どこにも、行けない。
暮れ行く夕陽が茜色に街を染め上げ、闇空に居場所を明け渡す時刻、ぽつりぽつりと建物には明かりが灯り始め、食事の支度を始める家が増えて、煙突からは白く煙が立ち上る。ネオン輝くトラヴァースタウンの一番街は、入り組んだ路地と不揃いな建物が所狭しと並んでおり、ひどく狭隘で、雑然とした印象を与えた。木材と石でできた建築様式は統一されているものの、断続的に増える人口に対応する為の区画整理が追いつかず、人が増えた分だけ建物を増やすという無軌道ぶりで、整然とした街並み、とはお世辞にも言えなかった。
一見すると人通りが多く活気があるように見えるが、行きかう人々の表情は暗く、疲弊の色が濃い。
この街は、生きていた世界を失くした者達が流れ着く場所であり、全てを失った者が集まる場所だった。
三年前から突如始まった異変に、人々は為す術なく逃げ出すしかなかったのだった。
ある日突然、上空に巨大な闇の渦が現れ、地上には無数の化け物が出現した。
それらに気づけた者は幸いであったろう。
大部分の者達は、己が身に起こったことを自覚せぬまま、消えて行った。
この世の終わり、終末の到来であった。
建物も地面も海も光も何もかもが、闇の渦に吸い上げられて、消えていく。
家族も友人も家も学校も、仕事も財産も、全てが平等に消えていく。
逃げ出せた者は、僅かであった。
呆然と、着の身着のまま命からがら世界の外へと逃げ出した先にあったのは、点在するまた別の世界であった。
世界の外に、世界があった。
生き延びた者達はそこで初めて、自分達が生きていた世界の他にも数多世界があることを知ったのだったが、行く当てもなく流離い、流れ着いたこの街には、同じように世界を失い、同じように全てを失った仲間がいた。
地獄のような境遇に落とされた同類の存在に、心は多少慰められはしたものの、これからどうなるのか、どうすべきなのか、前向きに考えられる者は少なかった。
全てを失い、奪われた者達に、どんな希望を持てというのか。
見たこともない流星雨を見た、ということ。
その後大量の化け物と、闇の渦が現れ全てを失ったということ。
皆が共有できる情報はそれしかなかった。
これからどうすればいいのか。
元の世界に帰ることは可能なのか。
誰にも何もわからないまま、不安だけを抱えて毎日を生きている。
ぼんやりと壁に凭れ、空を見上げて座り込む中年の男、所在なさげに広場を歩く子どもや、客引きの為路地に立つ女達の姿を横目に見ながら、沈みゆく陽によって朱に照らされた石畳の上を、少女が軽い足取りで歩いて行く。
大きなリボンで一つにまとめ上げた褐色の巻き髪が、軽やかに背で踊った。
小ぶりな花束を抱え一軒の家の前で立ち止まり、ノックすることなくドアを開けて、中に入る。
入ってすぐの一階は、リビングダイニングになっていたが、広めのリビングには雑多な機械やパーツが置かれ、足の踏み場もないほどだった。
金髪の後姿が機械のど真ん中に陣取って、何やらガチャガチャと音を立てて作業していた。気づいた様子はない。
いつのもことと気にも止めず、少女は明るく声を投げる。
「シドさん、ただいま」
気づいた男が、ゴーグルを引き上げ額に乗せながら振り返った。
三十代も半ばを過ぎた男の目元や口元には、皺が目立つ。
「おう、エアリスか。早かったな」
「早くはない、かな。晩御飯、作らなきゃ」
「もうそんな時間か?」
シドは窓の外を見やり、暗くなりかけていることを認識する。長時間屈んだ姿勢でいたので両手を上げて肩を回せば、ボキボキと派手な音がした。「痛ててて」とシドが呻き、エアリスが笑う。
「根詰めすぎ。お花、もらってきたの。テーブルに飾っていいかな」
「おぉ、好きにしろや。んぁ?スコールとユフィはどうした」
「別々に出かけた?一緒に、出かけた?」
「知らん…いや、なんかユフィがスコールにくっついてた気が」
「じゃ、一緒に帰ってくる、かな。修行、してるんじゃない?」
「頑張るなぁあいつら」
音を立てて首を回しながらシドが立ち上がり、散らばった部品を一か所にまとめ始める。
乱雑に放り出されているようにしか見えないが、シドなりに片づけ場所は決まっているようだった。
エアリスはキッチンに立ち、食事の用意を始める。
三年前、闇に落ちた世界から逃げ、シド、スコール、ユフィとこの街に辿り着いてからは、共に暮らしており、一時期を除いて家事は分担制となっていた。
