翌日、朝一番で依頼主の元へ向かう為にバイクを出そうとしたザックスは、事務所の前で佇む男に気がついた。
「あれ、レオン?」
  鍵を開け、ガレージのシャッターを開けて声をかければ、レオンは初対面時と同じ穏やかな笑顔で会釈をした。
「おはようございます。ここ、ザックスの店だったんですね」
「おはようございます。ああ、うん。バイク便やってるので、何かあればご利用下さい」
「利用したくて開店を待ってました」
「あ、そうなの?…あ、いや、そうだったんですか。じゃ、受付しますのでどうぞ、中へ」
「どうもありがとう」
  長方形の菓子箱程度の大きさの小包を抱えて、招き入れられるままレオンは事務所へと踏み込んだ。
  ザックスがカウンター奥から回り込んで来るのを手前で待ち、用紙へ必要事項の記入を求められて、大人しくペンを取る。
「割れ物?ナマモノ?」
「書類とフラッシュメモリです。メモリは梱包してあるので大丈夫だと思いますが」
「了解。会社宛てか。時間指定は?」
「いえ、早めに届けて頂けると助かるんですが」
「その住所なら午前中のうちに届けられると思います」
「ありがとう、助かります」
  ラフな格好をしているレオンの職業はますます不詳だ。
  黒のジャケットに黒のパンツ、真紅のベルトの組み合わせはどこぞでバンドでもしている人かと思ったが、似合っていないわけではなく、違和感がないから不詳なのだった。
  料金を受け取り、バイクに小包を積み込んだ。
  盗まれるような物はないが、事務所を開けたまま外出するわけには行かないのでレオンに外へ出てもらい、事務所に鍵をかけてバイクを押し外に出る。
  見送りしてくれるつもりなのか、レオンは静かに立って待っていた。
「あとで受取人サインのコピー、お渡しします」
「そこまでしてくれるんですね」
「トラブル防止の為だけど」
「ああなるほど」
  納得して頷くレオンに「じゃ」と手を振り、エンジンをかける。
「行ってらっしゃい」
「え…、あ、はい」
  そんなことを言われたのは初めてだった。
  挙動不審に視線を彷徨わせながら頷いて、バイクを出す。
  角を曲がるまで、レオンはそこに立っていた。
  急ぎだという依頼主の荷物を届けた後にレオンの届け先のある隣町に向かったが、そう遠くない場所にあった。
  隣町は大都市と言って良い規模の繁栄した場所であり、人口が多く企業も多く、交易の要所としてこの国では有名だった。
  真新しい巨大なビルに隠れるようにして、目的のビルはあった。
  小奇麗であり古くもなかったが、隣のビルが立派すぎて見劣りしてしまうのが残念に思える程の、洗練されたデザインのビルであった。
  うっかり通り過ぎてしまいそうな小さめなビルは、隣のせいで日陰になってしまっており哀れを誘う。
  カッコイイビルなのに…と、ザックスは全体を見渡しながら呟いた。
  いくつかテナントが入っており、目指す会社はデザイン事務所になっていた。
  エレベーターで二階へ上がり、全面総ガラスの扉を開く。
  白く湾曲した正面壁に社名が彫られ、間接照明で浮かび上がる作りはなかなかに凝っているなと思う。
  受付がなく、通路は左方面へ弧を描くように続いており、小包を抱えて奥へと進んだ。
  ブルーの床に、クリーム色の濃淡のついた壁のコントラストは目に優しい。
  さらにガラス扉があり、開けば中はオフィスだった。
  部屋の中央、円形に設置されたデスクは四つあったが、人はいない。
  左奥に社長のものか、上司のものかは不明だがデスクが一つ、壁の前に置かれており、床の色と同系色のブルーのチェアに腰掛けた中年の男がパソコンに向かって手を動かしていた。
「デリバリーサービスです。お荷物をお届けに上がりました」
  男の傍へ歩み寄りながら声をかければ、顔を上げた男は眉間に皺を寄せて不機嫌を表現してみせた。
「荷物だぁ?誰からだよ」
「スコール・レオンハートさんからです」
「ああ、レオンか」
  後頭部をかきながらため息をつく四十代半ばと思しき金髪の男は、シャツにジーパンという、デザイン事務所にしては無造作すぎる服装をしていた。
「こちら、お名前間違いないでしょうか」
「ああ、合ってるな」
「サインをお願いします」
「ああ」
  サインを確認し、小包を手渡してザックスは軽く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「あ、ちょい待ち」
「はい?」
「伝言はよ、金かかるのか?」
「…伝言、ですか。短いものならば承りますが」
  電話かメールでもすればいいのでは?と思わないでもなかったが、どうせ会うのでついでだった。
「そうか。じゃぁよ、レオンにこう言ってくれ。「頼み事は早く言え。てめぇで出向いて説明しろ」。…以上だ」
「…わかりました、承ります」
  それなりに付き合いのある間柄なのだなと、思った。
  午前の仕事を終えて事務所に戻り、留守電を確認してからお隣へと向かう。
