祈りはどこに届くのか。

  今日は雨が降りそう、と、エアリスは空を見上げて呟いた。
  朝から薄曇りの空は灰色をして重く、切れ間なく垂れ込め陽光を遮られた地上は涼しかったが、湿度が高く蒸していた。
  時間が経つごとに雲の厚さは増している。
  村の中を歩きながら、土臭く湿った風を感じ取り、「うん、やっぱり雨だね」と呟いた。
  村は相変わらず閑散としていた。
  休日ならば遊びまわる子供や買い物客で賑わっていてもいいはずの商店前も、人気は絶えて静かだった。
  何か村の行事でどこかに集まっているのだろうか、とも思うが、エアリスはこの村の住人ではなかったので、集合場所も、そんな行事があるのかすらも不明だった。
  元から静かな場所なのかもしれないな、とも思いながら、一度通った道を歩く。
  玄関前に立ち、ベルを鳴らせばマルタが迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませ、エアリス」
「こんにちは、マルタさん。マリアは、元気ですか?」
「ええ、どうぞ」
  前回通された部屋に向かっているのだろう事に気づき、そして屋敷の様子にも気がついた。
  綺麗に掃除がされていた。
  廊下の端も、柱の影も、額縁の縁も、きちんと拭き清められていた。
  分厚い遮光カーテンも開かれて、庭の様子が一望できる。
  芝は刈り込まれ、剪定もされていた。
  鮮やかな色の夏の花が、花壇で生き生きと踊っている。
  マルタがやったのだろうか。それとも、マリアが?
  業者を入れたのかもしれなかったが、マリアが元気になっているのだという証明である気がして、エアリスは嬉しくなった。
「マリアと私で、やれる範囲はやりました。お見苦しいところがあるかもしれませんが、ごめんなさいね」
  庭を見つめるエアリスに気づいた女が、そう言って申し訳なさそうに頭を下げる。
  急いで手を振り、恐縮した。
「そんな、そんなことないです。こんなに広いお屋敷、大変だったでしょう」
「使う部屋だけなので、それほどでも。どうぞ、中へ」
「ありがとう、ございます」
  中に入れば、黒いドレスではあったものの、明るく愛くるしい笑顔のマリアが立ち上がって迎えてくれた。
「来てくれて嬉しいわ、エアリス。ちゃんと、お掃除しておいたの。…いっぱい粗はあるんだけど、見なかったフリをして頂戴ね」
  首を竦めて、いたずらを見つかった子供のように笑うマリアに、笑みが零れる。
「ええ、大丈夫。私の部屋、見たらきっとマリア安心すると思うな」
「まぁ、そうなの?いつか、エアリスのお部屋見せてもらわなきゃ」
「その時には、ちゃんとお掃除しておきます」
「残念!」
  二人で顔を見合わせて笑う。
  良かった、もう、大丈夫そう。
  安堵するエアリスに椅子を勧め、マリアも腰掛ける。
  マルタがお茶とケーキを持って来て、エアリスは手土産の存在を思い出した。
「あ、これ。紅茶、持ってきたんだ。良かったら」
「まぁエアリス、ありがとう。あ、これ私が好きな銘柄!」
「本当?良かったー!」
「マルタからもお礼を言って頂戴。これ、あとで一緒に頂きましょ」
「そうね。…エアリス、ありがとうございます」
「いえいえ、そんな。ケーキ、すごく美味しそう」
「私が作ったの。マルタも手伝ってくれたのよ。紅茶の淹れ方も教えたから、今日のはちゃんと美味しいと思うわ。マルタも座って」
「ええ」
「頂きます!」
「どうぞ、召し上がれ」
  女の子同士でお茶とケーキを食べながら、楽しく会話。
  仕事を気にする事なく、時間を気にする必要もない。
  貴重な時間を過ごしている事に、エアリスは喜んだ。
  開かれたカーテンの向こうには、中庭が広がっている。広い芝生に、高い木々。
  庭石の敷き詰められた細い道があり、道に沿って花々が咲き、中央付近には小さな池と小川があった。
  ご両親が生きていた時代には、さぞや賑やかだったのだろうと思わせる庭園とこの屋敷には、今二人しかいないのだと思うと寂寥感を伴う。
