祈りはどこに届くのか。

  城の地下にある研究施設には、巨大なサーバーが存在する。
  DTDシステムと呼ばれるそれには、「トロン」という愛称が存在した。
  街のデータベースとしての役割と、システムを一元管理するメインフレームとしての役割とを併せ持っていたはずが、闇の手に落ちていた間に、機能の大半を消失していた。
  復旧の望めないデータは膨大な量にのぼり、知的財産の消失は計り知れないものがあったが、エラーを叩き出すばかりのシステムはだが、まだ生きていた。
  キーブレードの勇者がシステムを復旧してくれたおかげで、現在残ったデータを利用し、新たなシステムを構築している最中だった。
  直接ここまで来なくともデータの利用やシステム管理を行えるよう、クライアントサーバーとして利用し、再建委員会本部のパソコンがあればほぼ事足りるまでには調整を行ってきたものの、ここまで来なければ得られない情報というものも存在する。
  例えば「トロン」と会話したいと思った時、それはこの場で、このキーボードから、直接話しかけなければならなかった。
  「トロン」はシステムであるはずだが、キーブレードの勇者の言によれば人の形をして、フランクに会話のできる「友人」なのだということだった。
  この機械部品と箱の中で、小さな人間がせっせと働いている様を思わず想像してしまうのだが、あまり現実味がない。
  システムの「中」に入れる人間など、キーブレードでも持っていなければ存在しないだろうからだ。
  現状レオンが「トロン」と会話をしたければ、外から聞きたいことを聞き、向こうからの返答を待つしかない。
  ハートレスの総量の増減について問うてみる。
  「トロン」からの返答は、増えている、ということだった。
「…どこから、どうやって?」
  この質問は、沈黙で答えられた。
  「わからない」ということだ。
  「トロン」自体も、ハートレスを製造することはできる。…ハートレスを、製造、することができるということに恐怖と嫌悪を覚えるが、事実を目の当たりにしたレオンはそれが冗談ではないことを知っている。だが今回製造された形跡はなかった。
「では、どこに?」
  場所を問うた。
  どこに増えているのか。
  城なのか、街なのか、それとも自然発生し、満遍なく街中に溢れているのか…いや、それは考えられない。
  ハートレスは確かに自然発生することもあるようだ。人間の中に光と闇がある限り、闇の存在とは切っても切れない。
  だが頻度は高くなく、数もわずかだ。
  そんなにしょっちゅう大量に発生されるようでは、とても街の再興などできないし、今までそのような経験をしたこともなかった。
  仮説としては一つある。
  闇の扉がどこかで開いたのではないかと言う事。
  そんなに簡単に、開けるものなのかは不明だ。
  レイディアントガーデンの街が闇に落ちた経緯を、知っている。
  だが、どのような手段を用いて闇の扉を開いたのかは不明のままだ。
  その件に関し、「トロン」のデータはエラーを吐き出し、詳細に説明してくれる者も存在しない。
  レオン達に出来る事はただ、起こってしまった事象に都度、対処することだけなのだ。
  もどかしいが、他に手はない。
  質問に答える為、「トロン」は情報処理を行っているようだった。
  少し待たされ、吐き出された答えにレオンはため息をつく。
「…城内なのか」
  それが予想を裏切らない、まっとうな答えであることに安堵したのも束の間、浮かんでくるのは「何故?」という疑問符だ。
  ある日突然、扉が開く、なんてことがありえていいのか。
  …それを認めてしまったら、人間にはもはや絶望しかない気がした。
  打つ手なし。
  対処療法では根治出来ない。永久に、恐怖から解放されないということだ。
「…冗談じゃないぞ」
  必ず原因は見つけ出す。
  誰が扉を開いたのか。
  …否、「何が」、闇を呼び寄せたのか。
  突き止め、排除しなければならなかった。
「…城の調査をやり直しか…」
  自然、ため息が漏れた。
  城は廃墟と化して閉ざされた道も多く、広大だった。
  瓦礫の山を越え、先に進むことすら困難な場所も存在するというのに…と思えば頭痛もする。
「全部なんてやってられるか」
  一人でなんて、専属でやったとしても何ヶ月かかることやら、考えたくもない。
  思案する。
  何も端から端まで見て回る必要はない。絞り込みすればいいのだ。
  どこかに沸いているというのなら、そこにハートレスは最も密度高く存在するはずなのだから。
「…地下から上がって行くか…」
  気は進まないが、やらねばならなかった。
  いざとなればユフィやクラウドにも手伝わせようと思う。
  ユフィはともかく、クラウドは部外者であるのだが、レオンは片隅に残る良心を黙殺した。
  利用できるものは利用すべきだった。
  借りを作ると高くつくが、暇なのだから嫌とは言うまい。
  「暇じゃない!」と否定する金髪頭が思い浮かぶが、これも即座に黙殺した。
「…もっと自主的に手伝えと言ってやりたいくらいだが…」
  言わないのは、良心だ。
  踏み込んではならない領域というものは、弁えているつもりだった。
  アイツは単純でわかりやすいが、面倒くさい。
  一つため息を落とし、外に出ようと扉に手を伸ばす。
  何故か背後から、声をかけられた。