  インターホンを鳴らし、名乗ればすぐに扉は開かれ、レオンは優しげな笑みで迎えてくれた。
「おかえり、ザックス」
「えっ!?あ、…えーと、た、ただいま…?」
  この会話はどうなのだろう。
  他人と初めて交わした挨拶だった。
  馴染みがなさすぎて、鼓動が跳ねる。
  何故だか頬が熱くなり、視線を合わせていられず地面に落とす。
  ここに来た目的を思い出し、ポケットを慌てて探って受取人サインのコピーを手渡す。
  顔は、まだ上げられない。
「わ、渡してきた」
「ありがとう。シドは無愛想だっただろう」
「シド?…あ、ああ、あのおっさ…いや、金髪の」
「おっさんは事実だからおっさん呼ばわりで構わないさ」
  コピーを受け取り、殴り書きのようなサインを見て「汚い字だな」とレオンは苦笑を漏らす。
  ちらりと視線を上げて表情を窺えばまっすぐ視線がぶつかって、ザックスは今度は横を向いた。
「あー…あと、伝言があります」
「はい」
「頼み事は早く言え。てめぇで出向いて説明しろ、…だそうです」
「ああ、…全く人の苦労も知らないで」
「え?」
  聞き返すが、小首を傾げて誤魔化すように微笑まれた。
「いえ、何も。伝言までデリバリーしてくれるんですね」
「まぁ、サービスです」
「親切営業ですね。じゃぁお礼に、昼飯一緒にどうですか?」
「え!?」
「まだ片付いてないので汚い部屋ですが、どうぞ」
「え…っ!?」
  玄関で硬直したザックスを置いて、レオンはすでに中へと入っている。
「あ、あの…!?」
  呼びかければ、振り向いたレオンはこれまた完璧な笑みを浮かべて、「どうぞ」と再度促した。
  ものすごく、好意的な視線だった。
  少なくとも、ザックスにはそう見えた。
「は…、はい、お、お邪魔しま…す…」
  断るのは悪いだろう?
  せっかく誘ってくれているのに。
  警戒…した方がいいのか?でも何のメリットもないだろう。
  身に危険が及んだとしても、俺弱くないし。
  むしろレオンを傷つけてしまいかねないという不安の方が大きいだけで。
  でも敵なら傷つけちゃってもしょうがないか。
  でもでもレオンは敵じゃないと思うけど。
  どうだろう?
  どう思う?
  あ、観察する?
  そうか、せっかくの機会だもんな。
  もしレオンがホントにいい奴で、好意を持ってくれているのなら仲良くなれるかな。
  だと、いいな。
  部屋の間取りはザックスのそれと変わりないというのに、レオンの部屋は洗練されていた。
  まだダンボール箱が壁際に並べられ、雑然としてはいたものの、家具はどれも高級品で、デザインはシンプルなものから凝ったものまで様々あって美しく、部屋に溶け込み同化していた。
  ザックスの部屋は物が積み上がって乱雑であり、床にこそ物は転がってはいなかったが、とても人を呼べるような部屋ではなかった。
  それでもこまめに掃除はしており、埃臭いわけではない。ただ、無駄に物が多いのだった。
「ソファにどうぞ。最低限の生活動線だけは確保したんだが、一人で片付けるのは面倒で」
  キッチンで鍋に火をかけ、冷蔵庫からサラダなどを取り出したレオンがリビングとの間を往復する。
  勧められるままソファに腰掛け、手持ち無沙汰に室内を見回した。
「ああ、確かに。それはわかるかな。…にしても、モデルルームみたい」
「え?…ああ、家具は会社のものを適当に」
「あの会社に勤めてる?」
「外注で仕事を請けてる」
「デザイナー?」
「まぁ、そんな所だ」
「すごいな」
  すごいといえば、正方形のガラステーブルの上に並ぶ料理もすごかった。
  ケータリングかと思わず問うてしまった程だ。
  否と返され、呆然と口を開けた。
「…料理が趣味とか?」
「いや、全然。そんなに大層な料理じゃない。種類が多いだけで」
「…そうかな」
  十分すごい料理だと思うけど。
  うん、すごい。
  片手間に作る一人暮らしの料理には見えない。
  グラスに水を注いで、向かいのソファにレオンが腰掛ける。
  視線が合うと、照れたように小さく笑んだ。 
「同年代がお隣なので気が楽だ。お近づきの印と言っては何だが、友人になってもらえると嬉しいんだが」
「えっあ、こ、こちらこそ!」
  願ったり叶ったりとはこのことだ。
  勢い込んで答えれば、レオンは安堵したように微笑んだ。
「良かった。料理どうぞ。味は…不味くはないと思うんだが」
「い、いただきます!」
  料理は文句なく美味かった。
  独学ならすごいことだが、料理学校に通っていたりするのだろうか。
  それってすでに趣味じゃん、と思ったが、聞く事ははばかられた。
  勉強していたからどうだというのだ。
  いいじゃないか。
  料理上手な男はモテるって聞いた。
  レオンはモテるだろう。
  顔も性格も良くて料理も出来てセンスも良くて、金も持ってそうだし欠点って何だよ?
