそうか、と、初めて気づく。
  この子達を守ろうと思うなら、人間と敵対しなければならないのだ。
「…今のまま続けていると、どうなるのですか」
  聞いておかねばならなかった。
  この子達を傷つけるというのなら、エアリスの友人であろうとも倒す覚悟を持たねばならない。 
「あんたが持ち込んだ所で、コイツらに自由など与えない。全て排除する。そして」
「…そして?」
「…ハートレスを増やしている元凶を、絶つことになる」
「…っ!!」
  男は平然と言い切った。
  この子達を殺すと言った。
  それだけではなく、マリアまで!
「…なんて、酷い…!なんて、惨いことを!おぞましい、生き物が…っ!」
  身体が震えた。
  恐怖ではなく、怒りであった。
  マルタが叫ぶ。生まれて初めて、咆哮というべき声を上げた。
  数え切れない程のハートレスが紅い瞳を爛々と輝かせ、一斉に男へと飛び掛かる。
  殺してしまえ。
  食ってしまえ。
  あなた達に脅威を及ぼす、災いを断ってしまえ。
  雷が間近で落ちた。
  真白く染まる視界の中で、男が武器を取り出すのが見えた。
  気をつけて。
  その男もまた、恐ろしい生き物だ。
  子供達を呼ぶ。
  床から次々と現れる黒いモノ達は無限とも思える膨大な数で、男を襲う。
  別の階にいた生息域を違えるモノ達も呼び寄せた。
  全てのモノよ、この男を殺してしまえ!
  誰かに殺意を抱いたのは、初めてだった。
  ああ、憎い。
  男が言った言葉が脳裏を巡る。
  相容れない存在なのだ。食うか食われるかなのだ。
  人間とは、共存できない。
  ならば私は、捕食する。
「…!!」
  ああ全く、理解できない。
  レオンは舌打ちし、群れて襲い来るハートレスに立ち向かう。
  提案は妥当なものだったはずだ。双方痛み分けであり、かつ平和的な解決法だった。
  あちらが要求を呑めば手出しする必要もなく、エアリスは友人を失うことなく、仲良くやっていけたはずだ。
  城にいるハートレスはいずれ一掃する予定だが、そんなことは言う必要はなく、向こうが知る必要もないことで、あちらが生息域を遵守し大人しく生きていくならば何の問題も生じない。
  何故、と思う。
  敵意はないと言ったではないか。
  呼ぶな増やすな襲うなと、それだけのことが何故できない。
  それが闇に生きるモノの本能なのか。曲げられない信念とでも言うのか。
  違うだろうと言いたい。
  少なくとも、意志を持つお前達は、本能のままに生きるハートレスとは違い、理性を持っているのだから。
  何故、と繰り返す。
  エアリスを友人として受け入れるお前達が、何故。
  やりきれない。
  嫌な気分だった。
  わかりあえない。
  共存できるはずなのに、共存できない。
  …いや、互いに譲れない一線が、交錯しない時点で理解しあえないのだと、すれ違う会話の中でレオンは失望と共に痛感していた。
  会話はできても、成立しない。
  意図するところが、伝わらない。
  空虚で、悲しかった。
  瞬く間に数を減らしても、同じようなスピードで数が増える。
  キリがない。
  あの女を倒さなければ、終わらない。
  …あの女を倒しても、マリアを倒さなければ、終わらない。
  ああ、いやだ。
  やりきれない。
  もっと他に方法はなかったか。あちらに理解してもらえるような、手はなかったか。
  …考えるが、思いつかなかった。
  思いついたところで…、もう、遅い。
「レオン!!」
  叫びと共に、飛び込んでくる小柄な影が武器を一閃し、加勢する。
  煌くキーブレードが小さなハートレスを薙ぎ倒す。
「ソラ…」
「ごめん、寝てた!!でも、間に合ったよな!」
「…ああ、待っていた」
「へへ」
  群れの中に突っ込んで、進路を確保するように周囲の壁を打ち崩して行く少年の背は頼もしかった。
  拮抗していたバランスが瞬時に崩れ、ハートレスの数は激減した。
  さらに呼ぼうとする女を見やり、レオンが眉を引き絞る。
  …もう、遅い。
「ソラ!その女を倒せ!!」
「了解!!」
  女を守ろうと周囲に群がるハートレスを容易く蹴散らし、キーブレードの勇者は女に振りかぶった。
「……!!」
  目を見開いた女は棒を飲んだように硬直し、動きを止めた。
  小さなハートレスが群れを成し、女を庇うようにキーブレードの前に立ちはだかる。
「…わっ」
  ソラが小さく声を上げたが、キーブレードの勢いは止まらない。
  ハートレスごと、女を斬った。
  仰け反り悲鳴を上げて、女が背後に倒れ込む。
  僅かに、浅かった。
  女はうつ伏せ、床を這うように手を伸ばす。
  闇の回廊が開いた。
「えっ逃げるのかよ!待て!」
  追おうとした足元に、ハートレス達がしがみつく。
  行かせまいとする必死さに、ソラは苛立った。
