朝から突き刺すような強い熱を発していた陽光は、夕方には黒い雲に覆い隠され見えなくなった。
  周囲が少し暗くなったなと思った時には涼しい風が肌を撫で、空を見上げれば遠雷が煌めき、数秒後には激しい音が身体を駆け抜けそこかしこから悲鳴が上がる。
  雨が来るなと近場の建物へ移動すると同時にぽつりと水滴が地面に落ち、視線を向ければ瞬く間に黒い染みのように広がった雨水は、周囲の音を掻き消すかのような豪雨へと変わった。
「通り雨だな」
「スコール?」
「……」
  呟いた声に返された女の声は、雨音に掻き消されそうになってはいたが、確かに届いた。
  見下ろし首を傾げる。
  見上げた女は、一つにまとめた緩やかなウェーブのかかった髪をさらりと揺らし、微笑んだ。
「名前じゃないよ?」
「…スコールの定義は『毎秒8メートル以上の風速増加を伴い、最大風速が毎秒11メートル以上で、1分以上継続する』ものをいうそうだ。強風を伴わないこれは、スコールじゃなくてシャワーと言うな」
「あ、レオン理屈っぽい」
「…悪かったな」
「いいの。勉強になったなぁ。すぐやむかな?」
「すぐ、かはわからんが、向こうの空は明るい。そんなに長時間は降らないと思うけどな」
「なら良かった。お店予約してるのに、行けないともったいない」
「シドとユフィが店に着いてれば問題ないだろう」
「…問題あり、です」
「あるか?」
「レオンと私が食いっぱぐれちゃう、でしょ!」
「食い…ああ、まぁ…そうだな」
「滅多にないんだから。たまの飲み会、楽しまなきゃ」
「…そうだな」
「建物伝いに移動、できそう。行けるとこまで、行ってみよ?」
  言い終わらぬうちに歩き始めた背を見やり、レオンは軽く肩を竦めて後に続く。
「エアリス」
「なぁに?」
  声をかけ、振り向いた視線の高さに合わせて、横道を指さす。
「こっちが近い」
「え?そう?」
「ただ、途中で屋根は切れる」
「うーん…」
「このまま真っ直ぐ行っても辿り着けるが、遠回りな上にやはり屋根は切れる」
「うーん…」
「どうする?」
「うーん…」
  腕を組み、首を傾げて考え込むエアリスに選択を委ねつつ、レオンはさてどうしようかと考える。
  濡れるのが嫌なら、雨が止むのを待つか、傘を入手する必要がある。
  雨はいつ止むのか不明であり、傘を買えそうな店は近辺にない。
  取れる手段は限られているな、と結論付けエアリスを見やれば、エアリスもまた決断したようで視線が合った。
「ん?」
  促すと、エアリスもまた小首を傾げて促した。
「レオンなら、どうする?」
「近道で行けるとこまで行って、小雨になったら走るかな」
「そうだね、私もそう思ってました」
「…そうか」
「うん。それしかない、よね」
「多少濡れるのは店側に我慢してもらうしかないな…」
「びしょ濡れよりマシ。私、タオル持ってるから、貸してあげる」
「…さすがエアリス」
「何それ、褒めてる~?」
「ああ、褒めてる」
