言わねばならないことがある。
レオンには知って欲しいが、受け入れてもらえなかったら殺してしまうかもしれなかった。
言うか、言わないか。
もしこのまま親しくなっていけるのならば、言わねばならない。
もっと親しくなりたいから、言わねばならない。
言わないままという選択肢は、己もレオンも傷つける気がした。
距離を置いた付き合いで済むのなら隠し通せるかもしれないが、俺はもっと親しくなりたいし近づきたい。
共に過ごせる時間が増えたら、気づく。
レオンは気づいてしまう。
今ならまだ、拒絶されても間に合うかもしれない。
レオンを殺さずに済むかもしれない。
俺の傷も浅くて済むかもしれない。
もっと親しくなってからじゃ、手遅れになりそうだから。
言うなら早い方がいい。
「仕事が早く終わった日に、呼びに来てくれればいい」と寛容な答えをくれたレオン宅のインターホンを鳴らしたのは、数日後のことだった。
しばらく夜は家にいる、という言葉を信じて自宅の掃除をし、可能な限り片付けもした。食材も買いこみ、何を作るかずっと考えていた。
「…こんばんは、ザックス」
「こんばんは、レオン。…今日、暇?」
不躾な誘いにも、レオンは魅力的な笑みを向けて頷いてくれる。
「ああ。片付けてくる。五分したらお邪魔します」
「わかった」
ああ、心癒されるなぁと思う。
あの笑みが己に向けられているのが心地良い。
あれは洗脳のようなもので、単純に騙されているのではないかと冷静に語りかけてくる声が聞こえるが、首を振って否定した。
全てを打ち明けてなお、あの笑みが変わる事がなければ、それは本物だということだ。それで全てがわかるじゃないか。
レオンが理解してくれ、受け入れてくれた暁には力いっぱい抱きしめたい。
全力で愛することが出来る気がしたし、レオンにも愛して欲しかった。
冷たい声は鼻でせせら笑いながら、引っ込んだ。
邪魔するなよ。
これ人生で一番大事な正念場なんだからな。
覚悟としてはプロポーズ並だった。
…いや、プロポーズしたことないけど。
とにかく、とても緊張を強いられることなのだった。
五分丁度で家にやって来たレオンは、物珍しげに部屋を見回し、壁一面の本棚の前に立って「随分専門書があるんだな」と感心したように呟いた。
医学、法学、工学、生物学等ジャンルは様々だったが、ぎっしり詰まったそれは一般書店で手に入るものではない。
「あーそれ、俺は読まないんだけど」
「?…同居人でもいるのか?」
「いや、一人暮らしだけど!えーと、とりあえず、飯作るからゆっくりしてて」
「ああ…」
見られて困る物は特にないので、自由に見てもらって構わなかった。
ただレオンの部屋のように統一感はなく、置いてある物も系統はバラバラである。
専門書が並ぶかと思えば別の本棚には料理やガーデニングの本が並び、バイク雑誌があったり、筋トレ用の器具があったり、車やロボットのフィギュアが並んでいたり、ゲームソフトが積んであったりするのだった。
「…多趣味なんだな」
静かな部屋に響くレオンの呟きに乾いた笑いで返しながら、キッチンに立てば意識が切り替わる。
用意していた食材を出し、下ごしらえをしておいた鍋を火にかけ温める。
調理の手順はすでに理解しているので迷う事はない。
キッチンで無駄なく効率的に動く男を意外な思いで眺めやりながら、レオンは持ってきていた赤ワインをテーブルの上に置く。今年の初物で販売開始されたばかりのものであり、出来は良かった。
「ワインを持ってきたんだが」
リビングから声をかけたが、聞こえなかったのかザックスは無言だった。
わざわざ見ずとも食事の際に見ればわかることなので、再度声はかけずにキッチンへと近づく。
キッチン周りは整頓され、鍋やヘラなど台所用品は豊富だった。
家庭のキッチンというよりは、業務用に近い完全な機能重視の配置となっており、相当料理が好きなんだなと窺わせるに十分であった。
店を持ちたいと言ってはいたが、本格的に料理をするとは知った限りの人物像からは全く想像できない。
柱に凭れてじっと見守るが、集中しているのかこちらの視線に気づく様子はなかった。
フライパンを煽る合間に声が聞こえるので耳を澄ますが、内容は聞き取れない。独り言を呟いているようだった。