「待って待ってレオン!俺いる!いるってー!」

「…ソラ」
  振り返れば、先ほどまでいた「トロン」の部屋から通路を走ってくる少年がいた。
  どこにいた?
  と、問うのは愚問だった。
「さっきまでトロンと一緒だったんだ!レオンがいなくなったから急いで出てきた!」
「…なるほど。トロンは元気だったか?」
「元気だったよ。ていうかレオン、トロンと喋ってたじゃんか」
「…ああ、そうだな」
  レオンの認識する「トロン」と、ソラが言う「トロン」との齟齬について、少年は気づいていないようだったが指摘してやる程でもない。
  ソラにとっての「トロン」は、人間の形をした「友人」なのだから、それでいいのだ。
「城にハートレスが増えてるのか?」
  トロンと共にいたのなら、内容を知っていて当たり前だった。
  レオンが頷けば、ソラは首を傾げて唸った。
「何でだろ?」
  この城と街は、解放されたんじゃなかったのか。
  腕を組んで考え込む少年の頭頂部を見下ろす格好になったレオンが、ソラの肩を軽く叩く。
「…ソラが来てくれて、助かった。少し時間はあるのか?」
「え?ああ、もちろん!ハートレス倒しに行く?」
「ああ、どこから沸いているのかを探さないとな」
「手伝う手伝う。俺その為に来たんだし」
  任せろ!と親指を立て笑う少年が非常に頼もしい。
  率先してハートレスを蹴散らして行くキーブレードの勇者は、以前にも増して強くなっていた。
「…俺は見学してれば良さそうだな」
  言えば、ソラは照れくさそうに笑った。
「へへ、俺結構頑張ってるんだ」
「ああ、そうだろうな」
「レオンは後ろで高みの見物してていいぞ!俺ボディーガードね、ボディーガード。映画観たけどカッコ良かった」
「へぇ」
  映画は数多くあれども、どの映画を観たのだろう。ボディガードを扱った内容のものはいくつか知っていたが、ソラが憧れるようなものはあっただろうか。
  レオンが僅かばかり気を逸らしている間にも、少年は広場に突っ込み、現れ襲いかかるハートレスを苦もなく倒して行く。
  現れては倒されていく敵の数を見ながら、どこを探索すべきかを考える。
  地下の敵は変わりなさそうだ。
  一階ずつ上がって行くとして、日が暮れる前には上階に辿り着きたいものだった。
  無駄な戦闘を極力避け、効率良く回っていかねばならない。
  無造作に突っ込んで行くソラは楽しそうで、随分先まで進んでいた。
  程々の所で制止し、軌道修正してやらねば。
  声をかけようとしたが、足元に絡みついてくるハートレスの小さな手に足を取られる。
  蹴散らし損ねた敵が、残っていたようだ。
  わざわざソラを呼び戻すまでもないので、レオンが武器を抜いて敵を倒せば、気づいたソラが「あー!」と叫びながら走って来た。
「ボディガード失格じゃん俺!!ショーック!!」
「…ボディガードは護衛対象から離れてはいけない」
  笑みを見せれば、ソラががくりと項垂れた。
「うう、勉強になります先生…」
「ちょうど進路変更しようと思っていた所だ。ソラが迷子にならなくて良かった」
「…いや、それはちゃんと止めてよレオン…」
  最初の勢いが消えて大人しくなったソラは、レオンから離れることなく「ボディガードである自分」を楽しむ事にしたようだった。
  言われた場所で、言われた通りに、ハートレスを排除する。
「何か、数増えてきたよな」
「ソラもそう思うか」
「明らかにちっこいのが増えてる。弱いから楽だけどさ…」
  階を上がるごとに、敵の数が増えている。
  昨日防衛システムの基盤交換をした際に、倒した数よりも増えていた。
「一日でここまで増えるのは異常だな…」
「昨日も来たの?」
「ああ、昨日はここまでじゃなかった」
「じゃ、上にあるの確定じゃないか。扉とか」
「…そうだな…」
  そうだろうか?
  扉があるのだとしたら、昨日より以前からもっと爆発的に増えていてもいいはずだ。
  釈然としないものを感じながらも、防衛システムを設置している上階へと到達した。
  ここに来るまでに相当数のハートレスを倒して来ているのだから、システムもさぞフル稼働していることだろうと思いきや、沈黙していた。
「…何でだ?」
  床の上を這い、ハートレスにダメージを与えるはずの光球はなく、のんびりと徘徊する多数の黒い闇の塊に唖然とした。
  基盤交換をし、アップデートを行い、データのダウンロードを終了した直後から、システムは正常に作動していることをこの目で確認した。
  停止したのはおそらく深夜から今朝にかけての時間だろうが、今朝は本部に寄らなかった。直接視察先から城へとやって来た為、シドに状況確認はできていない。 
「…ソラ、そいつらの駆除を頼む。俺はシステムを確認する」
「え?うん、わかった。全滅させていいんだよな」
「ああ、思う存分やってくれ」
「おっしゃー!」
  キーブレードを構えて突撃する少年には物足りなさげな敵のラインナップであったが、数が多いので十分遊べるだろうと思う間もなく、気づけば数が半減している。
  システムを確認する為に配電盤を開いた時には、殲滅は完了していた。
「…こら、早いだろ」
  レオンが呆れたため息を漏らせば、耳聡く聞きつけたソラが歩み寄る。
「え?何が?」
「倒すのが。…チェックはこれからだ」
「ごゆっくり!…でもそれ、壊れてない?」
「え?」
「ほらコードぶちぶち切れてるけど」
  指差され、レオンは今日初めて配電盤の中を見る。
「……な」
  絶句した。
  昨日交換したばかりのパーツがへしゃげ、コードは引き千切られていた。