「え、欠点?」
「え?…、……、あ、」
  しまった、口に出してしまったようだ。
「ああああいや、その、なんでもな」
「そうだな…」
  グラスを手に持ち、考えながら口をつけ、一口飲んでザックスを見た。
  なんら意図の見えないさりげないそれに、ザックスの心臓が跳ねる。
「素直になれないところ、かな」
「……そ、」
  何故だろう、背筋が粟立つ。
  見つめるその蒼い瞳が、薄っすらと細められた。
  笑みを形作る唇が、濡れて光る。
  瞬間呼吸を忘れ、喉が引き攣った。
  誘われている、と思った。
  他に意味があるのなら教えて欲しいところだが、どこからも答えは降って来なかった。
  呪縛のように絡む視線を外せなくなり、ただ見つめ返す。
  このまま手を伸ばしたらどうなるのだろうと思い、右手が僅かに動いたが、レオンは自然な仕草で視線を逸らし、時計を見た。
「…午後の仕事、何時からだ?ザックス」
「…え、…あ、う」
  心を置き去りにされた気分を味わったが、問われるまま時刻を確認し、留守電の内容を思い出す。
「あー…もう少ししたら出ないと…」
「そうか。飯は?もう食わないか?」
「あ、いや、食う。頂きます」
「そうか。食えるだけ食ってくれ」
「はい…」
  先程の異様な雰囲気はなんだったのか、綺麗さっぱり払拭され真昼の空気漂う室内は陽光が差し込み明るかった。
  あらかた食べつくし、空になった皿を片付けるレオンの表情はどこか満足気に見える。
  …気のせいか?
  料理をちゃんと食ったからか。
  お礼を言って、玄関へ向かえば見送りに出てきたレオンが穏やかな微笑を浮かべてザックスを労わった。
「仕事頑張って。事故のないように」
「え、あ、うん…い、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
  これは夫婦か恋人同士の会話ではなかろうか。
  友達同士でこんなに親密な雰囲気になるのだろうか。
  そわそわと落ち着かない気持ちを抱え、ザックスは午後の仕事へと向かうのだった。
「……」
  送り出したレオンは鍵をかけ、室内へ戻る。
  食器や鍋を洗い片付けて、リビングでテレビをつけてリモコンを放り出す。
  ソファに身体を投げ出し、両足を行儀悪くガラステーブルの上に乗せて、盛大にため息をついた。
「…人間関係はめんどくさいな…」
  髪をかきあげ、気怠げに欠伸をする。
「俺には向いてない…表情筋が引き攣るし」
  だが任務遂行の為には必要なのだった。
  あの男にはこちらを信頼してもらい、可能であるならば惚れてもらわねばならなかった。
  距離が近くなればなるほど、仕事は捗るのだから。
  見立てによればかなり楽勝の部類に入る。
  あの男はもう、落ちる。
  こんなに簡単でいいのかと思う程に。

  だが問題は。

「ああ、まだ先は長いな…」
  設定した段階の、ようやく第一段階なのだった。
  下らぬテレビの雑音を聞き流しながら、レオンは目を閉じ僅かばかり午睡を貪ることにした。


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最終兵器彼氏-02-

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