人生の先輩には色々学ばなければならない。

 この世界に降り立つ時はいつも、夕暮れ時だった。
  地平線に見え隠れする夕陽が眩しく最後の煌きを発して目を射るが、痛い程の眩しさもどこか温かみを感じさせ、上空を覆いつくす橙と朱のグラデーションはいつ見ても美しい。
  最初研究施設へと足を運んでみたが目論見は外れて目的の人物は見つからず、ならばと書庫も覗いてみたがそこにも誰もいなかった。
  城から探すのではなく素直に魔法使いの家へ行くべきだったかと後悔するが、毎日多忙を極めているらしい目当ての人物は街中を動き回ることも一切ではないというから、行ってみたところで肩透かしをくらう可能性は大いにあった。しかし行く先全てを把握しているわけもなく、目ぼしい場所にいてくれなければお手上げだった。
  闇雲に走り探すついでにハートレスを倒して回るのがいつもの行動だったが、今日は一刻も早く会って話をしたかった。
  そういうときに限って相手に会えないというのは精神的によろしくない。
  行く手を阻む敵を邪魔だと吐き捨て蹴散らしながら、少年はただ走る。
  城壁広場を抜ければ、街の再建委員会本部として機能している魔法使いの家が見えるはずだった。
  階段を使うことすらもどかしく、岩場を飛び越え一気に上りきる。
  上りきったそこには通常ハートレスが溜まっていて、人間がいれば容赦なく襲い掛かってくるはずが、武器を構え身構えても一向に現れる様子はない。
「…あれ」
  首を傾げてみたものの、理由はすぐに思い当たる。
  他の誰かに倒されたのだ。
  しかも、敵が再度集まっていないということは、倒されてからそう時間は経っていない。
  嬉しくなって武器をしまい、街へと続く階段を進む。
  ハートレスに対抗出来る力を持つ者は、この街では限られていた。
  きっと、彼に違いない。
  根拠なくそう思い、駆け足で通路を抜け街中を見下ろしてみる。
  建物の隙間から見える魔法使いの家の中に、今まさに目的の人物が扉を開けて入って行く所だった。
  やった!
  やっと見つけた!
  そわそわと落ち着かない気持ちを深呼吸で誤魔化して、一歩で城壁を飛び出し家の前へと降り立った。
  扉の前で、もう一度深呼吸。
  跳ねる心臓を押さえて、扉を開ける。
  正面奥のパソコン近くに佇む背中に向かって飛びついた。

