祈りはどこに届くのか。
遠くで弔鐘が聴こえる。
村一つを全滅させたハートレスはもはやいないが、失ったものは大きかった。
エアリスは常と変わりなく生活を送っているが、時折物憂げにため息をつく。
事情を聞いたユフィとシドは何も言わず、ただいつも通りに仕事をしていた。
たまにエアリスは「ごめんね、すぐ、元通りになるから」と笑うものの、誰も咎めはしない。
何もできなかったと自責に駆られる気持ちは察して余りあるのだった。
その気持ちは、レオンも同じ。
やりきれない思いがしこりのように残っていた。
キーブレードの勇者は帰り際、「俺、悪いことしちゃった?」と不安げな表情を見せたが、少年が気にすることはないのだった。
倒せと言ったのはレオンであり、少年は「キーブレードの所有者」にしかできないことをやったのだから。
計画し、実行したのは、全て俺。
それでいい。
努力はしたが、力が足りなかったのも俺。
事態を予測しきれなかったのも、己の至らなさのせいなのだ。
早めに仕事を切り上げて、レオンは自宅へと帰る。
前倒しで片付けておきたい案件はいくつもあったが、そんな気分ではなかった。
何も考えずに、ゆっくりする時間が必要だった。
鍵を開け、中に入る。
中に入ると、人がいた。
「……またかよ…」
レオンは憂鬱な気分になり、リビングへと足を踏み入れるが、招かれざる客は今日は大人しくソファに座って雑誌を読んでいた。
顔を上げ、雑誌を閉ざした男は「おかえりー」とのたまいながら立ち上がり、「コーヒー飲むか?」と言い置いて我が物顔でキッチンへと歩いて行った。
何となく視線で動きを追うものの、いやここ俺の家なんだがと内心で呟く。
言葉に出して会話するのは億劫だった。
何を言う気も失せ、寝室で着替えを取り出しバスルームへと向かう。
「おい、飲んでから行け。氷入れてやったのに!」
キッチンから顔を出し、不満も露わにコップを押し付けられて仕方なく受け取った。
このコーヒーと、水と、氷はこの家のものであるにも関わらず、何故この男はでかい面ができるのだろうとレオンは思う。
いちいち言うのも面倒なので言わないが。
殊勝にレオンの分まで飲み物を淹れる、という行為自体は褒めてやってもいいかと思うが、これはすでに毒されているのだということに、レオンは自分で気づいている。
当たり前のように家を出入りしているから、当たり前のように感じているのがすでにおかしいのだ。
…面倒くさがらずに、「少しは遠慮しろ」ときつく言ってやるべきなのだ。本当は。
だがもう、遅い気がする。
今更だった。
汗をかき始めたコップを持ったまま動かないレオンに、男が焦れる。
「…解けてる。解けてるぞ。水っぽくなるぞ。コーヒーが」
「…なぁクラウド」
コップを見つめていたレオンが、視線を上げた。
クラウドは、眉を顰める。
ぶつかるレオンの瞳には強さがない。
「何?」
「…氷入れ過ぎ」
「文句言うな。さっさと飲めよ」
ため息をついて視線を逸らし、一気に煽るレオンは通常通りで変わりない。
飲み干し氷が甲高い音を立てるコップをクラウドの胸元へと押しやって、そのままバスルームへと消えて行く。
「お背中お流ししましょうか?」
声を投げるが、「邪魔したら殺す」と恫喝された。
物騒なんだよなアイツ。
不機嫌だし。
…いや、不機嫌というよりは落ち込んでいるというべきなのか。
エアリスの友人を倒した事が堪えているらしい。
城に来ていた女と何を話したのか、レオンは口を割らないので誰も知らない。
ただ言葉を尽くして理解を求めたが、適わなかったということだった。
…レオンが言葉を尽くして、というところがにわかには信じ難いが、らしくない事を真剣にやって伝わらなかったのだとしたら、そりゃぁヘコむだろうなとクラウドも思う。
コップの中の氷は解け、室内の水蒸気がコップに当たって冷やされ水滴となって床に落ち、跳ねてクラウドの足に当たった。
「…つめて」
空のコップをシンクに突っ込む。
洗うべきか。
…置いておいたらアイツ自分で洗うかな。
飲み物を淹れるくらいは出来るが、片付けとなると割りそうな気がした。
割るとうるさいし、放置しておいてもうるさいのだ。
