どこにも、行けない。
仕事の依頼はシドを通してくるようになったおかげで、随分と時間の自由がきくようになったスコールは、ユフィを伴い地下洞窟へと向かっていた。
遊びたい盛りの少女は、目を離すと修行をサボってラクガキを始めるので油断がならない。元気で活発な性格なので、同年代の子供ともはしゃいで遊ぶのかと思いきや、全くそんな様子は見せず、地下洞窟を遊び場にして一人で遊んでいるのだった。
一番街にいる子供は、境遇はユフィと似たようなもののはずで、故郷を失い、両親を亡くした子もいたし、片親を喪った子もいた。同年代の子供はこの街に何人もいるが、遊びにも来ないし、遊びに行くという話も聞かなかった。
以前遊ばないのかと問うたことがあったが、「ガキと遊んでもつまんない」の一言で片づけられ、それ以来ユフィが一人で遊んでいても何も言わないようになった。最初の頃はともに遊んでいるのを見かけた記憶はあるのだが、すぐにユフィは孤立して、やがてスコールにくっついて修行をするようになったのだった。
目的地へ向かう途中で菓子を買ってやるのが通例となっていたが、本日はケーキを所望されたので、街一番のパティシエが作るフルーツと生クリームがたっぷり乗った、少々値が張るカップケーキを買ってやれば飛び上がって喜んだ。
「スコール師匠、だいすきあいしてる!」
「心が全く籠ってないが、修行真面目に頑張れよ」
「もちろん、頑張りますぅーおまかせあれ~!」
カップケーキにしたのは、歩きながらでも食べやすい物を選んだ為で、ゆっくり座って食べさせようものなら「お腹いっぱい眠い」と修行をボイコットしようとするので、寛がせてはいけないのだと学んでいた。
二番街の水路からいつも通り地下洞窟へ向かう。だが入口には鉄格子が嵌められており先に進むことができないようになっていて、スコールとユフィは顔を見合わせ戸惑った。
「あれ、閉まってる?何で?」
「…俺が聞きたい」
貼り紙の類もなく、何故閉められているのか理由が不明だった。
聞いてみるかと期待もせずにすぐ傍にあるホテルのフロントで尋ねてみたが、「なんか工事するとかで」という曖昧な返答をされ聞いてないぞとスコールは思う。
「今日、修行なし?なし?」
期待に顔を輝かせて見上げてくるユフィにデコピンをかまし、「ぐおぉ~」と野太い声を上げて痛がるのを黙らせて、三番街へと向かう。
地下洞窟の所有者は偉大なる魔法使いだった。在宅であれば、地下洞窟で何の工事をするのか、いつまでやるのかを尋ねることができるだろうと思ったのだが、残念なことに不在であった。
フェアリー・ゴッドマザーが迎えてくれたので事情を話し、魔法使いが戻って来たら伝える旨の約束を取り付けて、引き返す。
「…今日は修行は無理か」
「えっホントに休み?」
休んでいいの?と視線で問う少女に渋々頷いた。
「場所がないんじゃな。外でやるなら許可を得ないと無理だ。剣を振り回したりできる場所も探さないと」
「工事ってなんだろね。アタシのゲイジュツ作品壊したらタダじゃおかないからな~!」
「……」
ゲイジュツ作品はともかく、困ることは確かだった。
「仕方がない。今日は犬の所、行くか?」
「スコールが行くなら付き合うよ」
「じゃぁ寄って帰るか」
「オッケー」
予定を繰り上げて、二番街の夫婦犬が住む屋敷へと向かう。
あそこへ行くのはスコールの日課と言って良かった。
あの夫婦犬はスコールを歓迎してくれ、必要としてくれる。
スコールでなければならない、ということはないかもしれないが、行けば傍に寄って来て喜び、帰る時には悲しげに鳴く。
屋敷に住めればいいのにと思ったのは、本当だった。
「やぁいらっしゃい、スコールくん。…と、お嬢さん」
この男は当初全く犬に興味を示さず、屋敷を売却するか賃貸として利用するかで迷っていた。
一番街でいずれ戻ってくるだろう子犬達を合わせて百一匹、暮らせる建物を探したが見つからず、賃貸で貸してくれないかと頼み、しかも街からの補助金で暮らせる程度の低価格で、という無茶な要求を呑んでくれたことには感謝している。感謝しているが、こんなはずではなかった。
屋敷は自由に使っていいと言ったではないか。
鍵も管理も任せると、言ったではないか。
いずれ犬達が帰るべき世界に戻った後のことを考え、ハウスキーパーだけは入れて掃除はさせる、という条件ではあったけれども、基本的に不干渉のはずだった。
「…こんにちは、今日もいらっしゃるんですね」
なのに何故あんたがここにいる。
この屋敷は確かにあんたの持ち物ではあるが、頻繁に出入りするほど犬に愛情を持っていないことは知っていた。
「スコールくんに会いたくてね。もちろん、そちらのお嬢さんにも」
