帰りたい、あの場所へ。

 今はもう誰も使わなくなり閉鎖された魔女マレフィセントの城内を歩く。「虚ろなる城」の意味を持つホロウバスティオンの名は、マレフィセントがこの街を支配し闇へと染めていった時から使われ始めたものだった。かつて平和で美しく、「輝ける庭」レイディアントガーデンと呼ばれた街の面影も、この城のおかげで完全に闇から解放されるまでにはまだ時間がかかりそうだった。
 かつてはアンセムが、そしてマレフィセントが使った城には未だ数多くの闇の者達が生息しており、広く門戸を開くには危険が大きく、城内を歩けるのは一部の人間を置いてない。
 滅多に誰も踏み込まぬ城内だったが、1階と2階にある書庫は賢者アンセムが残したものであり、膨大な知識と歴史がそこには積め込まれ、貴重な街の財産ともなっていた。
 無造作に重い木製の扉を押し開き、レオンは中へと一歩踏み入る。
 高く吹き抜けになった広い書庫の空気はひやりと冷たく、埃と古い紙の臭いで満ちていた。鼻につくほど酷くはないが、無視してしまえるほどさりげなくもない、長年の時間と閉鎖された空間であることを感じさせる独特の静謐さとよそよそしさがあった。
 部屋一面に敷かれた毛足の短い絨毯は靴音を吸収し、書庫の静けさを自らの足音で壊さずに済む。天井付近に設けられた一面の窓からは明かりが落ち、薄暗い書庫に不可思議な文様を描いていた。
 本をゆっくり読めるよう設置された大きめの木製の机と椅子は、何度か足を踏み入れた人間が使用している為、綺麗に整えられている。窓から差し込む陽光を浴びて金色に輝く卓上は暖められてぬるく、レオンは陽光に当たるように近づき卓上に腰を預けた。
 室内の冷気に冷やされた剥き出しの両腕が、温められて心地よい。
「…クラウド、いるんだろ。下りてこい」
 声を張り上げなくとも、静まり返った書庫に音は明確に響く。二度声をかけるつもりもなく待てば、黒い影が音もなく目の前に落ちてきた。
 2階の手すりをそのまま越えて、飛び降りたクラウドだった。
「…ソラは帰ったのか」
 読みかけの本を片手に抱え、不機嫌な様子を隠しもしない男に苦笑未満の嘆息を漏らし、レオンは首肯する。
「ああ。…だが、何か悩んでいるようだった」
 何もしてやることが出来なかった己を思い出し、眉を顰める。
 明らかにレオンに何かを求めているのに、それが何かは言わなかった。察してやれれば良かったのだが、それはソラが拒んだ。ソラにはソラの理屈があり、思いがあり、プライドがある。心を解放して内面を吐き出してしまえば楽になれることを知っていても、その先に起こることを想像して躊躇っている様子が窺えた。
 ソラと自分との心の距離を見せ付けられたようで、レオンは内心複雑だった。
 出来る限りの事はしてやりたいと思っていたし、そう思わせるだけの真剣さと明るさをソラは持っており、彼が思い悩んでいるのならば、その不安や悲しみを取り除くことは出来なくとも、せめて話を聞いてやるくらいのことはしてもいいと思っていた。自分の事で精一杯で、他人を思いやる余裕などなかったかつての自分に比べれば随分成長したと思う程度には、ソラの事を考えていたし、ソラの幸せを願っているのだ。
 ソラが助けを必要とせず、自らの力で乗り越えていこうとしている様は温かく見守るべき事だとわかってはいたが、縋るような目を向けるくせに拒絶するあの様子は、気にかかって仕方がない。
 思い悩む様子で嘆息するレオンに冷めた視線を投げ、クラウドは本を卓上に放り投げた。角から落ちてごつ、と鈍い音がしたのを咎めるように見返され、肩を竦めてやり過ごす。
「貴重な資料をぞんざいに扱うな」
「多少角がへこむくらいだろ…次から気をつけるさ」
「…ならいいが」
「…で、お前は?」
「俺?」
「俺は被害者なわけだが」
「…ああ、そんなこともあったな」
「しらばっくれる気か」
 卓上に体重を預けて座るレオンに近づき、上から見下ろす。それほど高さに違いはなかったが、普段目線が変わらない分、レオンの顔が目下にあるのは新鮮だった。
