アリーナを貸し切って行われるキミスタ!握手会は、ランキング上位から下位まで、詰めかけるファンが集中しすぎないように計算され、組み合わせをばらけさせて二十名一組とし、ほぼ隔週というこまめな周期で開催されていた。
残り一ヶ月を切った現在、レオンが参加する組の握手会はこれが最後ということもあってか、ランキング上位の推し目的のファンが多数押し寄せ、会場の三分の二は上位組の為に使用され、その他のメンバーとファンは端へと追いやられていた。
会場に入った瞬間押し寄せる熱気にクラウドは気圧されて、思わず呻く。
「…すご…」
ひしめきあうファンの表情は一様に興奮状態であり、最後尾付近のファン達は推しについて熱く愛を語り合っているのだが、列の前へ進むに従って、緊張からか異様な静けさが漂っていた。
慣れない雰囲気にため息をつきながら、上位組のファンの列を遠巻きに眺めた後に下位組に視線を向ける。ランキングが下がる程にファンの数はどんどん減り、わかりやすい格差に何とも哀れな気持ちになりながら、レオンの列を探した。
下から数えた方が早い男は最端におり、ファンの列はとても短かく二十人程度しかいなかった。
最後尾に並んで、初めて生で動くレオンを見る。
背が高く見えたが、クラウドより少し高いくらいのはずだった。
シンプルな黒を基調に異素材を交えて構成したコーディネートは、我ながら素晴らしい出来だった。
似合ってる。
ざまぁみろ。
ちゃんと似合ってるじゃないか。
満足した。
もう帰ってもいいな、という気になったが、それでは十万払った意味がない。
ちゃんと直接言ってやらなければ。
二十人程度しか並んでいないので、それほど待たなくて済みそうだと思っていたのに、随分と待たされた。
見てみれば、一人に対して五分近くは喋っている。
上位のファン連中なんて、一分も経たずに引きはがされているというのにこの差。
十万の格差を感じずにはいられなかったが、下位のファンにしてみれば嬉しい配慮だろう。上位のファンから文句が出てもおかしくないほどだ。
だが待て、五分も喋る内容ないぞ。
秒で終わることを想定していたから、一言言ってそれで終了の気分でいた。
五分と言えば会話だ。
何を喋ればいいんだ?何もないぞ。
少しずつ、レオンとの距離が狭まる。
今まさにレオンとのやりとりを終了した女性が目に涙を浮かべながらクラウドの横を通り過ぎ、興味はなかったがちらりと顔を見やれば見覚えのある顔で、目を剥いた。
え、あれは。
普段、目が合ったら挨拶する顔だった。
「ソラの母親かあれ…!?」
ソラの母ちゃん、ついに握手会まで…!?
いやそもそも、ソラの母親がレオンを知るきっかけになった元祖なのだった。
ついに、というなら新参に等しい自分は何なのかという話になってしまう。
良かった、気づかれなくて。
こんな所で互いの存在を認めてしまったら、気まずいどころの話ではなかった。
盛大に安堵のため息をつき、前に視線を戻せば遠目にレオンと目が合った。
「!?」
不意打ちに動揺し肩が揺れたが、レオンの視線は一瞬で逸れ、目の前にいるファンへと笑顔を向けていた。
何だ。
何だったんだ。
二十人程度並んでいたファンの内、男は自分を含めて二人しかいなかった。
物珍しいからか。
まぁ、そうだろうな。
ああ、不意打ちを食らったおかげで動悸が激しい。
ちくしょう嫌がらせしやがって。
心の準備くらいさせろ。
なんでこっちを見るんだよ。
あと二人いるだろ。前にいるファンだけ見てろ。
一人減った。
次だった。
うわ緊張してきた。
何故緊張するのか、自分でも分からなかった。
嫌がらせの成果を確かめに来ただけだろ!
しっかりしろ!
前のファンがレオンに何かを必死に訴えかけているが、脳内で処理できない。
緊張が過ぎて、何を言っているのかさっぱりだった。
レオンは少し困ったように笑いながらも、静かに頷く。
何かを言ったようだったが、これも上手く聞き取れなかった。
レオンの手を握り返し、ファンの女の子は泣き出した。
うわぁ泣かせた、と思って見ていると、レオンは優しく女の子の頭を撫で、ハンカチを取り出して手渡した。
「泣かないで。本当にありがとう」
それは、聞こえた。
ハンカチを握りしめて戸惑ったような女の子に「それはあげる」と微笑んで、「気をつけて帰って」と別れを告げる様は立派な芸能人だった。
泣くのを忘れて惚けたようにレオンを見上げていた女の子はただ頷き、心ここにあらずといった体で去っていく。
大丈夫かあれ、と心配になったものの、視線を戻せばすぐ目の前にレオンがいた。
男は目を細め、笑みを刻む。
「クラウドかな、会いたかった。今日は来てくれてありがとう」
「ぇ、うっ…」
ななななななんで!!