ユフィはまだ食事を作るには小さい為、かわりに掃除を任せているが、目を離すとすぐにサボろうとするので監視が大変である。
スコールは家を出たがっているようだったが、成人するまで我慢しろとシドに言われて我慢している状態で、「お年頃だもんね」とエアリスなどは思うのだが、「あんたこそな」とスコールには返されることだろう。
生活する為には金が必要で、シドが何でも屋のようなことをして主な生計を立てていたが、スコールやエアリスもシドの手伝いをしたり、自分で仕事を見つけては収入を得て家に入れているのだった。
今は、生きる目標がない。
それでも、生きているから、生きて行かねばならなかった。
いつか、帰れる日が来るかもしれない。
希望というにはあまりにも儚く、胸に抱いて生きるには弱弱しくはあったけれども。
一人ではないから、耐えられる。
皆もきっとそうなのだろうと思いながら、毎日を生きていた。
「ね、スコール」
「…何?」
本日の食事当番と片づけ当番はエアリスであったが、スコールは用がなければ自主的に片づけを手伝うのだった。
なんてできた男なのだろう、これが平和な世界であったなら、女は放っておかないね、などとエアリスはたびたび褒めるのだが、スコールは「やめろ」と溜息をつくだけで本気にしている様子はない。
スコールが手伝ってくれるから、スコールが当番の時にはエアリスも片づけを手伝うことになる。
お互い様だと言えばそれまでだし、二人でやれば早く終わるので効率的ではあるのだが、ならば当番の意味がないな、とも思うのだった。
「私ね、ケアル、覚えたんだー」
「…へぇ」
「でね、スコールの傷、治せるかなって」
三年が経つ。
あの時にはどうしようもなかったけれど、もしかしたら今なら。
隣で黙したスコールを見上げれば、僅かに眉を顰めて困ったような顔をしていた。
「スコール?」
「…いや、いい」
「どうして?」
首を振る男の額には、傷があった。
トラヴァースタウンに着いてからしばらく、包帯で覆われた痛々しい姿で部屋に閉じこもっていたことを思い出す。
「今更、だろう」
「そんなこと。…いい男がもっといい男になるかも」
「……」
軽く首を傾げたものの、反応の薄いスコールに、エアリスが照れる。
「うわー恥ずかしい。そこ、ツッこんで欲しかった…」
笑って見上げてやれば、スコールは肩を竦めた。
「…悪かったな。片づけ終わった。部屋に戻る」
「あっありがとう、お手伝い」
「いや。…すまない、エアリス」
「え?」
「これは、このままでいい」
「…そっか」
傷を抱えたままでいいと言う。
目に見える傷だけではなく。
エアリスは知っていた。
エアリスだけではない、シドや、ユフィも知っていた。
虚ろな瞳を思い出す。
物言わぬ唇も、動かない表情も、まるで死者であるかのように、暗闇の中ただ一点を見やって蹲る姿は、直視できたものではなかった。
何があったのか、事情を詳しくは知らなかった。
教えてくれとは言えなかったし、スコールも聞かれることを望んでいないのだった。
「あれっスコールは?エアリス」
「部屋、戻っちゃったよ、ユフィ。…ちゃんと髪、拭かなきゃ。風邪引いちゃうぞ」
「風呂上がりにジュース入れてもらおうと思って、急いで出てきたのにー!」
「私が入れたげるから、座って」
毛先から水滴を振り落としながら駆け寄ってくる少女は幼い。
確か十一になったのだった。
まだ、十一なのに家族はもういないのだった。
ジュースをコップに入れて渡してやれば、スコールの方が良かった、と素直に零す様子は微笑ましい。
「随分、スコールに懐いたね」
「だって最近優しいんだ。意地悪だけどさ」
「…ん?矛盾、してる」
「修行中の時は意地悪なんだ。怖い顔してさ、怪我するから真面目にやれつってんだろ!ってさー!」
「うーん、それ意地悪では、ないかな」
「殴りかかっても当たんないし」
「うーん」
それも、意地悪、ではないなぁ。
自分のコップにもジュースを入れて、エアリスは腰を下ろしユフィの話を聞いてやる。
ユフィは明るく、おしゃべりが好きな女の子だった。
「けど普段は優しいよ。お菓子買ってくれるんだ」
「…んんん…それは聞き捨てならないなぁ…いつ買ってくれるの?」
「修行の前。お腹に少しでも物入れとかないと、身体もたないぞつってさ、アタシすぐお腹空くから~!」
