子供は知らないうちに大きくなっている。

 一年顔を見せなかったキーブレードの勇者は、XⅢ機関やハートレスの動きが活発化し始めてから再びホロウバスティオンを訪れた。それまでずっと眠っていたといい、その影響からか勇者達に関わった者達も彼らの存在の記憶を全て忘れていたのだが、勇者達が目覚めてから一斉に思い出した。
 一度訪れてからは、戦いがひと段落つけばホロウバスティオンへ顔を見せるようになり、大きな戦いを終えるたびに成長して行く小さな勇者を見るのが最近のホロウバスティオン再建委員会メンバー達の密かな楽しみになっていた。
「こんにちはー!皆元気ー!?」
「あっソラだー!久しぶりー!」
「いらっしゃい、ソラ。元気だよ、皆。…ソラ達も元気そう、だね」
「うん!ユフィ、エアリス、シド、マーリン様久しぶり!」
「おう、今日も防衛システムは絶好調だぜ~、ちゃんと見てきてくれたかー」
 木製の扉を勢い良く開けて飛び込んできた姿に、再建委員会の面々は笑顔で出迎えた。魔法使いマーリンの家には再建委員会のメンバーが集まり、街の再建に力を尽くしている。
「ねね、今度はどんな世界行ってきたの?敵強かった?」
「おう!まぁ俺たちの手にかかればイチコロだけどね!」
 興味津々に尋ねるユフィに笑顔を向け、エアリスが淹れてくれる温かいココアをありがたく受け取って、さっきまでいた世界の事を話して聞かせることは楽しかったし、聞いてくれる人がいるのは嬉しかった。一番に話して聞かせたい友人達は今離れ離れで、経験した事、感じた事を言葉に出して共感してくれる他人が近くにいないせいもあり、喜んでソラ達の話を聞いてくれるホロウバスティオンの人達の存在は、ソラの中で重要な位置を占めていた。
「へぇ~、世界には色んな敵がいるんだねぇ。それに、色んな人も!」
「うん。すっごく世界は広くて面白いよ!俺、今友達探して旅してるけど、キーブレードに選ばれて良かったと思う。いろんな世界回って、いろんな人に会えるのは楽しいよ」
「ソラ…」
「くぅ~泣かせるじゃねぇか、まだこんっなちっこいのによぉ!」 
「ちっこいは余計だよシド!俺これでもおっきくなってるんだからね!」
 ドナルドとグーフィーが顔を見合わせて笑うのを見咎めて、ソラは二人を睨みつけた。慌てて部屋の中を逃げ出す二人を追いかけて走り回るソラを暖かい瞳で見やって、エアリスは完成したばかりのプログラム入りのディスクを机の上に置き、二人を捕まえ羽交い絞めにしている少年に声をかけた。
「ソラ、レオンにも同じ事言ってあげて。きっと喜ぶから。…これもついでに渡してきてね」
「あ…、うん。レオンは研究室にいる?」
「ええ。きっと根を詰めてるだろうから、少し邪魔もしてきてあげて、ね?」
「レオン、真面目だもんな~」
「私達が言っても聞かないけど、ソラだったらちゃんと休憩してくれると思うから、お願いね」
「…う、うん!任せて!」
 一瞬とても嬉しそうな顔をしたソラに柔らかく微笑み返し、忙しなく駆け出して行く背中を見送った。
「また遊びに来るんだぞー!」
「気をつけてね、ソラ」
「はーい!」
 ソラがレオンの事を慕っているのは誰もが知っていた。
 強くてカッコイイ大人。親愛と憧憬の対象。
 本当は一番最初に会って話を聞いて欲しいんだろうに、きちんとこちらへ顔を出してくれるのはとても嬉しいことだった。先にこちらへと訪ねてくるのは、おそらく滞在時間ギリギリまでレオンと一緒にいたいからだと察すればこそ、エアリスたちも暖かく送り出す事ができるのだ。
 世界を救うことの出来るたった一人の勇者が、一時でも安らぎと幸せを感じることができるなら。
「ソラはいい子だよね~、このまま真っ直ぐ大人になって欲しいよね、エアリス?」
「そうだね。でもソラはきっと、大丈夫」
「うん。私もそう思う!」
 大事なものだけに心奪われるような、心狭い人間にはならないことくらい、今のソラを見ていればわかる。
 人と人との繋がりを大切に出来る子供が、これからも幸せでいられますように。
 早く平和で穏やかな世界が訪れますように。
 そう願うことは、幸せを願うソラ自身に負担をかける事を知っているから口には出さないけれど。
 ソラに早く安寧が訪れますように。