「もー!!邪魔すんな!!」
  レオンもまた、回廊の中へと逃げ込む女を追う為走るが、立ち塞がるモノ達の壁に阻まれ間に合わなかった。
「…クソ」
  舌打ちする。目の前で回廊は女を飲み込み消滅した。
  女が呼んだ膨大な数のハートレスを一掃するのにしばし時間を要したが、全て終えた時には静寂が落ち、女の気配は欠片もなかった。
「あー…ごめんレオン…逃がしちゃった…」
「いや、いい。どこに逃げたかはわかってる」
「え、そうなのか?さっすがレオン!」
「……」
  事態は深刻になった。
  女が逃げた先には、おそらくエアリスがいる。
  急いでマリアの家まで行かねばならないが、どうやって。
  時間が、足りない。
  眉を顰めて考え込むレオンを見上げ、ソラが不安そうな顔をした。
「…何か、問題あり?」
「今すぐ行かないと、エアリスが危険だ」
「えっ!?」
  どういうこと!?と問われるが、答えてやるには長くなりそうだった。
  どうするか。
  コツ、と、フロアの端で靴音がした。
「……?」
  こんな時間に、こんな場所で人がいるはずはない。
  怪訝に振り返るが、ソラは思い出したように「あ」と声を上げた。
「クラウド、結局見てただけかよ!」
「…クラウド?」
「見事に取り逃がしたみたいだな」
「うっ!」
  ソラは言葉に詰まったが、歩み寄ってくる男の表情にこれといった感情はない。
  どちらかと言えば、得意そうに見えた。
  …何でだ。
  レオンは違う意味で眉を顰め、クラウドを見やる。
  視線が合えば、男は「それで?」と促した。
「…それで、とは?」
「どうする?と、聞いてる」
「……」
  聞き覚えのある言葉だった。
  「どうする?」
  …女がいる。どうする?だ。
「……女」
「え?」
  ソラが意味がわからないという顔で見上げて来るが、返事をしている余裕はなかった。
「…女がいると言ったな」
「ああ、言った。人間じゃない女がいるが、どうする?と、聞いた。どこにいるかも、知っている」
「…ッ!?」
  そんな話は知らない。聞いてないぞ!
  絶句するレオンに、クラウドは勝ち誇ったような笑みを向けた。
「…で、どうする?」
  問われるまでもない。答えは一つだった。
「連れて行け!今すぐに!」
「お願いします、だろ」
「お前…!!」
「レオン。…お願いします、だろ?」
  にこやかに、笑ってみせる。
  さぁお願いしろ。頭を下げろ。
  小首を傾げて、言えと促す。
  レオンは唇を噛み締めしばし逡巡したが、長くはなかった。
  内心の葛藤を殺し、顔を上げて真っ直ぐクラウドを見据える蒼の瞳は強かった。
「…あの女の場所まで、連れて行ってくれ。お願いします」
  頭を下げた。
  レオンが、クラウドに、頭を下げた。
「…やればできるじゃないか。じゃぁ、掴め。離すなよ」
  右手を差し出し、左手で回廊を開く。
  レオンはクラウドの手を掴み、ソラへと手を伸ばした。
「ソラ。…離れるなよ」
「あ、うん。…なんかクラウドがムカつくなぁ…」
  不満を全面に押し出して顔を顰める少年に、レオンは頷いた。
「全く同感だが、我慢しろ」
「…おい、聞こえてるぞお前ら」
  不機嫌な声が前から投げつけられるが、レオンとソラは無視をした。
  クラウドにしてみればささやかな意趣返しなのだったが、二対一では分が悪い。
  闇の中に放り出してやってもいいんだけどな。
  …やらないけど。
  一人でぶつぶつ呟いているクラウドを奇妙なものを見る目で眺めやりながら、闇の中をしばらく歩き、出た先は立派な屋敷の中だった。
「着いた」
「ああ、…ソラ」
「何?レオン」
  素直に見上げてくる少年を見下ろした。
  …心が痛むが、押し殺す。
「エアリスが、危険に晒されている。闇の者がいる。元凶だ。…見つけたら、躊躇わずに倒すこと」
「うん、わかった。さっきの奴も、見つけたら倒していいよな?」
「ああ」
「よし、探そう!」
  走り出す少年は、強かった。
  この広い屋敷は、分散して探した方が効率がいいだろう。
  レオンは逆方向へと足を向けた。
  後ろからついてくる足音があり、振り返れば不機嫌な表情のままクラウドが呟く。
「…礼は」
「は?……、ああ、…助かった、どうもありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「……」
  会話は途切れたが、クラウドはついてくる。
  帰っていいぞと言うべきなのか、帰りの足として残しておくべきなのか迷う所だ。
  話をするのが面倒だったので、好きにさせることにする。
  クラウドは帰る気はなさそうだった。


12へ

Kyrie eleison-11-

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