  ご主人と、ではなく、姉と、一緒なのだった。
  あっという間に昼を過ごし、気づけば日は傾きかけていた。
  泊まって行って、と請われ、今回は断らない。
  先に部屋に案内するというマリアの先導について、エアリスは広い屋敷を歩いた。
「中庭の見えるお部屋にしたの。気に入ってもらえるといいんだけど」
「お掃除、大変だったでしょ。ありがと、マリア」
「全然平気。せっかくエアリスが来てくれるんだもの。ゆっくりしていってもらいたいから」
  通る廊下は全て掃除が行き届いていた。
  見えない範囲、通らない範囲についてはわからなかったが、仮に掃除されていなかったとしても何を言う権利もないし、言う気もないのだった。
  階段前を通り過ぎようとしたところで、マリアが立ち止まる。
  つられて足を止め、階段を見つめる金髪の後姿を見守った。
「…マリア?」
「ここなの…」
「え?」
「…彼、ここから落ちて死んだの」
「え…」
  思わずマリアを見返したが、小さく震える肩は細く、今にも折れそうだった。
  波打つ豊かな金髪を揺らし、マリアが切なくため息を吐く。
「私も、一緒に落ちたの」
「……!」
「彼ったら、酷いの。私だけ、残ったの」
「…マリア…」
  振り返ったマリアの目に、涙はなかった。
  紫紺の瞳を潤ませて、静かに微笑む。
「ごめんなさい、こんな事、聞きたくないわよね」
「ううん、マリア。話したい事、聞かせて?」
「エアリス…ありがとう。夜に、少しお話聞いてくれる…?」
「もちろん、聞くよ」
「優しいのね、エアリス。…お部屋に案内するわね」
  案内された部屋は広すぎず、だが狭くもなく居心地が良かった。
  調度品は花柄でまとめられ、落ち着いた色調と明るい小花のバランスがとても上品で、触れたソファの布は滑らかな質感を返し、座ればふかふかと柔らかかったが沈みすぎることもない。
  高級なものだと知れる素材とデザインに、部屋の隅々まで見渡して感嘆のため息を漏らす。
  見える中庭も整然としていて、不満の出ようはずもない。
「…すごく、いいお部屋。素敵」
「良かった、喜んでもらえて。私、お食事の用意をしてくるわ。エアリス少しほったらかしになっちゃうんだけど、いいかしら…ごめんなさい、人手がないものだから」
  申し訳なさそうに詫びるマリアに、気にしないでとエアリスは笑う。
「私も、良かったら手伝おうか」
「それはダメ。エアリスはお客様なんだから!ゆっくりしていて。お昼寝しててもいいわよ」
「ちゃんと、起こしてね?」
「もちろん、フライパンを叩いて起こしてあげますとも」
「えーそれはやだなぁ」
  ひとしきり笑い合い、マリアが部屋を出る。
  一人残されたエアリスはやることもないので、ベッドに横になった。
「…うん、いいベッド。…ホントに、眠くなっちゃう」
  目を閉じ、本当に眠ってしまったエアリスは、マリアに笑いながら起こされるまでの間、午睡を貪ったのだった。
  家庭的だが品数も豊富で豪勢な食事を満喫し、こんなに良くしてもらっちゃっていいのかなぁ、などと考えながら食後のお茶を飲むエアリスは、片付けの為に席を立つマリアとマルタの後ろ姿を眺めやる。
  似てないんだけど、似ている。
  この感覚を言葉として表現するのは難しいなぁと首を傾げる。
  やはり、家族だから、という括りがしっくりくる気がした。
「マリア、私がやるからあなたはエアリスを」
「それはそうなんだけど、マルタったらすぐにお皿割っちゃうんだもの」
「…気をつけてるつもりなんだけれど」
「聞いてエアリス。さっきもお食事作ってる時に、盛り付けていたお料理ごとお皿を落としたのよ!」
「まぁ」
「…それは、テーブルの端に乗っていたから…」
「だから気をつけてって言ったのに」
「ごめんなさい」
  項垂れるマルタのストレートの金髪が、動きに合わせてさらさらと流れた。
  ため息をつくマリアの金髪は、明るく揺れている。
  性格を反映しているかのような対照的な二人だったが、羨ましいなぁとエアリスは思った。