「素直に喜んでおきます。じゃぁ、案内お願いします!」
「ああ、行くか」
  予約時間まで猶予はなかった。
  横道へ入り、カフェや雑貨店が並ぶ軒下を歩く。
  雨宿りをしている客が多く、すり抜けるのに苦労した。
  真っ直ぐ伸びた道の先、遠くに見慣れた金髪頭を見つけ、立ち止まる。
「…どうか、した?」
「静かに。逃げられる」
「え?」
「ちょうどいい。捕まえてくるから、ここで待て」
「…レオンってば」
  エアリスも気づいた。
  あの金髪頭は、クラウドだった。
  腕を組み、壁に凭れてぼんやりと空を眺めているその様は、町の人々のそれと同じく雨宿りだ。
  気配を殺し、人ごみに紛れて近づいていくレオンの動きには全く無駄がなかった。
  なんだかなぁ、と、エアリスは呟く。
「昆虫採集みたいな、言い方だなぁ」
  蝉とか、蝶とか、そんな感じ。
  逃げられる、という表現にはエアリスも同意する。
  基本的に知人と関わり合いになりたがらないクラウドなのだった。
  レオンとは仲いいみたいだけど。
  ソラ達とも、普通に接しているみたいだけど。
  ちょっと複雑な気持ちだなぁと思いはするが、嫌われているわけではないので、待つしかないのだということを知っていた。
  静かに目立たぬように見守っていれば、至近に寄ったレオンはクラウドの死角から腕を掴んだようだった。
  明らかにわかる形で肩を引き攣らせてレオンを見、目を見開く。
  レオンが振り向く視線の先を同じように目で追って、エアリスを認めたクラウドの顔が気まずそうに歪んだ。
  それ、ちょっと傷つくなぁと思いながらも、エアリスは笑顔を崩さない。
  歩み寄り、見事クラウドの捕獲に成功したレオンを見上げて、親指を立てる。
「さすが、レオン」
「…褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
「そうか」
「…何だ?何なんだ?」
  意図が見えず戸惑いを見せるクラウドに、レオンは優しげな微笑を向けた。
「お前も参加していいから、一つ頼みを聞いてくれないか」
「…は?参加?頼み?…嫌な予感しかしないんだが」
「気のせいだ」
「お前の笑顔がうさんくさい」
「失礼な。精一杯の気遣いというやつだろうが」
「それで精一杯か!ギリギリアウトだろそれ」
「ギリギリなら問題ない。それでだな」
「聞きたくないぞ」
「聞けよ。逃げられると思うなよ」
「逃げたりなんか……するけど」
「…さすが、クラウド」
「…褒めてないだろ?」
「褒める要素がないだろ」
「……離せ。俺は逃げる」
「堂々と言うな堂々と!」
「……」
  仲良しでいいなぁ、と、エアリスは思った。
  でも、そろそろ予約時間だ。
「…レオン、お話し中悪いんだけど」
  言外に時間がないことを告げれば、察したレオンが頷いた。
「…ああ、そうだった。クラウド」
「…何」
「ちょっと店まで連れて行ってくれ」