にこやかな笑みを刻む男の表情は優しいが、隣にいるユフィは黙りこんで、スコールのジャケットの裾を掴んでいた。
「すみません、こいつ人見知りで」
ユフィを庇えば、男は構わないよと笑みを深くし、中に入るよう促した。
「来るだろうと思ってたんだ。犬が待っているからね。それでね、紹介したい人がいて」
「…どなたでしょうか」
「その前に、お嬢さんは犬と遊んでてもらってかまわないかな」
「……」
スコールが見下ろせば、ユフィは不満そうな顔をしながらも「いいけど」と呟いた。
「飲み物と、お菓子も用意しよう。少しの間だけスコールくんを借りるよ」
「すぐに返してよ」
「もちろん、大事なお話が終わったらすぐに返すよ」
こちらとしても長居はしたくなかった。
犬だけなら良かったのに。
ユフィを置いて隣室に通された先にいたのは、見慣れない男だった。
歳の程は二十代後半から三十代前半といったところか。大人しそうな線の細い青年だったが、軟弱という印象を受けないのは、表情にしっかりとした意志の力を感じるからか。街に住んでいる以上、どこかで見たことはあるはずだったが、記憶にないということは、直接関わったことはないのだろう。
男の物腰は柔らかかった。
「初めまして、ですよね。お話はかねがね伺ってます」
差し出された手を拒む理由が見当たらず、スコールは握手を交わすが、にこりと人の良さそうな男の笑みは、隣に立つ紳士よりよほど好感が持てた。
「初めまして、こんにちは」
「誼を通じておくのはいいことだよ。次期町長だからね」
「まだ決まったわけではありませんよ」
町長の息子だった。関わってはいけない人間だと気づいたが、遅かった。
「…本当に、現町長と戦われるのですか?」
「彼が良き町長であり続けてくれるのなら、戦う理由はないのですが」
口調は丁寧なものの、父親を彼と呼ぶ息子の表情は淡々としており、親子の情愛と言ったものは見受けられなかった。
親と決別する気持ちは、スコールにはわからない。
「一番街の人々のことにも心を砕いてくれる、優しい人だよ。スコールくんも応援してくれないかな」
紳士は息子につくようだった。
応援を求められても、スコールには答えられない。
現町長よりははるかにマシそうだ、とは思う。
だが。
「一番街の住民の立場は、町長の一存にかかっています」
「そうだね」
「我々は選ばれた町長に従うしか術はありません」
「スコールくん…」
「いや、確かにその通りです」
溜息交じりの紳士に対し、町長の一人息子は理解を示した。
「現町長の続投が決まれば、僕を応援してくれる人達の立場は危うくなります。一番街の人々を巻き込むわけにはいかない」
それに、と男は紳士を見、スコールを見た。
「一番街の人々は議会に参加もしていません。一方的に応援だけを求めるのは筋違いだと、思います。我々は町長の横暴を知っている。巻き込んではいけない。…ただ、できれば、町長の応援もしないで頂けたらありがたいのですが」
中立でいてくれと、一番街の住人にとって最も望むことを、男は言った。
最初から町長の応援などする気がないスコールにとって、これ以上の言葉はなかった。
「中立でいることは、我々一番街住人の総意であると、思ってくださって結構です」
「ありがとう」
「…俺からは何も言えませんが、トラヴァースタウンがもっといい街になればいいと思います」
「そうですね、僕もそう思います…。町長は昔から独断専行で独善的な人ではありましたが、街の為を思って行動している点に関してだけは嘘はなかった。それが最近は…いえ、すみません。こんなこと、言うべきではないですね。今日お話しできて良かった。やはり伺っていた通り、お若いのにとても立派な方ですね」
男の目に宿るのは悲しみか。
憎んでいるわけではなさそうだったが、本気で父親を引きずり降ろそうとしているのだということは、理解した。
「…いえ、俺はまだ至らない点が多くて」
「とんでもない。僕も頑張ります。ありがとうございました」
丁寧な一礼をされ、スコールも返す。
礼儀のしっかりした、あの町長の息子とはとても思えぬ常識人だという印象を受ける。
個人的な感情で言えば、この息子に頑張ってもらいたいところだったが、立場がそれを許さない。
頑張ってくださいとも言えず、その場を辞してユフィに声をかけ、今日は帰ろうと玄関へと向かうが、すぐに紳士が追ってきた。
「スコールくん」
「帰ります」
「…迷惑だったかな?」
「…いえ、次期町長になるかもしれない方とお会いできて光栄です」
「そう思ってくれるなら嬉しいよ。私も頑張るから、また遊びにきてくれたまえ、スコールくん」
「……、…はい」
犬には会いに来るが、別にあんたには会いたくない。