ならば破片を片付けるという面倒なミッションが発生しない分、放置しておいた方がマシというものだった。
すでに割ることが前提となっているが、クラウドは気にしない。
ソファに戻り、読みかけの雑誌を開く。この雑誌も当然レオンの家にあるものだが、内容に興味があるわけではなく、単なる暇つぶしであった。
この家にはゴシップ関係の雑誌はなく、漫画もない。オーディオプレイヤーはあるが、数が多いわけでもない。
唯一あるのはアクセサリだったが、そもそも娯楽がない。必要最低限の生活をする為だけの場所、という感じであった。
居心地が悪いわけではないので構わなかったが、暇つぶしやゆっくりと時間を過ごすという目的にはそぐわない場所だった。
そもそも家って、自分の為の空間だろうに。
寛げるのだろうか。
…いや、俺は寛いでるけど。
ならば問題ないじゃないかと己にツッコミを入れた。うむ、その通り。
この部屋は全てがレオンの物で出来ているというのに、何故だかあまりレオンを感じないのだった。家主がここで過ごす時間が少なすぎるせいかもしれない。
まるで「誰でも過ごしやすい」をテーマに作ったモデルルームのようだった。「家主のこだわり」とやらは、ここには存在しない。
最初にデザイナーが考えた家具配置、家具センス、色彩そのままで、何も変更を加えていないかのような。
センスは悪くない。
シンプルでよくまとまっていて、無駄がなくて、色の配置も違和感なく、過ごしやすい。
だが、個性がない。
だからこそクラウドが寛いでいても違和感を覚えないのかもしれなかったが、レオンの人間性を示すアイテムはアクセサリくらいしかなかった。
あとは服とか。
あまりにも整然としており物がないので、逆に何かを置きたくなってくるのだった。
そのうち漫画でも買ってきて、こっそり棚に並べておいたらどうだろう。怒るだろうか、アイツは。
一つずつ、物を増やして置いて行く。
いずれは個性的になるかもしれない。
さて気づかれずに増やして行くには、まず何がいいだろうか。
雑誌をテーブルの上に放り出し、部屋を眺め渡しながら考え始めたクラウドを、バスルームから出てきたレオンが怪訝に見つめた。
「…何をしてるんだ?」
「え?…あー…考え事を」
「そうか。…雑誌はちゃんと片付けておけ」
「ああ…って、出かけるのか?」
レオンはラフな部屋着ではなく、出かける為にきちんとした服を着ていた。
「食事に。…作る気力がない」
「…奢ってやろうか」
気まぐれに言えば、レオンはあからさまに引いた。
「…は!?」
「失敬だなお前…いやいらないなら別に」
「…明日は世界滅亡の日か」
「オイ」
立ち上がり、雑誌を本棚に戻して玄関へと向かう。
後ろからついてくるレオンの気配が、疑惑に渦巻いていて笑えて来た。
「…何がおかしい」
「心配しなくても毒とか盛らないし」
「薬もやめろ」
「やらないって」
一体何の話をしているのやら、とため息をつくクラウドに、いよいよ世界が終わるんじゃないだろうなと半ば本気でレオンは心配するのだった。
普通に食事を終え、普通にクラウドが支払いを済ませ、そして当然のようにレオンの家に共に帰る。
何だこの状況は、とレオンは思う。
いい加減脳を酷使するのはやめたいと思うのだが、回る思考は留まることなく、状況分析に余念がない。
…疲れた、もう寝たい。
ソファで寛ぐクラウドを放置し、さっさと寝る用意をする。
ここのところ、まともに睡眠を取れていなかった。
些細な事で揺れる心が疎ましい。
己が決めて行動したことに、後悔をするなと何度となく己に言い聞かせはするものの、そう簡単に思い切れるものではないのだった。
まだまだ、己には足りない部分が多すぎる。
もっと強く、賢くならねばならなかった。
ベッドに入り、シーツを被る。
明かりを消し、目を閉じた。
しばらくすると、クラウドが当然のように寝室へと入ってくる。
そして当然のようにシーツを剥がし、レオンの上に乗りあがる。頬を撫でる手は、風呂上がりでしっとりと温かかった。
「…お前な…」
「なんだ、起きてるじゃないか」
予想通りとばかりに笑みを含んで返され、レオンはため息をついた。
「…さて聞くが、お前は何をする気かな」
「ん?…何だそれ、そういうプレイがしたいのか?」