 

 アンセムの研究室には、レオンはいなかった。
 奥のコンピュータルームにいるのだと思い、ドナルドとグーフィーを待たせて奥へと歩を進めれば、果たしてレオンはコンピュータに向かって何か作業をしているようだった。
 キーボードの上を踊るように動く指先には滞りがなく、ピアニストを思わせる軽やかな動きにしばし目を奪われた。
「…ソラ?」
「あ!…ごめん、邪魔しちゃった?」
「邪魔じゃないさ」
 小さく笑って、レオンはソラへと向き直る。
「来てたんだな」
「うん、さっき来たとこ。えーと…あ、これエアリスから!渡してって」
「ああ、新しいプログラム出来たんだな。ありがとう」
「新しいぷろぐらむって何?なんかスゴイの?」
 ソラから受け取ったディスクをコンピュータにインストールしていく様子を、目新しい玩具を見つけた子供の瞳で見つめながら尋ねられ「トロンが強くなる」と答えれば、ますます目を輝かせて「へぇぇ~!」と感心してみせる様はどこにでもいる普通の少年と変わりなかった。
「…他の世界はどうだった?」
 話題を振ってやれば、嬉しそうな笑みが返る。
「えーとね!」
 一度エアリス達に話して聞かせたおかげで、ソラは淀みなく整理して話すことができた。ユフィやエアリスが興味を持ったこと、質問されたことなども事前に盛り込み、わかりやすく要点を話す。レオンが作業の手を止めて一つずつに頷いて聞いてくれることは何より嬉しく、少しでもレオンの興味を引く話題があればいいと思っていた。
 ソラ本人は気づいていないが、実のところソラが話すことはすなわち世界情勢であった。
 情勢を動かす中心人物の口から聞ける情報は、今後の対XⅢ機関、対ハートレスに役立つものであり、ホロウバスティオンだけでなく世界にとっても有益な話であった為、レオンはいつでも真面目にソラの話に耳を傾けていた。
 無論、ソラの成長を見るいい機会でもあった。
「…いい経験をしたな、ソラ。その経験はきっと将来、お前の為になる」
「うん!なんかさ、人と人のつながりっていうの?それって大事だなーと思ったよ」
「そうだな」
 ハートレスやノーバディに脅かされる人達の、心の中に今最も必要なもの。
 強さ。
 絆。
 そういったものの大切さを自覚したソラは、また一つ大きくなるのだろう。
 コンピュータの処理画面を覗き込みながらそんなことを思っていたレオンは、ソラの一言に振り向いた。
「…でも、ベルとビーストはラブラブになれたけど、ムーランとシャン隊長は見ててもどかしいんだよね!」
「…何の話だ?」
「何って、恋愛の話だよ、レンアイ!」
「…恋愛ね…」
 唇を尖らせて見上げてくる子供の口から聞くには、違和感のある言葉であった。
「レオンは…?恋愛とかしたことあるの?今は?好きな人とかいる?」
 そうくるか。
 どう答えるべきか逡巡し、素直に答えることを選んだ。
「それどころじゃないからな。今は特に必要も感じないし」