明らかに安堵した様子の男は、「くれぐれも内密に」と念押しすることを忘れなかった。
頷く以外に選択の余地がないのは苦痛だなと、スコールは思う。
数日後、紳士が横領罪で逮捕されたと連絡を受けた。
捜査の為屋敷へ立ち入ることができなくなり、スコールの行動範囲はさらに狭まった。
部屋から出て来て開口一番、シドが真顔で呟いた。
「依頼のキャンセルが相次いでて、やべぇ」
「え?」
「こんなこと今までなかったんだがよ…どういうこった」
「どういうことだ?」
「どうもこうもねぇ」
ダイニングチェアに腰かけ、テーブルに肘を置いて頬杖をついたシドは、盛大な溜息と共に「くそ」と吐き出す。
エアリスとユフィは外出していた。長くなりそうだな、とシドの分も飲み物を淹れてやれば、男はちゃんと礼を言うのだった。
「ありがとよ」
「どういたしまして。…で?」
「誰かが手回してやがるとしか思えねぇ…。ここんとこ、有力者連中が次々逮捕されてやがる。罪状は一応ちゃんとしたモンだが…」
「手を回してるのは町長か?」
「断言はできねぇ…が、逮捕されてないとこからも依頼キャンセルだ」
「同業でも現れたか?」
向かいに腰かけ思いつくまま発言するが、シドはなるほどと頷いて見せた。
「あーその可能性は考えてなかった。それもあるか」
「だが新規に流れてきた者はいないし、二番街三番街の人間は何でも屋なんて今更やらない」
「上流だからな。儲かるわけでもねぇし」
スコールは顎に手をやり、考える。
「一番街にいる者で、そんな器用なヤツいたか…?」
「お、なんだそりゃ間接的に俺様を褒めてやがるのか」
「そこじゃないだろ論点は」
呆れた溜息をついてみせれば、シドはケッと毒づいてつまらなさそうに視線を逸らした。
「このまま続くと廃業の危機だ」
「俺への依頼もないってことか?」
「お前に来てるのは町長からだ」
「……」
嫌な予感しかしなかった。
「断ろうと思ってんだが、どうよ」
「依頼内容は?」
「護衛」
「…はぁ?何から守るんだ?」
「反町長派ってやつからじゃねぇのか。どうも町長の雲行きが怪しくなってきやがったからな」
「議会を閉鎖したって聞いたが」
「ああ」
町長の専横ぶりが顕在化してきている昨今だった。
実の息子も議会の末席に名を連ねていたが、父親である町長の不正を告発したようだった。
調査委員会を設置するかどうかで揉めに揉め、町長権限で議会を途中で打ち切って、それ以来招集はないという。
メンバーの中で町長派と反町長派の派閥ができ、街は今静かな混乱の中にあった。
表立って変化は見えないが、議会に参加していた有力者は何人も逮捕され数を減らしており、街主催のイベントはもっともらしい理由をつけて中止され、公共事業も途中で放置されている箇所がいくつもあった。
地下洞窟も、魔法使いが不在であるのをいいことにずっと閉鎖されたままだったが、中で工事されている様子はない。
議会が開催されなければ町長選も行えない。現町長が独裁者として君臨するだけだった。
…最悪な展開だ。
町長が手を回して反町長派の数を減らし、息子を孤立させる狙いがあるのだろうことは明白だった。
トップである町長が強権を発動したことは、過去になかったのかもしれない。
そんなことを考えなくてもいい程に、今までは幸せで、成熟した思考の持ち主達が治める街だったということだ。
かつて住んでいた、あの世界を思い出す。
一人の賢者によって治められていた、幸せで平和な世界であった。
過去形で語らねばならない現在が恨めしい。
あの苦しみを、この街で再現するのは御免被るところであった。
「…町長から依頼があるなら、直接話をした方が現状打開できるんじゃないか?」
「そうかもしれねぇが、俺は反対だ」
「何故だ?」
「俺らが関わっていい問題じゃねぇからだ」
「…確かに、そうだが」
「一番街代表として、町長に与したと判断されても文句言えなくなっちまう。…不正があったってんなら、町長たる資格はねぇ。さっさと辞めて、司法に身を委ねるべきだ」
「…順序としては、有罪であれば辞職、無罪であればその必要はないと思うが」
「なんだおめぇ、町長の味方か」
「やめろ。違うに決まってる」
「とりあえず、会うな話すな関わるな。依頼は断る、いいな?」
「…了解だ。最初からそのつもりだっただろ」
シドは大きな溜息をついた。疲れたような表情を見せることは滅多にない。
それだけ、厄介な事態になっているということだった。
「一応、お前に話は通しておかねぇと、と思ってよ」
「わかった、あんたに任せる」
「おう、任された」