「私、姉妹いないから、いいなぁ」
  素直な羨望の眼差しを受け、マリアが照れたようにマルタを見た。
「…そうね、まぁ、マルタがいてくれてありがたいんだけど」
「仲良くて、羨ましい」
  マルタはエアリスを優しげな瞳で見つめ、マリアを見る。
「マリア、片付け頑張るわ。お茶を淹れて差し上げて、お話したら」
「…そう?怪我しないように、気をつけてね?」
「ええ」
  少し話をし、やはりと言うべきかマルタは皿を一枚割ったが、怪我もなく片づけを終え、一度散会して部屋へと戻る。
  シャワーを浴びて汗を流し、あとでまたお話しましょうと言うマリアの提案に頷いて、部屋を出る。
  部屋を出て廊下を歩いていると、マルタがいた。
「マルタさん?」
  女は静かに階段の前に立っていた。
  マリアのご主人が亡くなったという、その場所に。
  声をかけると、気づいた女が振り返り、一礼をして僅かに微笑んだ。
「マリアの所へ?」
「はい。…マルタさんは?」
「私は少し…お散歩をしてきます」
「でも小雨、降ってきてます」
  外はついに雨が降り出していた。
  今はまだ小雨だったが、遠雷が聞こえるのでやがて本降りになるだろう。
  言えばマルタは小首を傾げ、考える素振りを見せたが首を振った。
「大丈夫。すぐに戻ります」
「そう、ですか。風邪引かないよう、気をつけて」
  これ以上引き止める言葉を持たなかったので、エアリスは小さくお辞儀をした。
「ありがとうございます」
  穏やかに笑う女は、最初の印象とは随分違うなと思ったのだった。
  すれ違い、マリアの部屋をノックする。
  応えがあって扉を開け、中に入る寸前廊下を見るが、すでにマルタの姿はなかった。
「おじゃましまーす」
  砕けた口調でおどけるように言ってみせ、「どうぞ」と笑うマリアの部屋へと入り、扉を閉める。
  
  長い夜が、始まった。

  夜の城に物音はなかったが、粘るような空気が重く絡みつく。
  耳の後ろ辺りからざわついた音が聴こえるのは気のせいだと思いたい所だが、これは蠢く闇のモノ達の足音だ。
  最初に該当フロア全体を駆除し、部屋の中を駆除した後は締め切っており、この階にハートレスはいないことを知っていたが、城内を歩き回る暗い気配というものは感じるのだった。
  城は膨大な数の部屋を抱え、フロアを抱え、多目的ホールを抱えている。客室は数え切れないほどあり、居室と続きの寝室はセットで存在していた。
  居室の一つに陣取り、二人がけのソファの肘置きの片側に腰を預け、もう片方に両足を投げ出す。
  低い肘置きから反らせた背と、顎が仰け反り脱力感も甚だしいが、レオンの目は開いて天井を眺めていた。
  今夜は来るだろうか。
  数日監視しても来なければ、村狩りに移行するつもりで準備はしている。依頼主である商工会に村との交渉を任せているが、週末の為商工会は休日だ。結果が明らかになるのは週明けとなるだろうが、村人の手を借り、街からも人を集めてハートレスを探す。…その場合、村狩りをしても得られる物はないだろう。
  他に手がないので、少しでも可能性のありそうな場所を探すというだけの事だった。
  徒労に終わる可能性は十二分にある。
  あの村は、自給自足で成り立っていてあまり外部と繋がりのない地区だった。
  村人が街へ出てくることはあれども、積極的に関わっている事例は少なく、街の商店と契約を結んでいる個人事業主が複数いなければ、今回の案件が表に出るまでにはもっと時間がかかったかもしれない。
  もし大量のハートレスがあの村にいたのなら、村の中心部で生計を立てている人達は無事でいるのだろうか。
  村人と交渉できる余裕があるのならば、大量のハートレスはいないのだろう。
  村人が交渉できる状況になければ、大量のハートレスはいた、もしくはいるのだろう。
  嫌な二者択一だった。
  …エアリスは、無事か。
  ハートレスの数は多くとも、強さは大したことはない。