「えっ…好きな人とかいらないの?恋愛とかしない?」
 ツっこむなよ。
 即答でツッコミ返しそうになり、レオンは一つ嘆息した。
 ソラに向き直り、コンピュータに凭れかかって腕を組んだ。
「そうか、ソラはそういうのがキニナルお年頃か」
「お年頃って何だよ」
 ムッと頬を膨らませる仕草はお子様以外の何者にも見えないが、子供と大人の境界を行き来する微妙な年齢に少年がいることを改めて認識したレオンは、しみじみとソラを見る。
 真っ直ぐ見つめられたソラは何故か頬を赤く染めながら、そっぽを向いた。
「ソラは好きな子はいるのか?」
 ソラの生い立ちなどはソラ自身の口から聞いて知っていたので大体の予想はついていたが、それにしても何で自分がこんな話をしなければならないのだろう、と自問は尽きない。
 同年齢の友人とは離れ離れだし、他に気軽に話せるような友人もいなさげならば、自分が聞いてやるしかないのか。
 気分はすっかり兄、もしくは親といっても過言ではなかった。
「いる!」
 意外にきっぱりと断言したソラは、だが次の瞬間うなだれた。
「…でも告白はしてない」
「…まぁソラは今大変な旅をしているからな」
「う…いや、しようと思えばいつでも…できる…と、思う」
 レオンは怪訝に眉を上げたが、ソラは俯いている為気づかない。
「ほう?」
「俺の事、嫌いじゃない…と、思う。たぶん、好きでいてくれてる、と思う…んだけど…」
「だけど?」
「……」
 さっきまでの「見ててもどかしいんだよね!」などと言っていた威勢はどこへ行ったのか、もじもじと視線は彷徨い落ち着きがない。
「そ、そーゆー意味で好き…で、は、ないと思うんだよね…」
「オトモダチってことか?」
「…むしろ弟とか、そんな感じ…」
「それは…」
 落ちかかる前髪を払いながら、レオンは同情の視線を向けた。
「望み薄だな」
「おッ、俺、レオンが思ってる程子供じゃないよ!?」
「…は?」
 己の胸元に届かぬ高さの身長を爪先立ちで精一杯伸ばして見せて、言い募る子供の反応は予想外だった。
「話がいきなり飛んでないか…?」
「飛んでない!レオンは俺の事子供だと思ってるだろ!ちゃんと一人の人間だって認識してる!?」
「……」
 キーブレードに選ばれし者であるということは、自分にさえ成し遂げられない任務を負っている人間ということだ。
 ソラを一人の人間として認識しているか、など愚問であるが、子供だと思っていないかと言われれば否定できない。
 無言を肯定と受け取ったのか、ソラはますます悔しそうに眉間に皺を作った。
「子供扱いするのは失礼だったな、悪かった」
「全然わかってないねレオン!」
 素直に謝罪すれば、不満に満ちた瞳で怒られた。
 己も確かにこれくらいの年齢の子供時代を経て大人になったはずなのに、思春期を迎えた子供の考える事は、わからない。
「お前が何を言いたいのかわからないぞ、ソラ」
「俺はね!」
 ソラは思いっきり息を吸い込んだ。