コーヒーを飲み干して、さっそく断ってくる、とシドが腰を上げるのと同時にスコールも立ち上がり、自分のカップとシドが空けたカップを持ってシンクへと向かう。
洗って片づけ、時間を確認すれば午後三時。
今日の夕食当番はシドだった。
断って、戻ってくれば十分間に合うはずだったのだが。
シドは戻ってこなかった。
最悪だ。
結局巻き込まれるんじゃないか。
夕食を作る時間になっても戻ってこないシドの代わりに食事を作り、四人分用意したはいいものの、食事の時間を過ぎてもシドは戻ってこなかった。
シドはどうしたのかと問うエアリスとユフィの質問は当然のものであり、素直に事情を話すべきか迷う。
だが、迷ったのは一瞬だった。
「食事をしながら話す。座れ」
情報は共有されるべきだった。ユフィは幼いが、それでも共に暮らす家族のような存在だ。知る権利があり、理解はできるはずだと思う。
現在の街の状況を話し、町長からの依頼の内容を話し、断りに行ったままシドが戻らないことを告げれば、エアリスは眉を顰めて「ひどい」と漏らし、ユフィは「クソだな」と断じて見せた。
「俺が行けばシドは解放されるだろう。用があるのは俺だろうからな」
「…いやいや、代わりにスコールが監禁されちゃ意味なくない?」
「監禁て…どこでそんな言葉を覚えてくるんだお前…」
「テレビドラマでやってた」
「…あぁ、そう」
ユフィの無駄な語彙力に脱力するスコールだったが、エアリスを見ればエアリスも反対の様子で首を振った。
「あんたも反対か?エアリス」
問えばわずかに考え込むそぶりを見せた後に、頷く。
「作戦、あるの?」
「ないな。俺だけならどうとでもなる」
「…シドが解放される保証、ある?」
「…そこを突かれると返答に窮するな」
「人質、多い方が有利だもんね」
「誰に対する人質だ…?」
「反町長派の人達。町長の不正を暴くってことは、自分達は当然、正義だよね?」
「俺達の人命を盾に、辞退させられるかもしれない、ということか」
「じゃ、そのハンチョウチョウハを味方につければいいじゃん」
ユフィの言葉に、エアリスが力強く頷いた。
「先に、会って話してみたら?」
「町長の息子か?どこに住んでるか知らんぞ」
「私、知ってる」
結構親しいんだ、と言われたが、初耳だった。
「そうなのか?」
「大分前だけど、プロポーズ、されちゃった」
「えっマジで!?エアリス」
「もちろん、お断りしました」
詳しく聞かせろとせがむユフィを軽くいなして、エアリスは満更でもなさそうに笑った。
「永住、するならちょっとは考えた、かなぁ…?」
「…へぇ…」
シドが言っていた「町長の息子の嫁問題」を思い出したが、あまり突っ込んで聞いていい話題とも思えなかったので、スコールはスルーする。
「それで、いきなり押しかけて会えるか?」
「きっと、歓迎してくれる。今、仲間たくさん欲しいはず」
逮捕者を出し、仲間の数が減っているだろうことを暗に指す。スコールもまた頷いた。
「じゃぁ案内を頼む。ユフィを一人残すのは心配だ。お前も一緒に来い」
サラダを口いっぱいに頬張っていたユフィに言えば、もごもごと咀嚼しながら口を開く。
「留守番くらいできるよ」
「誘拐されたら困る」
「あっユフィちゃんかわいいから!だよね~」
「違う。町長の息のかかった奴が来ないとも限らないだろ」
「マジレス来たこれ」
「…あのな」
「ごめん、わかってる。一緒に行くって。とりあえずさ、ご飯食べようよ。腹が減っては戦はできぬってね」
エアリスも同意し、食事を始める二人を見て、スコールは何故だか安堵する己を感じていた。
シドを帰さない町長の目的の第一は、スコールに言うことを聞かせることだろう。
今回の護衛の件だけではなく、無茶な要求を断っている経緯があるからそう思うのだが、それは二人に言える内容ではなかった。
最悪の想定として、要求を呑んでやっても良い。
シドが無事で帰るなら。
無論大人しく従うつもりはないが、彼が捕まった原因は己にあると、スコールは自覚している。
第二に、息子を従わせる意図もあるのだろうと思う。
現在の所対抗馬であり最も邪魔であるはずの息子は健在だった。
彼を支える手足をもいで孤立化させる目的があるのなら、中立を貫く一番街も味方に引き入れ、「お前にもはや味方はいない」と思い知らせたいのかもしれなかった。
さすがに息子一人では、対抗し得ない。
ここまで来ればもう、町長を続投させることは街にとって害悪でしかない。早々に交代してもらい、滞っている町政を元に戻してもらわねばならなかった。
息子がどの程度の能力を有しているのかは未知数だったが、エアリスは否定的な感情を持っていないように見える。
積極的に会えというのだから、信頼を置いているのかもしれなかった。