「レオン先生!俺を助けてください!」

「…ソラ…?」
  家の中にいた誰もが唖然としたことは言うまでもない。

 
「…で、しばらくここにいたいって?」
「うん…じゃなかった、ハイ!連休の間、レオン先生の元で修行したいです!」
「……修行って…」
  何の構えもないまま後ろからタックルに似た抱きつき攻撃を腰に受けたレオンは、踏ん張りきれずに足をよろめかせパソコンのキーボードの上に手をついた。
  ちょうどプログラムを書いていたシドの指を下敷きにする形になり、シドが悲痛な叫び声を漏らしたが、こればかりは不可抗力だった。
  意味不明な文言の羅列がモニタに何行にも渡って表示され、しまいにはエラー音を発してそれ以上表示されなくなったかと思うとプツンと音を立ててモニタから文字が消えた。何事かと思ってみれば強制再起動がかかったようで、「ああぁ途中まで書いたプログラムがぁあああああ」とシドが頭を抱えて落ち込んだ。
  どちらかといえば街の防衛システムが機能しなくなることの方を心配したが、そちらは街のシステムを管理するトロンとリンクしているようで、こちらのパソコンが落ちた所で動作に異常はないとのことだった。それは良かったと安堵するレオンであったが、一からまた書き直さなければならないシドの落ち込み様は酷かった。
「えーっと…ご、ごめんなシド…。俺で手伝えることがあったら…」
  手を合わせて拝む姿勢で謝る少年に悪気がないことは知っていたが、この苦しみはやられてみなければわからない。
  恨めしげにソラを睨んだシドであったが、少年に手伝えることなどあるはずもない。
  レオンもまた申し訳なさげに「俺も何か手伝おうか」と言うが、自分で書いたプログラムはまだ途中で、手伝ってもらうようなシロモノでもない。
「おめぇはおめぇの仕事しろ。人の手伝いしてる暇ねぇだろ」
「…すまない」
「レオンは悪くないよ!俺が悪いんだ、ホントにごめんな、シド!」
「…あぁ、もういいってことよ。気にすんな」
  ゼロから始める事に比べれば、頭の中に残っている分次は早いさーと嘯くシドの顔が泣きそうに歪んでいるのはきっと気のせいではない。
  もう一度ごめん、と謝り、作業に取り掛かったシドの邪魔にならないよう場所を移して椅子に座る。
「ソラ、修行ってどういうこと?」
  少年と青年の為に飲み物を淹れたエアリスが、カップを卓上に置きながら優しく微笑んだ。ありがたく受け取り一口啜れば甘いココアが胃に染みる。
「えーっと話せば長くなるんだけど」
「うん」
「レオンに教えてもらおうと思って」
「何を?」
「色々」
「…色々って?」
  レオンとエアリスが顔を見合わせて同時に首を傾げた。うーんと考え込む少年の答えを待つ為にレオンもまたカップを手に取り口をつける。
「人生色々」
  ぶっ、とレオンが噴出した。
  エアリスも目を丸くして真剣な表情の少年を見下ろした。
「…ソラ?」
「とりあえず、仕事とか手伝って、一緒に生活して、レオン先生から色々学びたいです」
  拳を握り締め、少年は真っ直ぐレオンを見つめるが、見つめられても意図が掴めないレオンは困惑気味に眉を顰めた。
「…その「先生」はやめろ。何かあったのか?ソラ」
「うん、ちょっと色々考えることがあって」
「……」
  一歩も引く様子を見せないソラの決意は相当の物のようだった。
  手伝いたいというのなら、手伝ってもらってもいいのか。
  むしろハートレスの駆逐など、手伝ってもらいたいことはたくさんあるといえばあるのだが。
  レオンの仕事の大部分はソラではどうしようもないものであったが、人手が必要なものはある。
「レオン」
  いてもらったら?と言いたげなエアリスの言外の言葉に促され、レオンはソラに向き直る。
「…わかった。ソラに手伝ってもらえるなら心強いな」
「…ホントに?やった!」
  あからさまに安堵した様子のソラは、承諾され立ち上がって喜んだ。
  そこまで喜ぶようなことだろうかというのは大人達の感想であったが、ソラにとっては重大事であった。

 修行して俺は強くなる!