「レオンが好きなの!」

「……」
 時間が止まった気がした。
 なんだろう。
 飼い犬に手を噛まれた気分?
 …いや、違うな。
「…それは…」
「レオンが好きなの!」
 もう一度、繰り返した。
 一度言ってしまえば気が楽になったのか、あるいは開き直ったのか判断しかねるがすっきりと迷いを落とした顔でレオンを見上げてくる。
「…憧れとか、そういう類の好意だろ、それは」
 自分で言って恥ずかしいが、これは重要な事だった。
 好意を履き違えるのはあまりに危険だと気づいて欲しいのだが、ソラは「違う」と即答で斬って捨てた。
「俺はレオンが好きなの!」
 どういえば理解してもらえるのか、痛み始めた頭にレオンはこめかみを指で押さえて耐えた。
「いいかソラ、それは勘違い…」
「だって!ベルとビーストみたいにレオンとキスしたい!」
「……」
 何だこの臆面もない熱烈な愛の告白は。
 絶句して二の句が告げないレオンに、ソラは畳み掛ける。
「俺!まだレオンに全然ふさわしくないけど!身長だって足りないし!けど好き!レオンにも好きになってもらいたいし!」
 レオンとてソラの事は好きだが、そういう意味の好きではない、と言ってしまうのは簡単なものの、言ってしまえばこの子供の何か大切なものを壊してしまいそうで、レオンは何も返せない。
 どうすればソラは気づくのだろうか。
 出来る限りソラを傷つけることなく、諦めさせる方法は。
 真剣に見上げてくるソラの瞳にもはや迷いは見えない。
 非常に危険だった。
 このまま放置しておけばヘタすると本当に勘違いしたまま成長しかねない。
「レオン、俺の事嫌いにならないでね。嫌いになったら俺、壊れちゃうよ?」
「脅す気か…?」
「俺が壊れちゃったら、いろんな人困るよね…うん、それは困るなぁ」
 確信犯的に呟くこの子供は、子供であって子供ではない。
「…ソラ」
「うん」
「…俺とキスしたいんだったな?」
「う、うん…!え、いいの!?」
「…キス…キスね…」
 凭れていたコンピュータから離れ、ソラを見下ろした。完全に見下ろされる形になって不服そうなソラの顎を掴んでさらに上向けた。こちらが譲歩してやるつもりもない為、かなり無理な負荷が首にかかって苦しそうだったが、意識の外へ追い出した。
 子供の唇は熱かった。
 唇でなぞるように輪郭を辿り、下唇を指で押し開け舌を口内へと滑り込ませれば、ソラの身体が大きく跳ねる。驚いて引っ込んだ舌を追う事はせず、舌先でくすぐるように歯列を辿り、口内を愛撫してやれば、ジャケットに縋りついて来たが放置した。くぐもった声を上げて仰け反った喉が震えていた。苦しければ拒絶すればいいものを、それすら思い至らないのかただされるがままになっている。唾液を嚥下し覗かせた舌を捉え、口外へ引きずり出すように吸い付く。ざらりと触れる互いの舌の感触はぬるく、唾液が絡む濡れた音は妙にリアルで生々しかった。
 一つ一つの細胞が沸き立つような快感を時間をかけて煽れるだけ煽ってやって、レオンはゆっくり唇を離す。
 糸を引く唾液が二人の間に伸びて、消えていった。
 顎を掴んでいた手も無造作に離せば、ソラはへなへなとその場にしゃがみこんだ。
「…っ、…っ」
 真っ赤になって肩で息をする子供に哀れみを感じたものの、言葉に出してはこう言った。
「…オコサマのキスの方が良かったか?」
「…、っいらない!」
 きっと睨み上げる瞳は負けず嫌いのそれで、嫌悪や諦めの色は見えなかった。
「…俺、頑張るね」
「…な、何を…?」
 未だ脱力しきって力の入らない膝を無理やり起こして立ち上がり、よろめきながらもソラは笑う。
「これくらいできたら、レオンは俺の事ちゃんと好きになってくれる?」
「…ちょっと待て」
「俺、俄然やる気出てきた。俺、絶対レオンを満足させてやるから!」
「ま、…って待て、ソラ!」
「過去の男だか女だか知らないけど、コイビトには負けないからね!!」
 ソラの恋愛観倫理観その他諸々の何かを理解しきれていなかったことを痛感しながら、レオンは青ざめた。
 諦めてくれ、とはっきり言えたらどれだけいいか!
「俺、レオンの事好き!アイシテル!」
 腰に抱きつかれ、真剣な愛の告白。
 レオンは酷くなる頭痛に対処する術を持たなかった。
 自分が流されなければ済む話か、とすでに逃避思考に陥っていることに、レオンは気づかない。
「レオンにも絶対、俺の事好きって言わせてやるからねっ!覚悟しといて!」
「…まぁ…頑張ってくれ…」

 子供は知らないうちに大きくなっている。
 望むと望まざるとに、関わらず。


END

思春期未満お断り

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