一度しか会っていないスコールでも、その意見に依存はない。
協力を仰ぎ、この件を有効活用して町長を引きずり降ろしてもらわねばならなかった。
それにしても、と、思う。
自分一人では、息子に協力を要請しようなんて思わなかった。
確かにこの街の未来のことを考えれば、自分一人で町長の元へ赴くよりは遥かに有用な案である。それに、希望もあるではないか。
少しだけ、気持ちが楽になった気がした。
「スコール全然食べてないじゃん。ダイエットでもしてんの?」
ユフィの遠慮の欠片もない言葉に、救われる。
「食べなきゃ、身体持たないよ?」
「ああ…食べる」
エアリスの気遣いが、温かいと感じる。
不思議な気分に、戸惑った。
事情を話せば、町長の息子は真剣な表情で「わかりました」と頷いた。
エアリスとユフィはスコールの隣で大人しくソファに腰かけ、二人の話を聞いている。
「シドを帰してもらいにいかねばなりません。そちらが取りうる手段を教えて頂きたい」
「そうですね…」
「放っておいても殺すまではしないでしょうが、時間をかければその限りではないでしょう」
「…あなたは、町長の性格をよくご存じなんですね」
「ええ、一応は」
傲慢でどうしようもない性格であるということは、良く知っている。
「僕はね、子供の頃から何でもよくできて、成績もスポーツも一番で、父親に怒られるということはまずなかったんです」
「…はい…?」
「父親がやれ、ということは全てやりました。全てにおいて父親が満足する結果を出してきたので、父親の本質を理解することがなかった。とてもいい子だったんです」
「…はぁ…」
「気づいたのが遅かった。とても、後悔しています」
「……」
「どれだけ語りかけても通じない人間が存在する、しかもこんなに身近に。…同じ言語を使い、共に生活してきても、わかりあえない存在がある。これは正直、とても辛い」
「…でしょうね」
わかりあえない存在は、他人であっても辛いものだとスコールは思う。
他人であれば関わらずに済ませることができるかもしれないが、それが親であり、街のトップであり、街で暮らしている以上、関わらずにいることは不可能だった。
「今彼は、人としてやってはいけないことをしている。彼は反省することはないし、誰かを理解することもない…それでも、町長としていられたのは、無能ではなかったからです。でも、いつからか彼は間違えてしまった。誰にも止められないまま、ここまで来てしまった。もう、止めなければいけません」
「協力を、お願いします」
「もちろんです。僕の味方をしてくれる人達が次々と逮捕されてしまって、時間がかかってしまいましたが、止めるための証拠は揃っています」
「司法の手を借りるんですか?」
「はい。私達は法の下に生きる民ですから、法に従わねばなりません。今まではトップが町長の幼馴染で…かなり無茶をしましたね。ですがもう、終わりです。動いてもらいます」
「わかりました」
それだけ聞ければ十分だった。
スコールは立ち上がり、見上げてくるエアリスとユフィを見下ろした。
「申し訳ないのですが、この二人を預かっていてもらえませんか」
「ちょっスコール!?」
「……」
二人の視線を受け流し、息子を見やれば理解した様子で頷いた。
「お一人で、行かれるのですか?」
「先に行って、シドを解放するよう交渉します。無駄かもしれませんが、シド一人で置いておくより俺もいた方が対処はしやすい」
「彼はあなたを待っている。僕が行くまで、従うフリをしていてください。逆らうと何をされるかわからない。…気をつけてください」
「ありがとうございます」
「スコール、気をつけて」
「マジで監禁とかやめてよ」
二人の心配をありがたいと思うスコールだった。
「気をつける。では」
一礼し、部屋を辞す。
町長の屋敷へ向かえば、すぐに中へと通された。
一族が代々住んでいるのだろう屋敷は古めかしかったが、手入れが行き届いており室内は綺麗である。
ただ、現当主の趣味が反映されているらしき動物の剥製や金細工の壁時計、朱塗りの柱の配置センスはスコールには理解しがたい。
調度品の色彩が賑やかに過ぎ、眩暈がしそうだった。
部屋の中央で立ったまま待てば、扉が開かれ町長が入ってくる。男は頬にガーゼを止めていた。クラウドが殴った痕が、まだ消えていないのだろう。
その後ろから、後ろ手に拘束され猿轡をかまされたシドが両脇の男に抱えられながら入ってくるのが見えて、スコールは不快に顔が引き攣るのを自覚した。
何の権限があって、シドを拘束するのか。
「ああ、スコール、来てくれると思っていた」
「…シドを、解放して頂けませんか」
「もちろんするとも。ささ、座りなさい」
