祈りはどこに届くのか。

  雲がなく直接地上に降り注ぐ真夏の陽光は強かった。
  舗装された石畳は照り返しで白く輝き、立ち上る陽炎を見て誰もがげんなりとため息を吐く。
  風がなく、ひたすら肌に突き刺さる日差しは過酷であり、じりじりと肌が焦げる音が今にも聴こえてきそうだった。
  こんな日中、さすがに出歩く人は少ない。外せない用事で外出せねばならぬ人々は、物陰を選んで足早に目的地へと移動する。
  エサとなるべき人間が存在しなければ、ハートレスもまた地中深くに潜んだまま、出現することはない。
  この街の住人は、危険な通路とそうでない場所を弁えている為、最近では犠牲者も随分と減っていた。
  こまめに駆除作業を行う再建委員会の陰の努力も功を奏し、少しずつ、出現する数自体も減ってきていた…はずだった。
「…暑い…」
  流れ落ちる汗を拭う間もなく襲い来るハートレスを撃退しながら、灼熱の石畳の上、レオンが剣を振るう。
  毎日のように同じ場所で駆除作業を続けていれば、嫌でも敵の数や強さは知れる。考えずとも身体は動いた。
  避けて通られエサにありつけずにいる敵は、のこのこと一人でやって来る男に嬉々として襲い掛かって来るものの、毎度の如く追い払われているのだった。
  いい加減学習して、消えればいいのにとレオンは思う。
  多少なりとも学習しているのか単に生息域を変更したのかは知らないが、少しずつ数は減っているとはいえまだ多い。
  毎日毎日、同じ事の繰り返し作業に辟易とするが、これも大事な仕事であった。
  一区画分のハートレスの駆逐作業を完了した頃には、まるで雨に降られでもしたかのように汗で全身濡れそぼり、拭っても拭っても流れてくる汗に疲労のため息が漏れた。
「…タオル欲しい…」 
  いやもはやタオルで拭くのでは追いつかない。シャワーだ。シャワー浴びたい。
  真夏の肉体労働は過酷だった。
  顔や首筋に張り付く髪をうっとうしげにかき上げ、汗でぬめるグローブを外す。
  普段グローブを嵌めている手首から先と、日に晒されている腕との色の差異にうんざりする。
「わお、見事なバイカラーだねレオンくん!」
「…バイカラーて…」
  背後から他人事のような声をかけられ、眉を顰めて振り返る。
  元気そのものの声主は、真っ白のフリルつきの日傘を差し、真夏の日差しを華麗にブロックしていた。
  だが服装はフリルではなく、生足生腕を露出した、日焼け対策とは程遠い健康そのものの格好であったので、日傘のガーリー加減と相まって違和感も甚だしい。
「…ユフィ、何だその変な格好」
「変ていうな、変って!エアリスに借りた日傘だぞ!言いつけるぞ!」
「…エアリスが変とは言ってない」
  正直喋るのも億劫だったが、無視するわけにもいかない。ユフィの側に避難させておいた書類を取ろうと近づけば、気づいたユフィが顔を顰めた。
「うわちょっとー汗だくじゃーん。汗臭いのやだよあたしは。大丈夫?」
「……じゃぁ寄るな」
「寄って来てんのレオンじゃん!あ、コレか。書類汗で濡れんじゃないの」
「…ああ、まぁしょうがない」
「大事なやつじゃないの?日傘持ってくれんなら、これ持ってやってもいいけど」
「…ん?どういう意味だ?」
  日よけの為に日傘を差しているのだろうに、他人に持たせては意味がない。
  首を傾げれば、コレ見てよコレ、と左手に持った買い物袋を指差した。
「見回りのついでに買い物行ってきてって頼まれたんだよ。中はつめたーいジュースね、ジュース。右手に傘持って、左手に買い物袋辛いんだよねー」
「……」
  ならば買い物袋の方を手渡せばいいのではないだろうか。
  レオンの表情の意味を理解し、小柄な少女はこれ見よがしにため息をついた。
「わかってないなーレオンくん!いいかね、君が日傘を持って、一緒に入って行けば日よけできるじゃないか!このクソ暑い中、労働ご苦労と労ってあげるユフィちゃんの親切、気づけよ早く」