「修行の前なら…うーん…」
「あとなんか街の人、結構スコールのこと知ってんだよね。シドも有名だけど。なんか一緒に歩いてたらさー、アタシも有名人になったみたいでさー!」
んふふ~、と笑う少女は純粋でかわいらしいな、と、エアリスは思う。
他の世界から人が流れ着いて来ると、一緒に化け物もくっついてくることがある。
あれはモンスターと呼ぶべきものなのか、闇の生き物と呼ぶものなのかは不明だったが、それは人を襲うのだった。
そういうモノ達の駆除を、スコールがやっているということは聞いている。
他にも人手が必要なことなど、要請があれば協力しているようだった。
いずれエアリスも手伝いたいと思っていたし、ユフィもその思いがあるからこそ修行しているのだ。
スコールは前を向いて歩き始めている。
どうしたい、とも、どうしよう、とも、話してはくれないけれども。
それでも共通の夢は、揺らぐことはないのだった。
いつか、帰る。
あの世界へ。
「ユフィ、スコールのこと、大好きなんだね~」
「ちょっと!そういうの、やめてくれる~?そういう好きじゃないからね!」
「わかってるわかってる」
「かわいいかわいいユフィちゃんが、スコールくんをかまってあげてるんだよ~!」
胸を張って得意げに笑うユフィの頭上に、影が落ちた。
「構ってくれなくて、結構だ」
低く通りの良い声と共に、洗い立ての濡れた髪をかき回されてユフィが悲鳴を上げた。
「んぎゃ~!ごめんなさいスコールくんさま~!」
「くんさまって何だ…出かけてくる」
スコールに視線を向けられ見上げるが、すでに出かけようと背を向けているので慌ててエアリスは立ち上がる。
「出かける?」
「ああ。たぶん…遅くなる」
「そっか、気を付けてね。鍵、忘れないでね」
「持ってる」
立ち上がったついでに玄関まで見送ろうと歩き出すエアリスに続いて、ユフィも肩にかけたタオルで頭を拭きながら、ついてくる。
「なんだよ~スコール、カノジョとアイビキか~?」
「…どこで覚えたそんな言葉」
嫌そうな顔を隠しもしないスコールに、笑って返すユフィは大物だなとエアリスは思う。
「街のおっさんがスコールに言ってたじゃん」
「…全く、教育によろしくない奴らが多すぎるな、この街は」
溜息をつくスコールの表情に苦々しさが漂うが、ユフィは平然と「そうかな?」と呟いた。
「二番街三番街はシンシしかいないし、一番街だけじゃん変なの多いの」
「シンシ…ああ、紳士。そうだな俺はこれから二番街の紳士に会いに行くんだ」
「じゃ、安心だね!仕事でしょ?」
「仕事以外で会う理由ないな」
「いっぱい金稼いでアタシの武器買ってよー」
「…もっとお前が強くなったらな」
「ケチー!」
「ケチとかいう問題じゃない」
「いつか泣かしてやるー!」
「…ほう、やれるもんならやってみろ」
「…ユフィ、スコール出かけるんだから、邪魔しちゃダメ」
このままではいつまで経ってもスコールが出かけられない。
無意識に引き止めようとするユフィの両肩に手を乗せ、エアリスが優しく諭せば、開きかけた口を閉ざして言葉を飲み込む。
「…ちぇっお土産買ってきてよね!」
「何でだ。…じゃ、あとは頼む」
「はい、いってらっしゃい」
まるで夫婦の見送りのような会話を交わし、スコールが扉の向こうに消えたのを確認してから鍵をかけ、ダイニングへ戻ろうとユフィを促す。
「ユフィ、ジュース、まだ残ってるでしょ」
「うん…ねーエアリス」
「なぁに?」
ダイニングへ戻り、椅子に座ったユフィは手に持ったコップの中身をぐるぐると回して何かを考えているようだ。残り三分の一程になったジュースに口をつけながらエアリスが待てば、顔を上げたユフィは意外な程真剣な顔をしていた。
「おっさんにケツ触られるのってさ、チカンだよね?」
「…触られたの?」
それは一大事である。
いたいけな少女になんてことを。
スコールが戻り次第報告を…いや、シドがいる。シドに即刻報告と対策を…。
「うん、スコールが」
「……」
ごめん、聞こえなかった。
もう一回、言ってくれる?
首を傾げるが、ユフィはマイペースにゆっくりとジュースを飲み干した。
「最近スコール、ベルトぐるぐる巻きしてんじゃん。あれおっさんにケツ撫で回されたからなんだよね」
「……」
んんん、どういうことかなー?