「俺はどこでもドアじゃないぞ!?」

「可愛げのある猫型ロボットなら良かったんだがな」
「可愛げはあるだろ」
「え?」
「…うわムカつくコイツ」
「お前も参加していいから」
「…待てって。その『参加』ってのは、何だよ」
「暑気払い飲み会」

「遠慮します」

「…どこに可愛げがあるって?」
「なくていい。なくていいから帰らせろ」
「暇なんだろ。ちょっとそこまで」
「俺を何だと思ってるんだ」
「…どこでもド…」
「やめろ本気で逃げるぞお前」
「……」
  埒が明かないな~、と、エアリスは思った。
  クラウドの力で濡れずに移動できるとしても、本人が嫌がっているのだから、もう濡れてもいいんじゃないかな、と、思う。
  レオンがちょっと楽しそうだから止めるに忍びない。
  でも、時間がなかった。
  どうしようかなと空を見上げ、手を伸ばす。
「あ」
  エアリスの呟きに、レオンとクラウドの視線が向いた。
「どうした?エアリス」
「雨、ほとんど降ってない」
「…止んだか」
「走って、行けそうだね?」
「そうだな」
「……オイ?」
「じゃ、もういい。邪魔したな、クラウド」
  あっさり手を放し、空を見上げてエアリスを見る。
「行くか、エアリス」
「…オイお前…」
  使い捨ての道具のように扱われたクラウドが、呆然とした体でレオンを睨む。
  肩が震えているように見えるのは気のせいではないだろう。
  エアリスもレオンを見やり、眉を顰めた。
「…レオン…」
「…何か?」
「ひどい」
「え?」
「レオン、ひどい」
「…俺?」
「クラウド、レオン、ひどい、ね?」
「ひどい。ホントにひどい。なんだこの男サイテー」
「…結託するな。何なんだ」
「もっと優しくても、いいと思う」
「そうだそうだ」
「ねー」
「ねー」
「……オイ」
  仲良く見つめ合ってわかりあっているが、そこのクラウド、お前エアリスと関わり合いにならないようにしてただろう、とレオンはツッコミを入れたい。
  そもそもこんなことで傷つくような奴じゃないだろう、と言いたい。
  お互い様というやつだ。
  被害者ぶりやがって、と思うが、エアリスを味方につけられてしまっては言うに言えないこともある。
  額に手をやり、溜息をついた。
「…それで?謝ればいいのか?」
「そ」
「クラウドも、一緒に行こ」
「うだそうだ…って、え?」
  口を開けて、クラウドが聞き返す。
  間抜け極まりなかった。
「クラウドも、一緒に行こ。一人増えても、大丈夫!」
「…っていや、え?いや、俺は」
「ほら、もう時間、ないんだ。急ご!」
「…いや、エアリス、俺は」
「レオン、ちゃんとクラウド、連れてきてね?」
「了解」
「コラ待てレオン」
  腕を掴んで、引きずるように歩く。
  ずるずるとついて来るのだから、本気で抵抗する気はないのだった。
「…本気で逃げる気ないなら、自分でちゃんと歩け」
  前を歩くエアリスに聞こえないよう囁けば、罰が悪そうな視線が返る。
「…逃げられるか?お前」
  この状態で。
「聞くな。俺には答えられん」 
  おそらく俺も、逃げられない。
  先に来ていたシドとユフィと合流し、かくして無事に飲み会は行われたのだった。
  
 

 

「ところで俺誕生日なんだけど」
「…いい歳した男がいつまで誕生日を持ち出す気だ?」
「そうだなプレゼントがもらえるまでは」
「…そんなものはない。よってお前の誕生日は終了だ」
「お前の誕生日、覚えてるけど」
「忘れてくれて構わんぞ。それがどうした?」
「俺の誕生日にお前を寄越せ。お前の誕生日に俺をやる」
「……ん?」
  眉間に皺を寄せ首を傾げるレオンの顔の横に手をついた。
  枕が沈んで、レオンの顔が揺れる。
  シャツに手をかけ脱げと言えば、意図を理解したレオンが大きな溜息をついた。
「…お前、そのセリフは誕生日『だけ』でいいんだな?そういう理解でいいんだよな?」
「残念。誕生日は確実に、ヤらせろという意味です」
「俺にメリットは」
「え?お前バカなの?」
「……お前にバカって言われるとムカつくな…」
「お互い様だろ。気持ち良さそうに善がってるくせに、メリットとか笑わせるな」
「……」
「あ、否定がないな。良かった良かった。ホラ早く脱げって」
「……」
「溜息やめろ。…お前の意識飛ぶまで、ヤっていい?」
「…やれるもんならやってみろ」
「レオンが積極的」
「…いいなお前そういう思考ができて」
「……」
  別に前向きなわけじゃないのだが。
  思っても、口にはしない。
  レオンもそれは理解していて、わざと言っているのだと、知っている。
  だから、いい。
  別に、構わない。
 
  互いに口実があれば、それでいい。

  夕方降った雨の後、随分過ごしやすくなっていた。
  人肌の熱さも、苦痛じゃない。
  飲み会なんて参加したくなかったけれど、まぁいいかと思う。
  街の復興の苦労を聞かされるなんてまっぴらだったが、それもいい。
  たまにはいい。
  己の現状を思い知らされるから。
 
  頬を撫でるクラウドの手をレオンが掴む。
「…お前は単純バカだな」
「はぁ?」
「集中しろ。余計なことは考えるな」
  見透かされた気がした。
  クラウドは眉を顰め、現実逃避を許容するこの男こそバカだと思う。
「…そんなに早くイきたいの?」
「お前はさっさとイっておけ」
「……」
  いや、お互い様か。

 互いの現状を忘れるのには、ちょうど良かった。


END
全然飲み会風景ないですが…!リクエストありがとうございました!

うち払う、熱を。

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