「……あー…。ああ、なるほど。え、俺が持つのか…その日傘」
  フリルのついた、なんとも可愛らしいその日傘を。
「あたしがレオンの高さまで腕持ち上げたらしんどいんだよ。レオンが持つべき。ホラ早く!ジュースが温くなったらすぐ飲めないだろー!」
「……」
  押し付けられるまま、日傘を受け取った。
  いや、俺は別に日よけせずとも書類を持ってさっさと帰れば済む話なのだが。
  ユフィは空いた右手に書類を抱え、レオンが差す日傘の中に納まった。
「ふー、楽でいいー。ちゃんとレオンも入ってよ。提供した意味ないし」
「…ああ…」
  間抜けだ。
  非常に間抜けだ。
  そして恥ずかしい。
  唯一の救いは、再建委員会本部までそれほど遠い距離ではないということだった。
  ユフィの気遣いは方向性を間違っている気はしたが、否定する気にはなれず、喜ぶべき所なのだろうと思い直す。
「うん、まぁまだ汗臭くはないしいいか。でもくっつかないでよね、暑いから」
「……」
  誰がくっつくか。
  一つ日傘の下に二人で入っている時点で寄るな触るなも無理があると思うのだが、左手に日傘を持ち、左側にユフィを置いて少し距離を取る。
  右腕は完全に陽光に晒されてはいたが、半分陰が出来るだけでも十分涼しい。
「真夏はホント、ハートレス勘弁して欲しいよねー」
  ユフィの呟きに全面的に同意して、レオンはだが、と首を傾げた。
「出現する間隔が短くなってるような」
「えー?マジで?何で?」
「さぁ…わからんが、ここ数日、生息数が増えているような」
「えー!?」
  確信があるわけではなかったが、体感としてそのような気がするのだった。
  少しずつ減ってきたなと感じていただけに、ここ数日、違和感を覚えている。
  小物が増えている気がした。
  新しく生まれているのだろうか。
  だが城の奥深くに開かれた闇の扉はキーブレードによって閉ざされ、すでに存在していない。
  気のせいとは思えないが、増える理由も思い至らない。
  城に何か、異変が起きたのだろうか。
  本部へ戻り、大型モニターとにらめっこしながらキーボードを叩くシドに変わったことはないかと問うたが、「別にねぇぞ」とすげなく返された。
  城に設置した防衛システムも正常に作動しているようだ。
  では気のせいなのだろうか。
  …いや、結論を出すにはまだ早い。
  防衛システムを設置しているのはたったワンフロアだ。それ以外の場所に変異が起こっているのだとしたら大問題だ。
  城を調査し、街を調査する。
「……」
  気が遠くなる作業だった。一人ではとてもできそうにない。
  対策を思案し始めたレオンを置いて、ユフィは日傘をエアリスに返し、ジュース飲むー!と子供のように駄々をこねた。
「じゃ、自分で淹れて来ること」
「はーい。氷いっぱい入れていいよね」
「いいよ。氷使ったら補充、しておいてね」
「うん、水入れとくー」
  キッチンへと消えたユフィを見送って、エアリスは腕を組みシドの傍らで何事かを考え込んでいるレオンへと視線を移した。
「レオン」
「…何だ?」
「先にシャワー、行ってきたら」
「ん?」
「全身、びしょ濡れ!風邪、引いちゃうぞ?」
「ああ…」
  そうだった、と張り付いたシャツを見下ろし、濡れた髪を摘んでレオンはため息を落とす。
「確かにこれは見苦しいな。…だが着替えを持ってない」
「見苦しいとか、そういうんじゃないんだけど…。一度家、帰って来てもいいんじゃないかな」
「…そうだな、そうするか」
  ユフィに持ってもらった書類は、テーブルの上に放置されていた。
  これをここに持って来るのが目的だったので、それが終わればどうせ出かける予定でいた。
「では一度家に寄ってから、少し城を見てくる。…ハートレスが最近増えてる気がしてな」