名前を!!
知ってるんだっ!?
不意打ちに加えて追い打ちをかけられクリーンヒットを食らった気分だった。
言葉に詰まり上手く返答できないクラウドの両手を取ってしっかりと握り込み、レオンは小首を傾げて窺うような視線を向ける。
「約束通り、クラウドが選んでくれた服を着てきたが、…どうだ?」
「あ、…う、その」
「似合ってるだろう?クラウドが選んでくれたんだからな」
「う…うん、に、似合ってる…」
「良かった」
動画でいつも見る完璧な笑みだった。
視線を下ろせば、自分の手がレオンの手と繋がっている。
レオンの手は、温かかった。
「外は寒かっただろう」
「…うん」
「前にクラウドがくれたマフラーも、今日はしてきた」
「えっ」
「この冬はこのジャケットとマフラーで乗り切れるな」
「……」
「とても暖かい」
目を伏せ小さく微笑むのは、レオンが日常動画の中で時折見せるものだった。
生きて、目の前で喋っていた。
笑ってクラウドの名前を呼び、手を繋ぐ。
本物だった。
「…な、なんで俺の名前…」
辛うじて声を絞り出せば、レオンは当然だと言わんばかりに頷いた。
「もう一人の彼の名前はクラウドではなかったからな」
「ああ、…」
もう一人いた男は名乗ったのだな、と、気が付いた。
男が二人しか来ていないとは予想外だった、というよりは、こういう場に来るファンは積極的に名乗って名前を呼んでもらいたいと思うものなのだ。
消去法でバレた。
思い至るべき所だったのに、冷静さを欠いたクラウドの敗北だった。
おかげで未だに立て直すことができず、直視もできず、終始レオンのペースで話は進む。
「よくメッセージをくれるだろう?いつも楽しみにしてるんだ」
「え…いや、なんで…」
「面白いから」
「いや、面白くないだろ…」
「面白い。いつも見透かされている気になる…よく俺のことを見てくれてるんだなと思って」
「は…?えっいや、みてないし!」
「…そうなのか?」
「み、みてないし!」
「ふーん…?」
「ふぁ、ファンじゃないし!」
「……」
勢いで言ってしまい、クラウドは焦る。
あぁぁあ、ここじゃないだろ!
ここじゃないだろタイミングー!!
これじゃただの空気読めないイタイ奴だ!
もっとさりげなく!
格好良く!
「別にそれでも応援してやってもいいけど?」って、言ってやる予定だったのに!
馬鹿か!
俺は馬鹿か!
死にたい!
穴があったら入りたいっ!
今すぐにでも踵を返して立ち去りたいが、レオンに繋がれた手が外れない。
…というより、力が入らなくて抜けられない。
温かい手が、ひどく熱い。
「……」
手に視線を落としたままだったクラウドだが、レオンの沈黙に気づいて顔を上げた。
さすがに芸能人様の気分を害したかと思ったのだった。
それならそれで、「つまらない奴だな」の一言くらいはくれてやるつもりだったし、それくらいならなんとか言えそうだったのだが、視線が合うとレオンはにこりと微笑んだ。
いつもお礼動画で見る完璧な笑顔とは違う、嬉しそうな笑みだった。
「ファンじゃないのに握手会に来てくれて、服も一式プレゼントしてくれたのか?すごいな、そんなに俺のことを好きでいてくれるなんて嬉しいな」
「好…!?ちょ、いや、そ…っ」
「服をプレゼントするなんて、ファンじゃないなら愛情だろう?」
「あい!?いやいやいやいや、なんでそうなる!」
「…違うなら、ボランティア精神あふれる金持ちとか?」
「えっいや…っていうか、」
「うん?」
「…嫌だろ?男に服をプレゼントされる、とか…」
嫌がらせです、と、素直に白状するが、レオンはきょとんと目を見開き、首を傾げた。
初めて見る顔だった。
なんだその顔、可愛いなんて言ってやらないぞ。
無言で見つめるクラウドの前で、レオンは軽く首を振る。
「いや全然。全身一式プレゼントしてくれるなんて、どれだけ愛されているのかと思っていた」
「愛さ…れ…!?マジで!?」
「ああ、…そうか、違うのか」
「え…っ」
何でうなだれるんだ。
悲しそうにするな。
どうせ演技だろ。
やめろよ俺が悪いこと言ったみたいじゃないか!