スコールにはソファを勧め、町長自身はデスク向こうの豪華なチェアに腰かけた。
シドはと言えば、粗末な木製の椅子を用意され、町長のデスクの前に置かれて座らされた。両脇を固めていた男達はシドを座らせた後には退出し、部屋には三人のみが残された。
スコールから見れば、デスクの前のシドはまるで町長を守る壁だった。
素直に解放する気はないのだという主張であると、受け取った。
「私は君に護衛をして欲しいと依頼した。それは知っているはずだな?」
満面の笑みを浮かべた男の口調は丁寧だったが、裏にある顔を知っているので今更騙されるはずもない。
「引き受けたら、シドは解放してもらえるんですか」
「すぐにでも」
「断ったら?」
「断るだと!?」
鼓膜を震わせ、部屋が振動する程の大声と共に、男は勢いよく手をデスクに叩きつけた。書類が浮き、ペンが跳ねる。
不快な声を意図的に排除すべく、スコールは眉間に力を入れて耐えた。
「私が、頼むと、頭を下げてやってるんだぞ!?」
「……」
それで下げているのなら、他の人間が頭を下げれば土下座に等しいことになる。スコールは思いながらも、内心首を傾げた。
ここまでの怒声は聞いたことがなかった。
気に入らないことがあれば不機嫌になることは常だったが、相手を委縮させるような威圧的な態度を取られたことはなかった。
「全く、お前はなんてわがままな子なんだ。今までお前のわがままが通っていたのは、私が寛大だったおかげなんだぞ?」
「……」
笑ってしまうところだった。
寛大?わがまま?
ならばお前がやっていることは、暴君が行う圧政に等しいと思う。
「一番最初に目をかけてやったのは私だ。そうだな?」
「…その節はお世話になりました」
「そうだろう、そうだろう!それからずっと、目をかけてやった。気にかけてやった。可愛いお前は逆らわなかった」
「……」
恩着せがましい言い方は昔から変わらない。
だが今、とても不快だった。
シドを見れば、同じように感じているのか顔を歪め、背後からスコールに向かって投げられる言葉の暴力に耐えていた。
「なのにお前は悪い子になってしまった。何故だ?コイツと一緒に暮らしているからか?だから私は言ったんだ、お前を愛人として世話してやろうと」
「……」
シドが目を剥いた。
それはそうだろう、シドの前で言われたくない言葉だった。
「誰のおかげでこの街で暮らしていられると思ってるんだ?なぁ?仕事を優先的に回してやってんのは誰だと思ってるんだ?あ?スコール?」
がらりと変わった口調は汚い。
眉を吊り上げ顎を逸らして見下してくる男の視線は高圧的であり、逆らうことを許さない色があった。
「…町長のおかげで俺達が暮らしてこれたことは事実です」
不本意ではあったが、確かに町長のおかげではあった。それは事実として存在する。
笑みの形に釣り上がった男の唇は歪であった。
「ならっ!!」
再度叩きつけられたデスクが派手な音を立て、ペンが転がって床へと落ちた。
「お前がするべきことはッ!私の依頼をッ!受けることだッッ!!」
「……」
結局最初に戻るのだった。
この男はこちらが要求を呑まない限り、引き下がるという思考はないのだろう。
「金なら払ってやると言っている!!何が不満だ!?そんなに俺を苦しめたいのか!?」
「そういうことではありません」
俺達は中立でいたいのだと言ったところで、理解されるとは思えなかった。
そもそもが、巻き込むために護衛をさせるつもりなのだから、議論は最初から成立し得ない。
やるか、やらないかの二択だった。
「俺があんなに可愛がってやったのにお前は…ッ!!」
「町長、話を」
「お前は本当に悪い子だ。誰にでも股を開く。俺が知らないとでも思っているのか」
「……」
何を言うのだ、この男は?
スコールは今すぐ殴りつけたい衝動を堪えるのに苦労せねばならなかった。
まともに聞くだけ無駄だったが、シドの表情が一気に強張るのを見て、やめろと思う。
「お前の本命はコイツか?一緒に暮らしているのだからな、さぞや毎晩可愛がってもらっているのだろう」
「何を、おっしゃってるのかわかりません」
シドを巻き込むな。
睨み返せば、男は歪な笑みをさらに歪めて、醜く笑う。
「おお怒った。事実か。そうか、ならば私も毎晩可愛がってやるとしよう。それで文句はないだろう?」
「……」
「思えば確かに、毎日はかまってやれなかったな。寂しい思いをさせたかな。私も忙しくてね、だからいろんな男にほいほいついていったのか。手を切れと言ったのに切らなかったのは、そういうことだったんだな?構わんよ、私は許す」
「……」
口調の不安定さに、男の内面の不安定さをも見た気がして、スコールは眉を顰める。
コイツは、まともなのか?