「え?そうなの?」
「…まだはっきりしないんだが」
「……」
  エアリスは眉を顰めた。
  せっかく少しずつ、平和になってきたと思ったのに。
「あ、城に行くならよ、レオン」
「ん?」
  低い位置から名を呼ばれ、レオンがシドを見下ろした。
  脇に避けていた小さなパーツを取り上げて、レオンに差し出し「これ頼むわ」と言われても、レオンには何の事やらさっぱりだ。
「何だこれは」
「あん?これはあれだよ、防衛システムの基盤交換」
「…それが?」
「アップデートしてきてくれ」
「…俺が!?」
「より使いやすく、高性能になるんだから文句言うなってんだ」
  さもレオンが我侭を言っているかのような言い草に一瞬騙されそうになるが、騙されない。
「基盤交換は、俺の仕事じゃないだろ」
「ついでだろ、ついで」
「……」
  城まで行くのがめんどくさい、と、シドの顔にはありありと書いてあった。
  ネットワークでデータ書き換えは可能だが、基盤交換となると直接行ってやるしかない。
  だが、何故俺が。
  渋い表情に気づいたシドが、譲歩する。
「今度晩飯奢ってやる。酒つきでだ。かわいいねーちゃんがいる店な」
「……」
  お店のねーちゃんがかわいかろうが所詮お店のねーちゃんであり、どうなるわけでもないので正直どうでもいいのだが、隣に立つエアリスの視線が刺さるのが気になった。
  エアリスを見てもあからさまに顔を背けて視線を逸らされる。
「…何か?」
  声をかければ、小首を傾げたエアリスがレオンを見上げた。
「…ふーん、レオンも、かわいいねーちゃんがいる店、行くんだ?」
「……」
  何故だろう、棘がある。
「おっ何だエアリス、それはあれか、嫉妬とかいうやつか!?」
  面白がってシドが笑うが、エアリスは「ちがいまーす」とそっけない。
「あーあ、私にも誰か、かっこいいにーちゃんがいる店、紹介してくれないかなぁ」
「……」
「……」
  何でそうなる。
  話の腰を折られる形になってしまい、うやむやのままレオンは基盤を押し付けられた。
「…しょうがない、行って来るか」
「おう頼むぜ。かわいいねーちゃんが待ってっからよ」
「…いや別にかわいいねーちゃんはいなくても」
  だが晩飯は奢ってもらう。酒も飲むし、高い物食ってやるから覚えてろ。
  さて家に戻ろうと踵を返しかけたが、エアリスを見て思い出した。
「…そういえばエアリス、友人には会えたのか?」
「ああそうだ、友達はどうだったんだ?体調は」
  同じく思い出したシドがエアリスを見上げ、問われたエアリスは一つにまとめた髪を揺らして穏やかに頷いた。
「マリア、元気そうだった。…お姉さんがついてくれてるから、きっと大丈夫」
「そうか」
「なら良かったな」
「うん。…また近いうち、遊びに行く約束したんだ」
  深刻な状態ではなかったようで、他人事ながら安堵する。
  今度こそ家に戻ろうとレオンは歩き出したが、「ちょっとレオン!どこ行くんだよー!」とキッチンから出てきたユフィに呼び止められ、振り返る。
「家帰ってから城へ行く」
「はー!?せっかくレオンの分もジュース淹れてやったのにー!」
  トレイには氷とジュースがたっぷり入ったコップが四つ、載っていた。
「飲んでから行けっつーの。ユフィちゃんの愛情たっぷりジュースだよー」
「……」
  すでに身体半分外に出ている状態なので遠慮したいところだったが、テーブルの上にコップを乗せられ、手招きされては断れない。
  エアリスとシドも一時作業を中断し、礼を言ってコップを取るのでレオンも仕方なくそれに倣う。
  冷たいジュースが喉に染みて、己の渇きを自覚した。

 
  深夜、明かり一つない廊下を迷いなく歩く影があった。
  外は月が出ており多少なりとも地上に光は届いていたが、分厚い遮光カーテンを締め切り明かりを落とした屋敷の中に恩恵はない。