「いや、その…」
「…違うならそれはそれで構わないんだが、ならなおさら言いやすい」
「…え?何を?」
顔を上げたレオンは完全に冷静だった。
さっきまでの悲し気な雰囲気は微塵もない。
やはり演技だったのか!
なんだこいつモデルじゃなくて俳優になれるんじゃないのかと思うほどの、切り替えの早さだった。
「もう俺に金を使わなくていい」
「…へ?」
「金を使うなら、他のメンバーに使ってくれ」
「…なん…」
「時間です!離れてください」
「え、ちょ…待、」
スタッフの無情な声と共に、レオンの温かな手が離された。
「クラウド、わざわざ会いに来てくれてありがとう。今日は楽しかった」
「おい、レオン」
「気をつけて帰ってくれ」
「……」
向けられる笑顔は変わらず完璧なものだった。
ああこれ、仕事用か。
何故だろう、ムカついた。
何なんだ。
お前もうやる気ないだろ。
何だよ金使わなくていいって。
さっきまでの「嬉しい」は何だったんだふざけるな。
どれが素だよ。
どこまでが「仕事」だよ。
教えろよちくしょう。
脱落組にいる崖っぷち芸能人にさえ、時間をきちんと計って対応するスタッフの真面目さにも、ムカついた。
「金使わなくていいって、どういう意味?もうやる気ないってこと?」
握手会に来てくれたファンへのお礼を述べるブログに対して思わずコメントを送るが、それに対するレオンの返信はひどく事務的なものだった。
『クラウド、応援メッセージをありがとう。会えて嬉しかった。残りわずかとなったが、最後まで頑張るよ』
まったく返信になっていない。
遠回しに何かを伝えるわけでもなく、これじゃただのお礼だった。
他のファンに対しても同じような内容で返信しており、もしやと思いネットを検索してみれば、握手会に参加したと思しきファンの呟きが嘆きに満ちていた。
「私のことを気遣ってくださるレオン様のお心は痛いほどお察しします。でも私は最後まで応援したいです」
レオン「様」はやめろと思うが、そこの部分はスルーした。
おそらく握手会に参加したファンには対面で直接「課金しなくていい」と言ったのだろう。
この段階に来てまでも十万の金を払って会いに来るようなファンは本物であり、おそらく最後まで課金し続けるのだろうから。
「課金しなくていい」と言われたことを、このファンは「気遣ってくださる」と表現しているのだ。
レオンに言われたことを素直に聞いたからかは不明だが、その日からまたランキングは落ち込んで、九十三位に戻っていた。
「ランキングまた落ちてるけど、満足?」
仕事の休憩時間にコメントを送れば、だいたい帰宅する頃には返信されている。
好意の欠片も見えない内容に対しても丁寧なのは変わらないが、以前のような気遣いは見えなくなっていた。
『クラウド、応援メッセージをありがとう。俺はいつも通り、毎日を前向きに生きたいと思っているよ』
よほど触れられたくない内容なのかもしれない。
それでもレオンのブログや動画の内容は変わらない。
いつも通り日々の様子を写真混じりでブログにアップし、プライベートを動画で流す。応援メッセージへの返信はさらに減って、常連と言えるのはクラウドとソラと他数名だけとなっていた。
ソラはおそらく毎回「レオン大好き」とでも送っているのだろう、レオンの返信コメントは優しさに満ちていて、「いつも元気をもらえるよ、ありがとう」といった内容だった。
ソラの名前はこちらが一方的に知っているだけで、向こうはおそらく「近所に住むストライフさん」としか知らないはずだった。下手をすると姓も知らないかも知れず、「近所に住むお兄さん」程度の認識かもしれなかった。母親の方は姓は知っているかもしれないが、それでも名前は知らないはずだ。…だから奇妙に共存できている。顔を合わせてもその点だけは安心だった。
「さすがに諦めたの?」
悪意としか取れないメッセージだったが、実際悪意は籠もっていた。
『クラウド、応援メッセージをありがとう。いつも気にかけてくれて嬉しい。クラウドの気持ちは伝わっているよ』
「やっと来たな」
遠回しに、「うざいから関わるな」と言っているのだと解釈した。
本人はすでに諦めていて、脱落も受け入れているのだ。
それでも真面目に最後まで、「いつも通り」を貫こうとしているのだろう。
もっと早い段階で一言ファンに「課金して」と言えば良かったのだ。
ここに来て「課金するな」とわざわざ言うところに、レオンのプライドを垣間見た気がした。
「安いプライド、捨てられなかったの?」