 特に表情の変化も見せず、レオンは近づいた黒衣の胸元を掴んで引き寄せる。傾いだ身体が卓上に片手をついて体重を支える様子を他人事のように見やって、触れるだけのキスをした。
「…こうしたんだったかな」
「…違うだろ」
 口元に笑みを刷きながら抜け抜けと言い放つ男は心の奥を覗かせることもなく、額に走る一条の傷以外は憎らしい程整った顔でクラウドを誘う。
 あからさまでない分、始末に負えない。
 レオンの胸倉を掴み返し、己の方へ引き寄せた。
 唇が触れる寸前、レオンはクラウドの胸を押し返して距離を取る。
「…お前に拒絶する権利はないぞ」
「別にそんなつもりはない」
 拒まれ不快に瞳を細めたクラウドの頬へ手を伸ばし、レオンは立ち上がった。己より僅かに低い男の金髪を愛しげに撫でてみせ、自分から口付ける。
 唇を引き結んで睨みつける蒼の瞳はすっかり機嫌を損ねたようだったが、子供をあやすように額や頬へキスを落とし、瞼へ唇を移動させれば大人しく瞳を閉じた。再び唇へと戻り舌先で突付いて誘えば、開いて舌先が絡んだ。鋭敏な神経が擦れあう生温かな感覚は背筋を這って熱を生み、呼吸を乱す。クラウドの手が伸びて腰を抱かれ、レオンはクラウドの後頭部へ腕を回して抱き寄せた。
 己の口内へクラウドの舌を招き入れて主導権を渡し、手袋を外して床に落とす。外気に晒された指先が冷えるのをクラウドの胸元へ這わせ体温を奪うことでやり過ごし、一瞬互いの唇が離れた隙を見計らって後ろへ押した。
 不意を突かれたクラウドがレオンを抱きしめたまま倒れる。
 狙い通り卓上に仰向けに寝転んだ格好のクラウドを潰さないよう手をついて、レオンが上から見下ろした。飲み下しきれず口端から流れた唾液を指先で拭い、小さく笑う。
 現状を把握したクラウドが瞳を眇め、どういうつもりかと問うた。
「…埋め合わせをするという約束だったな。今日はどういう趣向がお望みだ?」
 クラウドの瞳を覗き込み、視線を固定させたままレオンはジャケットを脱いだ。床に落ちる革の音が静かな書庫に場違いに響き、魅せられたように視線を外せないクラウドは苦し紛れに目を瞬く。
 上から見下ろされるのは不愉快だったが、挑発的に微笑う男の姿は珍しかった。
「…へぇ、どんな要望にも応えてくれるって?」
 言えば、無論、と応えが返る。
 普段全く淡白に、禁欲的に生きているレオンの口から出た言葉とは思えない従順ぶりに気味の悪いものを感じながらも、クラウドは手袋を嵌めたままの手を伸ばしレオンの唇を割った。人差し指を含ませ、舌の上でゆっくり抜き差しするように動かせば、感じるのか根元まで銜え込まれ、歯を立てられた。眉を寄せたクラウドを見つめながら、レオンは含んだ指に舌を絡ませ、吸い上げながら緩やかに上下させた。
 指先ではなく己を銜え込まれているかのような錯覚に陥り、クラウドは背筋を震わせる。瞬間、掴んで床に引きずり倒し思う存分犯したい衝動に駆られたが、熱い呼気を一つ吐いて紛らわせ、生温く濡れた口腔から己の指を引き抜いた。糸を引く唾液の絡んだ指をレオンの頬に擦り付けるが、レオンは僅かに瞳を細めただけで受け入れた。
 本気でクラウドの望む通りに動くつもりらしかった。
 それならそれでいいかと、クラウドは半ば思考を放棄した。
「…じゃぁ要望通りにしてもらおうかな」
「どうぞ」
「一人でイって見せてくれ。俺、そこの椅子に座って見てるから」
「…悪趣味なご要望だな」
「お互い様だろ」
「お前には負ける」
「…やるのか?やらないのか?」
 確認するように問えば、何を今更と言わんばかりの呆れた視線を投げられ、嘆息された。
「…しっかり見ておけ。おそらく二度とないだろうからな」
 意外な思いでレオンを見る。
 まさかこんな馬鹿げたことを本気で引き受けるとは。
 クラウドから離れて身を起こしたレオンは、腰に巻いたベルトを外しにかかった。
 椅子に腰掛けその様子を見守っていると、やがて目の前に来て卓上に座る。クラウドの身体を挟み込むように長い両足を投げ出して、椅子の手すりに乗り上げた。