今この時間を、無駄にしているだけではないのか。
シドは黙したまま俯いており、表情を窺い知ることはできなかった。
「お前は私の言うことを聞いていれば良い。一番街の連中を、悪いようにはせん。この男も解放しよう。今まで通り、元通りだ」
「……」
何の返答もしていないというのに、男の中ではスコールが従うことになっているようだった。
「だが今までお前に手を出して来た奴らは全員、処分せねばいかん。お前は誘惑に弱いからな、元を断ってやるんだ。あの犬の屋敷の主とかな。全てはお前の為なんだぞ?」
「……」
「議会の再編もせねばならん。優秀で、私の言うことをよく聞く奴らを選別せんといかんな」
「…町長、それでは議会の意味がありません」
「ああスコール。お前がいい子にしていたら、いずれ議会に参加させてやらんでもないぞ?あくまでも、いい子にしていたら、だがな」
「……」
この男は本当にムカつく野郎だとスコールは思う。
人の言葉に耳を貸さない。
自分が正しく、相手が悪いと決めつける。
対等に話し合いができる相手ではなかった。
自分が上で、相手が下だと決めてかかっているその姿勢は、おそらく今後も変わることはないのだろう。
「お前は私の傍で、言うことを聞いていれば良い。悪い子には、教育が必要だ」
「…あなたの息子にも、同じように言ったんですか」
「何?」
初めて、男の表情が凪いだ。
「逆らうなと、自分の言うことだけ聞いていればいいと言って、一方的に押しつけたんですか。だから、離れて行ったんですか」
「あれは出来損ないだ。私の気持ちを理解しようともせずに」
「俺はあんたの息子ではありません」
「何を当たり前のことを。お前はいい子だ、そうだろう?」
「いい子でなくて結構。あんたの愛人にもならない」
断言したが、男の心には響いていないようだった。
首を傾げてわずかに考えるそぶりを見せて、得心が行ったように頷いた。
「あぁ、愛人では不満か?だが妻にはしてやれん。病で寝たきりとはいえ、まだ生きているからな…死んだら、考えてやらんでもないぞ。お前は本当にわがままな子だな。だが可愛い。今すぐ抱いてやりたいくらいだ」
「…あんたの奥さんに失礼だ」
死んでもごめんだ、と思う。
昔はまだ会話は成立していた。少なくとも三年前、この街に流れ着いてからしばらくは、仕事の斡旋をしてもらったし、世話にもなった。
可愛がってもらったことも事実だった。
息子といつ決別したのかは知らないが、いつからか、全く人の話に耳を貸さなくなったのだった。
一方的な要求が増え、断ることは許されない。
無茶な要求の中で唯一断ったあの件が、この男にはよほど屈辱だったのか。
今シドがいる目の前で、スコールを貶める。
全てが事実無根だと言えれば良かったのだが、そうではなかったので、返す言葉は制限される。
おそらくシドは気づいているのだろう、ずっと俯いたまま、スコールと視線を合わせようとはしなかった。
「まぁ良い。何が望みだ?」
気を良くしたのか、男は鷹揚に促した。
「シドを解放してくれ」
「もちろん、するとも」
「一番街の住人は、今まで通り接してほしい」
「無論、それはお前の働き次第だ」
勝利を確信した男の表情は、とても醜かった。
「最後、…今後一切、俺に関わるな」
「スコール!!!!!!!!」
どこからそんな声が出るのか、部屋中の空気が震えるような怒号を発しながら、両手でデスクを叩きつけて立ち上がる男に対し、スコールもまた立ち上がる。
シドの肩を掴んで引き寄せ、己の背後へと庇った。
足元がもたつきながらも己の足で立ち、少し下がってスコールと町長を見守るシドが、町長の足元から陽炎のような影が揺らめいているのに気付き、自由にならない肩を揺すりながら、声を出す。
猿轡が邪魔で唸る声に気付いたスコールが振り返り、シドの視線の先を追うように男を見やって、息を飲む。
「町長、あんた」
闇だった。
かつて故郷で見た魔女が自在に操っていた、立ち上る、黒いソレ。
いつから?