いい加減怒れよ。はっきり言えよ。
それでもレオンの対応は変わらないのだった。
『クラウド、応援メッセージをありがとう。いつもくれるメッセージ、全て大事に受け取っている』
受け取ってるならちゃんと返せよふざけるな。
噛み合わなさに、クラウドは歯ぎしりをする。
もどかしくて仕方がない。
本音を知りたいのに全く見せない。
これが芸能人というものかと納得するには、レオンが今まで見せてきた生き方は真面目に過ぎた。
真面目に生きているくせに迂遠な処世術を駆使するな。
それとも本性は別物なのか。
今見せている姿は全て作り物なのか。
知りたいのに知る術がない。
なんだこいつ、本当にムカつくな。
年末が、キミスタ!の総合ランキング発表だった。
もう時間がない。
来年にはこいつは消えるのだった。
レオンのスケジュールを確認し、最後のイベント参加を見つけた。
キミスタ!協賛企業の新商品の使用感などをレポートし、広告として専用サイトに掲載する公開撮影会というやつだった。
むろんレオン一人で参加するわけではなく、上位と下位を組み合わせて何人かで出演し、人気が偏らないようにすることで企業にも配慮しているものである。
それに観覧者として参加し、帰る際には新商品の試供品を多数お持ち帰りもできるので、人気のイベントのようだった。
イベント参加券は抽選、という話だったが、実際にはランキングごとに観覧者人数が割り当てられている関係で、応募が殺到したら抽選になるのだが、レオン目当てのファンの購入者は少ないのだろう、抽選になることもなくクラウドはイベント参加券を手に入れた。
「舐めるなよレオン」
課金するなって言ったな?ふざけるなお前の言うことなんか聞いてやるか。
嫌がらせするにはもうあと一ヶ月もないんだからな。
今度こそ嫌がってみせろ。
そしたら綺麗さっぱり忘れて新年を迎えてやる。
全身コーディネートするにも、今度はそれほど迷わなかった。
実際に会ってイメージができたからだったが、それを認めてやるにもムカついた。
「何でこんなに俺が気を遣ってやらなきゃならないんだ」
お前が気を遣う側だろちくしょうふざけるな、と思うのだった。
「イベントに参加します」
二度目であるので不安になったりはしなかった。
ほら早く、お礼動画を寄越せ。
嫌がらせしてやってるんだから、さすがにお前も前向きに嫌がれ。
仕事用の笑顔はやめて、ちゃんと本性を見せろ。
『クラウド、いつも応援してくれてありがとう。イベントに来てくれるんだな。…正直に言って、驚いている。本当に?…服や靴も、…すまない、驚いている以外の言葉がない。だがありがとう。とても嬉しい。イベントに着て行くので、見て欲しいな。年末も迫る時期だ、体調を崩しやすい気候が続くが、気をつけて。当日会えるのを、楽しみにしている』
「……」
嫌がるのかと思ったら、喜ばれた。
だが仕事用の笑顔だけではない、戸惑う表情を見ることができた。
でもまだ足りない。
イベントは直接話す機会はなさそうだった。
見るだけか。
行く意味はあまりなさそうではあったが、自分がコーディネートしてやった姿を確認するという大事な仕事がある。
ランキングは一瞬八十八位まで上がったものの、すぐに定位置の九十三位に戻ったのでもはや気にするのはやめにした。
気にしたところで脱落は確定であり、覆す術はもはやない。
イベント当日、ランキング上位の芸能人達に混じり、端にいて自己主張することもなく、目立たないよう控えめに撮影会に臨んでいるレオンであっても、その存在感は脱落組にいるようなものではなかった。
なんで脱落なんだよ。
ふざけるな。
負けてない。
お前別に他のヤツに負けてないし。
クラウドは納得がいかない。
シンプルにまとめたコーディネートであっても、派手な衣装を来たアイドルに負けていないのだ。
アレが上位で、レオンが脱落って意味が分からない。
俺ファンじゃないけど。
ファンじゃないけど何なんだよ納得がいかない。
かといって今更ランキングを覆せるはずもなく、もうどうしようもなかった。
世の中の理不尽を感じた。
途中レオンと目が合って、クラウドは顔を伏せる。
だから不意打ちやめろって言ってるだろ!
そこからレオンが見れなくなった。
視線が合うと恥ずかしいからだ。
くそ、理不尽だ。
高い金払って見に来てやったのに見れないなんて、理不尽だ。
ちくしょう。
だが理不尽な出来事は立て続けにやってくる。
年末直前の朝、出勤したら会社が倒産していたのだった。