「…近すぎないか」
「変態のくせに距離に文句をつけるなよ」
「へんたい…俺が変態ならお前も変態だ」
「…取り消しておく」
「賢明だね…」
 それきり口を噤んで手淫に耽るレオンを見るのはなかなか興味深くはあったが、クラウドは後悔した。
 同性のマスターベーションなどグロテスクで萎えるだけかと思っていたのに、レオンは確信犯的に狙って煽る。
 唾液に塗れたレオンのモノは指が上下する度ぬちゃぬちゃと淫猥な音を立て、ぬめる指先が括れを回り先端を擦れば熱く濡れた吐息を漏らす。そのたまらない感覚は自らも知っているもので、レオンが自らを追い上げながら愉悦に染まった視線をクラウドと合わせた瞬間、クラウドの背筋を言いようもない感覚が走り抜けた。
 硬直したように動かない男の視線を捕らえたまま、レオンは己の指を銜えて唾液を含ませる。滴り落ちそうなそれを勃ち上がって震えるモノよりさらに奥へと導き、見せ付けるように緩慢に縁をなぞってから一本指を突き入れた。
「…ふ…っ」
 息を吐いて、抵抗する内壁と馴染ませるように指をゆるりと動かす。
 卓上に片足を乗せて膝を立て、より深く指が入っていけるよう角度を変えた。浅く入り口付近で遊ばせていた指先をゆっくり根元まで押し込んで、狭い中を掻き分ける。
 多少の苦痛を伴うそれは自身への愛撫でごまかした。上下に擦り上げれば苦痛は消えて、物欲しそうに中に入った己の指を締め付ける。やや乱暴に動かして狭い入り口を慣らし、もう一本指を含ませた。室温で冷やされた唾液の冷たさに一瞬身を竦ませるが、すぐに中の熱さに満たされた。
「…ッん、ふ…」 
 二本の指が濡れた音を立てながら内部を行き来する様にクラウドは眩暈を覚えた。
 明らかに誘っている。
 そろそろ限界らしく動きを早めたレオンは、クラウドを見て微笑う。
 微妙な呼気の変化に気づいて視線を上げた男に、来い、と視線で訴え、乾いた唇を舌先で舐める。紅く熟れた舌に誘われるように、男はふらりと立ち上がった。
 ちらちらと覗く舌先を捉えて、唇を塞ぐ。
 逃げるように顎を引くレオンの膝を抱え上げ、クラウドは己の滾る先端を入り口に押し付けた。
「…ッ」
「…どうしてくれる」
 熱い先端が中に入りたがって肉を押し開くが、僅かに含ませただけで止める。
 倒れこまないよう後ろに両手をついて自重を支えるレオンの身体を己に引き付ければ、勢いで少し奥まで入ったが、入り口は未だ狭く、レオンは眉を顰めて苦痛に耐えた。先端を入れないまま止められるのが一番苦しく、一気に突っ込んでもらった方がまだマシだった。
「は…ッ、な、にが」
「コレ、が」
 コレ、と言ってクラウドは先端を抜いた。ぐち、と糸を引くような粘ついた音をさせ、また入り口付近にグリグリと押し付ける。
 濡れた感覚と熱い刺激はたまらなく、レオンの内壁が期待にひくついた。
 早く、挿れるなら奥まで突っ込め。
「…お前の、要望通り、だろ…」
 まだイってないがな、と熱い息を吐いて、レオンが挑戦的に笑う。
「お前ムカツク…」
 乗せられた自分の未熟さを感じつつ、クラウドはレオンが望むように奥まで貫いた。
「ッア…!」
「…キツ」
 慣らしきっていない中は狭すぎたが、レオンが望んだ事だった。
 心の中で言い訳めいたことを呟き、クラウドはゆっくりと律動を開始する。
 痛みの混じる熱のうねりに、レオンは声を上げて悦んだ。
 心の痛みに比べれば、身体の痛みなどすぐに通り過ぎる嵐のようなものでしかない。
「…もッ…と、奥まで、来い…!クラウド」
「は…ッ、何それ、淫乱かよ…っ」
「ッ、ァ、全然、足りないな…!」
「…上等だね」 
 レオンの肩を押さえつけ、卓上に引き倒す。片膝を乗り上げ、体重を乗せて最奥を目指して貫けば、レオンの両足が腰に絡みついてもっとと強請る。
 呆れた貪欲さだ。
「アっあ、ァ、ッ」 
 ガクガクと揺れる身体は悦びにのたうち、汗に張り付いた髪をかきあげる仕草は色に満ちていた。
 溺れそうだ。
 脳裏をよぎるその言葉に、クラウドは諦めにも似た溜息をついた。