「だからさー、夜に出かけたりしたらアブなくない?って思うんだよねー」
「あぁ…」
なんということだ。
ユフィはこの歳にして、スコールの身体を心配しているというのだ。
身体…。
いけない、生々しい想像をしてしまうところだった。
慌てて首を振り、エアリスは笑顔を作る。
「大丈夫。スコール、大人だからうまくかわせる」
「うん、まぁあのおっさん酔っ払いだったし、その時もオオゴトにならなかった」
「今夜は二番街って言ってたし、大丈夫」
「そだねー、シンシと会うって言ってたし」
「うんうん」
「テレビみよ~っと」
「夜更かししないようにね」
「はーい」
ジュースのお代わりを入れてやれば、ユフィは礼を言ってコップを抱え、テレビの前へと移動する。
部屋から出てきたシドがユフィに気付き、眦を釣り上げた。
「あっユフィてめぇこの時間は俺様が見たい番組があるっつってんだろ!譲れ!」
「やだよ!早いモン勝ちだね!年寄りのくせに風呂長いんだよ!!」
「あー!?一日の汚れをキレイサッパリ流してたらしょうがねぇだろがよ!!」
「あーやだやだ一日の汚れとか、これだからおっさんは!」
「クソガキてめぇ調子乗んじゃねぇぞ!」
「うっさいジジイ!テレビ聴こえないだろ!」
「ジジイはやめろ俺様まだ三十代だぞ!」
一気に騒がしくなり、エアリスは笑いをかみ殺す。
シドの為に飲み物を淹れてやり、声をかければシドが振り返って、怒鳴ろうと開いていた口を大人しく閉じた。
「おぅ、すまねぇな」
「いいえ」
コップを受け取り豪快に一気飲みした男は、あと一人の姿がないことに気付いた。
「…あん?スコールはどうした、部屋か?」
「出かけた。二番街でお仕事、だって」
「二番街で仕事ぉ?…聞いてねぇ」
「急な話、だったのかな」
「知らねぇな。仕事は俺通せって言ってんのによ」
「心配?」
「成人するまではな、禁止だ、禁止」
「…過保護」
「お前らもだ、成人するまではしっかり俺様が見張ってるってこと、忘れんなよ!…ユフィ、てめぇもだ!!」
「あーもーおっさんうるさーーい!!」
「おっさん言うなクソガキがー!!」
「もう…仲良しなのはわかったから、もうちょっと静かに、して」
一人じゃない、ということは、幸せなことだと思うのだ。
賑やかなのは、素敵だな、と思う。
シドはとても優しい。
赤の他人である私達なのに、本当の家族のように、接してくれる。
スコールもそう思っているはずで、無茶なことはしないだろうと、思っている。
もう三年が経つ。
皆が前向きに歩き始めても、おかしくない頃だった。
スコールが帰宅したのは夜明け頃だったらしく、そのまま寝ずに朝食の支度をしているところを、起きてきたシドに見つかって怒られた。
「理不尽だ…」
「何が理不尽だ、言ってみろ」
全員が席に着き、目の前には朝食が置かれているというのに、誰にも手を付けることを許さず、シドは淡々とスコールを責める。
「ちゃんと朝食は作った」
「おう、当番だから当然だ。勝手に仕事入れたこととは関係ねぇな」
「あとで報告すればいいと思っていた」
「なんであとででいいと思ったか、言ってみろ」
「結果がはっきりしてからの方がいいと判断した」
「結果は聞くが、朝帰りした理由は何だ」
「深夜は危険だからうろつくな、とあんたが言ったんだろう」
「何で深夜までかかるんだよ」
「何でと言われてもな…気づいたら深夜だったから明け方まで依頼主の屋敷にいた」
「迷惑かけんじゃねぇよ!」
「かけてない。あとでまとめて報告しようと思っていた」
「ならあとでまとめて聞いてやる。とりあえずこれだけは言わせろや。勝手に仕事受けんな。受けるなら先にその旨報告しろ」
「何故」
「何故じゃねぇ。お前はまだ未成年だからだ」
「未成年だから…?」
「おぅよ。俺様には監督責任がある」
「監督責任」
「オウム返しやめろ。街の連中にも言っておく。勝手にスコールに仕事依頼すんなってな」
「……」
「お前も受けんな。受けるなら俺に報告してからだ」
「……」
「返事はどうした」
「未成年だから?」
「何度も言わせんな?」
「……」
明らかに不満の色を滲ませる蒼の瞳を覗き込み、シドはもう一度確認する。
「返事は」
「…了解」
「良し、食って良し!報告は食い終わってからだ」
溜息をついて朝食に手を付けるスコールを同情の目線で見、シドウザいな~、とユフィは思いながらも、口にはしない。
エアリスも心配そうな視線をスコールに向けはするものの、何も言わない。