  本気で戦い、本気で逃げれば命に関わる事はないだろうとは思っている。
  友人が無事であるのならば共に逃げてくるかもしれないし、無事でなければ早々に引き上げて報告をしに来るだろう。
  今日一日過ぎ去ったが、エアリスは戻って来なかった。
  帰れない状況になっているのでもない限り、それほど心配はしていない。
  帰れない状況、というものを考えるときりがなかった。
  あの影に囚われているとか、怪我をしたとか、急病とか。
  それも、週明けになればわかることだった。
  テーブルの上に乗せた小型のモニタに視線を投げる。新しく設置した監視カメラの映像に、変化はなかった。
  テーブルの向こう、向かいに置かれた同型のソファには、少年が横になって眠っていた。
  昨夜影が現れるのを待ちながら、丸々一晩修学旅行気分ではしゃいでいたキーブレードの勇者は明らかに睡眠不足の顔をして、それでも日中は気を張っていたが夜には早々に寝入ってしまった。
  寝室の埃は払ったので、寝るならベッドで寝ろと言ってやったにも関わらず、「ベッドで寝ると朝まで寝ちゃうだろ!」と言い張りソファに大人しく座っていた少年は、レオンが気づけば舟を漕いで夢の中だ。「もし寝てたら叩き起こしていいから!」とも言っていたので、もし影が現れたら容赦なく起こすつもりでいたが、このまま朝まで熟睡させてやることになったらそれはそれで困るのだった。
  俺の身体が保ちそうにない。
  明日はさすがに予定を入れていないので日中は眠っていたい所だったが、果たしてこの少年は大人しく寝かせてくれるだろうか。
  一緒に昼寝も悪くないな、などと考えるレオンはすでに疲れている。
  少年を起こさないよう静かにため息をつき、身体を起こす。
  同じ姿勢で長時間いると、眠ってしまいそうだった。
  足を床に下ろし、組む。
  背凭れに力なく背を預け、モニタを見つめた。
  暇つぶしできるものがあればいいのだが、目を離して影に逃げられては本末転倒もいいところだ。
  重くなる瞼を押さえ、こめかみを指で押す。
  夜が長い。朝までが遠い。
  せめて仮眠を取れていれば多少は身体も楽なのに、と思うのだが、仕方がない。
  脳の一部が寝ているような重さを感じ、前屈みになり組んだ足の上に肘をついて頬杖をしながらモニタを見ていると、床に黒いモノが現れた。
  気のせいかと思ったが、小さく丸みを帯びたハートレスが床の上を這っている。
  一匹、二匹。
  やがてそれらは数を増し、数え切れないほどに膨れ上がって行く。
  最初のうち影の姿は見えなかったが、フロアに黒山が出来上がって行く過程の中、明らかに形の違う細長い影が現れた。
「…来たか」
  レオンは立ち上がり、ソラを揺り起こす。
  一気に身体が覚醒する感覚に眩暈がするが、気にしている暇はない。
「ソラ、来たぞ。起きろ!」
「……んー…」
「…こら起きろ。ソラ」
「……」
  肩に置かれたレオンの手を払い、ソラはごろりと身体を動かし背を向けた。
  レオンは盛大にため息をつく。
  ああ、うん、こうなるような気はしていた。
  悠長に起こしている時間はない。
  逃げられては意味がないのだ。
  仕方なくレオンは一人、部屋を出る。
  話を聞かせてもらわなければならなかった。
  黒山を築くハートレスを目の当たりにすると顔が歪んだ。
  一体どこからこれほどの数を連れて来るのか。
  何度となく問いたいと思っていた疑問が湧き上がる。
  膨大な数のハートレスが、人間の存在に気づいた。
  だが襲い掛かってくる様子はなく、小さなモノ達はじっと息を潜めてレオンを見ている。
  奥の影もまた、レオンに気づいた。
  レオンはゆっくりとフロアへと侵入し、道を空ける様に退がったハートレスの間を進む。
「質問がある。答えてもらいたい」
  投げかけた言葉は、沈黙によって返された。


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