「……」
声をかけるでもなく、ソファで寛ぐでもなく、レオンはただザックスを見つめる。
その瞳が観察者のものであることに、男は気づかなかった。
「できた」
笑顔でザックスが振り向くのに合わせて、レオンは優しい笑みを作る。
「手馴れてるな」
褒めれば男は素直に照れた。
家庭的な創作料理の数々は、ザックスが作ったにしては繊細で色彩にも富んでいた。
目の前にいる人物像とのギャップが激しく違和感を覚えるが、レオンは指摘することはせず、純粋に料理の味を楽しんだ。
「なるほど、店を出したいというのも納得だ」
「ホントに?やったね。レオンがそういうなら間違いない」
「具体的にプランはできてるのか?」
「いや、まだ全然。生活の安定が先かな…」
「ここに来てまだ短い?」
「えーと、半年くらいか。俺今まで一つの所に一年といたことなくて」
「へぇ?」
「何年か静かに生活してみて、問題なさそうならその時考えようかなと思ってる」
「…今まで余程のトラブルに巻き込まれて来たんだな」
「え?」
「普通に暮らしていれば一年二年はすぐだろう。…運が悪かったのかな」
「あー…」
会話の誘導に、男はかかった。
レオンが同情の視線を向けると、蒼とも碧ともつかぬ淡い色彩の瞳が揺れた。
何かを言うつもりはあるのだろう。だが、躊躇している。
その表情に浮かぶ感情は「不安」だった。
言うことで二人の関係性が崩れる事を恐れている。
…関係性など、何もないというのに。
錯覚に騙されている男の目を覚ましてやる必要はない。
見たい夢を見せ続けてやるのが今のレオンの役割であった。
軽く首を傾げ、男の心中を察するフリをする。
「ああ、悪かった。無理に聞きたいわけじゃない。ここでは落ち着けるといいな」
「…うん、あのレオン…」
「どうした?…ああ、ワイン注ごうか」
ボトルを持ち、グラスへと近づけた腕をザックスが掴む。ボトルを取り、テーブルの上に置いた。
「あ、いや、もういい。それより聞いて欲しいことがあるんだけど」
「ん?トラブルのことか?」
「えーと…うん、それも関係あるっちゃあるかな」
「何だ?」
あくまでも軽く、雑談を聞いてやるぞという態度は崩さない。
真剣に向かい合われても言いにくい事に変わりはなく、逃げ場がない分反応を間違えれば心を閉ざしてしまいかねない。
理解のある大人ぶった笑みを刻んで見つめてやれば、逡巡した後男は重い口を開いた。
「…俺は今ザックスだけど、この身体の名前は別にある」
「…うん?どういうことだ?」
それが聞きたかった。
それで、段階は一つ進む。
きょとんと目を見開き、意味がわからないと首を傾げて見せれば、補足の必要を感じた男がその名前を口にした。
「この身体の本当の名前は、クラウド・ストライフという」
「ああ、偽名を使っているということか」
「いや違う」
さあ言え。
己の口で、俺に真実を告げろ。
ザックスは言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、レオンの腕を掴む手に力を込めた。
「…俺はクラウドが生み出した人格の一つ」
「……」
無言で返すレオンの表情を窺いながら、ザックスは申し訳なさそうに眉を下げた。
「信じられないよな。馬鹿なこと言ってると思う?オカシイ奴だと思う?」
「…クラウド本人の人格とやらもいるのか?他にも?」
「いる。他にもいる。クラウドは今…眠ってる」
「そう…なのか」
よく言えました。
戸惑った体で視線を逸らし、掴まれた右手はそのままに、顎に左手をやり考える。
ザックスは固唾を呑んで、レオンの反応を待っている。
笑い飛ばされたらどうしよう。
信じてもらえなかったらどうしよう。
…そんな声が、聞こえてくるようではないか。
ここでレオンが取るべき反応は決まっていた。
「…呼び名は、今まで通りザックスでいいのか?」
至極真面目な顔をして返答すれば、男は顔を歪ませた。
泣きそうにも見え、笑っているようにも見える。
「実は皆名前がある。…いずれ出てきたら、自己紹介すると思う」
「そうか」
クラウド・ストライフを手に入れる為の、準備がこれで整った。
05へ