シドが、スコールのことを心配しているのだということを、知っているからだ。
スコールもわかっているから、最終的には折れる。
成人したら好きにしろ、という言葉の裏返しでもあるので、しばらくの間は我慢しようと思っているだけかもしれないが。
食事を終えてテーブルを片付け、ユフィはランニングに行ってくると言って外出をし、エアリスは本日の当番である掃除を始めた。
ダイニングはシドとスコールの会議で使用中なので、出来るところから開始する。各自の部屋は各々が掃除する決まりになっている為、ノータッチであった。
「あー、あのつがいか。決まったのか」
「屋敷を一つ、使っていいということになった」
「マジでか。それはすげぇな」
「数が数だしな…まぁ、いつになるかはわからないんだが…ちょうど、住み替えを検討していたようで、飼い主になってくれるということだ。…正確には飼い主ではないが」
「保護人とか、そういったモンってことだな」
「ああ」
「そんな話をよくまとめたなスコール」
「金持ちの道楽だ。言質を取ってしまえばこちらのものだ」
「ほー、どうやってまとめた?」
「それは企業秘密だ」
「なんだそりゃ。俺様にも話せねぇってか」
「そういう約束だ」
「ほーん?」
コーヒーを啜りながら眉を顰める三十路の男の皺が深くなる。
あまり機嫌がよろしくはないようだったが、スコールは気にせずテーブルの上で組んだ手に顎を乗せて、僅かに口角を引き上げた。対するスコールの機嫌は良さそうだった。
「ダルメシアンのつがいしかいない屋敷だ。…つい、長居して深夜になってしまった」
「それが原因か」
「暇があれば覗いて、元気づけてやってくれ」
「…そういうのはガラじゃねぇ。エアリスかユフィに言えや」
「ああ、そうする」
「なになに?」
己の名前が出たことを聞きつけて、エアリスが掃除用具片手に寄ってくる。子犬と離れ離れになってしまった親犬の話をしてやれば、目を輝かせた後に眉を顰めて溜息をついた。
「それは、心配だね」
「ああ、…子犬の安否が気になるところだ。街中もっと探してみないとな」
「きっと、元気でいるよ。…大丈夫」
「そうだな」
「んで、他には?」
「ああ」
シドに促され、別の話を始める二人の邪魔をせぬよう、エアリスは掃除を再開する。
スコールはすでにシドの片腕というよりは、独立した存在として街に認知されつつあった。
すごいな、と、エアリスは思う。
かつて住んでいた世界でスコールが何をしていたか、知らなかった。
エアリスは手の届く範囲の世界で生きていたし、知らない人はたくさんいた。
同じ世界で生きていても、関わることのない人が本当にたくさんいたのだということを、世界が崩壊したあの日に知ったのだった。
今共に生活している人達は、皆他人だった。
不思議だな、と思い、今を大切にしたいな、と思う。
同時に、狭い世界で関わってくれていた人達のことを思う。
無事でいるのだろうか。
どこかで、生きているのだろうか。
元気でいてほしい。
きっといつか、会える。
エアリスには何故か、確信があった。
「エアリス?」
声をかけられ振り向けば、スコールが怪訝な表情で立っていた。
「スコール、どうしたの?」
「手が止まってる」
「あ、考え事、してた」
「そうか」
話は終わったのかと問えば、頷きが返る。
出かけようとしているので塞いでいた通路を避けて通してやって、何故だかまた見送るために玄関まで共に歩く。
「今日のご飯当番、スコールだよね」
「夕食を用意する時間までには戻る」
「うん、…あ、スコール」
「何?」
「クラウドって知ってる?」
「…誰だったかな」
「私と同い年で、金髪でツンツンしてて、レイディアントガーデンから逃げる時に、はぐれちゃった男の子」
「…この街にいたかな」
「今までは、いなかったと思う。見かけたら、教えて?」
「?…ああ、わかった」
エアリスの不可思議な物言いに、スコールは僅かに首を傾げはしたものの、素直に頷いてみせた。
この街には、色々な世界から人やモノが流れ着く。
今まで出会えなかった人にも、会える可能性がないわけではなかった。
希望を持ち続ける意味は、ある。
夢を諦めずにいることすら、可能だ。
だが。
目の前でうしなってしまった存在は、二度とかえらないのだった。
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