ゆらゆらと、身体にまとわりつく影を気にした様子もなく、男は怒りに肩を震わせ顔を歪ませた。
「お前も、…お前も、俺に、逆らうのか…っ!!」
「……」
「目をかけてやったのに…っ可愛がってやったのに…っ俺に、俺に、意見するのかぁっ!!」
どうすればいいのか。
この闇は、どうすれば消せるのか。
この男は、闇に呑まれたのか。
闇の存在になったのか。
それは人を傷つけ、世界を傷つけることと同義だった。
「……」
スコールもシドも、動けない。
どうすればいいのか、わからなかった。
ソレは倒すべき象徴だった。
払拭しなければならない、敵だった。
倒さなければならない。
けれど、町長はまだ人間だった。
人間を、殺さなければならないのか。
闇から人間を引き剥がす方法を、知らなかった。
どうすればいい。
どう解決すれば。
部屋の外が騒がしくなり、駆けてくる大勢の足音が聞こえた。
「待て、入るな…っ!」
叫んだが、遅かった。
扉は開かれ、真っ先に入ってきたのは、町長の息子だった。
部屋に立ち尽くすスコールと縛られたシドを見やって眉を顰めながらも大きく頷き、スコールの隣に進み出た。
「町長。贈収賄、特別背任、横領の罪により、逮捕状が出ています」
「…何だと…」
「あなたは、やりすぎた。罪を償って、やり直して下さい」
「やり直すだと…?」
背後から大勢の男達が押し寄せて町長を取り囲もうとしたが、周囲を取り巻く闇の存在に気付いて躊躇した。
何だこれは、と問いたげな視線が息子とスコールの上を行き来するが、「離れろ」としか答えてやることができなかった。
息子もまた、闇に気付いて父親を見る。
父親の顔には、憤怒しかなかった。
「…町長、」
「…お前は、親に向かって挨拶の一つもできん、クズ息子だ。俺に逆らうだけでなく、俺から全てを奪うつもりか…っ!!」
「父さん、やり直そう。一から、やり直しましょう…!」
「やり直すのはお前だ、クズが。手塩にかけて育ててやった恩を忘れやがって…!!」
「一緒に、やり直しましょう!僕も一緒に、償いますから!」
「黙れッ!!」
デスクを回って一歩、前へ出るたびに、周囲の人垣が崩れて、離れる。
闇は大きく膨れ上がって町長の身体を包み、恐れ戦いた男達が一斉に後ずさった。
立ち尽くす息子は呆然として父親を見つめ、手を伸ばそうとするのをスコールが制す。
「下がれ。アレは、危険だ!」
「で、でも、」
「シド、あんたもだ!」
「……っ」
何かを言いたそうにしているが、聞いてやる余裕はなかった。息子をシドに押し付けて、スコールは武器を構える。
男は何かをぶつぶつと呟きながら、こちらへと歩いて来ていた。
殺したら、殺人か?
服役して人生を無駄にするのはごめんだなと思う。
が、ここでスコールが止めなければ、他の人間が死ぬのだった。
魔女のように闇の力を駆使して悪行の限りを尽くしてくれたなら、何の後悔もなく斬り捨てることができただろうに。
この男はまだ、闇を使いこなせないようだった。
今のうちに、殺す。
間合いに入ったら、それが最期だった。
息を詰め、一歩を測る。
男が、足を上げた。
「……ッ!?」
一歩を踏み出す前に、男は呻いて立ち止まった。
正確には、踏み出そうとしても、踏み出せなかった。
両足に絡みつく、無数の黒い手があった。
身体を這うように増えていく手は、やがて頭までを覆って、苦し気に喘ぐ男を闇へと引っ張り込んだ。
固唾を飲んで見守るスコール達の前で、男は断末魔の悲鳴を上げながら、闇へと消えていく。
残されたのは、床に出来た水溜まりのような闇のみだったが、誰もが動けずそれを見守った。
消えていくかと思ったそれは、形を小さくしたものの、新たな闇を吐き出した。
外の世界から流れてくることがある、闇の生き物だった。
悲鳴を上げて一斉に部屋の外へと逃げ出す男達に向かって生き物が飛び掛かるのを、スコールが止める。
斬り捨てるのは、一瞬だった。
再び静寂が落ちた室内で、床に溜まっていた闇は音もなく消えていた。
腰を抜かした男達が床に座り込み、町長の息子もまた、脱力したようにソファへと座り込んだ。
シドの手枷と猿轡を外してやれば、「疲れた」と零した後に、スコールの頭を撫でる。
「とりあえず、ありがとよ」
「…いや」
「後のことは、お任せして帰っていいか?」
額に手を当て俯いた次期町長へと声を投げれば、顔を上げた男は力なく笑ってみせた。
「家に、女性二人がいますので、迎えに行ってあげて下さい」
「おう、世話になったな」
「…いいえ、こちらこそ…すいません、今はちょっと、上手く言葉が…」
父親を亡くしたばかりの息子に、事態の収拾を押し付けることに良心が痛んだが、シドやスコールにできることは何もなかった。