 
 ソラが泣くのは、どうすることもできない自分の無力さを痛感したからだったのかとレオンは気づいた。
 自分は泣きたいときに泣けなかったが、ソラは泣くことが出来る強さを持っているのだった。
 かつては美しい街だったこの場所の、レイディアントガーデンと呼ばれていた頃の映像はあまりに儚く、美しかった。
 少年であった自分はこの美しい街並みと平和は恒久的に続くものだと信じていたし、何か問題が起こっても賢者アンセムがこの街を治める限り、不安はないのだと思ってもいた。
 無知で傲慢だったあの頃。
 トロンから「システム開発者であるアンセム博士が残したデータの中に、こんなものがあった」と送られてきたそれを見て、再建委員会のメンバー全員が涙した。
 そう、かつてこの街はこんなにも美しかった。
 美しかったのだ、この街は。
 「アンセム」が闇の道へ入った経緯など知らない。
 レポートを読んだところで、その真実は本人にしかわからない。
 破壊され、闇に染められたこの街は見る影もなく変わり果てた。
 何も出来なかったあの頃の自分。
 今の自分なら、少しは何かができただろうか。
 ソラくらい、強かったなら。

 思い出すのは、何も知らず幸せだったあの時代。
 泣けやしない。
 あまりに情けなくて。
 あまりに無力で。
 
 仮定の話をしても意味がない。
 ソラに言ったあの言葉に偽りはなく、だからこそ自分が許せない。
 強く、もっと強く。
 誰をも失わずに済むように。
 誰をも守れるくらいに。
 美しかったあの街に、いつの日か還る事が出来るように。
 成し遂げて初めて自分は解放されるのだ。
 過去の弱かった自分から。
  

「…よすぎて意識、飛んだか?」
「…自意識過剰だろ」
「…声ガラガラのクセに、よく言う」
「あー…水飲みたい」
「なら起きろよ」
 差し込んでいた陽光はすでに西へと傾き、天井付近を照らしている。
 書庫の照明は目に優しいが、レオンは眩しさにしばし目を瞬いた。
 床に落とした服を拾って着込み、読みかけの本を抱えて出口で待つ金髪の男を見やる。
「何?」
「いや…」 
 この街に何の関係も持たないこの男の存在は、気楽だった。
 俺の事を知らない。
 その一事だけで、かなり救われている自分を自覚する。
 弱すぎた過去の自分など、知らなくていい。
 対等に立つ俺だけを知っていれば、それでいい。
「その本、持ち出し禁止だぞ」
「読んだら返す。お前は司書だったのか?」
「…持ち逃げするなよ」
「本1冊で犯罪者として追われるのはゴメンだな」
「…どうだか」
 扉を開けて外へ出ようとしたクラウドの肩を掴んで振り向かせ、軽く触れるだけのキスをする。
 利用して悪かった。
 言葉には出さず小さくそう囁いて、怪訝に目を見開く男はそのままに、先に外へ歩き出た。
 後についてくる足音を聞きながら、レオンはそっと目を閉じる。
 やりきれない思いから逃れる為に、八つ当たりしたのは俺の方。

 異常な流星雨が現れた日から、この街は壊れ始めた。
 あの日の事を、生涯俺は忘れない。


END

流星雨の夜に-レオン編-

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