  背後から炎が見えそうな程気合十分な少年の異様な様子に、その場にいた誰もが再度唖然としたことは言うまでもない。

  仕事を手伝うといっても、さすがに深夜まで子供を付き合わせるわけにはいかない。
  適当な時間に家に戻っていろと言うが、少年は首を縦には振らなかった。
「まだ報告書を作成して提出しなければならないんだ。ソラに手伝ってもらうことはない」
  噛んで含めるように説明しても、不満顔は解消されない。
「ソラ」
  ため息混じりに聞き分けろと言ってみるが、手伝う気満々のソラにその言葉は通用しないようだった。
「レオンが大変なのはわかった。その報告書は今日中にやらないとダメなのか?」
  食い下がる少年の瞳は真剣だ。やるなら終わるまで側にいると言いたいのだろう。
  魔法使いの家には二人以外は誰もいなかった。
  家の主は在宅していること自体が稀であったし、他のメンバーはそれぞれ仕事を終えて家路へと着いていた。
  トロンとシステムの大部分をリンクさせる事ができたおかげで、再建委員会のパソコンは必要時以外は落とすことが出来るようになり、システム異常が起こった時に対処する為の人員配置も不要となったことは、委員会のメンバーの負担を大いに軽減させた。
  何かあればトロンが端末に知らせてくれる。
  全く、優秀な管理者(というべきか迷う所だが)を得たものだと思う。
  報告書を仕上げるだけならば、ここに拘ることもないのかと、考え直す。
  提出は明日で構わなかった。
  そもそも夜は全ての店、全ての家が閉ざされるのだから提出先もすでにもう店じまいしているのだ。
  そうと決まれば、早く帰宅するべきか。
  自分だけであれば考えもしないようなことを今、考えている。
  横で大人しく座っている少年の様子がいつもと違うからだった。
  元気で屈託なく笑う、前向きな少年が今はずっと何かを考えているような、時に虚ろにも見える目をしてレオンを見るのだ。なのに目が合えばいつも通りに元気な様子で飛んだり跳ねたり拗ねたりする。
  病気なのかと心配してしまうほどには、ソラの様子はおかしかった。
「…わかった、これは持って帰ろう。それでいいな?」
「うん!帰ろう!腹減ったね!」
  ソラは笑って帰宅の準備にかかるのだった。
  戸締りをしっかりして、明かりを消して、扉を閉じる。
  晩御飯は何にしよう、報告書はすぐ終わるのか、何時にいつも寝てるのかなど、帰路には様々な質問をソラはした。
  律儀にそれに答えながら、こうしているといつものソラなのにとレオンは内心怪訝に思う。
  一通りのやり取りをした後会話が途切れ、静寂が落ちた。
  隣を歩いていた少年の頭が視界の端に見えなくなり、振り返ればソラは立ち止まって地面を見ていた。
「…どうした?」
  レオンもまた足を止め、帰ろうと促すが、小さく頷いたもののじっとその場に佇んだままだ。
「あー…」
  思いつめた表情で逡巡している様子のソラが、言葉に出すのをレオンは待つ。
「その…」
  しきりに両手を動かして、言うべき言葉を発する勇気を欲している。
「ソラ?」
  急かしてはいけない。
  呼びかける声は、強すぎても弱すぎてもダメだ。
  だがいつまでも暗闇の中、二人っきりで長居する気はないのだということを名前の中に込めてやれば、両手を握り締めてようやく決断したようだった。
「その、て…手、繋いでいい…?」
「……」
  手を繋ぎたいと言ったのか。
  何で?と、レオンが言いたそうな顔をした。
  ちらりと見上げ、ソラは再び目を伏せる。
  手を繋ぐくらい、なんてことないことは知っている。
  強引に繋いで「さぁ帰ろう!」と促せば、呆れたため息をつきながらも決してレオンは嫌がらないだろうことも、同様に。
 
  …違うのだ。
  これは、そんな軽いモノではないのだ。
  勢いに任せてやっていい類のモノではない。
 
「ダメ…?」
  窺うように覗く瞳はなんとも消極的で頼りない。
  これがソラ?
  レオンが驚いたとしても無理ないことを、ソラ自身が自覚している。
  所在なげに両手を組んだり、着ているシャツを引っ張ったりしながら、レオンの返事を待っている。
  拒絶されるとは露ほども思っていなかったが、レオンがどう返事をしてくれるのか興味があった。
「レオン?」
  じっと上目遣いで見つめられ、ああ返事をしてやらねばとレオンは我に帰る。
「…さぁ、帰るぞ、ソラ」
  ため息混じりになってしまうのは仕方がない。
  そっと手を差し出し微笑んでやれば、ソラは顔を真っ赤に染めて大きく頷き、あっという間にレオンの手を取り自らのそれに絡めて横に並んだ。
  再び歩き出すが、繋いだソラの手は汗ばんでおり、それきり喋ることなく静寂のまま帰宅した。
「……」
  何で?と、レオンは聞きたくて仕方がない。
  ソラがおかしい。
 
  とても、おかしい。


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レオン先生と俺。01

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