  部屋に人がいることは知っていたが、ノックで入室許可を得ることなく扉を開けて中へと滑り込む。
  部屋の中も薄暗く、揺り椅子の近くに置かれたテーブルの上に一つランプが乗っており、それが唯一の光源となっていた。
  軋む音を立て、揺り椅子が揺れる。
  座っているのは、マリアだった。
  音もなく近づいた影に、振り返ることなく声をかける。
「マルタ。どこに行っていたの?」
「少し散歩に」
「面白いものはあったかしら?」
「特には」
「そう…」
  マルタは饒舌ではなかった。
  必要なことは話すが、自分から積極的に喋ることはあまりなかった。
  だがマリアは知っている。
  彼女が、己の味方であることを。
  だからおしゃべりでなくても構わなかった。
  自分の側にいてくれるだけで良かった。
  自らの膝の上で丸くなる小さなものを撫でる。
  鈴を鳴らすような音を発し、それは大人しくマリアの手の中に納まっていた。
「そういえばマルタ、ラザロを見かけなかった?」
「見てないわ」
「そう。…どこに行ってしまったのかしら。お散歩かしら」
「食事じゃないかしら」
「ああ、そうね。そうかもしれないわ」
「マリア」
「なぁに?マルタ」
  穏やかな紫紺の瞳は夢見るように、己の手の中の小さな存在を見つめている。
  幸せそうだった。
  言おうか迷った言葉を、マルタは飲み込む。逡巡し、言葉に出したのはエアリスの事だった。
「…遊びに来てもらうなら、きちんとお掃除くらいはしなくちゃね」
「ああ、そうね。そうだわ。お友達をお招きするのに、埃だらけのお部屋じゃ失礼よね」
「客室も用意しないと」
「そうねぇ。どのお部屋がいいかしら。…元々彼と二人で住んでいた時から、ほとんどのお部屋は閉ざしたままだったけれど」
  二人で住むには広すぎた。
  使用人などいるはずもなく、マリアが一人で掃除できる範囲など限られていたのだから。
「今マリアが使っている部屋のお隣はどうかしら。元々彼の書斎として使っていた所だし、まだお掃除は楽かもしれない」
「それは嫌!」
「…マリア」
  強い口調で拒絶され、マルタは息を飲む。
  花開くような美しい顔に走るのは、怒りだった。
「マリア」
「…そうね、エアリスにはお庭が見える部屋を用意しましょう。…ああ、中庭もお手入れしないといけないわね」
「……」
  憂いを込めて己を見つめるマルタの紺碧の瞳に穏やかな笑みを向けて、マリアが嘆息混じりに呟いた。
「彼の事、思い出しちゃうもの。…辛いんだもの」
「……」
  マリアは膝の上の存在をまた、撫でる。
「彼の物に近づきたくないわ。触れたくないの。…触れられたくないの。例えエアリスであろうとも」
「…ごめんなさいマリア、軽率だったわ」
「いいの。…あなたはいいのよ」
  麗しい紫紺の瞳にあるのはまた、夢見るような煌きだった。
「私は許すの」
  謳うように音階を伴い囁いた言葉は、静寂の中マルタの耳にもはっきりと届いた。
「全てを許すの」
  愛に満ち満ちた言葉のようにも聞こえるそれは、だが呪詛のように重い感情が絡みついていることを、知っていた。
「ねぇマルタ。エアリスが来たら、この子も紹介したいわね」
「……えぇ、そうね…」
  膝の上の存在は大人しかった。
  マリアやマルタに懐くそれが、牙をむくことはない。
  何故だか居たたまれない気持ちになり、マルタはそっとため息をついた。
「マリア、また少し、外に出てくるわ。月が綺麗なの」
「そう…あまり遅くならないでね。あまり私から離れないで」
「ええ、わかっているわ」
「ならいいの。行ってらっしゃい」
  部屋を辞し、闇を歩く。
  私はマルタ。マリアの姉。
  …マリアの為に、生きている。


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