「お前のプレイに付き合う気はないと言ってる」
「俺のプレイって何だろな」
顎を掴んで顔を寄せ、クラウドは舌を伸ばしてレオンの唇を舐める。引き結ばれた薄い唇に歯を立てれば、痛みに顔を顰めたレオンが額に手を置き引き剥がそうと押して来る。
「…ナニソレ、誘ってんの。全然力入ってないけど」
「俺は、も、ね…っ、…ッ!」
眠いんだと最後まで言わせろ!と、侵入し口腔を蹂躙するクラウドの舌に噛み付こうとするが、親指を突っ込まれ閉ざす事ができなくなった。ならばと右手を振り上げ叩こうとするが、手首を掴まれシーツの上に押し付けられる。
「…っは…!」
「…あれ…本気で力入ってなくないか?」
「だから!」
「まぁいいか。好都合だし」
「おいクラウド…ッ!」
口端から流れ落ちた唾液の跡を舌先でなぞりながら、レオンの項から鎖骨へと滑らせる。
首筋を行き来する生暖かく濡れたクラウドの舌の感覚に、レオンが首を竦めてやめろと拒否をした。
歯を立て緩く噛み付けば小さく震えて息を詰めるが、感じているというよりは反射のような反応だった。
多少なりともヤる気になっていればそろそろ何らかのアクションがあって然るべきだが、レオンの縫いとめた右手は未だに抵抗をやめないし、左手はクラウドの肩を押し返そうとするのでこれまた手首を掴んで押し付けておかなければならなかった。
足もしっかりと膝に力を入れて動けないようにしておかなければ、蹴り上げられそうな勢いだ。
あ、これマズイやつだとクラウドは気づいた。レオンは本気で嫌がっている。
作戦を考える。
やめるという選択肢はないのだった。
「ところでレオン」
「何だ!」
「お前本気で抵抗するの?」
「……何?」
「抵抗すると体力消耗するだろ。…俺も無駄な体力使いたくないし。緊縛は気分じゃないし。…お前がどうしてもっていうなら考えるが」
「素直にどけ!」
「…俺は知っている」
「あ?…何を」
「……」
クラウドはレオンを真っ直ぐ見下ろした。何だとレオンもただ見上げた。
しばらくそのまま止まっていたが、じっと見詰め合うことに疲れたレオンが、眉を顰めて続きを促す。
「…何だ、言ってみろ」
「女を理解しようとしても無駄」
「はぁ?」
「あの女達の行動原理は、俺達には理解できない」
「あの女達」で、誰を指しているのかを察したが、突然何だと眉間に皺が寄った。
「…随分女にお詳しいようだが、俺達って複数形で言うな」
「ハートレスを子供とか言っちゃう心理、俺には絶対わからないな」
それは確かに、と、レオンも思う。
だが、それがどうした。
「ソラを呼びに行ってやった。何も見せるな聞かせるなとか、過保護にも程がある。…ソラのお守りしてやった」
呼ぶまで控えているようにと言われ、大人しく待っていたソラを褒めてやるべきだった。
「……」
「…帰りもこき使われたし」
「……」
「要求しないと礼も言わないし」
「…礼は要求するもんじゃないだろう」
「自然に出てこない所が酷い。「何て酷い男」なんだろうな」
「……っ!」
当分の間、レオンにとってはトラウマになりかねない言葉だった。
知っている。
俺はその場にいて全て聞いていたのだから、知っている。
抵抗の弱まったレオンの両手首を解放してやる。
自由に動かせるようになった両掌で、レオンの頬を挟み込む。
至近に顔を寄せて、囁きを落とした。
「…お前が最近眠れてないことも、俺は知っている」
「……」
何故、と問いたげなレオンの唇を塞ぐ。
抵抗はなかった。
「だから、ヤらせろ」
「……お前が馬鹿すぎてイヤになる…」
「何てお優しいクラウド様、だろう?」
「……」
レオンがため息をついた。
これは、「仕方がない」のため息だ。
レオンのシャツに手をかけるが、もうやめろとは言われなかった。
「…クラウド」
「何?」
「俺は寝たいんだ」
「ああ、知ってる」
「…ならいい」
知っている。
ちゃんと、知っている。
俺がお前の立場だったなら、お前と同じ行動が果たして取れたか。
お前はソラを救い、エアリスを救い、あの女もまた救ったのだ。
「酷い男」ということは、全ての責任をお前が背負ったということだ。
知っている。
俺が知っているのだから、それでいいだろう?レオン。
END