 人がいる。

  壊した奴がいる。
  城内を徘徊しているようなハートレスにそんな知能はない。
  誰かが、意志を持った誰かが、防衛システムを破壊したとしか考えられないが、一体誰が?
「レオン、それ誰がやったんだ?」
「…俺も知りたい。ソラ、周辺を見てきてくれないか。人がいないか、…扉がないか」
「あっそうだった!わかった、見てくる」
  駆け出した少年を見送る余裕さえ持てなかった。
  誰が、何の為に。
  …いや、目的は決まっている。
  防衛システムが作動していては邪魔だということだ。
  それはすなわち、ハートレス側に意志を持った敵がいるということだった。
「……」
  意志を持った敵、とは何だ。
  ゼアノートのような力を持ったハートレスか。それとも十三機関のような力を持ったノーバディか。
  それともどれにも属さない、新たなる敵がいるというのか。
  軽い足音が戻って来て、レオンの側で立ち止まる。
  見下ろせば、困惑気味な少年の瞳とぶつかった。
「レオン、ぐるっと全部見てきたけど、…なーんもなかった」
「…何も?」
「うん、何も。…扉もなかった」
「……」
  頬を伝って落ちる汗は、冷たかった。
  一体何が現れたのか。
  明らかな動揺がレオンの顔にあることに気づいたソラは、心配そうに眉を顰めた。
「…レオン、顔色悪いぞ。大丈夫?」
「…あぁ…」
  どうしよう、などと迷っている暇はない。
  対策を。
  考えなければ。
「…一度、本部へ戻るかソラ」
「うん?いいよ。レオンが戻るなら」
  己より随分と年下の、それも子供に心配されるとは情けないと思う。
  見上げてくる瞳は少年のものであるのに、気遣わしげな表情は子供のものとは思えなかった。
  大丈夫だ、と、手を伸ばし頭を撫でてやるには、子供らしい少年であって欲しかったがそうではなかったので、代わりにレオンは一つ頷き小さく笑んだ。
「…お前がいてくれて良かった」
  おかげで無様な動揺の仕方をせずに済んだ。
「え…っ?…あ、う、ん、その、ああうん、俺、役に立つよな!?」
  少年がうろたえた。
  両手を振り回し、俺、強くなったもんなー!と笑う声が上擦っている。
「?…ああ、そう、言ってる」
「うん、ああ、うん、やった!へへ、やったね」
「…帰るぞ?」
「うん、かえろー!」
  少年は、子供としてではなく一人の人間として、レオンに認めてもらえたのが嬉しかったのだと、言いたかったが上手く言葉にできなかった。
  歩くレオンの背は大人のもので、カッコよくて羨ましかった。
  早く俺も、大人になりたい。
  浮かれたソラの様子に首を傾げつつも、レオンは妥当な案を実行する。

 監視カメラを、設置した。

  数日間は何もなく、ただハートレスが天井から落ちて来てはフロアに溜まり、しばらくして散り散りにどこかへと消えて行く光景だけが映っていた。
  だがある日の深夜の録画映像に、恐ろしいものが映っていた。

「ぎゃああああああああ!!!!幽霊ってホントにいたんだぁああーーー!!!!!」

  ユフィが絶叫し、思わずその場にいた誰もが耳を塞ぎ、目を疑った。
  黒く細長い影がカメラの前を横切って、ゆらゆらと揺れていた。
  人型のようにも見えるそれはフロアを彷徨い、周辺には大量の小さなハートレスと思しき塊が無数に群がっている。
  当てもなく歩いているようにも見えた影は、過たずカメラを見据えて動きを止めた。
  首と思しき部分がこちらを向いて、止まったのだ。
  静止画のような状態がしばし続き、瞬きをした瞬間、カメラ一面が闇に染まった。
  音声のない映像だけのカメラに何が起こっているのか、一瞬理解が遅れたが、影がカメラを掴んで配電盤から引き抜いたようだった。
  画像にノイズが走り、ぶつりと途絶えるほんの僅か、画面いっぱいに映ったのは人の物と思しき見開かれた眼球だった。
  光源といえば月明かりしかない闇の中、眼球は漆黒のようにも、藍のようにも見えた。
「ひぃぃいぃぃぃぃいい」
  ユフィが喉を引き攣らせ、声にならない悲鳴を上げた。
  さすがに誰もが、しばらく口を開けなかった。
 
  あれが、ハートレスを増やしている元凶か。

  何とかしなければならなかった。


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